故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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ボンダイ より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
安倍ファシズムは20世紀型既得権の最終決戦かもしれない
と言うのは正しいかもしれない。だが、ある意味間違いだと思う。
が事実だろう。
聞デジタル
(39面から続く) ■若者のデモ、続くだろう 五野井郁夫・高千穂大准教授(政治学) この数週間、国会周辺や渋谷のデモの様子を見ている。主導するのは10~20代の若者たちだ。自分たちの生活を守ってき...
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今朝の朝刊にあったこの記事で学者が良い指摘している。
自民党は従来、農協や自治会などの地域社会組織につながりが深かった。今それが薄れているのだ。
補足すると、1970年代に都市化が進むと、首都圏などで地域社会を持たない新住民が台頭し、非自民党系の自治体が各地に生まれたりし、自民党は田中角栄に象徴される農村政党に名実ともになっていった。都市部の票集めの弱さから生み出したのが、集団就職者を組織化した創価学会との連立という答えだろう。主要施設は信濃町や八王子などにあり、東京および「常勝関西」と呼ばれる大阪が教団の基盤だ。
戦前生まれ世代が寿命によって次々死んで社会的少数派になっていくと地方すらも共同体の希薄化が進んだ。いや、「街中での自治会のお神輿の風景」なんかいまや都市の方が残っているわけで、そうすると生き残りに必死なのも無理はなかろう。で、自民党が次に集票基盤にした宗教が神道(神社本庁)だったのではないか。日本各地に神社はあり、観光資源になってもいる。もちろん自治会が希薄化しているためにそれらも消滅は時間の問題だが、だからこそ切迫感を持った神職からすれば靖国をアイコンに「国家神道」を復活させようとする極右の歴史修正主義は好都合だ。政治的な圧力と空気によって参拝を強要された国民が神社回帰すればウッハウッハである。で、神政連や日本会議が台頭したんだろう。
平成以降は非自民党系の首相がたびたび出てきて改革を行ったり、小泉政権が昔からの身内を「抵抗勢力」として切り捨てるなどし、自民党の古い基盤はさらに弱まっていった。小選挙区制度で党・総理の言いなりマシーン化した小物議員たちは世間から批判にさらされている。
安倍ファシズムは20世紀型既得権の最終決戦かもしれない。と思う。
戦前には世の中の高い位置の既得権に属していたが、戦後それを失い、この70年間でどんどん弱体化し、今は確かに持っている構造的優位性も実はその骨組はスカスカで首の皮一枚みたいな、そういう立場はこの国にはいくらでもある。神社界もそうだし、NHKもそうじゃないか。自民党も然りだ。
で、いま「右傾・保守化」している世の中のあらゆる存在は、日本を取り戻すと称して戦時中まで持っていた自分の優位性を取り戻したがっているのだ。そしてそれに、戦前も戦後も一貫して「持たない側」にいた、むしろ低級な側に居た存在が、努力によって成り上がって、「おこぼれ」ほしさに無能な宰相たる安倍首相などに迎合しているわけである。官僚もおおむねそうだろうし、もしかしたらマスメディアもそうかもしれない。その成り上がり過程に生じたあらゆるルサンチマンを、他国にぶつけて発散することで、右傾的構造にまんまと取り入れられている。哀れだ。
逆に言えば、その程度のものがいまの安倍ファシズムを支えている要因になっているのである。それを踏み潰すことができれば、20世紀の時代錯誤の旧勢力はそこでやっと断たれ、日本社会は21世紀のレベルにようやく落ち着くのだ。
・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
> で、いま「右傾・保守化」している世の中のあらゆる存在は、日本を取り戻すと称して戦時中まで持っていた自分の優位性を取り戻したがっているのだ。
>そしてそれに、戦前も戦後も一貫して「持たない側」にいた、むしろ低級な側に居た存在が、努力によって成り上がって、「おこぼれ」ほしさに無能な宰相たる安倍首相などに迎合しているわけである。官僚もおおむねそうだろうし、もしかしたらマスメディアもそうかもしれない。
お見事。
まずは若者が日本を見はなしている。
同じく より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
NHKが「若者の感覚」をまるで分っていないという問題について
今から5年前か、それよりもう少し前くらいのことだ。
NHKを見ていたら、放送の合間の告知を実施する時間に、とある関西ローカルのワイド番組を紹介していた。「あほやねん!すきやねん!(あほすき)」と言う番組だ。内容は、かつてTBSで放送していた「学校へ行こう!」を彷彿とさせる情報番組らしい。駆け出しの芸人都下を雛壇に並べて、テロップをペタペタ貼って「国営らしからぬ民放風のおふざけ」をしまくる趣旨らしい。試写室に招いた仕込み風の学生たちが番組を楽しんでいる感想も、自画自賛ぎみに放送していた。「NHKなのにこんな番組作って意外~!」といういかにも言わされてるようなコメントを話していたと思う。
局の職員?らしきオジサマがインタビューに答えていた。「国会中継のようなお堅い番組だらけのNHKのイメージを変えたい」と言うようなことを言っていた。
この日常の膨大放送の中にありふれたような些細な番組告知に感じた「違和感」はその後私の心の中にずっと残り続けていた。NHKとすれば若者の視聴者離れを改善できればいいのであろう。それにしても、こんな内容を果たして若者は求めていたのだろうかと。国会中継って、そんなにぞんざいなものなのかと。
後で知ったことだが、この「あほやねん!すきやねん!」の放送枠は、それ以前は関西ローカルの大型ニュースを流していたようだ。会期中は、国会中継になったようである。視聴者からすると 「時事番組ばっかりやっている放送枠に娯楽がやってくる」ことは意外性がないわけではないが、それによって失ったものは大きかったんじゃないかと、本当に思っていた。
制について国会での生中継をしなかった問題について各界有名人からのツイッターでの批判のみをまとめた。なお、ここに登場する大半の人が過去にNHKの番組...
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それからしばらくして、2015年7月15日。
NHKは安保法制をめぐる強行採決の様子を中継しなかった。関東ではこの時間、相撲中継をやっていた。老人臭い国技ではあるが、娯楽番組であることは確かだ。
このことに猛反発したのは、若者たちだった。
ツイッター上では、多くの若者たちがこのことに反発する投稿を繰り広げ、トレンドワードにNHK批判が入ったりした。ASIAN KUNG‐FUGENERATIONの後藤氏ら若者に人気のタレントもツイートを行った。そして国会前にはSEALDsが6万人規模のデモを展開した。細見でファッショナブルな、時代の先端にいるような高校生や大学生の姿が目立つ。報道を見ると、インタビューに答えているのはみな30歳未満である。
彼ら彼女らは、細かい主義主張の違いはあるのかもしれないが、立憲主義の否定という根本的な問題を糾弾したほか、経済的徴兵制反対という「自分ごと」についての猛抗議を展開している。デモの動画を見ていると、合間のMCは普通の若者の喋り口調で、SNS上でのコミュニケーションの仕方もそれをそのまま文字おこししたようなものが目立つ。
若者たちは、実は政治をあらかた知っていて、その中の個別具体的な難しい問題もかなり理解していて、その上で「国会中継を放送しないこと」に反発していたのである。
ここに、NHKと日本の若者のズレと言うものが可視化されたんじゃないかと思う。
NHKは「若者はどうせ社会問題なんてまるっきりわからないだろうし、知りたくないだろう」と思い込んでいないか。それが、ニュース番組を削って「あほすき」を始めるきっかけになったんではないか。「若者なんて民放のバラエティを見てへらへら笑っているもんだ。そのレベルに合わせた番組を作ればいい」という、見下した発想があったように見える。 東京のNHKを見ても、例えば夜にはドキュメンタリーの再放送だった時間帯が民放のマネをしたドラマや芸人番組になっている。
しかし現実は真逆だったのだ。芸人がふざけあったりテロップをベタベタ貼る民放バラエティの全盛期といえば、1990年代~2000年代半ばくらいのことである。若者はそれを子どもの頃に見ていて、そんな段階はとっくに通り過ぎている。古臭さすら感じるし、21世紀生まれの小中学生からすれば「親の時代が全盛期のレトロ文化」と認識されていることだろう。
NHKはチャラチャラしているのではなく、あまりに古すぎるのだ。古臭すぎるからこそ、ピントの外れたバブル時代のような若者観をもとに、社会に重要な番組を切り、どんどん愚民化放送をしているのである。
国会前6万人デモだけじゃなかった!最近「BBCが報じるのにNHKが放送しない日本の出来事」が多かった - NAVER まとめ
安保法制に抗議する約6万人のデモが国会議事堂前を取り囲んだ15日、NHKは国会中継を見合わせたばかりか、この話題をほとんど報じることがなかった。このことに国民か...
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若者の多くは、「NHKはBBCよりもクソすぎ」だと思っている。それは上の記事がバズっていることからもわかる。
一昔前ならイギリスBBCを知っている人間は国際派のそれなりのリテラシーある層に限られていた。例えば私の祖父は仕事でヨーロッパに行く機会が度々あったためにBBCを契約して情報手段にしていたが、戦前生まれでそんなことをする人は情報階層の上位の一握りである。
しかし都市部の若い世代はどうか。生まれつきケーブルテレビやCS放送があって、BBCの放送番組に触れることができるのである。そもそも「親がNHK離れしているバブル世代」であり、NHKは最初から選択肢にされることはなく、民放もその全盛期の終焉によって敬遠する離れる傾向がある。しかし、ニコ動で「トップギア」を知ったり、レンタル店やPPVでBBCのドラマを視聴するなどして、その視聴はジワジワと広まっていったのである。日本のテレビ業界は構造不況で落ちぶれていて田舎者と老人しか見ないが、海外には質の高い放送がある、ということはもはや若者の暗黙の了解なのだ。
NHKが中継をせず、7時や9時のワイド番組でもライオンキングや熱中症や台風情報みたいなどうでもいい娯楽情報・生活情報を優先して黙殺した安保問題を、BBCは以下のように詳細に報じた。改憲による具体的な問題などについてかなり突っ込んだ批評をしていて、なおかつVTRでは若い日本人の間の抗議の高まりについて注目している。英語でインタビューに答える学生もいる。
私もそうだが、子どもの頃に地上テレビ業界のピーク期を経験し、「民放がおちぶれる時代」にインターネットにもBS放送やCS放送にも満たされて、内外の膨大な情報ソースにアクセスできる環境で育った若者からすると 、NHKはあまりにひどい体たらくだ。
まず、本質的には国営放送(北朝鮮・中国のようなもの)であり、公共放送の国際基準に合致していない。その上で、NHKは視聴者(受信料負担者)を「情報源が地上波テレビしか持たない日本国民」と言う狭い単位に限って見下した前提で番組作りをしている。 BBCは全世界の視聴者を想定しており、イギリス国民だろうと多様な情報源を持っていることを前提にしているため、「iPlayer」などのネット放送サービスもとても充実している。NHKのように「そんなことネットがあれば放送しなくてもじゅうぶんわかることじゃないか」ということをいちいちダラダラ伝えたりしないし、自国内の話題ばかり放送してわずかに「自国と関連する海外の話題」を取り上げるのみということはない。
それでもNHKは以前は、社会問題を掘り下げるドキュメンタリーなど、「有料放送ならではな上位の情報」がなくはなかったが、落ちぶれて誰もが見離した民放と同じレベルを無理して真似たようなくだらない放送に耽っているのが近年の路線である。「お堅い国営放送がヘンなことをやっている」ことで珍しかった時代は「オンバト」や「サラリーマンNEO」の頃ですでに終わっていて、それらももう10年前のことだ。今はもう「無料放送の民放だから無視できることと同じことを受信料をふんだくりながら行っていて悪びれもしないヤクザな既得権」と言う印象しかない。
若者は、NHKのニュースが堕落することを求めていない。キャスターが急に壁ドンをしたり、女子アナと一緒に変な決めポーズをしたり、「春ちゃん」みたいな変な萌えキャラもどきを作ったり、画面下部にツイッターのネットジャーゴンまみれのネット原住民の戯言を垂れ流して、「アルファツイッタラー」が解説員気取りでサブカルのネタについてニヤつきながらオタクの陰気な口調で話すような報道番組の出来そこないにはむしろウンザリしている。国民を欺き、国の未来を脅かすような悪しき権力に阿り続けていれば、どんなにネタをしようが、ふざけようがダメなのだ。
若者全体の理想を言えば「BBCと同レベルの水準の公共放送が日本にもあること」である。しかし、NHKが改革することは難しいだろう。クラブミュージック風のBGMに同期させたカウントダウンCGとともに番組が始まり、スタイリッシュなスタジオで世界中の社会問題をとことん紹介し、国内の権力監視もしっかりとできるニュース番組をNHKが放送することなど今のレベルを考えれば不可能である。だったらせめて組織を解体させ、台湾みたいに1からマトモな公共放送を作りなおすしかないんじゃないかと思う。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
若者は霞が関・既得権集団・国家から叩き潰され、目覚め始めた。
でもまだ目を覚ましきってないけど。
今上さんは、一気にこの悪魔集団=日本帝国を抹消する腹積もり。
英明で仁慈ある人である。
飯山一郎のはったり無しの口演会場 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
2015/07/17(金) 笑顔で励ます…。その胸中に
「天皇の鎌」
天皇、皇后両陛下は昨日(16日)、原発事故のせいで避難生活を余儀なくされている福島市の災害公営住宅を視察された。
国家の三要素とは、国民・領土・主権の三つだ。
しかし…、日本国は国家の三要素の全てが不良品だ。
この国は、重度に被曝した国民を国の指導者たちが見殺し状態にしているので、大半の国民が半死状態。
領土も、東半分は汚染されて居住不可能地域。最近は領土の西半分も放射能汚染が急速に進んでいる。
国家の主権も、敗戦以来ズーッと米国の戦争屋と原発屋に握られっぱなしなので、実質的な主権は、ない!
ところが、朝鮮戦争以降は日本の経済が異常に繁栄し、また、マスコミの巧みな洗脳工作によって、国民が「日本国が民主主義国家である」かのように錯覚してきた。
さらに最近は、放射能まみれなのに「放射能を気にしない」という幻想が蔓延している…。
こういう致命的な錯覚と幻想に沈む国家は必ず沈没し、国民も死に絶えていって、民族も消滅してしまう。
「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」という御製の意味は、深刻だ。
「天皇の鎌」が、皇室どころか、日本民族の存亡に決着をつける根本の部所にあてがわれているからだ。
天皇陛下の「福島行幸」は、間もなく30回に達する…。
まさに「命懸けの行幸」だ。
天皇陛下は、お命を懸けて(京都などに避難すすことなど一切考えずに)福島行幸を重ねられてきた。
「国民と共に歩む!」という皇室の伝統精神に、朴訥(ぼくとつ)なほど忠実に、今上陛下は(この4年間)生きてこられた。
「国民と共に歩む!」とは「国民と同じものを食う!」ということだとして、今上陛下は汚染された栃木県の御料牧場産の農作物を召し上がってこられた。
頻繁に福島まで出向かれ、平服で(床を同じうして)被災者を慰める天皇陛下と皇后陛下。日本国民の不幸を心から心配する日本国の指導者は、天皇ご一家だけである。このことは天皇制が嫌いな人も認めざるをえないだろう。
天皇と皇后の命を懸けた深い祈りによって、(崩壊寸前の)逆境日本は支えられている…。このお二人の存在と祈りがなければ、たちどころに日本は崩壊してしまうだろう。
しかし、
今の危うい平衡状態も、間もなく終わる。
この国は、根本から崩壊し、瓦解し、消滅する。
「日本」が消滅しなければ、「世界人類」は助からない!
日本が消滅しなければ、人類は助からない。
「天皇の鎌」が グサリ!と稲の根本を掻っ切るのは、夕闇のなかだ。その夕闇が迫って、間もなく夕闇になる。
夕闇のなかで…、
「皇室の終わり」と「日本の終焉」が告げられる。
飯山 一郎
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
まだ国民は寝ぼけている。
起きたらどうに間に合うだろうが、眠り続けて死に絶えるかもしれない。
ただそれがどうなるか・・・・。
ともわれ、死に絶える前に、今上さんが鎌で叩きのめして、幾分かの人は目覚めるだろう・・
帝国がほろびても、日本は残る。
「楚は三戸になっても秦を滅ぼすのは楚」
日本人は放射能で激減するようだが、三戸以上はまだまだ残っている。
如何ってことは無い。
虎よりも過酷な苛政を為す「日本国帝国」を滅ぼせば、未来がある。
>「日本」が消滅しなければ、「世界人類」は助からない!
>日本が消滅しなければ、人類は助からない。
飯山先生も私と同じことを言い始めた。
そうである。日本帝国を滅ぼし、日本人が覚醒したら、日本は残る。
さもないと、肉体的も死滅するか、
日本という人間集団の呼称が消滅して、ロシア・中央アジアあたりの少数民族として、細々と島国の頃の記憶を伝えていく。かだ。
いずれにしろ、生焼けでは日本は復活できない。
前の敗戦では後始末がいい加減で、生焼けだった。
次は、完全燃焼で、完全復活だ!
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
安倍ファシズムは20世紀型既得権の最終決戦かもしれない
日本はほとんど「世襲カースト制」に突入している模様。カースト上位の方々には、下々のことはまったく見えない。触れもしないで生きていける。 https://t.co/L3waqp20ik
— 寮美千子 (@ryomichico) 2015, 7月 14
と言うのは正しいかもしれない。だが、ある意味間違いだと思う。
(日本会議は)「明治憲法下でエスタブリッシュメントだったひとたちの子孫が多い。そうするとメイクセンスでしょ(笑)」←堂々指摘したのすげえw 「安全保障法制は違憲、安倍政権は撤回を」〜長谷部恭男氏・小林節氏が会見(BLOGOS編集部) http://t.co/aH4agricDn
— まひろひま (@MahirOrihaM) 2015, 6月 16
が事実だろう。
聞デジタル
(39面から続く) ■若者のデモ、続くだろう 五野井郁夫・高千穂大准教授(政治学) この数週間、国会周辺や渋谷のデモの様子を見ている。主導するのは10~20代の若者たちだ。自分たちの生活を守ってき...
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今朝の朝刊にあったこの記事で学者が良い指摘している。
自民党は従来、農協や自治会などの地域社会組織につながりが深かった。今それが薄れているのだ。
補足すると、1970年代に都市化が進むと、首都圏などで地域社会を持たない新住民が台頭し、非自民党系の自治体が各地に生まれたりし、自民党は田中角栄に象徴される農村政党に名実ともになっていった。都市部の票集めの弱さから生み出したのが、集団就職者を組織化した創価学会との連立という答えだろう。主要施設は信濃町や八王子などにあり、東京および「常勝関西」と呼ばれる大阪が教団の基盤だ。
戦前生まれ世代が寿命によって次々死んで社会的少数派になっていくと地方すらも共同体の希薄化が進んだ。いや、「街中での自治会のお神輿の風景」なんかいまや都市の方が残っているわけで、そうすると生き残りに必死なのも無理はなかろう。で、自民党が次に集票基盤にした宗教が神道(神社本庁)だったのではないか。日本各地に神社はあり、観光資源になってもいる。もちろん自治会が希薄化しているためにそれらも消滅は時間の問題だが、だからこそ切迫感を持った神職からすれば靖国をアイコンに「国家神道」を復活させようとする極右の歴史修正主義は好都合だ。政治的な圧力と空気によって参拝を強要された国民が神社回帰すればウッハウッハである。で、神政連や日本会議が台頭したんだろう。
平成以降は非自民党系の首相がたびたび出てきて改革を行ったり、小泉政権が昔からの身内を「抵抗勢力」として切り捨てるなどし、自民党の古い基盤はさらに弱まっていった。小選挙区制度で党・総理の言いなりマシーン化した小物議員たちは世間から批判にさらされている。
安倍ファシズムは20世紀型既得権の最終決戦かもしれない。と思う。
戦前には世の中の高い位置の既得権に属していたが、戦後それを失い、この70年間でどんどん弱体化し、今は確かに持っている構造的優位性も実はその骨組はスカスカで首の皮一枚みたいな、そういう立場はこの国にはいくらでもある。神社界もそうだし、NHKもそうじゃないか。自民党も然りだ。
で、いま「右傾・保守化」している世の中のあらゆる存在は、日本を取り戻すと称して戦時中まで持っていた自分の優位性を取り戻したがっているのだ。そしてそれに、戦前も戦後も一貫して「持たない側」にいた、むしろ低級な側に居た存在が、努力によって成り上がって、「おこぼれ」ほしさに無能な宰相たる安倍首相などに迎合しているわけである。官僚もおおむねそうだろうし、もしかしたらマスメディアもそうかもしれない。その成り上がり過程に生じたあらゆるルサンチマンを、他国にぶつけて発散することで、右傾的構造にまんまと取り入れられている。哀れだ。
逆に言えば、その程度のものがいまの安倍ファシズムを支えている要因になっているのである。それを踏み潰すことができれば、20世紀の時代錯誤の旧勢力はそこでやっと断たれ、日本社会は21世紀のレベルにようやく落ち着くのだ。
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抜粋終わり
> で、いま「右傾・保守化」している世の中のあらゆる存在は、日本を取り戻すと称して戦時中まで持っていた自分の優位性を取り戻したがっているのだ。
>そしてそれに、戦前も戦後も一貫して「持たない側」にいた、むしろ低級な側に居た存在が、努力によって成り上がって、「おこぼれ」ほしさに無能な宰相たる安倍首相などに迎合しているわけである。官僚もおおむねそうだろうし、もしかしたらマスメディアもそうかもしれない。
お見事。
まずは若者が日本を見はなしている。
同じく より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
NHKが「若者の感覚」をまるで分っていないという問題について
今から5年前か、それよりもう少し前くらいのことだ。
NHKを見ていたら、放送の合間の告知を実施する時間に、とある関西ローカルのワイド番組を紹介していた。「あほやねん!すきやねん!(あほすき)」と言う番組だ。内容は、かつてTBSで放送していた「学校へ行こう!」を彷彿とさせる情報番組らしい。駆け出しの芸人都下を雛壇に並べて、テロップをペタペタ貼って「国営らしからぬ民放風のおふざけ」をしまくる趣旨らしい。試写室に招いた仕込み風の学生たちが番組を楽しんでいる感想も、自画自賛ぎみに放送していた。「NHKなのにこんな番組作って意外~!」といういかにも言わされてるようなコメントを話していたと思う。
局の職員?らしきオジサマがインタビューに答えていた。「国会中継のようなお堅い番組だらけのNHKのイメージを変えたい」と言うようなことを言っていた。
この日常の膨大放送の中にありふれたような些細な番組告知に感じた「違和感」はその後私の心の中にずっと残り続けていた。NHKとすれば若者の視聴者離れを改善できればいいのであろう。それにしても、こんな内容を果たして若者は求めていたのだろうかと。国会中継って、そんなにぞんざいなものなのかと。
後で知ったことだが、この「あほやねん!すきやねん!」の放送枠は、それ以前は関西ローカルの大型ニュースを流していたようだ。会期中は、国会中継になったようである。視聴者からすると 「時事番組ばっかりやっている放送枠に娯楽がやってくる」ことは意外性がないわけではないが、それによって失ったものは大きかったんじゃないかと、本当に思っていた。
制について国会での生中継をしなかった問題について各界有名人からのツイッターでの批判のみをまとめた。なお、ここに登場する大半の人が過去にNHKの番組...
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それからしばらくして、2015年7月15日。
NHKは安保法制をめぐる強行採決の様子を中継しなかった。関東ではこの時間、相撲中継をやっていた。老人臭い国技ではあるが、娯楽番組であることは確かだ。
このことに猛反発したのは、若者たちだった。
ツイッター上では、多くの若者たちがこのことに反発する投稿を繰り広げ、トレンドワードにNHK批判が入ったりした。ASIAN KUNG‐FUGENERATIONの後藤氏ら若者に人気のタレントもツイートを行った。そして国会前にはSEALDsが6万人規模のデモを展開した。細見でファッショナブルな、時代の先端にいるような高校生や大学生の姿が目立つ。報道を見ると、インタビューに答えているのはみな30歳未満である。
彼ら彼女らは、細かい主義主張の違いはあるのかもしれないが、立憲主義の否定という根本的な問題を糾弾したほか、経済的徴兵制反対という「自分ごと」についての猛抗議を展開している。デモの動画を見ていると、合間のMCは普通の若者の喋り口調で、SNS上でのコミュニケーションの仕方もそれをそのまま文字おこししたようなものが目立つ。
若者たちは、実は政治をあらかた知っていて、その中の個別具体的な難しい問題もかなり理解していて、その上で「国会中継を放送しないこと」に反発していたのである。
ここに、NHKと日本の若者のズレと言うものが可視化されたんじゃないかと思う。
NHKは「若者はどうせ社会問題なんてまるっきりわからないだろうし、知りたくないだろう」と思い込んでいないか。それが、ニュース番組を削って「あほすき」を始めるきっかけになったんではないか。「若者なんて民放のバラエティを見てへらへら笑っているもんだ。そのレベルに合わせた番組を作ればいい」という、見下した発想があったように見える。 東京のNHKを見ても、例えば夜にはドキュメンタリーの再放送だった時間帯が民放のマネをしたドラマや芸人番組になっている。
しかし現実は真逆だったのだ。芸人がふざけあったりテロップをベタベタ貼る民放バラエティの全盛期といえば、1990年代~2000年代半ばくらいのことである。若者はそれを子どもの頃に見ていて、そんな段階はとっくに通り過ぎている。古臭さすら感じるし、21世紀生まれの小中学生からすれば「親の時代が全盛期のレトロ文化」と認識されていることだろう。
NHKはチャラチャラしているのではなく、あまりに古すぎるのだ。古臭すぎるからこそ、ピントの外れたバブル時代のような若者観をもとに、社会に重要な番組を切り、どんどん愚民化放送をしているのである。
国会前6万人デモだけじゃなかった!最近「BBCが報じるのにNHKが放送しない日本の出来事」が多かった - NAVER まとめ
安保法制に抗議する約6万人のデモが国会議事堂前を取り囲んだ15日、NHKは国会中継を見合わせたばかりか、この話題をほとんど報じることがなかった。このことに国民か...
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若者の多くは、「NHKはBBCよりもクソすぎ」だと思っている。それは上の記事がバズっていることからもわかる。
一昔前ならイギリスBBCを知っている人間は国際派のそれなりのリテラシーある層に限られていた。例えば私の祖父は仕事でヨーロッパに行く機会が度々あったためにBBCを契約して情報手段にしていたが、戦前生まれでそんなことをする人は情報階層の上位の一握りである。
しかし都市部の若い世代はどうか。生まれつきケーブルテレビやCS放送があって、BBCの放送番組に触れることができるのである。そもそも「親がNHK離れしているバブル世代」であり、NHKは最初から選択肢にされることはなく、民放もその全盛期の終焉によって敬遠する離れる傾向がある。しかし、ニコ動で「トップギア」を知ったり、レンタル店やPPVでBBCのドラマを視聴するなどして、その視聴はジワジワと広まっていったのである。日本のテレビ業界は構造不況で落ちぶれていて田舎者と老人しか見ないが、海外には質の高い放送がある、ということはもはや若者の暗黙の了解なのだ。
NHKが中継をせず、7時や9時のワイド番組でもライオンキングや熱中症や台風情報みたいなどうでもいい娯楽情報・生活情報を優先して黙殺した安保問題を、BBCは以下のように詳細に報じた。改憲による具体的な問題などについてかなり突っ込んだ批評をしていて、なおかつVTRでは若い日本人の間の抗議の高まりについて注目している。英語でインタビューに答える学生もいる。
私もそうだが、子どもの頃に地上テレビ業界のピーク期を経験し、「民放がおちぶれる時代」にインターネットにもBS放送やCS放送にも満たされて、内外の膨大な情報ソースにアクセスできる環境で育った若者からすると 、NHKはあまりにひどい体たらくだ。
まず、本質的には国営放送(北朝鮮・中国のようなもの)であり、公共放送の国際基準に合致していない。その上で、NHKは視聴者(受信料負担者)を「情報源が地上波テレビしか持たない日本国民」と言う狭い単位に限って見下した前提で番組作りをしている。 BBCは全世界の視聴者を想定しており、イギリス国民だろうと多様な情報源を持っていることを前提にしているため、「iPlayer」などのネット放送サービスもとても充実している。NHKのように「そんなことネットがあれば放送しなくてもじゅうぶんわかることじゃないか」ということをいちいちダラダラ伝えたりしないし、自国内の話題ばかり放送してわずかに「自国と関連する海外の話題」を取り上げるのみということはない。
それでもNHKは以前は、社会問題を掘り下げるドキュメンタリーなど、「有料放送ならではな上位の情報」がなくはなかったが、落ちぶれて誰もが見離した民放と同じレベルを無理して真似たようなくだらない放送に耽っているのが近年の路線である。「お堅い国営放送がヘンなことをやっている」ことで珍しかった時代は「オンバト」や「サラリーマンNEO」の頃ですでに終わっていて、それらももう10年前のことだ。今はもう「無料放送の民放だから無視できることと同じことを受信料をふんだくりながら行っていて悪びれもしないヤクザな既得権」と言う印象しかない。
若者は、NHKのニュースが堕落することを求めていない。キャスターが急に壁ドンをしたり、女子アナと一緒に変な決めポーズをしたり、「春ちゃん」みたいな変な萌えキャラもどきを作ったり、画面下部にツイッターのネットジャーゴンまみれのネット原住民の戯言を垂れ流して、「アルファツイッタラー」が解説員気取りでサブカルのネタについてニヤつきながらオタクの陰気な口調で話すような報道番組の出来そこないにはむしろウンザリしている。国民を欺き、国の未来を脅かすような悪しき権力に阿り続けていれば、どんなにネタをしようが、ふざけようがダメなのだ。
若者全体の理想を言えば「BBCと同レベルの水準の公共放送が日本にもあること」である。しかし、NHKが改革することは難しいだろう。クラブミュージック風のBGMに同期させたカウントダウンCGとともに番組が始まり、スタイリッシュなスタジオで世界中の社会問題をとことん紹介し、国内の権力監視もしっかりとできるニュース番組をNHKが放送することなど今のレベルを考えれば不可能である。だったらせめて組織を解体させ、台湾みたいに1からマトモな公共放送を作りなおすしかないんじゃないかと思う。
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抜粋終わり
若者は霞が関・既得権集団・国家から叩き潰され、目覚め始めた。
でもまだ目を覚ましきってないけど。
今上さんは、一気にこの悪魔集団=日本帝国を抹消する腹積もり。
英明で仁慈ある人である。
飯山一郎のはったり無しの口演会場 より
上記文抜粋
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2015/07/17(金) 笑顔で励ます…。その胸中に
「天皇の鎌」
天皇、皇后両陛下は昨日(16日)、原発事故のせいで避難生活を余儀なくされている福島市の災害公営住宅を視察された。
国家の三要素とは、国民・領土・主権の三つだ。
しかし…、日本国は国家の三要素の全てが不良品だ。
この国は、重度に被曝した国民を国の指導者たちが見殺し状態にしているので、大半の国民が半死状態。
領土も、東半分は汚染されて居住不可能地域。最近は領土の西半分も放射能汚染が急速に進んでいる。
国家の主権も、敗戦以来ズーッと米国の戦争屋と原発屋に握られっぱなしなので、実質的な主権は、ない!
ところが、朝鮮戦争以降は日本の経済が異常に繁栄し、また、マスコミの巧みな洗脳工作によって、国民が「日本国が民主主義国家である」かのように錯覚してきた。
さらに最近は、放射能まみれなのに「放射能を気にしない」という幻想が蔓延している…。
こういう致命的な錯覚と幻想に沈む国家は必ず沈没し、国民も死に絶えていって、民族も消滅してしまう。
「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」という御製の意味は、深刻だ。
「天皇の鎌」が、皇室どころか、日本民族の存亡に決着をつける根本の部所にあてがわれているからだ。
天皇陛下の「福島行幸」は、間もなく30回に達する…。
まさに「命懸けの行幸」だ。
天皇陛下は、お命を懸けて(京都などに避難すすことなど一切考えずに)福島行幸を重ねられてきた。
「国民と共に歩む!」という皇室の伝統精神に、朴訥(ぼくとつ)なほど忠実に、今上陛下は(この4年間)生きてこられた。
「国民と共に歩む!」とは「国民と同じものを食う!」ということだとして、今上陛下は汚染された栃木県の御料牧場産の農作物を召し上がってこられた。
頻繁に福島まで出向かれ、平服で(床を同じうして)被災者を慰める天皇陛下と皇后陛下。日本国民の不幸を心から心配する日本国の指導者は、天皇ご一家だけである。このことは天皇制が嫌いな人も認めざるをえないだろう。
天皇と皇后の命を懸けた深い祈りによって、(崩壊寸前の)逆境日本は支えられている…。このお二人の存在と祈りがなければ、たちどころに日本は崩壊してしまうだろう。
しかし、
今の危うい平衡状態も、間もなく終わる。
この国は、根本から崩壊し、瓦解し、消滅する。
「日本」が消滅しなければ、「世界人類」は助からない!
日本が消滅しなければ、人類は助からない。
「天皇の鎌」が グサリ!と稲の根本を掻っ切るのは、夕闇のなかだ。その夕闇が迫って、間もなく夕闇になる。
夕闇のなかで…、
「皇室の終わり」と「日本の終焉」が告げられる。
飯山 一郎
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抜粋終わり
まだ国民は寝ぼけている。
起きたらどうに間に合うだろうが、眠り続けて死に絶えるかもしれない。
ただそれがどうなるか・・・・。
ともわれ、死に絶える前に、今上さんが鎌で叩きのめして、幾分かの人は目覚めるだろう・・
帝国がほろびても、日本は残る。
「楚は三戸になっても秦を滅ぼすのは楚」
日本人は放射能で激減するようだが、三戸以上はまだまだ残っている。
如何ってことは無い。
虎よりも過酷な苛政を為す「日本国帝国」を滅ぼせば、未来がある。
>「日本」が消滅しなければ、「世界人類」は助からない!
>日本が消滅しなければ、人類は助からない。
飯山先生も私と同じことを言い始めた。
そうである。日本帝国を滅ぼし、日本人が覚醒したら、日本は残る。
さもないと、肉体的も死滅するか、
日本という人間集団の呼称が消滅して、ロシア・中央アジアあたりの少数民族として、細々と島国の頃の記憶を伝えていく。かだ。
いずれにしろ、生焼けでは日本は復活できない。
前の敗戦では後始末がいい加減で、生焼けだった。
次は、完全燃焼で、完全復活だ!
お読みくださりありがとうございます。
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岸はまだ「日本側から安保を破棄できる」条項を入れる気骨・愛国心もあった。
だが、まあその残りかすは、形だけ真似して中身はすっからかんの無しです。
書き込みありがとうございます。