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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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光武帝と建武二十八宿伝 より

上記文抜粋
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 劉秀は法律は万人に平等でなければならないと考えていた。例を挙げよう。
 劉秀の姉劉黄の奴婢が殺人を犯したため、董宣という役人に殺されたことがあった。
姉の劉黄は大いに怒り董宣に報復しようとしたのだが、これが聞き入れられなかった。
劉黄は皇帝なのにこんなこともできないのかと怒ったが、劉秀はそれを抑えて董宣を賞賛し、皇帝も法に従うことを示したのである。

 劉秀はお忍びを好み、こそっと外出しては夜中に帰ることがあった。
そのとき門番である郅惲は、目の前の相手が皇帝であることを確認しても、とっくに門を開けてよい時間を過ぎていることを告げて門を開けず、皇帝を追い払ってしまったのである。

 ちなみに劉秀の城の抜け出しは相当な頻度であった。史書に記録されるのは銚期、申屠剛、郅惲、何湯らによって発覚した計四回であるが、見つかっただけでこれだけの回数であるから、城から勝手に抜け出すのは全くの日常茶飯事であったことがわかる。劉秀は言われるたびに家臣の意見に従うのであるが、にもかかわらずこれだけ記録が残っているということは、口だけでその場だけ家臣に合わせているだけで、全く従う気持ちがなかったことがわかる。
 将軍では岑彭、来歙は暗殺されているし、陰麗華の母や兄も盗賊に殺されている。実際に危険なのであるから、家臣の心配は当然であろう。
 もちろん劉秀は遊びほうけていたのではない。日本の江戸幕府を開いた徳川家康は鷹狩りが趣味で、鷹狩りは民情視察に最適だと述べている。劉秀の頻繁な外出も民情視察の可能性が高いようである。
 法律を重んじる例をもう一つ。育ての父である叔父の劉良の病気が重くなり、劉秀が見舞った。死の床にあった劉良は最後のお願いをする。劉良の親友李子春の孫が殺人事件を起こし、李子春がそれを隠していたため、李子春は投獄されていた。そこで親友を助けて欲しいと懇願したのだ。ところが劉秀は、
「役人は法律に従っているに過ぎず、法律は曲げることはできない。何か他の願いはないか」

 と答えたのである。法律とは皇帝であっても曲げてはならないものなのである。

 これら法のもとの平等という思想は劉秀自身が持つ人間平等の思想から来ている。劉秀には万人に対して平等に対するエピソードが無数にある。それをここで紹介しよう。

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・・・・・・・・・
抜粋おわり

天皇陛下のために法を変える・捻じ曲げる。それが日本では尊いとかいわれる。

まあそんな国・社会に、まっとうな法治など無い。

まあ法治が無いから、天皇家の無責任が放任されるのだよな。


>劉秀は泣く泣く城外を放浪し、他の門まで回って城内に入った。
> 明くる日、劉秀は郅惲をたたえ昇進させ、皇帝すら法に従う存在であることを示したのである。


こんなことをすると、右翼や保守に殺されるよね。

でもこんなことしないから、無法社会になった。


お読みくださりありがとうございます。
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天皇コネ社会の日本!
  • from ローレライ :
  • 2019/12/15 (15:07) :
  • Edit :
  • Res
天皇コネ社会の日本では血筋詐欺のご落胤ヤクザだらけになる。
Re:天皇コネ社会の日本!
2019/12/16 20:17
>天皇コネ社会の日本では血筋詐欺のご落胤ヤクザだらけになる。

その通り。
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