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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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王族・貴族・皇族は、働かない。というかそういう風なゴクつぶしが、世界を喰い散らかしている。

やつらは、世界を統治して、上手い事人類を幸いにさせることをしてない。奪い尽くすしかない。

こりゃ、儒学や法家でいうと、ゴクつぶしで処刑の対象なのである。

弁護士・警察官・官僚・医者ってだけで崇めた奉る。皇族・王族・貴族ってことで崇拝する。

アホなのです。


やっぱ、革命しかないのですは。

易姓革命・市民革命しかないのですは。


参考 http://www.geocities.jp/kaysak864/liuxiu/51.htm

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・
徹底した現場主義
 劉秀は武人として将軍としても武を極めた人物であったが、皇帝として治世においても文を極めた。劉秀の日常生活や政務の様子を見てみよう。
 型どおりの褒め言葉ではあるが、贅沢な衣類を着ないこと、淫らな音楽を聴かないこと、宝石など手にしないこと、皇帝の狩猟場を廃止して狩猟で遊ぶのを止めたこと。身近な人たちに偏愛がないことが挙げられている。
 宮廷の調度品などは公孫述を滅ぼしたときに、それを流用したとされる。亡国の物品をリサイクルするなど、不吉な気がするがそうしたことより、倹約を優先するしたのである。
 一枚の木札に十行の細かい字で書いたこと。これは劉秀の細かい性格を表していて面白い。
 臣下の行いをよく見て選び、部下も隠すことができず、民衆も嘘をつくことがなかったし、政務の処理速度も非常に速かったという。
 劉秀の政治への考え方は、王莽と対比するとわかりやすい。王莽は儒教の聖典を原理として国を治めようとした。国が聖典と異なれば、それを変えることで国が安定すると考えたのだ。
 対して劉秀はすべて現実から見た。皇帝でありながら戦場に出て戦い、政務においても民衆との直接の声を重んじて民衆からの上書を読み、行政との接点である下級官吏から情報を得たのである。
 劉秀は地方の巡察に行くたび、村の長老や下級官吏に会い、ここ数十年間の出来事について質問した。人々はみな驚き喜び、自分の意見を披露し、それぞれが必死で全力を尽くしたという。皇帝自らが、わざわざ自分たちのような名もなき小役人の元に現れて、教えを請いに来たのであるから、彼らがどれほど感激したか想像にあまりある。そして彼らがこの皇帝のために必死に働こうと考えたというのも当然であろう。
 劉秀は若い頃、侠客として逃亡者を助け、末端の役人たちと付き合いがあり、善良な役人や悪徳役人まで知り尽くしていたと記録されている。実際の政治の現場というのをよく知っていたのである。
 劉秀の行政改革には、末端の役人の待遇の改善や増員などがあったが、これも現場を見ての発想、あるいはそもそも下級役人自身が発案したことかもしれない。
 さまざまな仕事に実際の経験があり現場をよく知っていることは、政治においても役に立つものだ。アメリカで最も尊敬される第十六代大統領のリンカーンは、農夫、船頭、雑役夫、商人、プロレスラー、軍人、郵便局長、測量士、発明家、弁護士、州議員、下院議員、そして大統領と多彩な職業経験を持っていた。
 対して劉秀は、農民、学生、運送業、米商人、侠客、将軍、大臣、そして皇帝になった。親族の代理として税金減免交渉したこともあるが、これなど今なら税理士か。河北に赴任したとき囚人の再審査を行い、皇帝になってから監獄の使用制限や再審査制を制定しているがこれは弁護士といえるかもしれない。薬を作っていたがそれを売ったのなら、薬剤師も入ることになる。
 劉秀は将軍として戦っていたときも常に前線にして自ら戦っていた。劉秀の仕事の考え方は、徹底した現場主義であると言うことができる。
 
楽しむこと、笑いとユーモア
 しかしこうした劉秀のやり方は皇帝の仕事を多忙にした。大臣や皇太子もこの多忙さを心配して言った。
 史書は劉秀の一日について次のように記録している。
 劉秀は毎日早朝から日が暮れるまで仕事をした。たびたび大臣や学者を呼んで夜中まで経典について議論したという。
 皇太子劉陽は、劉秀が働いてばかりで休もうとしないのを見て、おりを見て諫めた。
「陛下は古の聖王禹王や湯王のように賢いのに、黄帝や老子のように体を大事することの大切さを忘れています。心を休めてゆっくりとなさってください」
 劉秀はこれに対して、
「私は自分からこれを楽しんでしているのだ、だから疲れたりしないのだよ」
 と答えたのである。現代中国語の成語「楽しめば疲れない(樂此不彼)」として知られるものである。
 これは決して事務が好きだという劉秀の地味な性格を表現したものではない。『論語』にある孔子の言葉、
「良く知っているというのは、それを好きでやっているというほどのことではない。好きでやっているというのは、それを楽しんでやっているというほどのことではない(知之者不如好之者,好之者不如樂之者。)」
 という言葉を受けたもので、体を心配する息子に対して、「俺は既に聖人の最上級に達しているのさ!」と洒落っ気を込めて言ったもので、現代人ならばさしずめ人差し指を立てて横に振ったり、ウインクしていう台詞なのである。息子の劉陽は学者としても第一級の人物として知られ、儒教の教典を講義すると、その講義を聴くために十万人もの聴衆が集まったほどの人物であるから、説明の必要もなくその意味を理解したであろう。
 楽しめば疲れない(樂此不彼)。この原理はフロー現象として知られ、ハンガリーの心理学者チクセント・ミハイの研究で有名である。フロー現象とは一つの活動に没入して他の何ものも問題とならなくなる状態であり、それ自体が楽しく純粋にそれをするために多くの時間や労力を費やすようになるのである。こうした状態では無尽蔵にエネルギーがあふれ疲労を感じないのである。
 劉秀はもともと事務作業を苦にしない学究肌の人物であるし、すべてにおいて現場を体験し、その作業がどんな意味を持つのか体感できたから、一見すると退屈に見える政務を楽しむことができたのであろう。あるいは息子に心配をかけまいとする虚勢であったかもしれない。
 さらに劉秀が疲れずに心労を乗り切った秘訣に、ユーモアと笑いがある。
 劉秀はよく喋りよく笑い人間である。史書に記録される劉秀の会話はそのほとんどに笑いがあるのが特徴だ。ちょっとした洒落やジョークを挟んでユーモラスに語るのである。
 劉秀は話好きでジョークを好んだ。これが政務の心労を大きく軽減させたようである。アメリカの第十六代大統領のリンカーンは、話し好きで比類なく面白可笑しい男(extraordinarily funny man)であると言われていた。リンカーンは、ユーモアがなくてはこの仕事で神経が持たないと言い、政務の合間にはドタバタ喜劇を見て楽しんだ。劉秀もまたジョークと会話が大好きであったが、そうしてこそ皇帝の激務をこなすことができたのであろう。

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・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

原君という論が、あった。

その中で
「そもそも王などあまりに辛いので、世襲などさせなかった。子供に死ぬほどの苦労をさせたくないし。でも文明の発展と詐術の進展で、それが可能になった」

とあるそうで。

日本の皇族が過労死したのなら、それなりに評価しても良い。王族・貴族で、前線で憤死したのを聴いたことがない。

ので、皇族・王族・貴族を抹消して、「真っ当な地球」を回復しなければならない。

で、この動画の講演主は、一種の仮面ライダーらしい。もう少し検証考慮してみたい。

彼等を小張良ということにして何人か引き込んで、日本の劉邦に、日本皇帝なり日本大統領をさせたらいい。



革命しか日本列島を真っ当に戻せない。


お読みくださりありがとうございます。





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