故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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京の風 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
『インフェルノ』の結末が、原作と映画では異なっている。それはなぜか?「静かな淘汰」の始まり
おはようさん。
本欄の閲覧者から、メールでアドバイスが届きました。
ダンヴラウンの小説『インフェルノ』では、原作と映画では結末が異なる。この重大な意味を指摘してと。
確かに、そうでした。
劇中の大富豪ソブリストの使命感は、「地球の人口を半減させることで、人類の滅亡を防ぐ」でした。
これに共鳴する若者が世界中にいた。それを監視するのが、WHOの責任者となった、エリザベス・シンスキーで、彼女はラングドン教授のかつての恋人。
ソブリストはWHOに追い込まれ、フィレンツェで自殺する。ここから始まった物語は、ペスト蔓延時代の恐怖(この象徴に、ダンテのマスクが使われる)を再現させながら、ソブリストの開発した「伝染病の基」がどこに隠されたか、謎解きが始まり、第4次十字軍の戦利品でできたベニスを経て、最後は、ラングドンとエリザベスの二人は、イスタンブールのアヤ・ソフィア寺院にたどり着きます。
この宮殿の地下にある、古代の地下貯水池のなかに、それは、隠されていた。
重要なことは、この地下宮殿には、「メドゥーサを踏みつけている柱」があるのですが、 映画では、この柱を全く登場させなかった。 メドゥーサについては、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%B5
参考: アレキサンダーはメドゥーサを、守り神にしていたようです。
地下で封印された、メデューサの首の謎
映画では、二人は、この貯水池の中に「細菌」を発見し、それを閉じ込め、拡散を防いだ。しかし、原作では、そうなっていない。
その細菌は、人類の生殖能力を奪って、人口の調整が始まる。
さて、では、今の現実はどうでしょうか?
企業広告に支えられたメディアが描き出す「美しい現実」、それを手に入れるための「カネ」への執着。その事態に対し、為政者の無能・無責任は、個々のイノチに襲いかかる悲劇に対しては、メディアが取り上げたもののみに対処を始めるが、それ以外は無頓着、であり、これは、故意に「静かな淘汰」を引き起こしています。
これは、人類である私たちが、日々暮らしている、普段の生活の仕組みそのものが、政治的にも、刑法的にも、さらに道義的にも、この「静かな淘汰」を肯定したままである、ということです。
「静かな淘汰」のなかでの「幸福」とは?
凄い時代になりました。子供達に、どんな未来を語ればいいのでしょう。3年後、5年後、10年後、20年後。そのときのために、何を残しておくか? これは、今の大人達の責任です。
映画で隠した「メドゥーサ」の真実。これは、ギルガメシュに殺されたフンババや、楢山節考に通じるものがあるのではないか。
となると、西欧知性=金融ワンワールドは、科学とイノチを、どうするのか? それを、どう、政治の場面で、反映させるのか? 天使の顔をして、ニコニコと人を殺していく、本当の悪魔か。
そのための祭典が、2020の東京五輪なのか? 大いに議論しましょう。
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
ふと思ったのが、中国の道教神話との相違。
人間が仙人になる道教では、「神にも勝る」とって言っても、条件付きで賛美されることがある。
名だたる詩人や兵法家や技術者が、仙人や神々を凌駕することもしばしばあるように思える。
参考
仙人になれば、人口問題など問題でないからね・・。
メデューサを出さないの、「豊饒の女神殺し」を隠すのか?
> 映画で隠した「メドゥーサ」の真実。これは、ギルガメシュに殺されたフンババや、楢山節考に通じるものがあるのではないか。
> となると、西欧知性=金融ワンワールドは、科学とイノチを、どうするのか? それを、どう、政治の場面で、反映させるのか? 天使の顔をして、ニコニコと人を殺していく、本当の悪魔か。
「大いなる匠に変わって人を殺そうとして、自分を傷つけない人は、稀である」{老子}
さらに老子72章に
「民、威を畏れざれば、すなわち大威至らん。その居るところに狎るることなかれ、その生ずるところを厭さぐことなかれ。それただ厭がず、ここをもって厭がれず。」
庶民が、国家の統治を恐れるのを超えて破れかぶれになり暴れ出すと、国家・社会が転覆する。
{あるいは「人が天や自然を恐れなくなると、自然は人間にその刃を向ける。」てのも一つの解釈}
だから、そういう風に破れかぶれにならないように、生活圏や可能性を狭めたり、生きる糧を奪っていけない。
庶民生活を圧することが無ければ、社会も破たんすることは無いのだ。{この段は私の現代語訳}
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・
『インフェルノ』の結末が、原作と映画では異なっている。それはなぜか?「静かな淘汰」の始まり
おはようさん。
本欄の閲覧者から、メールでアドバイスが届きました。
ダンヴラウンの小説『インフェルノ』では、原作と映画では結末が異なる。この重大な意味を指摘してと。
確かに、そうでした。
劇中の大富豪ソブリストの使命感は、「地球の人口を半減させることで、人類の滅亡を防ぐ」でした。
これに共鳴する若者が世界中にいた。それを監視するのが、WHOの責任者となった、エリザベス・シンスキーで、彼女はラングドン教授のかつての恋人。
ソブリストはWHOに追い込まれ、フィレンツェで自殺する。ここから始まった物語は、ペスト蔓延時代の恐怖(この象徴に、ダンテのマスクが使われる)を再現させながら、ソブリストの開発した「伝染病の基」がどこに隠されたか、謎解きが始まり、第4次十字軍の戦利品でできたベニスを経て、最後は、ラングドンとエリザベスの二人は、イスタンブールのアヤ・ソフィア寺院にたどり着きます。
この宮殿の地下にある、古代の地下貯水池のなかに、それは、隠されていた。
重要なことは、この地下宮殿には、「メドゥーサを踏みつけている柱」があるのですが、 映画では、この柱を全く登場させなかった。 メドゥーサについては、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%B5
参考: アレキサンダーはメドゥーサを、守り神にしていたようです。
地下で封印された、メデューサの首の謎
映画では、二人は、この貯水池の中に「細菌」を発見し、それを閉じ込め、拡散を防いだ。しかし、原作では、そうなっていない。
その細菌は、人類の生殖能力を奪って、人口の調整が始まる。
さて、では、今の現実はどうでしょうか?
企業広告に支えられたメディアが描き出す「美しい現実」、それを手に入れるための「カネ」への執着。その事態に対し、為政者の無能・無責任は、個々のイノチに襲いかかる悲劇に対しては、メディアが取り上げたもののみに対処を始めるが、それ以外は無頓着、であり、これは、故意に「静かな淘汰」を引き起こしています。
これは、人類である私たちが、日々暮らしている、普段の生活の仕組みそのものが、政治的にも、刑法的にも、さらに道義的にも、この「静かな淘汰」を肯定したままである、ということです。
「静かな淘汰」のなかでの「幸福」とは?
凄い時代になりました。子供達に、どんな未来を語ればいいのでしょう。3年後、5年後、10年後、20年後。そのときのために、何を残しておくか? これは、今の大人達の責任です。
映画で隠した「メドゥーサ」の真実。これは、ギルガメシュに殺されたフンババや、楢山節考に通じるものがあるのではないか。
となると、西欧知性=金融ワンワールドは、科学とイノチを、どうするのか? それを、どう、政治の場面で、反映させるのか? 天使の顔をして、ニコニコと人を殺していく、本当の悪魔か。
そのための祭典が、2020の東京五輪なのか? 大いに議論しましょう。
・・・・・・・
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抜粋終わり
ふと思ったのが、中国の道教神話との相違。
人間が仙人になる道教では、「神にも勝る」とって言っても、条件付きで賛美されることがある。
名だたる詩人や兵法家や技術者が、仙人や神々を凌駕することもしばしばあるように思える。
参考
仙人になれば、人口問題など問題でないからね・・。
メデューサを出さないの、「豊饒の女神殺し」を隠すのか?
> 映画で隠した「メドゥーサ」の真実。これは、ギルガメシュに殺されたフンババや、楢山節考に通じるものがあるのではないか。
> となると、西欧知性=金融ワンワールドは、科学とイノチを、どうするのか? それを、どう、政治の場面で、反映させるのか? 天使の顔をして、ニコニコと人を殺していく、本当の悪魔か。
「大いなる匠に変わって人を殺そうとして、自分を傷つけない人は、稀である」{老子}
さらに老子72章に
「民、威を畏れざれば、すなわち大威至らん。その居るところに狎るることなかれ、その生ずるところを厭さぐことなかれ。それただ厭がず、ここをもって厭がれず。」
庶民が、国家の統治を恐れるのを超えて破れかぶれになり暴れ出すと、国家・社会が転覆する。
{あるいは「人が天や自然を恐れなくなると、自然は人間にその刃を向ける。」てのも一つの解釈}
だから、そういう風に破れかぶれにならないように、生活圏や可能性を狭めたり、生きる糧を奪っていけない。
庶民生活を圧することが無ければ、社会も破たんすることは無いのだ。{この段は私の現代語訳}
お読みくださりありがとうございます。
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