故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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徽宗皇帝のブログ より
上記文抜粋
・・・・・・・
被災者が被災地に縛りつけられる理由
「泉の波立ち」から転載。
南堂氏は、こういう時にいろいろアイデアを出してくれるから、いい。そのアイデアの9割くらいまでは使い物にならなくても、的外れでも、時には抜群のアイデアがある可能性もあるのだ
から、役人や政治家などはこの類のブログにはふだんから目を通し、特に緊急事件の際には必読すべきだろう。
何の縁も無い他人のためにこれだけ頭を使ってくれるだけでも、南堂氏が、口は悪いが本質的に善人であると分かるのではないか。時々極論を言うところも私には面白い。ほとんど保守政権批判をしないのは、まあ社会的ポジションのせいだろう。同情する。
さて、熊本地震で救援物資が被災者に届かないという問題が発生しているようだ。
この文明社会で、あまりにも馬鹿馬鹿しい事態だが、実際そうなっている。文明というものが、自然災害の前にいかに脆弱であるかを示しているようだ。
おそらく、被災者自身が自分の足で被災地から脱出しないことには理由がある。
それは、被災者は財産のほとんどを失って無一文だ、ということだ。
そういう人々が生命をつなぐには救援物資を待つしかないのである。脱出して他府県に行っても、食糧や必要物資を購うカネがない。逆に、そのほうが死に至る道なのである。
カネが無いというのはそういうことなのである。
これはフクシマの場合も同じだった。
被災者は被災地に縛りつけられるのである。公的援助は被災地から離れた人々には適用されない。そういう非道性を持っているわけだ。
そういうことだから、救援物資が被災者に届かないことがいかに大問題であるか、被災後の生活資金援助がいかに大切かが分かるだろう。
以下引用)
2016年04月18日
◆ 救援物資をいかに配布するか?
熊本地震のあと、救援物資はどんどん集まっているが、それが被災者に配布されない。この問題をどう解決するか?
──
被災者は救援物資の不足に悩んでいるそうだ。「おにぎり一つしか与えられない」というような報道が各地にある。
→ おにぎりに1時間並んだ 母乳も出なくなった
→ 朝から昼すぎまでにおにぎり1個しか食べていない
→ 食事の配布におよそ2時間の行列ができた
では、物資は不足しているのか? いや、物資はたっぷりと集まっている。満杯状態になるほどだ。
国や近隣の自治体から救援物資は集まりつつあるが、行政の混乱などもあり、被災者の手元まで行き渡らない。
県庁ロビーは企業からの支援物資も含む段ボールが積み上がり、満杯状態だ。
( → 物資、避難所に届かない 尽きる備蓄、長期化を危惧 熊本地震 )
では、満杯なのに、どうして配布されないのか? 人手不足だからだ。上記記事には、こうある。
避難者は 17日も増え、町職員は「人員がとにかく足りない」とこぼす。
仕分け作業などを期待されるボランティアも、余震が続いているため「受け入れはできない」(県社会福祉協議会)という。
人手はまったく足りない。なのに、「ボランティアは(邪魔だから)来るな」という方針を取っている。
→ ボランティアは控えて
→ 「ボランティア自粛」を呼びかけ
→ ボランティアまだ受け入れず 渋滞など混乱防止で
ボランティアを受け入れない、という方針自体は間違ってはいない。とはいえ、結果的には、ボランティアが大幅不足となっている。皮肉なことに。
では、どうすればいい?
これは、論理的に考えれば、解決が付く。
・ 外部のボランティアは受け入れられない。
・ ボランティアそのものは必要だ。
この2条件をともに成立させるのは、次のことだけだ。
「ボランティアを内部で募集する」
被災地には、被災者がたっぷりいる。これらの人々は、助けてもらうだけが能ではない。きちんと働ける人もいるのだから、それらの人々は、ボランティアとして、救援物資の配布のために奉仕するといいだろう。そうすれば、配布は可能となるはずだ。
──
ただし、話はこれで解決ではない。まだ問題がある。
「ボランティアを募集したとして、それをどうやって効率的に運営するか?」
これに対する回答は、こうだ。
「ボランティアが集まって、自治組織をつくる。そこにおけるリーダーが、ピラミッド型の組織を作り、組織全体を近代的に運営する」
ここでは、卓抜なリーダーがいるかどうかで、人々の生活レベルが決定的に異なるだろう。
たとえば、リーダーが駄目なら、「おにぎり一つに2時間も並ぶ」というようなことが起こるだろう。
リーダーが優秀なら、「おにぎりの配布を組織的に行なうので、各地で並列的に配布して、あっという間に配布を終える」というふうになるだろう。
避難所の質を改善する決定的なものは、「自発的なボランティア組織と、卓抜なリーダー」なのである。このことをはっきりと理解しておくといいだろう。
──
問題は、まだある。道路の寸断だ。
→ なぜ、被災者に支援物資が届かないのか 県庁には大量の水と食料があった
→ 車での立ち入りが禁止されている。道路の断裂が
どちらにも「道路寸断で物資を運べない」という問題が報道されている。後者には、道路陥没の写真もある。
→ 道路陥没の写真
こういう状況では、いくらボランティアがいても、自動車が通れないので、物資を運搬できない。
では、どうする? 私の提案は、こうだ。
「自転車やバイクなら通れるので、自転車やバイクで物資を運搬する」
電動自転車が使えればいいが、停電のところでは無理だろう。とはいえ、停電ではない地域では、電動自転車も役立つ。若い人ならば、荷台と、カゴと、自分の背中のリュックで、かなり大量に物資を運べるはずだ。
また、寸断した箇所の前後なら、自動車も使えるはずなので、自動車でリレー運搬するという手もある。
────→ ● ←────→ ● ←─────
たとえば、次の例では、駐車場に多くの自動車が集まった。にもかかわらず、救援物資が不足する。
熊本地震で大きな被害が出た熊本県益城(ましき)町に、避難者が次々と集まっている。広い駐車場を備えた施設が2カ所あり、余震が続く中、建物内に入るのを敬遠した人たちが車中泊するためだ。町が指定する避難所ではなかったが、「避難所」として扱われるようになった。だが、物資は届かず、避難者の疲労は募る。
( → 朝日新聞 )
どんどん自動車が集まるのに、「道路を自動車で通れない」という問題に直面している。
ならば、通れないところの前後だけでも、自動車で運搬すればいい。その途中の寸断部だけを、人手で運搬すればいい。
────→ ● ←────→ ● ←─────
傍線部は、通行可能なので、自動車で運搬する。
●部は、寸断しているので、そこだけ人手で運ぶ。
道路の寸断の状況については、自動車会社が自社サービスの GPS 道路マップで情報提供している。( NHK による)
→ トヨタ「通れた道マップ」
→ ホンダ「インターナビ 通行実績情報マップ」
日産はやっていないのかな? 技術的に遅れている? 思い出したが、日産は、自社の自動車のオーナー向けに、有料で情報サービスを出している。ということは、ネット上で無料公開するつもりはない、ということらしい。
情報公開をケチっているせいで、技術的にも遅れてしまう、という結果になりそうだ。
──
さて。物資不足の対応としては、別の方法もある。「他人を助ける」というのは、若い人ならばいいが、中高年にはしんどいだろう。そこで、自分だけでも逃げられるなら逃げた方がいい。よその地域へ。たとえば、隣町の避難所へ。そこには、十分な食事もあるはずだ。
あるいは、もっと離れたところで、地震の影響のないところに移ってもいい。
次の例がある。(阪神大震災の体験記。)
阪神の時に(仕事で)現地に居て、隣町に移動というか疎開したほうがいいと実感した。神戸市は大変な事になってるのに、ちょっと東の西宮市は普通にコンビニも銭湯も開いてたんだもん。
( → はてなブックマーク - sigeharucom のコメント )
というわけで、「外部への脱出」というのも、一案だ。(道路が寸断しているので、自動車による脱出は困難なことが多いだろうが。)
この件は、前にも述べた。
→ 地震のときは疎開を
なお、逃げ出すべき先としては、次に情報がある。
→ 熊本県内のスーパー・コンビニ 営業状況 | NHKニュース
スーパー・コンビニが営業している地域ならば、道路の寸断という問題もあまりないはずだ。
──
なお、取り残された人々はどうなのか? もちろん、報道されたとおりで、物資不足に悩んでいる。(冒頭で問題として示した通り。)
これらの人々は、ろくに食べ物もないらしいが、地域に食料がまったくないということはあるまい。米ぐらいなら大量にあるはずだ。ただ、それを調理する手段は、限られているようだ。
特に、停電していると、いろいろと不便だろう。そういう地域は、かなりある。
九州電力によりますと地震の影響で停電しているのは、午後2時現在、熊本県内のおよそ2万9000戸となっています。停電しているのは阿蘇市、南阿蘇村、益城町、高森町などです。
( → NHKニュース 2016-04-18 )
なお、現在の停電状況は、下記にリアルタイムデータがある。
→ 九州電力 停電情報
18日深夜の段階で、阿蘇市のあたりだけが停電だ。他は解決した。
停電した地域では、火力がなくて、湯を作るのも困難かもしれない。とすると、一時的に脱出するしかないか?
いや、むしろ、避難所に火力を持ち込む方が有効だろう。簡易ガスコンロなどを救援物資として運搬するといいだろう。米などは、すでに地域内にあるだろうから、米などを運ぶ必要はなさそうだ。
訂正
:
田舎なら、もともと都市ガスでなく、プロパンガスだろう。
火力
の問題は、あまりなさそうだ。となると、電気が通じないことぐらいは、死活的な問題とはなるまい。照明は乾電池と LED などでも足りる。
道路の寸断は、たぶん、最優先で対策の対象となる。あちこちで寸断していても、1週間もたたずに、道路は改修されて、開通するだろう。
だから、初期の数日間を乗りきれば、何とかなる。それまでの数日間を乗りきるための食料を、何とかすることが大切だろう。
通常は、屋内に缶詰などを用意しておくものだが、倒壊しやすい瓦屋根の家に住んでいるのならば、あらかじめ外部に「非常食置き場」を用意しておくと良かったかもしれない。
──
ともあれ、救援物資をうまく配布するには、いろいろと問題がたくさんある。それらを一つ一つ、つぶしていく必要がある。
[ 付記1 ]
あとで道路情報を調べたところ、東海大・阿蘇や、老人ホーム(ひのおか)のあるあたりは、道路が不通になっており、物資はなかなか届かないようだ。
とはいえ、老人ホームにはもともと多くの食料があったはずなのだから、物資が完全に欠落しているわけでもあるまい。とはいえ、断水は続いているし、どこかの避難所の老人が死んだ。(震災関連死らしい形で。) → 出典
となると、このあたりの地域には、ヘリコプターによる物資投下が必要かもしれない。(オスプレイも来ている。)
ただ、ヘリコプターやオスプレイを使うより、自衛隊のキャタピラー車でも使えないものかな? たとえば、これ。
→ 資材運搬車 ( ブログ ,Wikipedia )
ゴム製のキャタピラーがあるから、少しぐらいの道路陥没でも、乗り越えることができる。オマケに、トラック並みの輸送力がある。「最大積載量 約 3t 」とのことだ。
今こそ出番だろ? (ただし、台数はあまり多くない。)
[ 付記2 ]
仕分けについては、東日本大震災のときの記録が有益だ。一部抜粋しよう。
《 ボランティアの協力で仕分けもスムーズに
仕分け作業は市民ボランティアが担当 》
今回の震災の救援物資の仕分け作業は、多くのボランティアのみなさんの協力でスムーズに終了しました。
ボランティアの窓口となった、延岡市ボランティア協会の事務局の斉藤志津代さんに市民ボランティアの状況を伺いました。
「皆さんから届いた物資は想像以上の量で、これらのものをきちんと仕分けできるだろうか、と不安もよぎりました。しかし、大学のボランティアサークルや主婦、春休みを迎えた中学生、定年退職した人などが口コミで集まってくれ、ボランティア団体に所属していない人たちも次々に手伝いに来てくれました。
今回の作業は、駆け付けてくれたみなさんのおかげで、大量の支援物資を短時間できちんと仕分けすることができ、いわき市へ届けるお手伝いができました。参加してくれたボランティアの皆さんに感謝しています」
( → 東日本大震災 救援物資支援、ボランティア活動を通じて延岡の市民活動を考える 延岡市 -Nobeoka City- )
すでに上の方で述べたように、民間ボランティアがしっかりしていれば、仕分けの問題は解決できるのだ。
posted by 管理人 at 21:50| Comment(3) | 地震・自然災害 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最後に [ 付記 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2016年04月18日 23:34
最後に [ 付記2 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2016年04月19日 00:31
プロパンガスでも,あれだけの震度で家屋が揺さぶれたような状況だと屋内配管がダメージを受けてしまって,ボンベは生きていてもガスコンロが使えないという状況も相当あるのでないかと思います.実際,私が阪神淡路大震災で被災した時に自宅がそういう状態になりました.
何れにせよ,中高年,特に高齢者は可能な限り被災地の避難所に留まるべきではないです.今後,避難所生活は相当な長期に及ぶと予想されますが,体力の無い高齢者がストレスの高い避難所に留まるのはリスクが極めて高いです.
県外に出るだけで,十分に安定した生活が出来るでしょうから,被災地の復旧にある程度の目処が立つまでは,是非とも疎開すべきだと思います.
Posted by 大学教員 at 2016年04月19日 01:15
・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
>おそらく、被災者自身が自分の足で被災地から脱出しないことには理由がある。
それは、被災者は財産のほとんどを失って無一文だ、ということだ。
そういう人々が生命をつなぐには救援物資を待つしかないのである。脱出して他府県に行っても、食糧や必要物資を購うカネがない。逆に、そのほうが死に至る道なのである。
カネが無いというのはそういうことなのである。
これはフクシマの場合も同じだった。
被災者は被災地に縛りつけられるのである。公的援助は被災地から離れた人々には適用されない。そういう非道性を持っているわけだ。
これに対応する記事を
放知技 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
772:堺のおっさん : 2016/04/19 (Tue) 02:44:27 host:*.ocn.ne.jp
天災、人災問わず身に厄災が降りかかってきたとき最も有効な対策は「逃げろ」。
しかし、なぜか人は逃げることができない。
いつ来るかわからない厄災の備えは誰でもするが、一時的ですぐ忘れる。
そして、備えるから一番肝心な「逃げる」ことを忘れてしまう。
逃げるなら、徹底的に逃げる。かわす程度の逃げではなく、大きく逃げる。
中央構造線から大きく逃げれる人は大きく逃げる。
落ち着くまでは徹底的に冷静に逃げる。遠くの親戚でも知人でも頼れるものが
あれば、できるだけ遠くまで逃げる。
現地にとどまる避難者の1割が遠くに逃げれば救援が変わる。
2割が遠くに逃げれば、もっと変わる。
しかし、なぜかほとんどの被災者はこの選択をしない。
遠くまで逃げるという選択肢がないからだと思う。
一番確実な方法であるにもかかわらず。
救援に向かう側も、被災地から逃げることを援助するという発想はない。
原発事故の際に、避難計画が機能しないことは、逃げるという選択肢が
日常の厄災に対しても希薄だからだろう。
逃げ出すことは恥ずかしいことではない。むしろ勇気ある行動だと思う。
・・・中略・・・
778:堺のおっさん : 2016/04/19 (Tue) 08:34:33 host:*.ocn.ne.jp
昔の日本人は逃散と言って、村ごと農民が逃げ出して他国へ移動することがあった。
土地を捨てれば、何もなくなる農民がである。
それほど、そこにいても生きていけないというやむに已まれぬ選択であったとしても、
行った先でどのようにして生きていったのか知る由もないが、それでも逃散した。
阪神・淡路もしかり。数々の地震のたびにごく例外を除いて被災者はその地に
とどまった。そして何もない被災地へ大勢の人間が救援に押し掛けた。
その心情は痛いほどわかります。が…。善意の人災が発生してしまう。
私の狭い家でよければたった2~3名ですが、地震が落ち着くまでお引き受けできれば。
また、民泊推進するなら、これを機会に応用してみれば。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
少なくとも、まだ逃げて生き延びる算段がたったから、江戸までの庶民は「逃げた」
でも明治以降、なまじ国家・政府が発達すると、逃げてから避難物資や援助を受け取れない。家は完全につぶれて、生活の資はないのに・・・
となると、地に通常はしがみつくしかない。
なにか「高速料金の高さ」「電車の料金のそこそこの高さ」は、庶民に地にしばりつけるための政策、心理学的呪術・操作法。に思える・・。
被災地から逃げれなくなった「近代化」「機械化」「国家の発達」って、本当に日本人を幸いにしたのだろうか・・・・
これからも、近代以降の日本への根本的懐疑を抱く。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・
被災者が被災地に縛りつけられる理由
「泉の波立ち」から転載。
南堂氏は、こういう時にいろいろアイデアを出してくれるから、いい。そのアイデアの9割くらいまでは使い物にならなくても、的外れでも、時には抜群のアイデアがある可能性もあるのだ
から、役人や政治家などはこの類のブログにはふだんから目を通し、特に緊急事件の際には必読すべきだろう。
何の縁も無い他人のためにこれだけ頭を使ってくれるだけでも、南堂氏が、口は悪いが本質的に善人であると分かるのではないか。時々極論を言うところも私には面白い。ほとんど保守政権批判をしないのは、まあ社会的ポジションのせいだろう。同情する。
さて、熊本地震で救援物資が被災者に届かないという問題が発生しているようだ。
この文明社会で、あまりにも馬鹿馬鹿しい事態だが、実際そうなっている。文明というものが、自然災害の前にいかに脆弱であるかを示しているようだ。
おそらく、被災者自身が自分の足で被災地から脱出しないことには理由がある。
それは、被災者は財産のほとんどを失って無一文だ、ということだ。
そういう人々が生命をつなぐには救援物資を待つしかないのである。脱出して他府県に行っても、食糧や必要物資を購うカネがない。逆に、そのほうが死に至る道なのである。
カネが無いというのはそういうことなのである。
これはフクシマの場合も同じだった。
被災者は被災地に縛りつけられるのである。公的援助は被災地から離れた人々には適用されない。そういう非道性を持っているわけだ。
そういうことだから、救援物資が被災者に届かないことがいかに大問題であるか、被災後の生活資金援助がいかに大切かが分かるだろう。
以下引用)
2016年04月18日
◆ 救援物資をいかに配布するか?
熊本地震のあと、救援物資はどんどん集まっているが、それが被災者に配布されない。この問題をどう解決するか?
──
被災者は救援物資の不足に悩んでいるそうだ。「おにぎり一つしか与えられない」というような報道が各地にある。
→ おにぎりに1時間並んだ 母乳も出なくなった
→ 朝から昼すぎまでにおにぎり1個しか食べていない
→ 食事の配布におよそ2時間の行列ができた
では、物資は不足しているのか? いや、物資はたっぷりと集まっている。満杯状態になるほどだ。
国や近隣の自治体から救援物資は集まりつつあるが、行政の混乱などもあり、被災者の手元まで行き渡らない。
県庁ロビーは企業からの支援物資も含む段ボールが積み上がり、満杯状態だ。
( → 物資、避難所に届かない 尽きる備蓄、長期化を危惧 熊本地震 )
では、満杯なのに、どうして配布されないのか? 人手不足だからだ。上記記事には、こうある。
避難者は 17日も増え、町職員は「人員がとにかく足りない」とこぼす。
仕分け作業などを期待されるボランティアも、余震が続いているため「受け入れはできない」(県社会福祉協議会)という。
人手はまったく足りない。なのに、「ボランティアは(邪魔だから)来るな」という方針を取っている。
→ ボランティアは控えて
→ 「ボランティア自粛」を呼びかけ
→ ボランティアまだ受け入れず 渋滞など混乱防止で
ボランティアを受け入れない、という方針自体は間違ってはいない。とはいえ、結果的には、ボランティアが大幅不足となっている。皮肉なことに。
では、どうすればいい?
これは、論理的に考えれば、解決が付く。
・ 外部のボランティアは受け入れられない。
・ ボランティアそのものは必要だ。
この2条件をともに成立させるのは、次のことだけだ。
「ボランティアを内部で募集する」
被災地には、被災者がたっぷりいる。これらの人々は、助けてもらうだけが能ではない。きちんと働ける人もいるのだから、それらの人々は、ボランティアとして、救援物資の配布のために奉仕するといいだろう。そうすれば、配布は可能となるはずだ。
──
ただし、話はこれで解決ではない。まだ問題がある。
「ボランティアを募集したとして、それをどうやって効率的に運営するか?」
これに対する回答は、こうだ。
「ボランティアが集まって、自治組織をつくる。そこにおけるリーダーが、ピラミッド型の組織を作り、組織全体を近代的に運営する」
ここでは、卓抜なリーダーがいるかどうかで、人々の生活レベルが決定的に異なるだろう。
たとえば、リーダーが駄目なら、「おにぎり一つに2時間も並ぶ」というようなことが起こるだろう。
リーダーが優秀なら、「おにぎりの配布を組織的に行なうので、各地で並列的に配布して、あっという間に配布を終える」というふうになるだろう。
避難所の質を改善する決定的なものは、「自発的なボランティア組織と、卓抜なリーダー」なのである。このことをはっきりと理解しておくといいだろう。
──
問題は、まだある。道路の寸断だ。
→ なぜ、被災者に支援物資が届かないのか 県庁には大量の水と食料があった
→ 車での立ち入りが禁止されている。道路の断裂が
どちらにも「道路寸断で物資を運べない」という問題が報道されている。後者には、道路陥没の写真もある。
→ 道路陥没の写真
こういう状況では、いくらボランティアがいても、自動車が通れないので、物資を運搬できない。
では、どうする? 私の提案は、こうだ。
「自転車やバイクなら通れるので、自転車やバイクで物資を運搬する」
電動自転車が使えればいいが、停電のところでは無理だろう。とはいえ、停電ではない地域では、電動自転車も役立つ。若い人ならば、荷台と、カゴと、自分の背中のリュックで、かなり大量に物資を運べるはずだ。
また、寸断した箇所の前後なら、自動車も使えるはずなので、自動車でリレー運搬するという手もある。
────→ ● ←────→ ● ←─────
たとえば、次の例では、駐車場に多くの自動車が集まった。にもかかわらず、救援物資が不足する。
熊本地震で大きな被害が出た熊本県益城(ましき)町に、避難者が次々と集まっている。広い駐車場を備えた施設が2カ所あり、余震が続く中、建物内に入るのを敬遠した人たちが車中泊するためだ。町が指定する避難所ではなかったが、「避難所」として扱われるようになった。だが、物資は届かず、避難者の疲労は募る。
( → 朝日新聞 )
どんどん自動車が集まるのに、「道路を自動車で通れない」という問題に直面している。
ならば、通れないところの前後だけでも、自動車で運搬すればいい。その途中の寸断部だけを、人手で運搬すればいい。
────→ ● ←────→ ● ←─────
傍線部は、通行可能なので、自動車で運搬する。
●部は、寸断しているので、そこだけ人手で運ぶ。
道路の寸断の状況については、自動車会社が自社サービスの GPS 道路マップで情報提供している。( NHK による)
→ トヨタ「通れた道マップ」
→ ホンダ「インターナビ 通行実績情報マップ」
日産はやっていないのかな? 技術的に遅れている? 思い出したが、日産は、自社の自動車のオーナー向けに、有料で情報サービスを出している。ということは、ネット上で無料公開するつもりはない、ということらしい。
情報公開をケチっているせいで、技術的にも遅れてしまう、という結果になりそうだ。
──
さて。物資不足の対応としては、別の方法もある。「他人を助ける」というのは、若い人ならばいいが、中高年にはしんどいだろう。そこで、自分だけでも逃げられるなら逃げた方がいい。よその地域へ。たとえば、隣町の避難所へ。そこには、十分な食事もあるはずだ。
あるいは、もっと離れたところで、地震の影響のないところに移ってもいい。
次の例がある。(阪神大震災の体験記。)
阪神の時に(仕事で)現地に居て、隣町に移動というか疎開したほうがいいと実感した。神戸市は大変な事になってるのに、ちょっと東の西宮市は普通にコンビニも銭湯も開いてたんだもん。
( → はてなブックマーク - sigeharucom のコメント )
というわけで、「外部への脱出」というのも、一案だ。(道路が寸断しているので、自動車による脱出は困難なことが多いだろうが。)
この件は、前にも述べた。
→ 地震のときは疎開を
なお、逃げ出すべき先としては、次に情報がある。
→ 熊本県内のスーパー・コンビニ 営業状況 | NHKニュース
スーパー・コンビニが営業している地域ならば、道路の寸断という問題もあまりないはずだ。
──
なお、取り残された人々はどうなのか? もちろん、報道されたとおりで、物資不足に悩んでいる。(冒頭で問題として示した通り。)
これらの人々は、ろくに食べ物もないらしいが、地域に食料がまったくないということはあるまい。米ぐらいなら大量にあるはずだ。ただ、それを調理する手段は、限られているようだ。
特に、停電していると、いろいろと不便だろう。そういう地域は、かなりある。
九州電力によりますと地震の影響で停電しているのは、午後2時現在、熊本県内のおよそ2万9000戸となっています。停電しているのは阿蘇市、南阿蘇村、益城町、高森町などです。
( → NHKニュース 2016-04-18 )
なお、現在の停電状況は、下記にリアルタイムデータがある。
→ 九州電力 停電情報
18日深夜の段階で、阿蘇市のあたりだけが停電だ。他は解決した。
停電した地域では、火力がなくて、湯を作るのも困難かもしれない。とすると、一時的に脱出するしかないか?
いや、むしろ、避難所に火力を持ち込む方が有効だろう。簡易ガスコンロなどを救援物資として運搬するといいだろう。米などは、すでに地域内にあるだろうから、米などを運ぶ必要はなさそうだ。
訂正
:
田舎なら、もともと都市ガスでなく、プロパンガスだろう。
火力
の問題は、あまりなさそうだ。となると、電気が通じないことぐらいは、死活的な問題とはなるまい。照明は乾電池と LED などでも足りる。
道路の寸断は、たぶん、最優先で対策の対象となる。あちこちで寸断していても、1週間もたたずに、道路は改修されて、開通するだろう。
だから、初期の数日間を乗りきれば、何とかなる。それまでの数日間を乗りきるための食料を、何とかすることが大切だろう。
通常は、屋内に缶詰などを用意しておくものだが、倒壊しやすい瓦屋根の家に住んでいるのならば、あらかじめ外部に「非常食置き場」を用意しておくと良かったかもしれない。
──
ともあれ、救援物資をうまく配布するには、いろいろと問題がたくさんある。それらを一つ一つ、つぶしていく必要がある。
[ 付記1 ]
あとで道路情報を調べたところ、東海大・阿蘇や、老人ホーム(ひのおか)のあるあたりは、道路が不通になっており、物資はなかなか届かないようだ。
とはいえ、老人ホームにはもともと多くの食料があったはずなのだから、物資が完全に欠落しているわけでもあるまい。とはいえ、断水は続いているし、どこかの避難所の老人が死んだ。(震災関連死らしい形で。) → 出典
となると、このあたりの地域には、ヘリコプターによる物資投下が必要かもしれない。(オスプレイも来ている。)
ただ、ヘリコプターやオスプレイを使うより、自衛隊のキャタピラー車でも使えないものかな? たとえば、これ。
→ 資材運搬車 ( ブログ ,Wikipedia )
ゴム製のキャタピラーがあるから、少しぐらいの道路陥没でも、乗り越えることができる。オマケに、トラック並みの輸送力がある。「最大積載量 約 3t 」とのことだ。
今こそ出番だろ? (ただし、台数はあまり多くない。)
[ 付記2 ]
仕分けについては、東日本大震災のときの記録が有益だ。一部抜粋しよう。
《 ボランティアの協力で仕分けもスムーズに
仕分け作業は市民ボランティアが担当 》
今回の震災の救援物資の仕分け作業は、多くのボランティアのみなさんの協力でスムーズに終了しました。
ボランティアの窓口となった、延岡市ボランティア協会の事務局の斉藤志津代さんに市民ボランティアの状況を伺いました。
「皆さんから届いた物資は想像以上の量で、これらのものをきちんと仕分けできるだろうか、と不安もよぎりました。しかし、大学のボランティアサークルや主婦、春休みを迎えた中学生、定年退職した人などが口コミで集まってくれ、ボランティア団体に所属していない人たちも次々に手伝いに来てくれました。
今回の作業は、駆け付けてくれたみなさんのおかげで、大量の支援物資を短時間できちんと仕分けすることができ、いわき市へ届けるお手伝いができました。参加してくれたボランティアの皆さんに感謝しています」
( → 東日本大震災 救援物資支援、ボランティア活動を通じて延岡の市民活動を考える 延岡市 -Nobeoka City- )
すでに上の方で述べたように、民間ボランティアがしっかりしていれば、仕分けの問題は解決できるのだ。
posted by 管理人 at 21:50| Comment(3) | 地震・自然災害 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最後に [ 付記 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2016年04月18日 23:34
最後に [ 付記2 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2016年04月19日 00:31
プロパンガスでも,あれだけの震度で家屋が揺さぶれたような状況だと屋内配管がダメージを受けてしまって,ボンベは生きていてもガスコンロが使えないという状況も相当あるのでないかと思います.実際,私が阪神淡路大震災で被災した時に自宅がそういう状態になりました.
何れにせよ,中高年,特に高齢者は可能な限り被災地の避難所に留まるべきではないです.今後,避難所生活は相当な長期に及ぶと予想されますが,体力の無い高齢者がストレスの高い避難所に留まるのはリスクが極めて高いです.
県外に出るだけで,十分に安定した生活が出来るでしょうから,被災地の復旧にある程度の目処が立つまでは,是非とも疎開すべきだと思います.
Posted by 大学教員 at 2016年04月19日 01:15
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抜粋終わり
>おそらく、被災者自身が自分の足で被災地から脱出しないことには理由がある。
それは、被災者は財産のほとんどを失って無一文だ、ということだ。
そういう人々が生命をつなぐには救援物資を待つしかないのである。脱出して他府県に行っても、食糧や必要物資を購うカネがない。逆に、そのほうが死に至る道なのである。
カネが無いというのはそういうことなのである。
これはフクシマの場合も同じだった。
被災者は被災地に縛りつけられるのである。公的援助は被災地から離れた人々には適用されない。そういう非道性を持っているわけだ。
これに対応する記事を
放知技 より
上記文抜粋
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772:堺のおっさん : 2016/04/19 (Tue) 02:44:27 host:*.ocn.ne.jp
天災、人災問わず身に厄災が降りかかってきたとき最も有効な対策は「逃げろ」。
しかし、なぜか人は逃げることができない。
いつ来るかわからない厄災の備えは誰でもするが、一時的ですぐ忘れる。
そして、備えるから一番肝心な「逃げる」ことを忘れてしまう。
逃げるなら、徹底的に逃げる。かわす程度の逃げではなく、大きく逃げる。
中央構造線から大きく逃げれる人は大きく逃げる。
落ち着くまでは徹底的に冷静に逃げる。遠くの親戚でも知人でも頼れるものが
あれば、できるだけ遠くまで逃げる。
現地にとどまる避難者の1割が遠くに逃げれば救援が変わる。
2割が遠くに逃げれば、もっと変わる。
しかし、なぜかほとんどの被災者はこの選択をしない。
遠くまで逃げるという選択肢がないからだと思う。
一番確実な方法であるにもかかわらず。
救援に向かう側も、被災地から逃げることを援助するという発想はない。
原発事故の際に、避難計画が機能しないことは、逃げるという選択肢が
日常の厄災に対しても希薄だからだろう。
逃げ出すことは恥ずかしいことではない。むしろ勇気ある行動だと思う。
・・・中略・・・
778:堺のおっさん : 2016/04/19 (Tue) 08:34:33 host:*.ocn.ne.jp
昔の日本人は逃散と言って、村ごと農民が逃げ出して他国へ移動することがあった。
土地を捨てれば、何もなくなる農民がである。
それほど、そこにいても生きていけないというやむに已まれぬ選択であったとしても、
行った先でどのようにして生きていったのか知る由もないが、それでも逃散した。
阪神・淡路もしかり。数々の地震のたびにごく例外を除いて被災者はその地に
とどまった。そして何もない被災地へ大勢の人間が救援に押し掛けた。
その心情は痛いほどわかります。が…。善意の人災が発生してしまう。
私の狭い家でよければたった2~3名ですが、地震が落ち着くまでお引き受けできれば。
また、民泊推進するなら、これを機会に応用してみれば。
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抜粋終わり
少なくとも、まだ逃げて生き延びる算段がたったから、江戸までの庶民は「逃げた」
でも明治以降、なまじ国家・政府が発達すると、逃げてから避難物資や援助を受け取れない。家は完全につぶれて、生活の資はないのに・・・
となると、地に通常はしがみつくしかない。
なにか「高速料金の高さ」「電車の料金のそこそこの高さ」は、庶民に地にしばりつけるための政策、心理学的呪術・操作法。に思える・・。
被災地から逃げれなくなった「近代化」「機械化」「国家の発達」って、本当に日本人を幸いにしたのだろうか・・・・
これからも、近代以降の日本への根本的懐疑を抱く。
お読みくださりありがとうございます。
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