故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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銅のはしご より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
焚書,思想統制に匹敵する国立大からの人文系排斥
§ 「国立大学から人文社会系と教員養成系を排除」
安倍・自公政権の性格の本質は,過去の歴史に見られた「焚書」「思想統制」「文革」どの忌まわしい権力の圧政にも匹敵する。
国立大学から人文社会系と教員養成系を排除すると,平気で発表している。しかも,文科省の行政官僚諸氏は,そもそも人文社会系出身者が多いはずではなかったかな。
法秩序と道徳とでは,いかに善悪を弁別するに違いがあるか,というていどのいくらか哲学的な話題すら,誰も言わなくなる,言えなくなる社会が,すぐそこにある。このままの安倍・自公政権が続くのなら。
きのうも今日も,猛暑の中,国会前での抗議行動は続く。私は行けませんでしたが,連帯を申します。
(※)京都新聞
「特に教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めること」。6月8日、2016年度から始まる国立大学の第3期中期目標を作る際の留意点を伝える通達の中で、文科省は各大学にこう求めた。
§§ 法は,何のためにあるか
例えば広辞苑の2番目の説明には「法」は「社会秩序維持のための規範で,一般に国家権力による強制を伴うもの」と,ある。
だがしかし,憲法に基づくならば,法は,本来,本質的に個人の権利を十全にするための仕組みであるはずだ。
法は,日本社会ではいつの間にか「秩序維持のための規範」 に重きが置かれて語られることも多い。よく喩えとされる「車どころか虫 1匹やって来ることもない赤信号をひたすら待つ日本人」 こんなことで誰の権利がまっとうされるかと考えてもみないから,起きる悲喜劇。
§§§ 小沢一郎の政治「民のかまど」と憲法前文
かつて民主党の標語だった国民の生活が第一。
その後,民主党を離党してそれを引っぺがし,自らの新党名とした小沢一郎代議士。
実にすごいもんだと驚くだけでなく,尊敬できる政治家がいるもんだなと思った。
小沢一郎代議士が「日本の政治,すなわち,まつりごとというのは仁徳天皇の民のかまどの逸話,その話しに尽きる」「政治とは生活である」と平明に語るとき,個人の権利を十全にするための仕組みとしての法という理念は,息を吹き返す。また小沢一郎代議士の言う「共生」は,憲法前文に謳われているとおりのことだろう。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高(すうこう)な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭(へんきょう)を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
共生の理念とは
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」
政治が目指すべき,また国家が存続すべき理由とは
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利」
自民党のは「憲法廃棄草案」
人文社会系の研究をなくしちまえば,このくらいの論議もあっさり消える可能性だってある。勉強も学問も得意じゃない私だから,むしろ言う。
ほんとうに,危機なのよ。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
ツイッターでの
ねこたさんやフェイド大帝さんの記述をみてもわかることだが、人文学的素養は、魔法・戦略の源なのでもある。
人文学系を学ばない=戦略の策定能力がない。ってこと。
むろん、戦略は人文学だけでもだめで理系的素養も居るが、詩的センスは理系では無理。人文学的素養は不可欠。
国家に戦略がない=自立してない=植民地ってことだ。
安倍・霞が関・田布施帝国は、アメリカの植民地!と檄植民地宣言!!です。
檄テイではありません。
激植民地宣言!は、アベチョン過激団とネトウヨが大声で叫びます。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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焚書,思想統制に匹敵する国立大からの人文系排斥
§ 「国立大学から人文社会系と教員養成系を排除」
安倍・自公政権の性格の本質は,過去の歴史に見られた「焚書」「思想統制」「文革」どの忌まわしい権力の圧政にも匹敵する。
国立大学から人文社会系と教員養成系を排除すると,平気で発表している。しかも,文科省の行政官僚諸氏は,そもそも人文社会系出身者が多いはずではなかったかな。
法秩序と道徳とでは,いかに善悪を弁別するに違いがあるか,というていどのいくらか哲学的な話題すら,誰も言わなくなる,言えなくなる社会が,すぐそこにある。このままの安倍・自公政権が続くのなら。
きのうも今日も,猛暑の中,国会前での抗議行動は続く。私は行けませんでしたが,連帯を申します。
(※)京都新聞
「特に教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めること」。6月8日、2016年度から始まる国立大学の第3期中期目標を作る際の留意点を伝える通達の中で、文科省は各大学にこう求めた。
§§ 法は,何のためにあるか
例えば広辞苑の2番目の説明には「法」は「社会秩序維持のための規範で,一般に国家権力による強制を伴うもの」と,ある。
だがしかし,憲法に基づくならば,法は,本来,本質的に個人の権利を十全にするための仕組みであるはずだ。
法は,日本社会ではいつの間にか「秩序維持のための規範」 に重きが置かれて語られることも多い。よく喩えとされる「車どころか虫 1匹やって来ることもない赤信号をひたすら待つ日本人」 こんなことで誰の権利がまっとうされるかと考えてもみないから,起きる悲喜劇。
§§§ 小沢一郎の政治「民のかまど」と憲法前文
かつて民主党の標語だった国民の生活が第一。
その後,民主党を離党してそれを引っぺがし,自らの新党名とした小沢一郎代議士。
実にすごいもんだと驚くだけでなく,尊敬できる政治家がいるもんだなと思った。
小沢一郎代議士が「日本の政治,すなわち,まつりごとというのは仁徳天皇の民のかまどの逸話,その話しに尽きる」「政治とは生活である」と平明に語るとき,個人の権利を十全にするための仕組みとしての法という理念は,息を吹き返す。また小沢一郎代議士の言う「共生」は,憲法前文に謳われているとおりのことだろう。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高(すうこう)な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭(へんきょう)を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
共生の理念とは
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」
政治が目指すべき,また国家が存続すべき理由とは
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利」
自民党のは「憲法廃棄草案」
人文社会系の研究をなくしちまえば,このくらいの論議もあっさり消える可能性だってある。勉強も学問も得意じゃない私だから,むしろ言う。
ほんとうに,危機なのよ。
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抜粋終わり
ツイッターでの
ねこたさんやフェイド大帝さんの記述をみてもわかることだが、人文学的素養は、魔法・戦略の源なのでもある。
人文学系を学ばない=戦略の策定能力がない。ってこと。
むろん、戦略は人文学だけでもだめで理系的素養も居るが、詩的センスは理系では無理。人文学的素養は不可欠。
国家に戦略がない=自立してない=植民地ってことだ。
安倍・霞が関・田布施帝国は、アメリカの植民地!と檄植民地宣言!!です。
檄テイではありません。
激植民地宣言!は、アベチョン過激団とネトウヨが大声で叫びます。
お読みくださりありがとうございます。
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