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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
ボンダイ より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・


 

 異質なのはやはり「1940年代」と言う存在だ。この時代は非常に特殊で、なんせつい数年前までファッショナブルなモデルが雑誌に掲載されていたかと思いきや、5年もしないうちに都心のビル街を「もんぺ部隊」が行進しているのだ。



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 私はこの現象を「田舎帰り」と名付けたい。
 何もない漁村だった横浜がペリー来航で一気に近代都市に変貌したように、日本はみな近代化を遂げる方向にあった。それは何も限定された大都市の現象ではない。私の親族が福島にいるのだが、戦前は養蚕業や石炭業で栄えていたそうで、祖母の生家には洋館があったようだ。つまり、「第二次世界大戦より昔の日本は暗黒的でひもじかった」と言うのも間違いであり、地方をひっくるめた国家規模の脱田舎志向があったのだ。
 そう考えれば、都心を「もんぺ行進」が起こるなんて間違いであり、明治維新以来積み上げた努力への冒涜みたいなものだ。だって近代化のシンボルであるまさに御堂筋(東京式に例えれば丸の内とか銀座だろうか?)に、本来日本人が捨てる方向にあったはずの「もんぺ姿」の面々が闊歩しているのだ。それをおかしいと指摘すると「貴様それでも日本人か!国賊め!」とリンチされた。そういう時代だ。





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 これは雑誌界でも起こったことだ。
 大正~昭和時期に創刊し、モダンな文化を紹介した雑誌は、1940年代になると急に日本化を強いられた。「キング」は「富士」に、「エコノミスト」は「経済毎日」にさせられた。ハイカラモダンなガーリー文化を女の子に伝えていた「少女の友」ですらも戦時中時期だけは渋いテイストで、国家主義をありまくっていた。
 音楽界も然り。最新の洋楽を持ち込んで歌ったり、洋楽調のヒットソングを連発していたのが大正~昭和初期の歌手だったが、彼らは1940年代になると、「時代の圧力」で軍歌を歌うようになった。ディック・ミネは「三根耕一」に改名し、覆面歌手として話題を呼んだミス・コロムビアは「松原操」という日本的婦人の名前となった。






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 ことしは2015年。「2010年代」も半ばになっている。振り返れば、「ミレニアムに沸いた日々」も15年前。遠い昔だ。
 だが、2010年代と2000年代を比較すると、今の時代は1940年代と重なるものがある。どう考えても、この国の文化は「田舎帰り」している。

 共立女子大のサイトで、2000年代前半の渋谷・原宿・銀座・代官山のストリートファッションをまとめたページがある。(一部はリンク切れ)。たとえば2002年8月の渋谷なんかを見てほしい。今の当たり前よりとてもファッショナブルではないか。多様性があり、みんながみんな自由にあか抜けた方向にある。当時、渋谷に行けば「ギャル」がいっぱいいて、女子高校生界では「コギャル」が大人気だった。
 2015年の渋谷はどうか。行けばわかるが、そこにいるのはみんな単調な人々だ。そこを就活女子が揃いも揃ったリクルートスーツ姿で歩き回ったりしている。つい去年まで「量産型女子大生」で、その前は髪を染めず化粧もしない「統制型女子高校生」だった人たちで、私はこういう世の中にひどい憤りを感じる。こんなディストピア未来を、日韓ワールドカップの時にベッカム・ヘアーをした若者は望んだだろうか?
 実際、渋谷では、本来華やいだ都市文化の先端をリードしていた店舗が閉店したり、クラブが弾圧されまくった挙句若者離れで高齢化するなどの流れがある。これによって、渋谷が面白くなくなれば、東横線で一本で行ける神奈川県民とかが行かなくなり、結果お上りさんしか集まらなくなる。そのお上りさんたちが島国根性やムラ社会精神を醸成させれば、さらに都市文化は廃れ、それを心地よく感じる人たちだけが集まるようになる負のスパイラルではないかと思う。ヤマダ電機(本社は群馬県)のような田舎っぽい全国チェーン店ばかり目立つようになった。

 もう1つ。音楽文化もおかしくなってしまった。
 2000年代であれば、ロックは廃れ、HIPHOPやレゲエが隆盛を極めていた。世界的な音楽の流れと同期したものだ。街中から生まれたミュージシャンなどが、都市型のメディア(たとえばFMラジオや音楽雑誌)を介することで、テレビなどの旧型有力媒体にやってくる流れがあった。どんなに話題になっても紅白には出ないという矜持もあった。民放テレビですら懐疑的に考えていて、ましてや老人権力のNHKなど論外ということだ。
 しかし2010年代はどうだろう。地下アイドルにすぎなかったAKB48を最初に世間に紹介したメディアはNHKだ。結成間もないうちに美化啓発キャンペーンの、つまり「道徳のアイコン」として用いた。その後は紅白にも出た。今も昔もNHKがもっともこのグループをひいきにしているマスメディアだ。AKB48といえば、政府関係者がクールジャパンのアイコンとしてやたらと用いたがるものだ。秋元康プロデューサが官邸で安倍首相と会食したり、内閣のクールジャパン会議の民間委員に就任したり、安倍首相の開いたASEAN晩餐会でAKB48のショーがあったりと、とにかく権力に近い。
 EXILEもそうだ。2000年代初めの結成当初は若い兄ちゃんの集まりで良くも悪くも「浜崎あゆみ的ヤンキーカルチャー」の基盤にあった彼らだ。なんてったって「追放」がグループ名なのだ、時代の異端児になりそうな気配があった。しかし、彼らはこの頃はどうだろう。「Rising Sun」という曲がある。直訳すると「旭日」であり、グーグル画像検索すれば旭日旗が大量に出てくる。CDの表紙は日の丸をあしらっている。安倍首相は以前、EXILEのライブに訪れ、「Rising Sun」を元気が出る曲だとべた褒めしている。首相をど真ん中に配置した記念写真も撮っている。メンバーが礼儀正しいことが首相に評価される理由らしい。前述の晩餐会にはEXILEもパフォーマンスをしているし、安倍首相が「いいとも」に出た時はEXILEの花輪が届いた。礼儀正しく国家権力に近いグループに、もはや「追放」にふさわしいイメージはないことは当然だ。EXILEの最大顧客層はマイルドヤンキーだ。北関東のインター沿いに生きる人たちである。




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 AKBやEXILEの風潮を洋楽と比較してみてほしい。
 たとえば先日リアーナの発表した曲「American Oxygen」は戦後のアメリカの繁栄の裏にある人種差別問題について問題提起するような内容だ。イビツなナショナリズムを批評するようなセンスのいい映像になっている。音楽の質ももちろん高い。島国日本の三流下流文化とどちらがより心に響くかは明白だろう。




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 マイルドヤンキー層はEXILEとAKB48に没頭しながら、リアーナを知らない。そもそも彼らは親が「演歌と昭和歌謡」しか知らないレベルで、自分自身は「今のJ-POP」しか知らない。要するに、いつの時代も自分の可視範囲に流通する文化しか消費できない人たちだ。リアーナの新曲以前に、リアーナの存在すら知らない。そんな若者はショッキングなことに今の日本には少なからずいる。
 EXILEでテンション上がっている人たちに水を差すつもりはないし、彼らはそれで幸せならそれでいいが、悪いのはそうした人たちを生み出す社会構造にある。それは、まさに「1940年代と重なるもの」である。

 1940年代、近代化に満たなかったあるいは「近代化を演じることに必死な田舎地帯」には、帝都東京が遅れた封建時代に逆戻りすることは痛快だっただろう。世界恐慌や日中戦争の混迷化という現象があった。この時代の異常性は権力が押し付けたというよりは、「遅れた民意」が求めた結果そうなった、といったほうが正しいかもしれない。
 それと似たものを今の時代、強く感じる。安倍政権を礼賛しているのはロスジェネ世代のネトウヨと、「地方創生」の恩恵を受ける人々だ。どちらも失われた20年を最も冷遇された人たちである。彼らからすれば豊かな文明的な暮らしが良くすることより国家主義で「平等に抑圧されること」の方が望ましいのだろう。自分だけ恩恵を得られなかったなら回りも負荷を強いられるべきだ、というのは、抜け駆けを許さず、実力や努力による冷静な評価のできない原始的農耕民族たちの特徴だ。普通の文明的な人間にはそもそも存在しない考えか、小学生のうちに克服することだが、あるレベルの人たちでは過信され、一生引きずるものである。ネットの匿名空間はその吹き溜まりである。
 都市住民はこの風潮に全力で反発しなければならない。


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


上記記事の作者とは、私は少し違う感じを抱いているけど。

「変な田舎回帰は、危ない。」

ての当たっている。

田舎の百姓は、基本は現在も「DQN」が大多数である。

馬鹿で、ずるく・身内だけ大事にして、身の回りのことだけ考えて、世界・地球など思慮にない。

で、簡単な「地方回帰・田舎へ帰ろう」って風潮にのるような浅薄な人は、ネトウヨ言説に乗っかって、戦争を賛美したり、ヘイトに熱中するような人が多いように思う。


でも、私は早く目に「地方に・田舎にも、重点を置かないといけない!」と言っていた。

戦前とくらべても、今の都市は、より自然と分離され切り離されている。より以上に生気も正気も失われている・・・。

生気も正気も失った、狂える都市民やそれを操作する吸血鬼が、飢えで獲物を求めて、田舎に目を向け出した・・。そういう思いもある。

生気・正気の消失の大きな一因が、「自然との乖離」がある以上、その「地方回帰・田舎志向」は、間違えではない。
都市に留まっても、狂う。
かといって下手な帰り方をすると、それは「吸血鬼の餌」や「田舎の怨念を晴らす道具」になってしまう。
その動きを吸血鬼に使われると、どうなるか・・それは上記文の指摘のような堕落と破滅になる。

でも、ただありがたいことに「ネット」での連絡で、比較的に都市と田舎の連絡が近くなりつつある。それがまだましなところ・・・。

賢明に、「都市と田舎」「文明と自然の絆」を回復しないといけないけど、難しいですよね。



ちょうど、前の戦争も、その前に地方のすさまじい疲弊があった。世界恐慌の時には、東北では「身売り」が続出。
226事件も、「なぜに、軍人は、農民は貧しいのだ!」ってのが、一つの動機であった。

その後、日本中の田舎出身者やその二世三世が、戦争に熱狂し、敗戦まじかになると、全土の都市が焼け野原に化した・・・。

明治以降、長らく農村・地方は、都市の搾取の対象として、より強烈に搾取された。神仏分離で信仰の基本は揺らぎ、神社合祀令で、故郷を「失った」

その恨みつらみも、あの敗戦と思える。


で、戦後の今。


サイレントな優しい搾取が、延々と続き、地方・田舎の人材は劣化を激しくした。


その土地そのものの恨みが、また都市に日本に、襲い掛かるのは、必然に思える。


田舎に帰る人たちは、その土地の、あるいはそこに住む人たちの、恨みつらみを、叩き潰すにしろ、調和して新たな名曲を奏でるにしろ、覚悟を決めないと、今度は、放射能で焦土と化すのも、必然かも知れません。


追記

私はこの記事を思ってふと感じたのが
「日本の都会民の生気と血を吸い尽くした吸血鬼が、今度は、馬鹿にしてきた地方・田舎にその餌を求めて行っている。」

でも「歴史は繰り返す。一度目は悲劇・二度目は喜劇として」てこともあるし

幻の桜さんで面白い話

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
ただ海さんは言っていた




これは癒す人を選ぶエネルギー 」 






そう
この気は気持ちいいけれど

世界の中の序列とは
縁を切らせるようなエネルギー



序列に執着してる人
人に必要とされたがる人は
おそらくここで息を吸うことをストレスと感じるはず



木の祟りは息が苦しくなるって
言うけれど


おそらく
それは自から
呼吸することを拒絶してるだけ


その気を吸うと 
ご主人様に必要とされなくなることを知ってるから
息を吸うことを拒絶し
呼吸が苦しくなるだけ



海さん 
土地さん 
木さんは言いました



「 
猫をいじめた人達は この土地から追い出される 

ただ
それは吸血鬼達が
やるような力づくの追いだしではない

土地が本当にその存在を追放する時
自然が本当にその存在をいらないと感じる時

いらないと想われた存在は
他所に行くことを 得だと感じ
移動する
自発的にその行動をする 


あくまでも自発的に

それが得だと感じて
他の道に進ませゆく 」 


そして
こんなイメージが見えました


世界を作った血筋達が
養分を世界の陣営から追いだしたのは

彼らがそれを得だと感じたから



世界が行っている自滅的な行動も
世界の操縦している者達が 
それをすることを得だと想ってしていると 


でも
それは自発的なようで
土地や自然の意志に動かされているのだけお


でも
本当に自然が
存在を排除していく場合


それをすることが得だと感じさせて
結果として遠ざかる動きをとらせてるんだ



どんなときにも
選ばせているんだ


そう想いました 


・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


田舎の「自然」が、本物だけを、呼ぶように今回はなっているのかもしれない。

こんどの、田舎回帰は、さまざまな喜劇を生みながら、

DQNや阿呆にならず・

かと言って、

文明の変な汚染

とも違う、「まあまあの線」に落ち着くのかもしれない。
自然と文明の調和の回復と、その華を咲かせる線に行こうとするように思う。

ネットの力は今回は大きいように思える。

自然と文明の調和の回復と、その妙なるメロディーが

でも、用心も大事。

「危ないこと」がわかっていたら、尚さらに良い方向に持って行けるから。



お読みくださりありがとうございます。




追記

都市と田舎の問題は、難しい。ので、歯切れも、踏ん切りもつかない文章になりました。

都市か、田舎か、でなく、その分離・乖離が一番大きな問題と思います。

ガンダムでいう「地球とコロニー」の関係に近い。

その乖離と対立が、病根なら、それを取り除くことを、まずはそれをすべきに思えます。

偉そうなことを書いて、すいませんね。
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