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渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

日本の独立回復は間違いだった。そもそも明治維新が間違いだった。

つながっているこころ2 より

上記文抜粋
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ヤマト政府からしてみれば
沖縄に価値があるからこそ自分のものにしたいわけだから
沖縄県民の意向を取り入れるつもりなんて全くなかったでしょうね。

本土復帰45年の沖縄で「幻の建議書」関係者が語る「復帰は間違いだった」〈AERA〉

・・・・・「建議書」は、復帰準備作業が本土政府ペースで進められ、県民の意向が反映されていないことに危機感を抱いた当時の琉球政府が、沖縄側の反論と要望を日本政府に訴えるためにつづった全132ページの文書だ。

復帰を翌年に控えた71年10月。那覇市の八汐荘の畳敷きの大広間は男たちの熱気に包まれていた。顔を真っ赤にして議論する者、食事時間も惜しんでどんぶり鉢を片手に黙々と資料をあさる者……。顔ぶれはさまざまだったが、共通の使命を負っていた。琉球政府の若手職員ら約30人と学識経験者からなる「復帰措置総点検プロジェクトチーム」の中に、行政管理課から選ばれた宮里さんもいた。建議書は彼らが缶詰め状態で1カ月足らずでまとめた。

翌11月17日、屋良主席は建議書を携えて東京に向かう。しかし、羽田空港に到着する直前、衆院特別委員会で自民党が沖縄返還協定を強行採決した。これが、のちに「幻の建議書」と呼ばれるゆえんとなる。

建議書の印象的な一節を紹介したい。

「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからにほかなりません。(中略)復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」(建議書「はじめに」)

97年11月の沖縄の施政権返還25周年を記念する復帰式典。大田昌秀知事は「当時、政府が建議書を真剣に受け止め、県民の願いをその後の沖縄政策に生かしていたら、わが県はもっと違った姿になっていたのではないかと思われてならない」と発言した。

・・・・・亀次郎氏が残した言葉は今も沖縄の反基地闘争を鼓舞する力をもつ。今年3月の辺野古のキャンプ・シュワブゲート前での集会。大会決議文で引用された「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」もその一つだ。

帰り際、内村さんが亀次郎氏の言葉をもう一つ、教えてくれた。

「民衆の憎しみに包囲された軍事基地の価値はゼロに等しい」

本土に向けられた言葉でもある。


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抜粋終わり


ヤマト政府は、日本人の政府でない。

偽日本・日本人皆殺し政府なのである。天皇はその誤魔化しのための細工。


その通り。


滅日本国・卒天皇が、日本復活の最低条件。


お読みくださりありがとうございます。




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