故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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上記文抜粋
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[世に倦む日日 他]昭和天皇は、米軍に広島と長崎に原爆を投下させた / 原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報 / 昭和天皇の戦争責任 〜私たちは、歴史を完全に見誤っていた〜
竹下雅敏氏からの情報です。
“世に倦む日日”の一連のツイートと、下に貼りつけたツイートの中でリンクされている記事をご覧になると、軍上層部、したがって昭和天皇は、原爆が投下されることを知っていたと考えられます。
“続きはこちらから”以降の文章は、さらに深く事の経緯を説明しています。この情報が真実だとすると、これまで私たちは、歴史を完全に見誤っていたことになります。しかし、この記事の内容は真に迫っていて、深くうなづけるものになっています。
(竹下雅敏)
初回放送
2011年8月6日(土)
午後9時00分~9時58分
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。
軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。
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抜粋終わり
明治以降、日本人を破壊する勢力に、今も支配されている。ただそれだけです。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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[世に倦む日日 他]昭和天皇は、米軍に広島と長崎に原爆を投下させた / 原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報 / 昭和天皇の戦争責任 〜私たちは、歴史を完全に見誤っていた〜
竹下雅敏氏からの情報です。
“世に倦む日日”の一連のツイートと、下に貼りつけたツイートの中でリンクされている記事をご覧になると、軍上層部、したがって昭和天皇は、原爆が投下されることを知っていたと考えられます。
“続きはこちらから”以降の文章は、さらに深く事の経緯を説明しています。この情報が真実だとすると、これまで私たちは、歴史を完全に見誤っていたことになります。しかし、この記事の内容は真に迫っていて、深くうなづけるものになっています。
(竹下雅敏)
本土の都市への原爆投下と大量殺戮が、米国によるソ連への威嚇であることを昭和天皇は投下前に意味了解していたと思うよ。と同時に、これを終戦の口実・大義名分にすることができ(=動機づくり)、また米軍に対して貸しを作る(自分に恩を感じてもらう)材料になると、昭和天皇は計算していたはずだ。
— 世に倦む日日 (@yoniumuhibi) 2015, 8月 9
昨夜のNHKスペシャルの「特攻」特集で、大本営陸軍部の作戦部長が「特攻は、終戦工作の動機づくりのため」などという(意味がよく分からない)証言をしていた。この読み解きが肝心だ。まさに「動機づくり」のため、昭和天皇は、米軍に広島と長崎に原爆を投下させたのだ。合意だったということだ。
— 世に倦む日日 (@yoniumuhibi) 2015, 8月 9
このNHKの番組が放送されて4年になる。歴史の真相は少しずつ明らかになっている。軍部が知っていたということは、昭和天皇が知っていたということだ。昭和天皇は、見て見ぬふりをして投下させた。http://t.co/wAfziKTAc5 http://t.co/hhnKIyfvFr
— 世に倦む日日 (@yoniumuhibi) 2015, 8月 9
原爆投下
活(い)かされなかった極秘情報
活(い)かされなかった極秘情報
転載元より抜粋)
初回放送
2011年8月6日(土)
午後9時00分~9時58分
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。
軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。
(続きはここから)
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昭和天皇の戦争責任(1)
転載元より抜粋)
11/8/2
天皇一族は、なんと昭和20年6月の時点で(!)ヨハンセングループを通じて、原爆投下の情報を実質的米国権力者のスティムソン陸軍長官からの指令で受け取っていた。ヨハンセングループとは、米国機密文書に出てくる秘密名の日本側組織であり、参加者は、牧野伸顕・吉田茂・樺山愛輔・岡田啓介・米内光政たちであった。このグループは、当然ながら戦犯に指定されていない。
スティムソン陸軍長官からグルー駐日米大使、さらにヨハンセングループへとルートがあり、そのルートを通じて天皇一派は戦時中も米英勢力と繋がっていたのである。
昭和天皇は20年6月にスティムソン側から、原爆投下の場所と日時を決めるよう要請を受けた。そして広島に、8月6日午前8時頃と回答したのは、天皇一派であったのだ。その仲介をしたのがヨハンセングループであった。
つまり天皇は敗戦によって自分の生命と財産が保全されることが連合軍に保障されたので、ポツダム宣言受諾という形で敗戦を決めたが、それを陸軍に邪魔されたくなかったので、米軍に頼んで広島の陸軍司令部を叩き潰してもらったのであり、広島市民40万人はその犠牲にされたのである。
当時の陸軍大臣阿南惟幾は8月15日未明に割腹自殺を遂げているが、その直前に部下に「米内(海相)を斬れ!」と言い残している。阿南陸相は一連の原爆攻撃から終戦工作の経緯を知っていたのかもしれない。
ヨハンセングループの連中は、戦後、口を揃えて、原爆投下は終戦のための「天啓」だったなどとヌケヌケと発言したのであった。 それにしても、天皇やヨハンセングループが原爆投下の場所・日時を指定していたことは、ソ連参戦をも承知していたのであろう。ソ連軍が満州に侵攻する準備が整うまで、戦争を引き延ばしていたとも取れる。
スティムソン陸軍長官からグルー駐日米大使、さらにヨハンセングループへとルートがあり、そのルートを通じて天皇一派は戦時中も米英勢力と繋がっていたのである。
昭和天皇は20年6月にスティムソン側から、原爆投下の場所と日時を決めるよう要請を受けた。そして広島に、8月6日午前8時頃と回答したのは、天皇一派であったのだ。その仲介をしたのがヨハンセングループであった。
つまり天皇は敗戦によって自分の生命と財産が保全されることが連合軍に保障されたので、ポツダム宣言受諾という形で敗戦を決めたが、それを陸軍に邪魔されたくなかったので、米軍に頼んで広島の陸軍司令部を叩き潰してもらったのであり、広島市民40万人はその犠牲にされたのである。
当時の陸軍大臣阿南惟幾は8月15日未明に割腹自殺を遂げているが、その直前に部下に「米内(海相)を斬れ!」と言い残している。阿南陸相は一連の原爆攻撃から終戦工作の経緯を知っていたのかもしれない。
ヨハンセングループの連中は、戦後、口を揃えて、原爆投下は終戦のための「天啓」だったなどとヌケヌケと発言したのであった。 それにしても、天皇やヨハンセングループが原爆投下の場所・日時を指定していたことは、ソ連参戦をも承知していたのであろう。ソ連軍が満州に侵攻する準備が整うまで、戦争を引き延ばしていたとも取れる。
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抜粋終わり
明治以降、日本人を破壊する勢力に、今も支配されている。ただそれだけです。
お読みくださりありがとうございます。
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