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「天皇制」の本質とは何か
①「無責任国家」日本
「天皇制」の歴史は「律令国家」から始まる。「律令国家」では「天皇」は土地を通じて人々と結びついていた(7世紀から10世紀に制度が解体するまで)。その後、19歳の史上最強の後鳥羽上皇が朝廷の威信を回復すべく、鎌倉幕府の執権北条義時に挑んだ→
— masa64 (@masa41140978) October 24, 2019
「承久の乱」(1221年) がある。後鳥羽上皇が破れ隠岐の島へ流罪となる。「武家」が「朝廷」に明確に勝利した瞬間である。「土地」と「財力」は完全に「武家政権」のものとなり、「朝廷」に残ったのは「権威」だけとなった。ここで疑問なのは何故「武家政権」が「朝廷」を廃止せず残したのかである。→
— masa64 (@masa41140978) October 24, 2019
「英雄たちの選択」で磯田氏は、この後、「武家政権」と「朝廷」は「持ちつ持たれつの構造」となったと述べている。
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戦前の日本を丸山真男氏は、誰も責任を取らない日本の天皇を中心とした社会を「無責任の体系」と批判した。「承久の乱」以降の「持ちつ持たれつの構造」とは、お互いに責任を押し付け合う「無責任構造」と言えないだろうか?丸山氏は「戦前」という限定を付けているが、長いスパンで見ると→
— masa64 (@masa41140978) October 24, 2019
「武家政権」が「朝廷」(天皇)の「権威」を残した(残った)結果、「持ちつ持たれつの構造」=「無責任国家構造」は、ずっと続いていて、明治から敗戦までの時期が特異な時期と思われてくる。文化的・権威的存在としての「天皇制」は戦後の「象徴天皇」として続き、これが日本歴史から見ると当たり前の→
— masa64 (@masa41140978) October 24, 2019
状況かもしれない。もし、そう考えることが可能なら、日本は現在も「統治者」と「天皇制」による「持ちつ持たれつ」の「無責任国家」と言える。それにしても、北条氏は「天皇制」を壊さなかったのかが疑問である。誰か教えて欲しい。ここまで書いてきても「天皇制」の本質に手が届かない。→
— masa64 (@masa41140978) October 24, 2019
私にとって,「天皇制」は相も変わらずブラックホールである。ただ,日本を変革するには、この「持ちつ持たれつの構造」をぶっ壊す必要があるということだ。
— masa64 (@masa41140978) October 24, 2019
天皇制は一種の「責任回避体制」ってことに思う。
対外的な責任はどうなるのって?
で、誰が国民生活の安危の責任を取るのってこと。
金玉満堂ブログ より
上記文抜粋
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十倍の開き
「西部は水害で餓死者が出ているのに、東部は豊作で米の値段が安い。
うまく調整する方法はないか?」
管仲はこたえた。
「米価は実に十倍の開きがあります。
あたらしく徴税令をだし、米に換算して納入させませう。
米の安い東部の人民は十倍供出しなければなりません。
そして倉にあふれた米を、西部に払い下げるのです」
原文網址:https://kknews.cc/history/gyorqn9.html
管仲:中国春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた
日本はその頃 縄文時代
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抜粋終わり
責任をとらんので、天皇には関係ないは。
お読みくださりありがとうございます。
そう思います。
科挙も無いし。