故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
シャンティ・フーラ より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
脳科学者の茂木健一郎氏が「良記事」と紹介! 戦場で心はどうなるか 元米軍教授の「人を殺す」心理学( 朝日新聞デジタル)
脳科学者の茂木健一郎氏が「良記事」と紹介しています。引用元で全文を読んでいただきたいのですが、本当に考えさせられる良い記事だと思いました。
第2次大戦中、敵を狙って発砲していた狙撃兵は、わずか15~20%だったとのこと。ほとんどの狙撃兵は、人間の本能として備わっている同種殺しへの抵抗感から、敵のいない方向へ発砲していたようです。これを訓練のやり方を変えることで、ベトナム戦争の頃には、95%にまで高めてしまうこところが恐ろしいです。どのような訓練に変更したかというと、"射撃で狙う標的を、従来の丸型から人型のリアルなものに換えた。それが目の前に飛び出し、弾が当たれば倒れる。成績がいいと休暇が3日もらえたりする。条件付けです。刺激―反応、刺激―反応と何百回も射撃を繰り返すうちに、意識的な思考を伴わずに撃てるようになる"とあります。
現代では、この訓練を幼い頃からゲームでやっているような気がします。現に、米軍が公費でリアルな戦争ゲームを開発しています。また以前紹介した記事には、このようなゲームを長時間することによって、敵と判断すると同時に攻撃する神経回路(視床→扁桃体)が形成されるとありました。
加えて、個人的には、中高生の部活動も潜在的な兵士育成につながる側面があるような気がします。ヤフー知恵袋には同じことを考えている人がいました。私も甲子園を目指す私立校で3年間の野球と寮生活を送りましたが、良い思い出はありません。私の場合、挫折して精神世界の方へ一歩踏み出せたという意味では良かったかもしれません。
また、1日20人が自殺すると言われる程、PTSDに苦しむ米兵が社会問題になっていますが、記事では、PTSDにつながる要素として、幼児期の子育てをあげています。幼児期に虐待を受けた兵士が、戦場で罪のない民を虐殺すればPTSDになるリスクは高まるようです。しかし、心身ともに健康的な幼児期を過ごし、柔軟な心を持ち合わせていたとしても、"人を殺したことを合理化し、受け入れる"ことが果たして正しいことなのでしょうか。どちらも悲劇だと思います。
引用元の最後に取材した記者が、"日本が今後、集団的自衛権を行使し、米国と一心同体となっていけば、まさに泥沼の「テロとの戦い」に引き込まれ、手足として使われる恐れを強く感じる。やはり、どこかに太い一線を引いておくべきではないだろうか。一生残る心の傷を、若者たちに負わせないためにも"と書いていますが、同感です。
引用元) 朝日新聞デジタル 16/9/14
(前略)
■兵士のジレンマ
(中略)
「殺される恐怖より、むしろ殺すことへの抵抗感です。殺せば、その重い体験を引きずって生きていかねばならない。でも殺さなければ、そいつが戦友を殺し、部隊を滅ぼすかもしれない。殺しても殺さなくても大変なことになる。これを私は『兵士のジレンマ』と呼んでいます」
「この抵抗感をデータで裏付けたのが米陸軍のマーシャル准将でした。第2次大戦中、日本やドイツで接近戦を体験した米兵に『いつ』『何を』撃ったのかと聞いて回った。驚いたことに、わざと当て損なったり、敵のいない方角に撃ったりした兵士が大勢いて、姿の見える敵に発砲していた小銃手は、わずか15~20%でした。いざという瞬間、事実上の良心的兵役拒否者が続出していたのです」
――なぜでしょう。
(中略)
「発砲率の低さは軍にとって衝撃的で、訓練を見直す転機となりました。まず射撃で狙う標的を、従来の丸型から人型のリアルなものに換えた。それが目の前に飛び出し、弾が当たれば倒れる。成績がいいと休暇が3日もらえたりする。条件付けです。刺激―反応、刺激―反応と何百回も射撃を繰り返すうちに、意識的な思考を伴わずに撃てるようになる。発砲率は朝鮮戦争で50~55%、ベトナム戦争で95%前後に上がりました」
■訓練で「耐性」
――訓練のやり方次第で、人は変えられるということですか。
「その通り。戦場の革命です。(中略…)」
(中略)
――本能に反する行為だから、心が傷つくのではありませんか。
「敵を殺した直後には、任務を果たして生き残ったという陶酔感を感じるものです。次に罪悪感や嘔吐(おうと)感がやってくる。最後に、人を殺したことを合理化し、受け入れる段階が訪れる。ここで失敗するとPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症しやすい」
(中略)
「PTSDにつながる要素は三つ。①幼児期に健康に育ったか②戦闘体験の衝撃度の度合い③帰国後に十分なサポートを受けたか、です。たとえば幼児期の虐待で、すでにトラウマを抱えていた兵士が戦場で罪のない民を虐殺すれば、リスクは高まる。3要素のかけ算になるのです」
(以下略)
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
火つけ・放火は極悪人・人でなしでないとできない。by曹操。
という記事を書いたが、ほぼそれと同時期にこの記事を見つけて、少し驚いた。
こう書いた
・・・・・・・・
米軍の「戦争神経症・PTSD」の発症の割合が、大戦から確実に上昇している。大戦にはあまり重篤な問題にならかったが、ベトナム・湾岸・イラク・アフガンとうなぎ上り。湾岸は勝っていてもだ。
面白いのが「新兵が、敵に銃を向けて撃てる」割合が上がれば、上がるほどに、この戦争神経症・PTSDの罹患率が上がっているように思える。
その躊躇が、非道な作戦を防止していて、それが戦後の復興や再建に重要な働きをしているように思える。
確かに「平然と敵に攻撃できる」ほうが、効率的かもしれない。でもそれは、平然とできるようになればなるほど、心を損ねて平時にはより生きにくくさせる。
日本の戦後にも統計されないが結構の戦争神経症・PTSDが多かったようだ。戦後のヒロポンの大流行もそれを示していると思う。
特攻を始め、無茶な作戦・無体な殺戮を行った、負の遺産である・・・。
・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
部活の「軍国的効能」の指摘は
ヤフー知恵袋 より
上記文抜粋
・・・・・・・
sorimatigoriさん2010/5/1417:55:52
日本の部活動は、戦前の兵役嫌い対策や、戦場での実力発揮のための政策ですか?
部活動は集団生活だし、合宿とか特に。軍事演習に近いものがある。よって、兵役嫌い対策。
公式戦を奨励して、本番に強い国民に育てる。
学校の部活動を盛んにして、国民全体に行き渡らせる。諸外国のようにクラブチームが盛んな体制では困る。
現に、日本の部活の体質は特異だ。さらに、戦前に庶民レベルで様々な兵役嫌い対策があった。
兵役を嫌う風潮があったから、隠密に引き起こした政策ではないか。
そのような文化を根付かせたのではないかと思う。
・・・・・中略・・・
ベストアンサーに選ばれた回答
one_aristocratさん 2010/5/1609:47:54
どうも硬派の部活動は、帝国陸軍の内務班に似ている。
徴兵された初年兵(1年生)が入営し、古参兵にこき使われる。
星の数より、メシの数。
先任兵の言葉は絶対である。
しごきに次ぐしごき、休みなく演習がある。
当然、鬱積したものが溜まり、私的制裁へ。
鉄拳制裁は当たり前、いかがわしい芸をさせて興ずる事もよくあること。
それでも、一体感が強く、脱退しようとすると何故か慰留する。
この内務班特有の嫌らしさは、自分がひどい目にあっても次の世代へ引き継がれる。
兵役が満期になると除隊(卒業)する。
中隊長(監督)や小隊長(コーチ)は、兵の事について絶対的な命令を下すが、完全な支配権は有していない。
むしろ公式戦は、単調できつい演習に目標を与えられるのでよい。
帝国陸軍も、実戦の時の方が兵士には歓迎された。
前線の方が、あまり階級を意識したりする事がなく、私的制裁もかなり減ったそうである。
大学(ただし戦前の大学、現在の推薦で集められた者は除く)の場合、良家の子弟が欧米の学校のようにスポーツに興じるためで、いわゆる部活動と異なる。
比較的民主的で景気のよかった大正時代や昭和初期は、軍人は「狂犬」「税金の無駄遣い」といって蔑まれていた。
当時も兵役はあったが、全員入営するといったものではない。
帝国陸軍を研究すると、日本の暗部の深層心理みたいのが見えてくる。
もともと、兵役とは違う概念で作られたものが、いつの間にかああなってしまったのだろう。
・・・・・中略・・・・・
onia222さん 2010/5/1500:08:33
ご指摘の懸念は略合っていると思います。
日本の部活動は、戦前の兵役嫌い対策や、戦場での実力発揮のための政策の延長です。ただ体育会系の頭の弱い人たちは、そうとは気付かずやって来た。
部活動は集団生活だし、合宿とか特に。軍事演習に近いものがある。よって、兵役嫌い対策にもなった。
公式戦を奨励して、本番に強い国民に育てる。
学校の部活動を盛んにして、国民全体に行き渡らせる。
大体スポーツは古代ローマの時代から奴隷たちを戦士に登用するために行われた。或いは奴隷同志を戦わせてローマ市民の娯楽とした。従って何もステイタスではなくて下層市民の娯楽であり、奴隷がするものだった。
その点で今の日本人は勘違いが甚だしい。オリンピックも元々は戦争を回避する手段だったとする説があるが、その話も怪しいものだ。ユダヤの「シオンの議定書」と云うのが100年以上前(イスラエル建国のため)に出来た。
彼らは世界支配のためにスポーツ振興、セックスの蔓延、スクリーン活動を推進して来た。スクリーンとは映画であり、今はテレビやインターネット支配の戦略である。
其れに日本はすっかり毒されて来た。自民党の政策と低質な教育の場や映像を通じてスポーツを美化し、併せてセックスを美化して日本人全体を、すっかり腰抜けと腑抜けの国にしたのである。
日本ではスポーツマンシップなどは全くない、手段を選ばず何をしても良いとする「勝てば官軍」の低質な奴らの支配するマフィア構造にしたのです。
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
ふと思うのが「頭の弱い体育会系の人」は、すぐ隣が「極悪人・異常人」であると思う。
そういう「異常人・極悪人予備軍」が「体育会系」と、尊ばれる現代日本が異常なのは当然なことなのである。
なんというか、読んでもらえたらいいと思う。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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脳科学者の茂木健一郎氏が「良記事」と紹介! 戦場で心はどうなるか 元米軍教授の「人を殺す」心理学( 朝日新聞デジタル)
脳科学者の茂木健一郎氏が「良記事」と紹介しています。引用元で全文を読んでいただきたいのですが、本当に考えさせられる良い記事だと思いました。
第2次大戦中、敵を狙って発砲していた狙撃兵は、わずか15~20%だったとのこと。ほとんどの狙撃兵は、人間の本能として備わっている同種殺しへの抵抗感から、敵のいない方向へ発砲していたようです。これを訓練のやり方を変えることで、ベトナム戦争の頃には、95%にまで高めてしまうこところが恐ろしいです。どのような訓練に変更したかというと、"射撃で狙う標的を、従来の丸型から人型のリアルなものに換えた。それが目の前に飛び出し、弾が当たれば倒れる。成績がいいと休暇が3日もらえたりする。条件付けです。刺激―反応、刺激―反応と何百回も射撃を繰り返すうちに、意識的な思考を伴わずに撃てるようになる"とあります。
現代では、この訓練を幼い頃からゲームでやっているような気がします。現に、米軍が公費でリアルな戦争ゲームを開発しています。また以前紹介した記事には、このようなゲームを長時間することによって、敵と判断すると同時に攻撃する神経回路(視床→扁桃体)が形成されるとありました。
加えて、個人的には、中高生の部活動も潜在的な兵士育成につながる側面があるような気がします。ヤフー知恵袋には同じことを考えている人がいました。私も甲子園を目指す私立校で3年間の野球と寮生活を送りましたが、良い思い出はありません。私の場合、挫折して精神世界の方へ一歩踏み出せたという意味では良かったかもしれません。
また、1日20人が自殺すると言われる程、PTSDに苦しむ米兵が社会問題になっていますが、記事では、PTSDにつながる要素として、幼児期の子育てをあげています。幼児期に虐待を受けた兵士が、戦場で罪のない民を虐殺すればPTSDになるリスクは高まるようです。しかし、心身ともに健康的な幼児期を過ごし、柔軟な心を持ち合わせていたとしても、"人を殺したことを合理化し、受け入れる"ことが果たして正しいことなのでしょうか。どちらも悲劇だと思います。
引用元の最後に取材した記者が、"日本が今後、集団的自衛権を行使し、米国と一心同体となっていけば、まさに泥沼の「テロとの戦い」に引き込まれ、手足として使われる恐れを強く感じる。やはり、どこかに太い一線を引いておくべきではないだろうか。一生残る心の傷を、若者たちに負わせないためにも"と書いていますが、同感です。
戦場で心はどうなるか 元米軍教授の「人を殺す」心理学良記事です。RT 戦場で心はどうなるか 元米軍教授の「人を殺す」心理学:朝日新聞デジタル https://t.co/YFnB3u8a3H
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2016年9月14日
引用元) 朝日新聞デジタル 16/9/14
(前略)
■兵士のジレンマ
(中略)
「殺される恐怖より、むしろ殺すことへの抵抗感です。殺せば、その重い体験を引きずって生きていかねばならない。でも殺さなければ、そいつが戦友を殺し、部隊を滅ぼすかもしれない。殺しても殺さなくても大変なことになる。これを私は『兵士のジレンマ』と呼んでいます」
「この抵抗感をデータで裏付けたのが米陸軍のマーシャル准将でした。第2次大戦中、日本やドイツで接近戦を体験した米兵に『いつ』『何を』撃ったのかと聞いて回った。驚いたことに、わざと当て損なったり、敵のいない方角に撃ったりした兵士が大勢いて、姿の見える敵に発砲していた小銃手は、わずか15~20%でした。いざという瞬間、事実上の良心的兵役拒否者が続出していたのです」
――なぜでしょう。
(中略)
「発砲率の低さは軍にとって衝撃的で、訓練を見直す転機となりました。まず射撃で狙う標的を、従来の丸型から人型のリアルなものに換えた。それが目の前に飛び出し、弾が当たれば倒れる。成績がいいと休暇が3日もらえたりする。条件付けです。刺激―反応、刺激―反応と何百回も射撃を繰り返すうちに、意識的な思考を伴わずに撃てるようになる。発砲率は朝鮮戦争で50~55%、ベトナム戦争で95%前後に上がりました」
■訓練で「耐性」
――訓練のやり方次第で、人は変えられるということですか。
「その通り。戦場の革命です。(中略…)」
(中略)
――本能に反する行為だから、心が傷つくのではありませんか。
「敵を殺した直後には、任務を果たして生き残ったという陶酔感を感じるものです。次に罪悪感や嘔吐(おうと)感がやってくる。最後に、人を殺したことを合理化し、受け入れる段階が訪れる。ここで失敗するとPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症しやすい」
(中略)
「PTSDにつながる要素は三つ。①幼児期に健康に育ったか②戦闘体験の衝撃度の度合い③帰国後に十分なサポートを受けたか、です。たとえば幼児期の虐待で、すでにトラウマを抱えていた兵士が戦場で罪のない民を虐殺すれば、リスクは高まる。3要素のかけ算になるのです」
(以下略)
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・・・・・・・・・
抜粋終わり
火つけ・放火は極悪人・人でなしでないとできない。by曹操。
という記事を書いたが、ほぼそれと同時期にこの記事を見つけて、少し驚いた。
こう書いた
・・・・・・・・
米軍の「戦争神経症・PTSD」の発症の割合が、大戦から確実に上昇している。大戦にはあまり重篤な問題にならかったが、ベトナム・湾岸・イラク・アフガンとうなぎ上り。湾岸は勝っていてもだ。
面白いのが「新兵が、敵に銃を向けて撃てる」割合が上がれば、上がるほどに、この戦争神経症・PTSDの罹患率が上がっているように思える。
その躊躇が、非道な作戦を防止していて、それが戦後の復興や再建に重要な働きをしているように思える。
確かに「平然と敵に攻撃できる」ほうが、効率的かもしれない。でもそれは、平然とできるようになればなるほど、心を損ねて平時にはより生きにくくさせる。
日本の戦後にも統計されないが結構の戦争神経症・PTSDが多かったようだ。戦後のヒロポンの大流行もそれを示していると思う。
特攻を始め、無茶な作戦・無体な殺戮を行った、負の遺産である・・・。
・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
部活の「軍国的効能」の指摘は
ヤフー知恵袋 より
上記文抜粋
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sorimatigoriさん2010/5/1417:55:52
日本の部活動は、戦前の兵役嫌い対策や、戦場での実力発揮のための政策ですか?
部活動は集団生活だし、合宿とか特に。軍事演習に近いものがある。よって、兵役嫌い対策。
公式戦を奨励して、本番に強い国民に育てる。
学校の部活動を盛んにして、国民全体に行き渡らせる。諸外国のようにクラブチームが盛んな体制では困る。
現に、日本の部活の体質は特異だ。さらに、戦前に庶民レベルで様々な兵役嫌い対策があった。
兵役を嫌う風潮があったから、隠密に引き起こした政策ではないか。
そのような文化を根付かせたのではないかと思う。
・・・・・中略・・・
ベストアンサーに選ばれた回答
one_aristocratさん 2010/5/1609:47:54
どうも硬派の部活動は、帝国陸軍の内務班に似ている。
徴兵された初年兵(1年生)が入営し、古参兵にこき使われる。
星の数より、メシの数。
先任兵の言葉は絶対である。
しごきに次ぐしごき、休みなく演習がある。
当然、鬱積したものが溜まり、私的制裁へ。
鉄拳制裁は当たり前、いかがわしい芸をさせて興ずる事もよくあること。
それでも、一体感が強く、脱退しようとすると何故か慰留する。
この内務班特有の嫌らしさは、自分がひどい目にあっても次の世代へ引き継がれる。
兵役が満期になると除隊(卒業)する。
中隊長(監督)や小隊長(コーチ)は、兵の事について絶対的な命令を下すが、完全な支配権は有していない。
むしろ公式戦は、単調できつい演習に目標を与えられるのでよい。
帝国陸軍も、実戦の時の方が兵士には歓迎された。
前線の方が、あまり階級を意識したりする事がなく、私的制裁もかなり減ったそうである。
大学(ただし戦前の大学、現在の推薦で集められた者は除く)の場合、良家の子弟が欧米の学校のようにスポーツに興じるためで、いわゆる部活動と異なる。
比較的民主的で景気のよかった大正時代や昭和初期は、軍人は「狂犬」「税金の無駄遣い」といって蔑まれていた。
当時も兵役はあったが、全員入営するといったものではない。
帝国陸軍を研究すると、日本の暗部の深層心理みたいのが見えてくる。
もともと、兵役とは違う概念で作られたものが、いつの間にかああなってしまったのだろう。
・・・・・中略・・・・・
onia222さん 2010/5/1500:08:33
ご指摘の懸念は略合っていると思います。
日本の部活動は、戦前の兵役嫌い対策や、戦場での実力発揮のための政策の延長です。ただ体育会系の頭の弱い人たちは、そうとは気付かずやって来た。
部活動は集団生活だし、合宿とか特に。軍事演習に近いものがある。よって、兵役嫌い対策にもなった。
公式戦を奨励して、本番に強い国民に育てる。
学校の部活動を盛んにして、国民全体に行き渡らせる。
大体スポーツは古代ローマの時代から奴隷たちを戦士に登用するために行われた。或いは奴隷同志を戦わせてローマ市民の娯楽とした。従って何もステイタスではなくて下層市民の娯楽であり、奴隷がするものだった。
その点で今の日本人は勘違いが甚だしい。オリンピックも元々は戦争を回避する手段だったとする説があるが、その話も怪しいものだ。ユダヤの「シオンの議定書」と云うのが100年以上前(イスラエル建国のため)に出来た。
彼らは世界支配のためにスポーツ振興、セックスの蔓延、スクリーン活動を推進して来た。スクリーンとは映画であり、今はテレビやインターネット支配の戦略である。
其れに日本はすっかり毒されて来た。自民党の政策と低質な教育の場や映像を通じてスポーツを美化し、併せてセックスを美化して日本人全体を、すっかり腰抜けと腑抜けの国にしたのである。
日本ではスポーツマンシップなどは全くない、手段を選ばず何をしても良いとする「勝てば官軍」の低質な奴らの支配するマフィア構造にしたのです。
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
ふと思うのが「頭の弱い体育会系の人」は、すぐ隣が「極悪人・異常人」であると思う。
そういう「異常人・極悪人予備軍」が「体育会系」と、尊ばれる現代日本が異常なのは当然なことなのである。
なんというか、読んでもらえたらいいと思う。
お読みくださりありがとうございます。
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