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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
DEEPLY JAPAN  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
バンデラの日、MI6、ポロシェンコ


昨年2019年から、ウクライナでは1月1日をステファン・バンデラという男を国家の英雄として称賛する日となった。

去年の記事はこれ。

バンデラを称えるウクライナ&欧州ネオナチ同盟

wiki ステファン・バンデラ

ステファン・バンデラは、ウクライナの民族民族主義者であるという解釈からこのようなことになったのだが、他方でこの人はドイツを解放者と見立て、ドイツ軍から金もらって、ドイツによるソ連侵攻のためにドイツの情報機関とやり取りをしていた男であり、その集団のリーダー。まぁ、究極のナチス・コラボレーター。したがって独ソ戦で2700万人もの死者を出したソ連においてはこの人は悪者中の悪者とされていた。

だが、じゃあナチスがそのままバンデラを歓迎していたかというと、途中には多少の変遷はあった。バンデラ率いるOUNグループの目的はウクライナの独立だというのがドイツ軍にとってはネックだった。なぜなら、ドイツはロシア欧州部を自分のための領土にしようとしていたから。



■ 戦後

で、戦後、まぁ当然なわけだがバンデラはソ連領内には戻れず西ドイツが匿っていた。

そこは前から知られていたんだが、最近出てきた(私が最近知っただけかもしれない)説では、戦後、イギリスのMI6が接触してバンデラのグループを支援していたとイギリス人のジャーナリストが本で書いているんだそうだ。この本。そのものずばりMI6の本。

MI6: Inside the Covert World of Her Majesty's Secret Intelligence Service
Stephen Dorril


Free Press


こうなってくると、2018年6月、イギリスが戯けた事件を次から次から起こしていた頃に、ロシア外務省のザハロワ報道官がびっくりするようなことを明言したことの意味もわかってくるというべきか。

ザハロワは、イギリスは確かにロシアの同盟者だったがナチスについて怪しい動きをしていた、と言い切ったわけですからね。

  • 第二次世界大戦中、私たちは反ヒトラーの同盟だったわけですがUKの行動はいくつかの点で一環してるとは言えないかもしれないです。
  • いくつかの歴史的エピソードから、国際状況におけるUKの政策の本質には大きな疑義がつきつけられます。
  • 例えば、ドイツのソ連侵攻前夜のルドルフ・ヘスによるUKへのミステリアスな飛行などがあげられます。
  • 各国の歴史の中には不愉快なものが含まれるもので、それは将来世代が対価を支払って道義的責任を取ることになるんでしょ。しかし、英国のシークレットサービスは、この事案に関するすべての文書を100年間機密扱いすることにし、しかもしれが延長されています・・・
  • 安保理、パレスチナ市民保護を否決 & 100年前から解きほぐす


実際問題、ソ連が解体されるとウクライナでバンデラを英雄とする機運がウクライナの一部で勃興し、その後起こった2004年のいわゆる「オレンジ革命」の頃にはウクライナ民族主義者の英雄として盛大に祭り上げられいたものだが、振り返れば誰でも気づく通り、これらの運動は、表面的には独立だとはいうものの、いつもいつも「西側」の子分になるという方向性を明確に持っていることがただわかる。



■ 2020年

ということで、今年はどうなったのかと興味を持っているわけだが、昨年4月に、バンデラ万歳主義者で西部ウクライナを基盤とするウクライナのオルガルヒ、ポロシェンコが、同じくオリガルヒのコロモイスキーが立てたゼレンスキーに敗れて以来、状況はかなり変わった。

昨年末には、プーチン大統領とゼレンスキー大統領の対話とドンバス地域での戦闘停止に向けた努力だけではなく、ロシアとウクライナのガス会社が欧州向けパイプラインのウクライナ通過の5年契約に調印し、かつ、双方の様々な請求権(主にウクライナが西側の指南で作った請求なわけだが)を決着させている。パッケージで取引しているので他にもまだ何かあるかもしれない。

なので、状況的には、すでに、バンデラ主義者が主導権を握っているという感じではなくなっている。




西側メディアは静かにしてるけど、これはここ20年ぐらい馬鹿みたいなことをしていたことが、どうあれ解決方向に向かう礎となるパッケージかもな、といった感じではある。



直接的には、この契約によって、要するにウクライナにはロシアのガス会社から欧州向けパイプラインの通過料が入るわけ。つまり、多少なりともウクライナの民生に役立つ方向でものごとは動いている。というか、そうするしかないから、ウクライナ人はポロシェンコというバンデラ万歳親父を蹴落として、他に仕様がねぇんだよ、と未知数のゼレンスキーを当選させた。

ロシアでは、こんなことをしたって、どうせ通過料は以前の通りウクライナのオリガルヒの餌になるだけだと反対の意見もあったし、今も、大きく期待はしないでおこう、ってのが平均的反応だとは思う。

だがしかし、ロシア政府の決断は正常化の方に向かった、と。



そうなると、バンデラ、バンデラ言ってる場合ではないのではないかと推測できる。

そもそもバンデラが大好きなのはウクライナ西部の、つまり西のヨーロッパから見た時にロシア世界の入り口となる部分付近で、反ロシアで飯食ってる地域が発信源でって、ウクライナ南部、東部のロシア色の濃い地域にとっては、相変わらず、バンデラはとんでもねー奴という意見が主流のままでしょう。



で、実際今年のウクライナでは何が起こったのか。バンデラがらみでは特に大きな行事があったという記事は見つけられない。誰かそのうちロシア語のできる人たちが見つけてきてくれるかもしれないけど、今のところ騒動はみあたらない。

だがしかし、どうやら、あられもない方向の展開はあった模様。

ウクライナの2つのテレビ局が、ゼレンスキー大統領ではなくて、ポロシェンコの新年の挨拶を放送したらしい。あはははは。

ロシアもウクライナも、新年直前にリーダーが新年に向けてご挨拶をし、国民はテレビの前でそれを見るというのが定番だそうなんで、やっぱりポロシェンコはここで俺こそお前らに語り掛けるべき男、すなわちリーダーだと思ってるんでしょうね。

でもそれって、とってもロシアっぽい。というか、多分それソ連時代にできた「ソ連世界的慣習」ではなかろうか? いいのか、ポロシェンコ(笑)。



現実的には、ウクライナのテレビ放送は全部オリガルヒの持ち物なので、こういうことは普通にできる。

そして、何より何より、ポロシェンコ自身がオリガルヒで、さらに、この放映を行った5 Kanalという局のオーナーはポロシェンコ自身!! どこまでもお笑い。どこまでも、それもう国じゃないからといった趣。

RTの記事の中にポロシェンコの新年の挨拶のリンクが入ってる。ほんとなんだなぁと、あきれる。




■ バンデラ・リスク

で、上で書いたように、ポロシェンコとネオナチ軍団が何を言おうが、ソ連はドイツがソ連領内に対して大攻撃を行ったことによって、最終的に2700万人もの人間が死んでる。

ここにおいて、ドイツとの協力者を許すはおろか称賛するなどということは、ロシア世界においては過去も現在も、そして将来もあり得ないことでしょう。

それはロシアでしょ、みたいな馬鹿なことを言う人は、独ソ戦の激戦地がどこだったかをよく見るべき。ウクライナやベラルーシを通らないでモスクワ、スターリングラードには到達できない。つまり、ウクライナの地では大量の人間がドイツ人に殺された。

wikiにある第二次世界大戦の死傷者数のグラフ。赤が兵士、オレンジが民間人。ウクライナはSoviet Unionの中。





とうことなので、バンデラを担げば担ぐほど、ウクライナの東部、南部の人の心はキエフ政権から離れていくだけでしょう。

実際、東部の、いわゆるドンバス地域はもう「キエフ政権ウクライナ」に戻る気はないものとも見える。

個人でも、既にロシア連邦に移住してしまってる人、そこでロシア市民権を取った人なども多数いる状態は今も変わらない。



■ バラバラになりそう

振り返ってみるに、下の地図の紫の部分、フルシチョフが1950年代に当時のソ連の法制度に照らしても無法な手段でウクライナに編入しちゃったクリミアは既にロシア連邦への帰属を望み、達成された。

現在は、レーニンがくっつけた青い部分の、東部と南部が問題になってる。

ac361524c6c15b0f927480eb2c9e8cab.jpg


この分でいくと、将来のウクライナは、バンデラ主義者の地として、スターリンが戦後くっつけたいわゆるガリチア地方(緑の部分)と、アメリカにくっつくことに将来(というより現ナマ)を見ちゃったキエフのエリートが抑える黄色部分だけになったりするんだろうかと考えてみることもできそう。そして、ネオナチ・ウクライナ(ガリチア)とポーランドが争うのか、それとも英米をマスターにして、英米の「約束の地」になるとか? 実際、イスラエル問題と相似形だしね。

そうすると一番端っこに地味に存在しているハンガリー系はバンデラ主義者と一緒の国とかあり得ないとかいってハンガリーへの帰属を願い出るとか言い出しそう。

ここで、オデッサがロシア一択とかになったら、「約束の地」のうまみって何だろう?って感じもする。

ここにおいて、ゼレンスキーがユダヤ人はユダヤ人でもガリチアのそれではなくオデッサのRussian Jewと呼ばれる人たちの出であるらしいというのは非常に興味深い。オデッサのユダヤ人は帝政時代から既にいわゆる中産階級的な層を作っているような人がドミナントなので、ネオナチ的な破壊主義的、あるいはシオニスト風味が色濃い人たちとはかなり毛色が違うだろうと推測できる。

どうなるんでしょうか。誰にもわかりません。でもほんと、ますます興味深くなってきた。

揉めるからこそ明らかになることってある。



■ 関連記事

ナチ英雄化問題と西側はケツが拭けないお話

バンデラを称えるウクライナ&欧州ネオナチ同盟


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抜粋おわり


バンデラて、ある意味でウクライナ独立の功労者なのは間違いないが・・

ナチって非道と組んでしまって、協力したのは、やはり汚点であろう。


で、似た立場にいる「フィンランド」のリスト・リュティと比べてみる。

まずバンデラ ウイキ

上記文抜粋
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1935年にポーランドの警察により、前年6月15日のブロニスラフ・ピエラキ(Bronisław Pieracki)内務大臣暗殺事件に関与した容疑で逮捕され、1936年にワルシャワ裁判とリヴィウ裁判において死刑判決を受けたが、終身刑に減刑された。1936年から1939年にかけてワルシャワの刑務所「聖十字架」に収容されていた。

第二次世界大戦がきっかけでポーランド第二共和国が滅亡すると、ドイツ軍によって解放され、OUNの幹部に戻ってOUNの中で過激派の野党のリーダーとなった。1941年4月に第2ウクライナ民族主義者組織大会においてOUNの総裁に選ばれ、独ソ戦争の直前にドイツ側を支持した。

しかし、1941年6月30日にドイツ軍に占領されたリヴィウでウクライナ国の独立の復帰を宣言すると、ドイツ占領当局に逮捕され、7月6日にザクセンハウゼン強制収容所に送られた。その出来事によってウクライナにおける対独・対ソの戦いの象徴となった。1944年9月に連合軍によって解放されたが、ソ連に占領されたウクライナへ戻れず南ドイツへ移住した。

1952年にOUNの幹部を離れたが、西ウクライナでソ連軍に抵抗を続けていたウクライナ蜂起軍の司令部と連携をとった。1956年から1959年にかけて海外のOUNの活動を管理した。1959年10月15日にミュンヘンでKGBのスパイ、ボグダン・スタシンスキー(en:Bohdan Stashynsky)によって暗殺された。

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抜粋おわり



リスト・リュティ ウイキ

上記文抜粋
・・・・・・・・・

1944年の継続戦争終結に先立ち、ソ連と、同盟国であったナチス・ドイツの双方を外交的策略で欺くことによって、結果的にフィンランドの対ソ連単独講和と国家の独立存続を実現させた。その「策略」の責任者として第二次世界大戦後、戦争犯罪人として告発され、禁錮10年の判決を受けたが、まもなく釈放された。汚名を負って救国を成し遂げた功労者としてフィンランド人に尊敬の念をもたれ、その死に際しては国葬をもって送られた。フィンランドで最も偉大な人物ランキングはカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムに続いて第2位。

・・・・中略・・・・・

リュティの主張する自由主義、民主主義、共和主義は人気があったため、リュティは内戦後のフィンランドにおいて数年間で政治的成功を為した。さらに、リュティが経済政策の専門家であり、党派政治を拒否した祖国の公平な奉仕者と国民に考えられたので、リュティの自由主義を指向する進歩国民党が零細政党になった後でさえ、リュティ個人の政治的成功は続いた。[1]

1921年に、32歳のリュティはユホ・ヴェンノラ内閣の財務大臣に任命された。リュティは1924年まで2度財相に留任され、1923年にカールロ・ユホ・ストールベリ大統領は、リュティをフィンランド銀行の総裁に任命した。リュティが1924年1月に財相を辞任した後、リュティはフィンランド銀行の総裁職を1939年に首相になるまで専任した。リュティはその議会での活動の初期において、政府予算を秩序だった物にすることに成功した。リュティは赤衛軍に所属していた囚人の恩赦を拒否した。リュティの見解では赤衛軍は犯罪者であった。リュティはフィンランド内戦の社会的背景を考慮することを拒否した。

1925年に、リュティは36歳で大統領選挙の候補者に指名された。大統領選挙の第二次投票では、リュティが最も多くの支持を得た。しかし第三次投票ではスウェーデン人民党の票が、ラウリ・クリスティアン・レランデルに流れ、レランデルの172票に対して109票でリュティは敗れた。リュティの支持者は毎年増加していたが、大統領選挙には十分ではなかった。1930年代のリュティは日常の政治からは身を引いたものの、経済政策には影響を及ぼした。リュティは古典的自由主義経済学の支持者であった。リュティはフィンランド・マルッカの価値を金本位制により保証することを目標にした。多くの他ののヨーロッパ諸国とは異なり、フィンランドはリュティの指導下でデフレ解決策を採用しなかった。1926年にフィンランドの通貨は金マルッカに移行した。しかし、1929年の大恐慌の後、フィンランドはイギリスの例の後に、金本位制を放棄せざるを得なかった。

1920年代には、スカンジナビアの銀行業界と国際的な接触を行った。そしてイギリスとアメリカで、ウォールストリート・ジャーナルはリュティの成功を認めた。1934年にリュティはイギリスとフィンランドの関係に貢献したとしてロイヤル・ヴィクトリア勲章の騎士司令官章を授与された。リュティは、類似した経済政策(例えば大恐慌までの金本位制に対する信頼)と優れた英語力によって、イングランド銀行の指導者と良好な関係が築かれていた点に注意しなければならない。実際、リュティが経済政策や財政政策をイギリスと協議したかった時、リュティはイングランド銀行の指導者に定期的に電話をかけることが出来た。リュティは経済問題と金融政策に対処する委員会の委員として、国際連盟の活動に参加した。

1930年代の政策において、リュティは重要人物であった。リュティの社会政策はふたつの方針を持っていた。リュティは失業者や貧困層を支援するための雇用対策への支出に反対した。一方でリュティは強い経済力による利益が、平等に全国民に行き渡らなければならないと考えていた。リュティは1930年代後半の社会福祉を構築することにおいても重要な役割を果たした。一般的に、リュティは商業や工業に対する政府による干渉には反対していた。リュティは社会主義経済学、特にソビエト型社会主義経済に反対であった。さらにリュティはナチス・ドイツの国家社会主義にも右翼の過激主義も認めなかった。リュティ個人としても、フィンランドのロシア化の時代とフィンランド内戦を経験していたため反ソビエト感情を持っていた。リュティは1920年代末期から1930年代初頭にかけてフィンランドで勃興した反共・ファシズム運動であるラプア運動にも反対した。リュティはイギリスの文化文明とアメリカの自由経済の信仰者であった。


・・・・中略・・・・

リュティは、私信という形で対ソ戦の継続をヒトラーに約束し、ドイツからの軍事援助を成立させた後に辞職した。 リュティは自らが辞職する前に、当時の軍最高司令官であったマンネルヘイムに、対ソ戦継続の約束はすべてフィンランドの大統領としてではなくリスト・リュティという一個人の名前で署名したこと、それによって「親独路線はリュティ個人の方針。だから責任はリュティ個人にある」と自分一人に戦争責任を転嫁できることをマンネルヘイムに伝え、マンネルヘイムに全てを託して大統領の座を譲った。

そして、マンネルヘイム新政権はリュティのプラン通り、「親独路線はリュティ個人の方針。だから責任はリュティ個人にある」と戦争責任をリュティに転嫁した形をとった。

その後
戦後、リュティは戦時中ナチスに加担したとして戦争犯罪人として訴追され、1946年に禁錮10年の判決を受けた。しかし健康を害して1949年に釈放され、以後は政界に復帰することなく隠遁生活を送り、1956年に死去した。その際にはソ連の猛烈な反対にもかかわらず国葬が行われた。


・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋おわり

フィンランドが、一程度の独立を保っていたので、リュティのような人傑が、指導者たり得た面もあるが、人間としての質が、バンデラよりも一回り上。


ナチの非道を知りつつ、利用した・・て、侵略してくるソ連も、侵略者なら「非道」てのは意味では一緒だものな。


西欧が、作った「ナチ」その、負の遺産を、ウクライナに押し付けて生産しようとしているようにも見える。

まあバッキンガム宮殿は、親ナチに占拠され、王族の首がその前に並ぶってことでも起きることでもないと、西欧は自分の過ちに気が付かないかもしれない。

まあ日本も天皇というナチの一派を処分駆除しないと、明日はないですは。


お読みくださりありがとうございます。


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ナチスに売国した悪党を英雄扱いさせられるウクライナ!
  • from ローレライ :
  • 2020/01/03 (19:19) :
  • Edit :
  • Res
ナチスに売国した悪党を英雄扱いさせられるウクライナ!ウクライナ兵は最後がヒトラーの弾除けだった!
Re:ナチスに売国した悪党を英雄扱いさせられるウクライナ!
2020/01/03 20:52
>ナチスに売国した悪党を英雄扱いさせられるウクライナ!ウクライナ兵は最後がヒトラーの弾除けだった!

なるほど。
放射能漏れ汚染の後遺症でナチス化!
  • from ローレライ :
  • 2020/01/03 (19:34) :
  • Edit :
  • Res
放射能漏れ汚染の後遺症でナチス化のウクライナは日本の血筋詐欺天皇カースト教社会の放射能漏れ汚染社会とパラレルである!
Re:放射能漏れ汚染の後遺症でナチス化!
2020/01/03 20:53
>放射能漏れ汚染の後遺症でナチス化のウクライナは日本の血筋詐欺天皇カースト教社会の放射能漏れ汚染社会とパラレルである!

そうですよね・・・

なんかの悪意か・・・あるいは天皇家と特にその閨閥が、アホで邪悪なだけか。。
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