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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇ より

上記文抜粋
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五木寛之の予言 3





無視して、シリーズを続けます。五木寛之『人間の覚悟』からです…



私たちは二重に裏切られたのである。


日本は必ず勝つと言われて、それを信じ、


現地にとどまれと言われて、それを信じて…裏切られた。



そんな体験をしていながら、それでも私自身にいろんな権威に”甘える”気持ちが抜け切れない…



愛国心はだれにでもある。


だが、国を愛するということと、国家を信用することは別である。


(* ̄Oノ ̄*) 「子ども信じる」というのは、「子どもの言ってることを信じる」のではないですよね~


(-_-) 万引きをしたのに否認する子どもの言い分を真に受けて、


「先生は、子どもを信じないのですか?」と喰ってかかったバカ親がいましたね?((o(-゛-;)



私はこの日本という国と、民族と文化を愛している。しかし…


国が国民のために存在している、とは思わない。




国が私たちを最後まで守ってくれる、とも思わない。



国家は国民のために存在してほしい。


だが、国家は国家のために存在しているのである。



私の覚悟したいことのひとつは、そういうことだ。



私たちは国家によって”保護”されている。


パスポートを開いてみれば、それは一目瞭然だ。


日本国の保証がなければ、私たちは、この国を出ることさえ不可能なのだ。


(-"м"-;) 国家の家畜…もしくは”所有物”って感じもしないではない…つか…それが本質…



外国旅行中に旅券を盗まれたことがあった。再交付までの不便と不安といったら…


このときは、つくづく日本国民であることの安心感を再確認したものである。


( )`ε´( ) むかしの”通行手形”っちゅうのも、こんな感じやったんやね…



だが、そのことと、国に頼ることとは別である。


国が最後まで私たちを守ってくれる、などと思ってはいけない。




国に頼らない、という覚悟をきめる必要があるのである。



国民としての義務を果たしつつも、国によりかからない覚悟。


゛(`ヘ´#) ロボット三原則<3>ロボットは自分の身は自分で守らねばならない…

⇒ロボットは人間様の厄介になってはならない…\(゚ο゚\)


最後のところで、国は私たちを守ってはくれない、と「諦める」ことこそが、「覚悟」である。



こんなふうに言えば、さしずめ”何かを信じるのはやめよう”と言っているように思われそうだ。



だが、私は不信の勧めを述べているのではなく、人間の覚悟、むしろ逆を語っているのである。


(´0ノ`*) いわゆる「他力」じゃなく、「自力」だと…(「ひとつ」なのでホントは「自力」も「他力」もないが…)


( ゜∋゜) 裏切られても「信じる」のだ…と…



五木寛之氏は、「覚悟」について、親鸞の法然への帰依ぶりを引く…


遠方から訪ねてきた念仏信者が「念仏の極意」を尋ねたのに、親鸞は答えてこう言った…


「自分の信心に極意なんぞありません。


ただただ法然様の言われるとおりについていっているだけなんです。


もしも、その結果地獄に落ちることになろうとも、一切後悔はしません。


自分の今いるここが地獄に他なりませんから。(いまよりどん底なんぞないですから)


地獄は一定すみかぞかし」



頼らない、というのは、信じない、ということではない。




自分の覚悟があっての信頼なのだ。(-_-メ~でなきゃ、裏切られた(と思った)ときに裁いちまうよな…



(-""-;) 死んだら仏になるだの、極楽へいけるだの、インチキ仏教が花盛りだが…


( ̄∩ ̄# 宗教とはそういう気休めで、人々を安心させることではないのではないのか?



(`(エ)´) 大事なのは、いまを生き抜くこと…


(◎`ε´◎ ) 己の救いがたい罪業にとことん向き合って、地獄の底まで行くことだ!!



「自力」で地獄に行った者のみが、「自力」で、そこから帰ってこられるのである…


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・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

参考に

日本のアホ化した仏教の非難。特に檀家・在家への

日本人の「おままごと仏教」

上記文抜粋
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多くの日本人は、神道だろうと仏教だろうと、卑弥呼のやったであろう呪術と区別がついていない。


神や仏を信じているのではなく、まじない、呪いを信じているのである。




神主も坊主も、まじない師、呪術師として、一般国民は認識している。



こういうところをみても、日本に神や仏を信じている者はなく、したがって「神も仏もない」世の中である。


そして、実は…そのまじないの効果すら信じていないのだが、仕来りやなにやらを気にする…


矛盾である…


ユダヤ人のヒトラーがユダヤ人抑圧みたいな話である。


信じていない連中が、その仕来りにうるさく、細かい…



信じていないんだったら、気にするなよ…でしゃばるなよ…不信心者めが!!



神も仏も信じていない連中にかぎって、よく拝むのである…



常に”いいこ”を演じていないと不安という…PTSD症候群…



日本人は、自分の言うことをきいてくれる”都合のいい神様”をとにかく大事にする…


「願いを叶えてくれる」となると、実に気前がいい…


そして、払った分に相当する代価を求めているし、期待している。



「仕事をまわしてくれ」「身内を就職させてくれ」…


そういう願掛けをして、それを叶えてくれるなら、みんな「神様」「仏様」である。



だから、その「神様」が、政治家だったり、役人だったり、ヤクザやウヨクだったりする…



そして、願ったのだから…カネ払ったのだから…「願いはかなう」と期待する…



日本人の多くが、こういうものを「宗教」と信じている、「政治」と信じている…外道なのだ…



あの世のことなどわからないのに、どうして「故人も喜んでいるでしょう」などと言えるのだ?


まあ、近しい者なら、確信することもあるかもしれない。だが、そうでない者まで似たことを言う…



「キレイゴト」を言い、「予定調和」を説き、「みなさんハッピーです。それを信じます、祈ります…」



そのご先祖様への態度が、そのまま被災地への態度と重なる…



適当なことを言いやがって…、見てきたようなことを言いやがって…



人々の、そうした「期待」は、「権利」と言い換えることもできる内容のものである。


自分は当然、かくかくのものを受け取れる、という期待があり、それが果たされないと…


「約束が違う!!」と激高するのである。



毒妻者が、夫を裁くのも、これである。


「当然、家事育児を手伝うべきだ」とか…


「当然、記念日は覚えていて、相応の行事やプレゼントがあるものだ」とか…



「当然の権利」だから、「あって当たり前」…



当然、感謝も喜びもない…




「当然の権利」…日本人は、このことばすらはき違えている…



だから、「国民の権利」も、守られなくて当然と言えよう…

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抜粋終わり

感謝のない人間は、たぶん畜生になる。

畜生の精神と、豚並みの政治的知性。滅びるのは必至の日本。


再見!
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