故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
元始、日本人は奴隷であった
日本で市民運動などをやる者は、せいぜい1%であって、99%は何もしない。
”99%”はそのことについて、何ら疑問に思うこともなく、罪悪感をもつこともない。
また”1%”は、自分たちが大衆から”浮いている”にも関わらず、「大衆とともに自分たちがある」とか「大衆の支持がある」などと錯覚している。
もしも、運動が大衆本位であるというのならば、彼らの”正義”はすでに破綻している。
第一、大衆が望んでいない…(いくら、それが大衆の利益になるはずのものであってもである)
したがって、市民運動は、しばしば大衆にとって”余計なお世話”で終わっている。
大衆は自分たちの利益になることを望まない。
自分たちが「利益になる」などと”信じていること”を叶えてくれることを望むのである。
それは、まるで、聞き分けのない駄々をこねる幼子のようである。
そもそも日本国民は、民主主義や人権を望んでいるのだろうか?
”99%”は、そもそも”人間の尊厳”などもたないし、望まない。自ら投げ捨てている。
もしも、民主主義を実現したら、日本国民は喜ぶだろうか?”感謝”するだろうか?
田中芳樹氏原作の『アルスラーン戦記』を荒川弘が描いている…
自分たちを裏切ろうとしたホディールを討ち取り、アルスラーンは、奴隷を解放しようとする…
奴隷たちは、さぞや喜ぶだろうと思いきや…
アルスラーンは、奴隷たちの怒りを買うことになった…
奴隷たちは「民主主義」なんぞ望んではいない。「自由(リベラル)」なんぞ望んではいない。
”家畜の安寧”に馴れた者は、自由や独立を望まない。
日教組の反日の丸闘争だって、同じことで畜民どもの敵意を買ってしまった。
運動するなら、大衆の現実をきちんとみながらやらねば、ヤブヘビの結果を招くのである。
理想に燃えて、運動などに飛び込むことは、悪いことではない。
しかし、自分の”思い込み”と、現実というのは、しばしば乖離しているものだ。
ここのところは、ビジネスでも同じである。
その”乖離”に気づいて次にどうするのかが重要だ。
それで、”運動”がビジネスになっちゃって、自民党やら創価学会になってるわけなんだけどね…
ま…初めから大衆に迎合して利益や名誉が欲しかったのだろうが…
そうではない運動家たちとても、現実との乖離について、よく考えねばなるまい…
なぜ、奴隷は自由を望まないのか…
自由と独立のために必要な能力も気概も奴隷には欠けている。
くだけて言えば、バカのくせに努力もしない。よって、みかけだけ”一人前”を気取ることに終始している。
奴隷は”ラク”なのだ。考える必要がない。
現在の運動家ですら、こうした”奴隷根性”の延長でしか”民主主義”を捉えていない。
奴隷にとって、優しくて甘やかしてくれる”奴隷主”が最高なのである。
だから、”政治的リーダー”にも、”甘い奴隷主”を求める…
自分たちが主権者になろうなどとは考えてはいない。
自分たちは、奴隷の身分のままで”ラク”をしたいと、そう考えている。
「自分の席にもつかずに、いつまでもヨタっている底辺校のクソガキが、好きに教師を選べる」みたいなものを日本人は「民主主義」だと思っているし、「運動」も、その延長でしかない。
だから、私はバカバカしくって、何もする気がしないし、「日本人に人権などいらない」と言っている。
何しろそれが日本の大衆の望みなのだから尊重すべきである。
だから、”5%”は(制度を変えるとかではなく)自らの力で人権を行使していく必要がある。
”99%”のクズなる家畜大衆と自分たちをきちんと”聖別”しなければいけない。
日本国民は、”優しい奴隷主”を選ぼうとするだけで、リーダーを選ぼうとは決してしない。
奴隷の身分のまま、目を掛けてもらいたい…
娼婦のままで、おカネだけ貢いでもらいたい、ワガママ聞いてもらいたい。でも、結婚なんてする気はない…という態度と変わらないのが大衆の政治に対する態度なのだ。
国民自身が最初から無責任で、逃げ腰で、面倒なことは他者に丸投げしたり、なすりつける…
現在の政治家らは、まさに国民の本性をそのまんま映し出している鏡である。
国民は悪政の被害者なんぞではない。
共犯者であり、加害者なのである。
運動家よ、日本国民を甘やかすな。被害者として扱うな。
彼らは罪を償うべき加害者なのだ。
日本人は、努力というものをしない。
「ガマン」や「苦労」が、”努力”だと思っているのだ。
だから、自分がどれだけ我慢してきたか、苦労してきたかを自慢しようとする。
それは、奴隷根性そのままである。
奴隷主や奴隷仲間の”憐み”を受けたいのだ。要するに”乞食”をやっているのである。
”空気を読む”のも”寄らば大樹”も、そうした意識の延長にある。そんなものを”道徳”なんぞと思ってはいけない。
「おとなしくいい子」にしていれば、ご主人様は悪いようにはせず、「万事やってくれる」と信じているから何もしない。
つまり、”努力”はしないのだ。
そうした奴隷根性が、家を買うとき、保険商品を買うときなどに露骨に表れる。
自分では何も努力しない。
日本人がいかに”独立心”に欠け、努力をしないかが顕れている。何でも人任せで自分では何もしない。
カネ払ったんだから…で、相手を根拠もなしに信じている。
こういうのを”善人”といってよいのだろうか?
愚か者…と呼ぶのが古今東西の常識である。
そして、買った住宅が欠陥だとなれば目も当てられない。
自分たちが、その買い物でいかに余計な負担を背負うことになるのかを、まるで考えない。
それで、過労死しようが、貯金ゼロで餓死しようが、自業自得ではないのですか?
「株でバクチ」どころではない。
ローンで家を買い、言われるがままに保険に入れば、それだけで株で数千万とかすのに匹敵する。
…とくに女どもが全然わかっていない…
それでいて、「旦那の給料が低い」…だろ?
その前に、テメエの知能が低すぎだろ!
この現状では、「結婚できない」ことを、男たちは喜ばねばならない。
金食い虫といっしょにならないことは、過労死、餓死しないための第一歩といえよう。
何しろ、チホーといっしょで、話が通じないし、説明しても理解できないみたいだからね…
日本人の無知は、政治問題にかぎらない。
すべてにおいて、同じ調子なのだ。
何も知らないのに、政治家に投票し…
何も知らないのに、保険や家を買う…
後先考えない…「みんながやっている」で思考停止…(なんとかなる…)
「考えすぎるな」は、日ごろよく考えているやつに必要な助言だが”99%”には不適切な”助言”といえる。
だが、”余計なお世話”なのだ。
「考えすぎだよ。なんとかなるよ」…そう言ってほしい…(但し、離婚とかすることになるよ…とは言わないね、だれも)
銀行や保険が集めたおカネでローンを組み、銀行預金の利息以上の利子収入を銀行は得る。
国民の貯金は国債となって、政府が自由に使えるお金になってしまう。
それで道路工事して、なんとか協会つくって、兵器を買って…経済は確かに回ってはくれる…
まあ、計算はこのように単純ではないが…こういったことを考えてみることは自由独立に必要なことだろう?
ビラやプラカードなんぞ作るより前に、帳簿でもつけたほうがいいんじゃない?
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
極論すると、「優しい奴隷主」すら選ぼうとしないのが日本人だと言い得る。
「人間」であることすら、疑わしい・・・・
奴隷でも、人間なら、自分の家族・子供のためになる選択を、アホなりに考える。
でも日本人は、それも奴隷主・他人に丸投げを「仕事に熱心」「わき目もふらずに頑張っている」という。
奴隷と言うよりも人間としての情愛すら、疑わしい。
独立した「個人」でも、飼われる「奴隷」や「家畜」でなく、肉人形の日本人。
死滅も、普通の結末だろう。
お読みくださりありがとうございます。
追記
日本人の名誉のために言うと、江戸~いや明治以降は「奴隷が素晴らしい」と言う風に作られた社会だった。
それに日本人は「過剰適応」したのである。
その一つの終焉が「敗戦」
で、次は、滅亡のようだ。
「楚は三戸しか残らなくても、秦を滅ぼす」とか。
楚よりも長い歴史のある日本列島。
天皇など無くても、復興は容易で、人間になれる。
それでないのなら、他国の一部に組み込まれた方が、日本人は、人間になれる。
国家の独立を失っても、人間として独立できるなら、損な買い物ではない。
まあ国家も個人も独立出来たらいう事ないが・・天皇制に未練があり奴隷でありたいのなら、、いっそ国家など無い方がマシ。
上記文抜粋
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元始、日本人は奴隷であった
日本で市民運動などをやる者は、せいぜい1%であって、99%は何もしない。
”99%”はそのことについて、何ら疑問に思うこともなく、罪悪感をもつこともない。
また”1%”は、自分たちが大衆から”浮いている”にも関わらず、「大衆とともに自分たちがある」とか「大衆の支持がある」などと錯覚している。
もしも、運動が大衆本位であるというのならば、彼らの”正義”はすでに破綻している。
第一、大衆が望んでいない…(いくら、それが大衆の利益になるはずのものであってもである)
したがって、市民運動は、しばしば大衆にとって”余計なお世話”で終わっている。
大衆は自分たちの利益になることを望まない。
自分たちが「利益になる」などと”信じていること”を叶えてくれることを望むのである。
それは、まるで、聞き分けのない駄々をこねる幼子のようである。
そもそも日本国民は、民主主義や人権を望んでいるのだろうか?
”99%”は、そもそも”人間の尊厳”などもたないし、望まない。自ら投げ捨てている。
もしも、民主主義を実現したら、日本国民は喜ぶだろうか?”感謝”するだろうか?
田中芳樹氏原作の『アルスラーン戦記』を荒川弘が描いている…
自分たちを裏切ろうとしたホディールを討ち取り、アルスラーンは、奴隷を解放しようとする…
奴隷たちは、さぞや喜ぶだろうと思いきや…
アルスラーンは、奴隷たちの怒りを買うことになった…
奴隷たちは「民主主義」なんぞ望んではいない。「自由(リベラル)」なんぞ望んではいない。
”家畜の安寧”に馴れた者は、自由や独立を望まない。
日教組の反日の丸闘争だって、同じことで畜民どもの敵意を買ってしまった。
運動するなら、大衆の現実をきちんとみながらやらねば、ヤブヘビの結果を招くのである。
理想に燃えて、運動などに飛び込むことは、悪いことではない。
しかし、自分の”思い込み”と、現実というのは、しばしば乖離しているものだ。
ここのところは、ビジネスでも同じである。
その”乖離”に気づいて次にどうするのかが重要だ。
それで、”運動”がビジネスになっちゃって、自民党やら創価学会になってるわけなんだけどね…
ま…初めから大衆に迎合して利益や名誉が欲しかったのだろうが…
そうではない運動家たちとても、現実との乖離について、よく考えねばなるまい…
なぜ、奴隷は自由を望まないのか…
自由と独立のために必要な能力も気概も奴隷には欠けている。
くだけて言えば、バカのくせに努力もしない。よって、みかけだけ”一人前”を気取ることに終始している。
奴隷は”ラク”なのだ。考える必要がない。
現在の運動家ですら、こうした”奴隷根性”の延長でしか”民主主義”を捉えていない。
奴隷にとって、優しくて甘やかしてくれる”奴隷主”が最高なのである。
だから、”政治的リーダー”にも、”甘い奴隷主”を求める…
自分たちが主権者になろうなどとは考えてはいない。
自分たちは、奴隷の身分のままで”ラク”をしたいと、そう考えている。
「自分の席にもつかずに、いつまでもヨタっている底辺校のクソガキが、好きに教師を選べる」みたいなものを日本人は「民主主義」だと思っているし、「運動」も、その延長でしかない。
だから、私はバカバカしくって、何もする気がしないし、「日本人に人権などいらない」と言っている。
何しろそれが日本の大衆の望みなのだから尊重すべきである。
だから、”5%”は(制度を変えるとかではなく)自らの力で人権を行使していく必要がある。
”99%”のクズなる家畜大衆と自分たちをきちんと”聖別”しなければいけない。
日本国民は、”優しい奴隷主”を選ぼうとするだけで、リーダーを選ぼうとは決してしない。
奴隷の身分のまま、目を掛けてもらいたい…
娼婦のままで、おカネだけ貢いでもらいたい、ワガママ聞いてもらいたい。でも、結婚なんてする気はない…という態度と変わらないのが大衆の政治に対する態度なのだ。
国民自身が最初から無責任で、逃げ腰で、面倒なことは他者に丸投げしたり、なすりつける…
現在の政治家らは、まさに国民の本性をそのまんま映し出している鏡である。
国民は悪政の被害者なんぞではない。
共犯者であり、加害者なのである。
運動家よ、日本国民を甘やかすな。被害者として扱うな。
彼らは罪を償うべき加害者なのだ。
日本人は、努力というものをしない。
「ガマン」や「苦労」が、”努力”だと思っているのだ。
だから、自分がどれだけ我慢してきたか、苦労してきたかを自慢しようとする。
それは、奴隷根性そのままである。
奴隷主や奴隷仲間の”憐み”を受けたいのだ。要するに”乞食”をやっているのである。
”空気を読む”のも”寄らば大樹”も、そうした意識の延長にある。そんなものを”道徳”なんぞと思ってはいけない。
「おとなしくいい子」にしていれば、ご主人様は悪いようにはせず、「万事やってくれる」と信じているから何もしない。
つまり、”努力”はしないのだ。
そうした奴隷根性が、家を買うとき、保険商品を買うときなどに露骨に表れる。
自分では何も努力しない。
日本人がいかに”独立心”に欠け、努力をしないかが顕れている。何でも人任せで自分では何もしない。
カネ払ったんだから…で、相手を根拠もなしに信じている。
こういうのを”善人”といってよいのだろうか?
愚か者…と呼ぶのが古今東西の常識である。
そして、買った住宅が欠陥だとなれば目も当てられない。
自分たちが、その買い物でいかに余計な負担を背負うことになるのかを、まるで考えない。
それで、過労死しようが、貯金ゼロで餓死しようが、自業自得ではないのですか?
「株でバクチ」どころではない。
ローンで家を買い、言われるがままに保険に入れば、それだけで株で数千万とかすのに匹敵する。
…とくに女どもが全然わかっていない…
それでいて、「旦那の給料が低い」…だろ?
その前に、テメエの知能が低すぎだろ!
この現状では、「結婚できない」ことを、男たちは喜ばねばならない。
金食い虫といっしょにならないことは、過労死、餓死しないための第一歩といえよう。
何しろ、チホーといっしょで、話が通じないし、説明しても理解できないみたいだからね…
日本人の無知は、政治問題にかぎらない。
すべてにおいて、同じ調子なのだ。
何も知らないのに、政治家に投票し…
何も知らないのに、保険や家を買う…
後先考えない…「みんながやっている」で思考停止…(なんとかなる…)
「考えすぎるな」は、日ごろよく考えているやつに必要な助言だが”99%”には不適切な”助言”といえる。
だが、”余計なお世話”なのだ。
「考えすぎだよ。なんとかなるよ」…そう言ってほしい…(但し、離婚とかすることになるよ…とは言わないね、だれも)
銀行や保険が集めたおカネでローンを組み、銀行預金の利息以上の利子収入を銀行は得る。
国民の貯金は国債となって、政府が自由に使えるお金になってしまう。
それで道路工事して、なんとか協会つくって、兵器を買って…経済は確かに回ってはくれる…
まあ、計算はこのように単純ではないが…こういったことを考えてみることは自由独立に必要なことだろう?
ビラやプラカードなんぞ作るより前に、帳簿でもつけたほうがいいんじゃない?
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
極論すると、「優しい奴隷主」すら選ぼうとしないのが日本人だと言い得る。
「人間」であることすら、疑わしい・・・・
奴隷でも、人間なら、自分の家族・子供のためになる選択を、アホなりに考える。
でも日本人は、それも奴隷主・他人に丸投げを「仕事に熱心」「わき目もふらずに頑張っている」という。
奴隷と言うよりも人間としての情愛すら、疑わしい。
独立した「個人」でも、飼われる「奴隷」や「家畜」でなく、肉人形の日本人。
死滅も、普通の結末だろう。
お読みくださりありがとうございます。
追記
日本人の名誉のために言うと、江戸~いや明治以降は「奴隷が素晴らしい」と言う風に作られた社会だった。
それに日本人は「過剰適応」したのである。
その一つの終焉が「敗戦」
で、次は、滅亡のようだ。
「楚は三戸しか残らなくても、秦を滅ぼす」とか。
楚よりも長い歴史のある日本列島。
天皇など無くても、復興は容易で、人間になれる。
それでないのなら、他国の一部に組み込まれた方が、日本人は、人間になれる。
国家の独立を失っても、人間として独立できるなら、損な買い物ではない。
まあ国家も個人も独立出来たらいう事ないが・・天皇制に未練があり奴隷でありたいのなら、、いっそ国家など無い方がマシ。
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世界と戦争することが起きたのだから、天皇を消す革命が起きても、普通でしょうね。
天皇制は人類の害毒・日本人の籠で鎖・・・。ならば破壊するのみでしょう。
書き込みありがとうございます。
でもね、「約束のネバーランド」は奴隷以下の食物の子供が
鬼を相手に戦います。
よく観察し、作戦をたて、状況が変われば意見を出し合って対処する。
実に小気味良いものです。
イエズス会が狙ってやっと根付かせた天皇教
アニメと共に世界に浸透してますね
単に壊すだけでは、また利用される
奴等は実に利口だ
何が私達にとって心地よい社会なのか
どんな理念であれば、ゆるぎない共有理念に成りうるか?
単に共生だけでは難しいかもしれません
共に高め合えれば、周りも楽しいと思って参加するかもしれません。
発信楽しみに待ってます
>どんな理念であれば、ゆるぎない共有理念に成りうるか?
>単に共生だけでは難しいかもしれません
>共に高め合えれば、周りも楽しいと思って参加するかもしれません。
>発信楽しみに待ってます
同感です。
本当に難しいですけど、
「三方得」
と
「他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ」
とかかなって。
書き込みありがとうございます。