忍者ブログ
故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05     04 < 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  > 06
Admin | Write | Comment
P R
文映さんの・・・  

上記文抜粋
・・・・・・・・・
神道の正体
初出『未踏』70号



神道の血筋

 ちょっとした事がきっかけになって、私の「なぜ? なぜ?」の追究人生が始まる。「神道ってどうも変だな」の思いは長女の婚家の人たちの血筋へのこだわりを見た時から始まった。

 私の長女は高校時代のクラブ活動で、部長、副部長という関係で親しかったクラスメートと一九八四年に結婚した。相手は通産省勤務で親族揃って神主を副業とする公務員一家であった。私の兄嫁の里がやはり神主兼公務員一族だが、これは偶然の一致だろうか。一族揃って神職に就くだけでも奇妙なのに、公務員を兼ねる点まで一致しているのは一体どういうことだろう。なぜ公務員が神職を兼ねるのか。また長女の夫の目が兄嫁にそっくりな目尻が上がっていることは同じ血筋どころか同じ民族だな、と私に強く感じさせた。この両家の共通点として血筋にこだわる傾向がある。特に長女の家はそれが強くて、挙式のあと舅に当たる人から聞かされたところによると、始祖は天照大神で、天皇家の血を引くという。誇らしげに聞かされたその言葉は私に大日本帝国時代の辛苦を思い起こさせた。「天皇は神である。天皇のために死ね」と言われてどれだけ多くの人が死んでいったことか。日本国民を苦境に追いやり、アジアをはじめ南方の多くの国々の人を痛めつけたことを考えると軽々しく「天皇家の血を引く」と自慢できるものではないのに、神道の人たちが天皇との血の繫がりを誇るのはなぜか。天皇を尊ぶと共に、戦争責任を感じないからということか。

 加えて、神道の中核に属する人は、国家権力の座にある人との距離が極めて近いと知り、これが私の心に引っ掛かった。天皇家の血を引くということはそれがいかに細いものであっても、就職への太いコネの役目を果たすことになるらしい。つまり通産省に採用される力を貸してもらったり、仲人の役を果たしてもらうなどの恩典を受けられるということである。



神道と公務員

 末娘が国家Ⅰ種公務員試験を一九九五年に受けたことによって、私の神道に対する謎が一層に深まった。同一試験区分の受験者一九九四名中四位という好成績で合格を果たしながら、末娘はコネがないがために採用が叶わなかった。国家Ⅰ種公務員の採用方式そのものに私は引っ掛かりを覚えた。採用法が妙だ。次の方式で行われる。

 ★ 採用人数の二倍ほどが合格になる。

 ★ 合格すれば、内定を取るための官庁訪問は必ずしもその年でなくても、訪問資格は三年間保たれる。

 ★ 宮内庁だけは試験に無関係の世襲制採用である。

 なぜ官庁訪問をその年だけに限らないのか。なぜ二倍もの合格者を出すのか。これははっきり言って、能力の低い合格者に対する恩恵ではないか。つまり能力はいまいちの中に採用側が求めたい種類(神道系?)の人物があるということか。ここでは採用にコネの有無が大きくものを言うらしい。コネの必要性は耳にたこができるくらいにあちこちから聞かされたが、私はコネを好まないからそれを無視した。

 確かなコネのある人は三年間悠然と構えて、入りたい省庁の枠が空くのを待てばよいから、三年の猶予は明らかにコネ保持者への特典であろう。二倍合格はコネのある低成績合格者への恩恵と考えられる。彼らのライバルであるところの、コネを持たない好成績合格者を蹴落とすにはもってこいの方式であり、その巧妙さは驚くばかりである。国家権力を握り続けるための野望がいかに大きいかが分かる。こうして独裁政治が生み出されるのだな、と私は気づいた。

 ちなみに国家Ⅱ種、Ⅲ種公務員試験の場合はこれと異なり、地方公務員と同様、合格者のほとんどが採用になる。なぜⅠ種だけ異なるのか。採用する側が意図する人材を入れたいからだ。何のためか。独裁化のためだ。Ⅱ種合格者の中にはⅠ種合格者を上回る優れた人材が珍しくないと聞いたことが納得できる。

 宮内庁の世襲制による採用には更なる異常性がある。天皇家同様に世襲制であるということから多くの事実が推理できる。宮内庁の血筋は日本を支配する氏族そのものの血であろう。彼らこそ天皇制の黒幕に違いない。血筋差別の根っこはここにあると考えられる。

 国家公務員の採用に限られたことではなかった。長女の夫は、公務員が駄目なら大学教授を目指すつもりだと言っていた。大学教授と言えば思い出さずにおれないことがある。随分昔のことだが、東大へストレートで入学した息子がぼやき始めた。「教授の講義がつまらない。あんな講義を聞くくらいなら自分で本を読んで勉強した方がましだ」と言って、授業には全く出なくなってしまった。東大の教授ともあろう人がそんな筈はない、息子の目が節穴なのだろう、とばかり私は息子を責め立てて授業に出させようと必死になったが、いくら説得を試みても無駄だった。卒業はしたが、息子は権力の座を嫌う人間になってしまった。その息子の言動は私の価値感を根底から覆させてしまったのである。

 私は考えた。教授は実力による採用ではなかったのか。コネがものを言ったのか。その後になって、一流国立大学教授よりもむしろその他の大学教授の方が質が良いという説を耳にしたが、国家Ⅱ種公務員採用者の中にⅠ種を上回る人材がある、の説と共通する点が考えさせられる。日本はコネ王国なのだろうか。



神道と三人の首相

 二〇〇〇年、首相が密室で決められて思わぬ人が浮上した。森喜朗氏。その第一声たるや「日本は天皇を中心とする神の国だ」だった。大日本帝国に戻ったのかと私はヒヤリ。「天皇は神だ」「天皇のために死ね」の言葉が出てくるのではないか。次の小泉純一郎首相、安倍晋三首相が靖国参拝にこだわるのを見て、この三人は同じ仲間だな、と思い不安が広がった。靖国に関する加藤紘一氏の発言が原因の同氏選挙事務所放火事件と、天皇に戦争責任ありの発言者長崎市長への発砲事件はこの両氏在任中に起きた。因果関係を思わずにおれない。

「民主主義はよくない」

「人間には命を捨てても守らねばならないものがある」

 と恐ろしい言葉を口にしたのは安倍晋三首相だった。首相の靖国参拝は軍国日本の復活に繫がる危険を孕んでいるのに、口先では平和を唱える首相のその欺瞞が恐ろしい。本当に平和国家を目指すなら、首相を始め閣僚の靖国参拝は断じてやめるべきである。この人たちに正しい歴史認識が確立されていないのは戦後生まれのせいか。

 靖国は神を騙る「国家神道」という組織の中で生まれたものであり、キリスト教信徒の中には国家神道は宗教の仮面を被った危険な組織だという見方もある。

 神道には、宗教にとって必要不可欠なはずの経典や教えすらない。宗教ならば信者のための墓が用意されている。ところが神道には信者用の墓がない。神道信者の墓は寺などに依存している。そのこと一つを見ても神道は宗教とは言えなくなる。

 戦争が終わった後しばらくのあいだ新聞には靖国を神社から切り離すべきだ、との読者の声が後を絶たなかった。「また載ったな」「また。なのになぜこの意見は無視され続けるのだろう」とここでも私に謎が生まれた。靖国が神社形態であることは戦争への火種を抱えることになりかねない。国家神道そのものがあの戦争への協力者だったことを考えると、日本は再び来た道へ戻りつつあることがはっきりと見えてくる。分かるのは戦争体験者だけだろうか。靖国神社は戦犯合祀だけが問題ではないのだ。



皇族の活躍

 三浦朱門『天皇の昭和』によれば、伏見宮及び閑院宮は菊の御紋章の御威光を持って軍を動かす要職に就き、日本を戦争に引きずり込むのに大きな貢献をした。あの特攻兵器を作るよう提案したのは伏見宮であった。その残虐性に世界があっと驚いた。また朝香宮は日本が降伏する際に国体保持すなわち天皇制継続を条件とすることに固執した。これらを考えると皇族たちのしたたかさは驚くばかりである。天皇制継続とはそのまま彼ら自身の支配力継続に繫がるであろう。

「宮」という呼称について一考したい。かつて天皇は神であった。宮は神の一族を示す言葉だ。天皇が人間宣言された時代に宮は相応しくないし、神ではなくなった以上、「天皇」の名称もそぐわない。

(二〇一六年 八月二十六日)


・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


神道は、そもそも宗教というか俗信の一つである。

往古は、多分中国道教の一端と同じだった。

推古帝あたりから、論理を備えた仏教を参考に変化したのだろう。


で、江戸期から、耶蘇の侵略と共にカルト化した。そのカルト化の始祖、平田篤胤。

でもそれすら凌駕する、「国家神道」という、天皇を神とする邪教を、維新志士と耶蘇が作った。

神道は、神仏習合に復帰しない限りに、カルトとして、地球人類から、根絶やしになるだろう、天皇と共に。


おなじく より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・

本当の戦争責任者は誰か

 あの戦争は一部軍国主義者が起こしたもので中心となったのは陸軍だった、とされ東条英機に責任が被せられたが、実態はそんな単純なものではなかった。吉田裕『昭和天皇の終戦史』その他の戦争史資料によれば、大日本帝国軍国主義の原動力は陸軍が長州(山口県)、海軍が薩摩(鹿児島県)だったという。明治以降の薩長閥の支配力の強さは人々の知るところである。明治維新功労者とされた氏族が薩長だった。その力が受け継がれて明治政府がつくられ、大日本帝国が誕生し、次々と戦争を起こしていった。その延長が日中戦争、対米英戦争であった。人の手柄は我がものに、我が罪は人に押し付けることの得意な薩長が、自ら起こした戦争の責任を巧妙に、陸軍関係者の中の薩長人ではない人物に負わせた、とする説には信憑性が感じられる。

 東条英機の父・東条英教陸軍中将は陸大を首席で卒業した俊才だったが、本籍が岩手であることから長州閥に睨まれて出世が遅れた、と本人も英機も感じ取っていた。対米英戦が避けられない情勢になった真珠湾攻撃の五十日ほど前に、東条英機を首相に推したのが他ならぬ長州閥だった。難しい対米英戦の責任を、彼らにとっては異邦人である東条英機におっ被せたというわけだ。東条におっ被せた人として近衛文麿の名も挙がっている。近衛文麿は百済王子豊璋(藤原鎌足)の直系子孫だと推察されている。長州閥の思惑通りに事が運んで、東条英機は重罪戦犯として刑場に消えた。

 戦争の源流は満州事変から始まった日中戦争にある。対米英戦はその影響による結果に過ぎない。ところが、東京裁判では対米英戦を表に打ち出すことによって、肝心の日中戦争の責任をぼかす努力をしたのが公卿グループだった。公卿は言うまでもなくその中心が百済系帰化人の子孫である。

 東京裁判で死刑になったのは、広田以外がすべて陸軍軍人であった。陸軍がほとんど全ての責任を負わされた形になったのである。陸軍の軍人被告たちは怒りを抑えきれなかった。絞首刑の判決を受けた武藤章は一九四八年九月二十五日の日記に次のように書き残した。

「日本歴史は公卿の罪悪を

掩蔽

えんぺい

して、武家の罪のみを挙示する傾きがある。大東亜戦争の責任も軍人のみが負うことになった。武人、文に疎くして歴史を書かず、日本の歴史は大抵公卿もしくはこれに類する徒が書いたのだから、はなはだしく歪曲したものと見ねばならぬ」
 心して味わいたい内容である。彼の言葉を翻訳すると、戦争責任は百済系帰化人たちにこそある、ということになりかねない。近衛文麿を筆頭に、長州閥も公卿もその中心となったのは百済系帰化人を父祖とする人たちだった、という説に注目すればそういうことになる。

 どうやら、本物の責任者に限って、責任を他におっ被せることばかり考え、企むものらしい。

 日本の歴史は、神話に始まって古事記、日本書紀ともに藤原一族により彼らの都合のよい形に書き換えられてしまったとの説が有力になってきたが、昭和もその延長線にあったと考えられる。日本という国は藤原氏を頭に戴いた百済系帰化人の子孫に引っ掻き回されっ放しのまま現在に至っている。



・・・・中略・・・

血筋に貴賤は無い 貴賤は精神にこそある

「天皇家の血筋が尊い」と書いた櫻井よしこ氏は、戦争が終わった年の秋に生まれた人だ。氏のこの言葉は私を仰天させた。なぜかと言えば「天皇は尊い神の子孫だ」と言われて私たちは酷い目に遭った。あの戦争である。私たち戦争体験者は「天孫降臨、万世一系」を信じ込まされ、「神である天皇のために死ね、死ね」と言われて戦い、多くの命が失われた。敗戦によって天皇が人間宣言されただけでなく、その後、国を憂える正義の歴史家の手によって天孫降臨も万世一系も嘘だったと知らされた。あの戦争は、天皇家を神の血筋だと偽ったことから出発していた。だから、血筋を問題にする思想には恐怖を覚える。「天皇家の血筋が尊い」と言われると背筋が寒くなる。再び戦争をおっぱじめる国になりはしないか、と不安になるからだ。戦争を知らない世代の危うさを思う。

 天皇家の血筋は神でも万世一系でもなくて、本当は百済系帰化人の子孫だった。私は血筋に貴賤があるとは思わない。貴賤は精神にこそあるのだ。だから天皇家と同じ血筋の百済系朝鮮人ならば天皇をその血筋ゆえに崇拝するということができるだろうが、他民族の自然の情としては無理があって当然ではなかろうか。他民族にまで共感を求める筋合いのものではないのに、かつて彼らは大和民族を含む他民族に天皇崇拝を押し付けた。結果が「八紘一宇」と称して天皇のご威光を全アジアに広めるという名目の戦争、つまり侵略であった。「八紘一宇」とは戦時中に政府が国民に示した理念であったが、天皇のご威光のもとに世界を一つの家のようにする、という主旨だ。何のことはない。侵略を表現する飾り言葉である。八紘一宇を掲げた大日本帝国が行なったことといえば、策略、暗殺、戦争、つまり人殺し常習犯ではないか。

 自らの血だけを尊び、長たらんと欲した百済系帰化人の子孫は、大和民族を犠牲にして近隣国アジア諸国をも痛めつけてしまった、というのがあの戦争の実態なのだ。「天皇家の血筋が尊い」という戦前思想を、いま再び押し付けられるのは真っ平だ、と私たち世代は思う。戦争によって目覚めたからこその思いである。戦争を知らない世代はどうにも危なっかしくて見ておれない。戦争体験によって私たちが開眼したことの重要性に気づいて欲しい。民主主義に必要なのは崇拝の対象などではない。みんながお互いを尊重しあう精神こそ必要なのである。敗戦によってせっかく私たち庶民の手に入った「自由」と「平等」とそして「平和」がどんどん逃げていく。どうすれば呼び戻せるのか。



日本はなぜ陰湿国家か

 何年前だったか、ブータン国王が来日されて、その表情がとても温かくて自然であることが印象に残った。明るさ、優しさが満ち溢れてお幸せそうだった。きっとブータン国民も国王の温情に包まれて幸せであろう。

 反射的に思ったのは日本の皇室の姿である。こちらは自由からほど遠い重圧のもとに置かれた痛ましさがある。日本は国民の表情も暗い。私がそれに気づいたのは二十年ほど前にアメリカやベネズエラに旅行してのことだった。先進の民主国アメリカは明るくて当然だろうが、発展途上国ベネズエラの人たちも明るかった。ベネズエラは民主国だ。やっぱり国民を幸せにするのは本物の民主主義だ、と痛感した。彼らに較べると日本人は総体に暗く活気がなくてよどんだ感じだ。それに日本は先進国の中で断トツに自殺率が高い。

 原因はどこにあるのか。重圧感、閉塞感が漂っている日本。それが国民の心を暗くする原因に違いない。なぜそれがあるかが問題だ。経済低迷などもあろうけれど、これは日本に限ったことではない。他国にもある。日本の特徴を挙げれば「皇室タブー」が浮かぶ。皇室タブーは「言論弾圧」と「不平等感」という不幸を生み出す。これが閉塞感となり自殺多発に繋がっていくのではないか。皇室タブーの仕掛け人は天皇制の黒幕、百済系帰化人の子孫だ。つまり、国民への愛情を持たない異民族に支配されているがために生じる閉塞感だと私は思う。

 日本がアメリカやベネズエラのように明るく活き活きした国になるためには、正体を隠した異民族支配から解放されることが必要だ。だが、天皇制と政界の世襲制がそれを阻んでいる。

 国を動かす権力者は、何よりも国民は無論のこと他国民をも深く愛する人でなければならない。温情と正義、そして賢さが必要だ。そういう人は殺人など犯さない。敵対国を作らない。平和を築くだろう。

 ところが・・・。日本は・・・。

 好戦策略家だった帰化人の子孫が権力を握り、国民の不幸などものかは、自分たちにとって都合のよい国づくりを目指して暴走している。

「早く止めないと日本は駄目になる」

「いや、もう駄目になった。民主主義は死んだ。政界の世襲制が日本を駄目にしてしまったんだ」

 口を塞がれた見識者たちの密やかな呟きが広がりつつある。



(二〇一三年 十一月十九日)


・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


天皇を殺し、公卿の後胤を殺しきり、日本を、普通の国にするしかない。


お読みくださりありがとうございます。
PR
Comment
Name
Title
Mail(非公開)
URL
Color
Emoji Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Comment
Pass   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
ボスは無責任部下に腹切りのカースト社会の日本!
  • from ローレライ :
  • 2019/10/15 (20:46) :
  • Edit :
  • Res
血筋詐欺でボスは無責任部下が腹切りのカースト社会の日本では戦争も会社経営も不可能だ。
Re:ボスは無責任部下に腹切りのカースト社会の日本!
2019/10/16 10:07
>血筋詐欺でボスは無責任部下が腹切りのカースト社会の日本では戦争も会社経営も不可能だ。

その通りですよ。

責任回避の搾取。しかない。

のが150年も続いている。あの敗戦でも70年以上続いている。

こりゃ、キチガイのカルト。

天皇の腹を切って、日本人は解放される。
<< BACK  | HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 渾沌堂主人雑記~日本天皇国滅亡日記 --  All Rights Reserved

Designed by CriCri / Material by White Board / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]