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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
兵頭に訊こう より

上記文抜粋
・・・・・・・
安倍政権が作った障害者施設襲撃事件




7月26日未明に、相模原市「津久井やまゆり園」の障害者を襲撃して、19人を殺害、26人に重軽傷を負わせる事件が起きた。

襲撃したのは、以前この施設に勤めていた植松聖(26)だった。

かれの動機は、はっきりしている。植松聖は、今年2月15日に、東京都千代田区の衆院議長公邸を訪ね、大島理森議長にあてた手紙を渡していた。その手紙の内容が一部公開されているのである。そのなかで動機があからさまに語られていた。(引用文の●は※に変えてある)

「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

フリーメイソンからなる※※※※が作られた※※※※※※※※を勉強させて頂きました。戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます

驚いたことに、フリーメイソンが出てきた。ポケモンGOの登場といい、いよいよNWOに向けた混沌が始まったのである。これほどの殺人事件で、フリーメイソンが出てきたのは初めてである。幼稚ではあるが、明確に弱肉強食、優勝劣敗、優生学思想に基づく襲撃である。それは安倍政権の政治思想そのものである。

「障害者がいなくなればいい」と考えていた植松聖は、大島理森に渡した手紙通りに刃物と結束バンドを持ち込んで犯行に及んだ。社会的弱者を棄民する政策を次々に打ち出し、「社会的弱者」に冷酷な極右世相を作り出した安倍晋三の責任は重いといわねばならない。

安倍晋三、麻生太郎などは、「お見舞いを申し上げる」といった通り一遍の決まり文句ではなく、責任のある政治家・思想家として、おのれの過去の発言とこの事件に対して、見解を述べるべきだ。黙っていると、この事件を容認したと受け取られる。

この手紙の分析は後でやるとして、この事件は防げた事件だった。これほど明確に、政権中枢部と警察に対して、大量殺人を予告し、その通りに実行した例はない。自首まで予告通りにしている。いったい日本の政治と警察はどうなっているのだろうか。護送の車中で植松聖は嗤っているではないか。

「作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前(※※※※)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。
金銭的支援5億円」

この手紙の文面からすると、一方的な自分の要求が守られると思っているのかもしれない。それで恐ろしい嗤いになったのかもしれない。

この事件が防ぎ得たと思われるのは、次の4点があったからだ。このときに、関係者の認識が甘く、危機意識が欠けており、対応が不十分だったのである。

1 これは2015年6月の事件であるが、植松聖は通行人と口論、怪我させて書類送検されている。この攻撃的な過去が、それからの植松聖の暴力の予測に活かされなかった。

2 植松聖は、今年2月15日に、東京都千代田区の衆院議長公邸を訪ねていた。大島理森議長宛てに「障害者を抹殺する」などと書いた手紙を警備にあたっていた警察官に渡している。大島理森はこの手紙を読んで、どういった対策を指示し、その後も継続して関心を持ち続けたのだろうか。

3 衆院議長公邸を訪ねた後、警視庁麹町署は当日に神奈川県津久井署に通報した。4日後(なぜ4日もかかったのだろうか)の2月19日に警察から「他人を傷つけるおそれがある」と施設に連絡があった。植松は「自分は間違っていない」と主張した。それで退職してもらい、相模原市に連絡して、3月2日まで緊急の措置入院をとった。

しかし、措置入院後2週間であっけなく退院している。
「理由は他人に危害を加えなくなった」からだという。しかし、2週間で他人への攻撃性が治ると診断したとは、よほどの藪医者である。「1」の過去が活かされていない。軽くだまされている。

医者はその道の専門家ではあるが、人間のすべてに通じているわけではない。そのことについて、政治家も官僚も世間も誤解している。ある種の人間が本気で嘘をついた場合、ほとんどの医者はだまされるのである。退院の判断には、医者の判断を対象化しうるほどの、医者以外の人間を複数入れた方がいい。

このあと、同居する家族もなく、また行政からのフォローもなく、野獣は放たれて計画通りに惨劇に突き進んだ。

4 惨劇の前日に、警察が植松聖の自宅に行っている。しかし、植松は留守で会えなかった。どういった内容で警察は植松を尋ねたのだろうか。留守だからといって会わずに引き上げてよかったのか。大いに疑問が残る。

(「植松容疑者の自宅の近所に住む73歳の男性によりますと、25日の正午ごろ、容疑者の自宅にパトカー1台が来て警察官が容疑者を捜していたということですが、自宅にはいなかったということです」『NHK NEWS WEB』7月26日)

この事件に関したいくつかのツイートを紹介する。
 

「sarah(改憲はさせない)

高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」と言った曽野綾子、「ああいう人ってのは人格あるのかね」と言った石原慎太郎、「オイいつまで生きてるつもりだよ」と言った麻生太郎、この人達も今回の事件への素地を作っている。

柏崎玲央奈

フィンランドで大量殺人があったときは、大反省会だった。自分たちの教育の何がわるかったのか、自分たちの国の制度の何がわるかったのか、自分たちの国の何がわるかったのか。日本では絶対そうならない。

白石草

フランスのAFP通信は、おととし、川崎市の有料老人ホームで入所者3人が転落して死亡し、元職員の男が殺人の罪で起訴された事件を例に挙げ、最近、日本では弱者に対する攻撃が増えていると指摘しています。

高橋享子

この人はある意味安倍首相シンパの典型的例かもしれない。教育者であったこと障害者施設でも働いていたことなど外見は博愛家なのに、命を愛おしむ感情が全く育ってない。しかも幼稚で言葉だけは格好つける。ある意味人格がバラバラで幼児性が強い。

山口二郎

安倍首相はことあるごとに西欧諸国と自由・人権という価値観を共有すると言うが、障碍者、病者を含め、すべての人間の個人の尊厳を守るという価値観は共有していないのだろうか。個人の尊厳を冒とくした輩を野放しにしたことを恥じないのだろうか。

Nobuyo Yagi 八木啓代

重度を含め、身障者に優しくできない社会や精神が、どのような殺伐・荒廃したものであるか。いや、誰だって、事故や病気でいつ重度身障者になるかもしれないというのに、その想像力の貧困が悲しすぎる。

元々岡田猫

差別反対どころか、重度障害の人たちの施設を訪問して「こんな人達に人格なんてあるのか」と放言した男が、平然と都知事を続けられる国だからなあ。

あべともこ(衆議院議員・小児科医)

福祉施設での大量無差別殺害事件に、怒りと政治の不作為、そして根深い障害者差別をみる。保育、介護、福祉の人材不足、不十分な待遇、そして何より教育の不在がケアの質を低下させ、高齢者施設や精神病院でも殺人事件がおきていたのに、政治はずっと放置。地域の受け皿のない精神医療で病者は孤立」

植松聖の、「障害者がいなくなればいい」「障害者は死んだ方が家族が楽になる」には、世相の背景がある。これまで安倍政権の閣僚から、次々と社会的弱者切り捨て、弱肉強食、優生学の思想が語られてきた。それに対して御用メディアが押し黙り、批判してこなかった。それがこのような異様な事件を生んだのである。安倍政権と御用メディアに責任がある。

この手紙を読むと、植松聖は、大島理森に対して「想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております」と親近感をもっていることがわかる。

これからあなたたちに代わって自分が正義を決行する。だからなにぶんよろしく、といった気持ちなのだ。

犯行後に護送車のなかの植松聖は笑っていた。むしろ正義を行ったという気持ちが態度に横溢していた。

植松聖が衆議院議長公邸で大島理森に渡した手紙を読んでみよう。

(1枚目)

「衆議院議長大島理森様

この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。

私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。

私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

フリーメイソンからなる※※※※が作られた※※※※※※※※を勉強させて頂きました。戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。

今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。

私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。
衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します」(大島理森に渡した手紙


「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」という書き出しから始まるのだが、一読してわかるのは殺害者の幼稚さである。犯行への一片のためらいも罪悪感もない。植松聖は正義を遂行する側にあり、障害者を見下している。

「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」といったものは、現在の日本の多くの職場で見られるものだ。この施設は植松聖を雇った時点で、死に神を導き入れたのと同じだった。こういった社会的弱者を預かる施設は、採用試験の中身を変えねばならない。

知識や偏差値重視の採用試験、そして選挙システムの制度疲労が、日本の閉塞状況を生んでいる。上に行くほどバカが出てくる構造を抜本的に変えねば、19人の殺害予告を、わざわざ衆議院議長の公邸に持参し、しかもそれを防止できなかったという現実は、さらに進捗するだろう。

恐ろしいのは「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過して」いて、生きていても意味がないのだから殺すという情念である。「障害者は不幸を作ることしかできません」とは何と薄っぺらで思い上がった考えであろうか。

「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」という弱者切り捨ては、まさしく弱肉強食、優勝劣敗、優生学の思想である。これこそ安倍政権のコアにある思想であり、植松聖は病める政権が生んだ若者だった。


・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


曽野綾子や石原慎太郎がセレブで知識人として君臨できる「畜生の国」です。

こういう畜生が出てきても自然な話です。


東京都都知事が「ヘイトスピーチ」を平気でする。障碍者差別を平然とする。

てことですから、都知事は東京の顔だそうで、東京って糞みたいな町で、早く逃げましょう。

リテラ より

上記文抜粋
・・・・・・・
「障がい者を殺せば税金が浮く」植松容疑者の狂気は自民党政権の障がい者切り捨て、新自由主主義政策と地続きだ


神奈川県相模原市の障がい者福祉施設「津久井やまゆり園」での 大量殺傷事件をめぐっては、容疑者の犯行予告を把握しながら事件を防げなかった警察の不手際ではないかという声のほか、措置入院を解除した指定医と自治体に判断ミスはなかったのか、そもそも植松聖容疑者に責任能力はあるのかなど、さまざまな指摘がなされている。
 だが、今回の事件では、特異なひとりの人物の狂気ということだけでは語れない問題がある。それは、植松容疑者に、障がい者をターゲットにすることの正当性を与えた思想だ。
 植松容疑者は通っていた理容室の店員に「(障がい者)ひとりにつき税金がこれだけ使われている」「何人殺せばいくら税金が浮く」というようなことを語っていたことがわかっている。
「身障者のせいで税金が」かかる──。これは、実は小泉政権から始まり、安倍政権でエスカレートした新自由主義的身障者政策と完全にシンクロするものだ。
 そもそも以前は、サービスを利用した場合の費用負担は障がい者の支払い能力に応じた「応能負担」だった。ところが、2005年、小泉政権下で障害者自立支援法が成立すると、サービスにかかる費用の1割を当事者が負担する「応益負担」となった。そのため、障がいをもつ人やその家族は急激な負担増を強いられ、なかにはサービスを受けられなくなるケースもあり、障がい者の尊厳と生存権さえ奪うものだと大きな批判を受けた。
 その後、障害者自立支援法は民主党の野田政権で廃止が閣議決定されたものの、骨格はほぼ同じままに障害者総合支援法へと名称を変更。そして問題は今年5月、この障害者総合支援法を安倍政権がさらに「改悪」させたことだ。法改正では新サービスの提供の一方でグループホームに入所している軽度障がい者が追い出しの対象になる懸念や、批判の強かった65歳になった障がい者には半強制的に自己負担が発生する介護保険に移行させられる制度がそのままになるなど、給付の削減を押し進めるものとなった。
 他方、障がい者施設のほうは、こうした支援法のもとで競争原理や営利主義に走らざるを得ず、入所する障がい者に早期退所を迫るなど“間違った福祉”への傾向を強めた。同時に、補助金や支援金が削られるなどの減収によって厳しい施設運営を強いられ、現場のヘルパーの報酬も大幅に引き下げられた。そのため慢性的な人手不足に陥ったり、財政難で人員がギリギリといった施設は増加。しかも、安倍政権は昨年4月、介護報酬を9年ぶりに引き下げた。その結果、人手不足に拍車がかかり、介護事業所の倒産が相次いだ。職員はどんどんと過酷な労働環境へと追い込まれていったのだ。

当然、職員の賃金はまったく上がらない。2014年には全国平均で介護職員の給料は常勤で21万9700円であり、全産業平均の32万9600円より11万円も低い。今回、事件が起きた「津久井やまゆり園」でも、ハローワークのパート募集情報によると、入所者の生活支援員の時給は夜勤でも905円。これは神奈川県の最低賃金と同じ金額だ。
 厳しい労働環境にくわえて、働いても働いても給与が上がらない現実──。知的障がい者施設では、職員や介護ヘルパーによる障がい者への虐待、暴行が相次いでいるが、こうしたストレスのはけ口になっている部分はあるだろう。
 人手不足による劣悪な労働と、労働にまったく見合わない給料。そうして生まれた過度なストレスが罪のない入所者にぶつけられる──。このような問題を防ぐためには、介護職の労働問題をすみやかに是正するべきだが、しかし、今回の植松容疑者には、もっと深いゆがみが見え隠れする。
 それは、植松容疑者の場合、自分の置かれた劣悪な労働環境を生み出した側の論理に憑依し、自分の狂気を正当化していったきらいがあるからだ。
 前述した「(障がい者)ひとりにつき税金がこれだけ使われている」「何人殺せばいくら税金が浮く」といった植松容疑者の発想は明らかに、この十数年にわたる政治家たちの発言から影響を受けたものだ。
 現に、石原慎太郎元東京都知事は、1999年に障がい者施設を訪れ、「ああいう人ってのは人格があるのかね」「絶対よくならない、自分が誰だか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」と、到底、都知事とは思えない暴言を吐いている。
 また、慎太郎の息子である石原伸晃・経済再生担当相は、12年9月に出演した『報道ステーション』(テレビ朝日)で社会保障費削減について問われた際、生活保護をネット上の蔑称である「ナマポ」という言葉で表現し、社会保障費の話の最中に“私なら延命治療などせずに尊厳死を選択する”という趣旨の発言を行った。さらに、麻生太郎元首相は今年6月、老後を心配する高齢者について「いつまで生きているつもりだよ」と発言している。
 これらの政治家たちは一様に、障がい者、生活保護受給者、高齢者といった社会福祉の当然の対象である弱者を差別的な視点から俎上に載せた上で、“生きる価値がない”と烙印を押しているに等しい。そして、彼らの共通点は、公的な責任を個人の責任へと転嫁する「自己責任論」を振りかざし、人の価値をコストで推し量る新自由主義を信奉していることだ。


 社会福祉は人の命にかかわる問題であり、本来はひとりひとりが生きやすい世の中をつくることが政府や行政には求められる。しかし、弱肉強食が基本となる新自由主義政策の前では、そうした社会保障にかかる費用も「個人の責任」にすり替えられる。事実、安倍首相が信奉し、新自由主義に基づく政治を断行したイギリスのサッチャー元首相は「福祉国家の縮小」を掲げて社会保障費を削減、経済格差を拡大させた。安倍首相が目指すのも同じかたちの社会だ。
 そして、市場原理優先の新自由主義の考え方は、障がい者をコストのかかる存在と見なす優生思想が深く結び付き、社会に広く共有されるようになってしまった。障がいをもった子はコストがかかるから産まないほうがいい──そう考える人が現在、圧倒的であるという事実は、新型出生前診断で“異常”が判明したときに約96パーセントの人が中絶を選択しているというデータが指し示しているだろう。
 自身も障がいをもっているという学者・野崎泰伸氏は、著書『「共倒れ」社会を超えて 生の無条件の肯定へ!』(筑摩書房)のなかで、〈より多くのコストをかけて育てなければいけない生は、資源を無駄遣いする劣った生であると捉えられている〉という現実を指摘し、命を選別したり、障がい者に生きる苦労を強いて〈かわいそうな存在〉にしてしまう社会の構造そのものに疑問を投げかける。さらに、その社会のあり方に踏み込むかたちで、〈現安倍政権は、異質な人間を排除し、同質な人間をのみ成員とする社会を作ろうとしているように思えてなりません〉と言及している。
〈この社会において私たちは、「生そのもの」を一般化・抽象化していく圧倒的な権力に巻きこまれています。しかも、その状況は、「どうせこの社会は、すぐには変わらない」「そんなことをしても仕方ない」と口にしてしまいたくなるほど、深刻なところまできています。福島第一原発が起きても原発がなくならないのは「仕方ない」、ヘイトスピーチがあるのは「仕方がない」、この社会の役に立たない人間に社会保障なんて必要ないし、死んでいったとしても「仕方がない」……。こうした風潮が、「生そのもの」を一般化・抽象化し、私たちに「犠牲」を強いたり、自ら率先して「犠牲」を受け入れるよう仕向けたりするのです〉(前掲書より)
 役に立たない人間は死んでも仕方がない。こうした弱者排除の思想によって得をする人間は、一部の支配層だけだ。だが、そうした「強者」の論理を、ほんとうはその社会システムのなかで「弱者」という同じ境遇に立たされている植松容疑者のような人間が、なぜか熱烈に支持をする。それは新自由主義者たちが社会保障をことさらに「特権」などという言葉を用いて、“もっと楽をし、得をして生きている人間がいる”と強調してきたからだろう。前述したように障がい者に対して、石原慎太郎などは生きる価値さえ認めようとはしていないのだ。
 今回の相模原市における事件は「狂気の犯行」と呼ぶべきものだが、障がい者を「金がかかる存在」として狂気の矛先を向けた事実は、けっして無視することはできない。この狂気は、新自由主義と排他主義のなれの果て。そう捉えることもできるからだ。
 そして、この国ではすでに、平然と弱者排除を口にする政治家たちが幅をきかせ、それにより「障がい者は金がかかる」という“狂気的な”価値観が広がっていることを、看過してはいけない。
(編集部)


・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり

つながっているこころ 2  より


上記文抜粋
・・・・・・
「この事件は日本の中枢、現政権の方向でもある。」の続きです。


朝刊を読み、相模原市の障害者殺傷事件について
昨日より詳しい内容がわかったので再度書きます。

午前2時頃、施設に侵入
(広い施設を移動しながら、次ぐ次と入所者を刺す)
2時45分ごろ、施設職員から「刃物を持った男が施設に来ている」と100番通報
2時50分にツイッター投稿。目を整形したようにみえる容疑者の写真と(美しい日本)の言葉。
(安倍首相の、「美しい国、日本」 』を想起)
3時過ぎ、津久井署に出頭

施設には東棟と西棟があり、それぞれ1階と2階の計4フロアがある。
各フロアには20人用の寮が2つずつあり、計160人収容可能

東棟1階の東端から2つ目の個室から侵入し、東棟1階で入所者を襲う
次に、渡り廊下を抜けて西棟1階へ移動、
西端の階段で2階へ上がり、再び渡り廊下を渡って、管理棟2階にある玄関から出た。

2つの寮の間には職員室があり、各寮は職員室へつながる扉と
反対側の扉の2か所に電気錠が設置され、
夜間は鍵をかけているが、ここも通り抜けている。

職員を縛りカギを奪ったようだけど、そうなら更に時間がかかる。

死亡した19人は東棟1階が10人、西棟1階が2人、西棟2階が7人

容疑者は1時間後に車で出頭、
車の座席には結束バンドが複数あり、
捜査本部は職員を縛ったとみている。

この写真をみてもわかるように施設は大きい。

昨夜は、50分で45人を殺傷なんてプロのすることだと書いたけれど
今日の新聞を読んで、プロでも1人ではできないと思う。
プロによるチームの犯行かも。

2月に施設関係者に障害者を殺す発言をしたため津久井署が事情聴衆、
この時「日本国の指示があればいつでも実行する」と述べた。

この”日本国の指示があれば”に凄く引っかかります。

//////////

Osamu Tomori

戦後最悪か…。戦前の日本怖いな。

いや、やっぱり戦前のは共同体的なもので、戦後のは政治的意味づけできるだけ、やはり怖い。

それにしても戦前というかすでに 戦中の1938というのは日本にあらゆる場面で暴力が満ち満ちているときだった。


nos ‏@unspiritualized

障害者施設を襲った容疑者の手紙にある、国家のため、マジョリティーのためならば弱者の人権や生は踏みにじっていい、それが「平和」だ、という思想。沖縄は、実際にこれとよく似た思想が駆動する力にさらされ続けている。容疑者は、安倍総理ならば自分の思想を理解してくれると考えた。宜なるかな。


gallery ‏@gallerytondemo

相模原事件、世が世なら犯人は国を憂いて行動した国士として祀り上げられ、助命嘆願運動くらい起きていたかも、などと考える。もっとも、未来がそうならないという保障もないけど。


松浦晋也

先天性の障害者とは「あり得たかも知れない自分」で、後天的な障害者は「あり得るかも知れない自分」だ。彼らの生きやすい社会を作るとことは、自分が生きやすい社会を作ることに他ならない。きれいごとと思えるかも知れないが、他の道はない。排斥と抹殺は、自分を排斥・抹殺することに他ならない。


Kazuo Uozumi ‏@forthman

相模原のような凶行が起こると、メディアは一斉に批判をはじめるけれど、あの犯人の極端な考え方と、石原慎太郎氏の「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」や、麻生太郎氏の「いつまで生きているつもりなんだ」といった発言は通底しているんじゃないでしょうか。





・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

>相模原のような凶行が起こると、メディアは一斉に批判をはじめるけれど、あの犯人の極端な考え方と、石原慎太郎氏の「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」や、麻生太郎氏の「いつまで生きているつもりなんだ」といった発言は通底しているんじゃないでしょうか。


その通り!!!


同じく より

上記文抜粋
・・・・・・・・
③ますます謎が深まる相模原障害者殺傷事件


今朝の新聞には、容疑者は職員5人を結束バンドで縛ったとあります。相手が複数ならわかるけど、一人なら闘えるどころか、容疑者を取り押さえることができます。どう考えても変です。

西棟の職員は「近くの手すりに指や手を結びつけられていた」と説明。これも変です。

しかも縛った職員に、複数の障害がある重症障害者の居場所を尋ねていたとあります。時間的に考えるとそれもあり得ません。

これほどひどい事件なのに、政府から何らコメントがないとは、信じられない。更に怪しい。


①この事件は日本の中枢、現政権の方向でもある。
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-16072.html

②「この事件は日本の中枢、現政権の方向でもある。」の続きです。
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-16074.html

//////////

こちらの全文は黒く塗りつぶした以外はしっかりみれますね。だけど全文は10ページほどあるという話もあります。

モーリー・ロバートソン

こちらに全文書き起こしがあります> 植松容疑者の衆議院議長公邸宛て手紙の全文 障害者抹殺作戦を犯行予告 - ニュース速報Japan
http://breaking-news.jp/2016/07/26/026100

容疑者の手紙の文面を「支離滅裂」で片付けるのか、それともそこに一定のロジックや「流れ」を読み取るのかは、見る人の視点や先入観によって変わります。また、世界中で多発・頻発している大量殺人事件やテロに刺激を受けているのか、自己顕示が目的に含まれるかも検証の範疇となります。


nos

障害者施設を襲った容疑者の手紙にある、国家のため、マジョリティーのためならば弱者の人権や生は踏みにじっていい、それが「平和」だ、という思想。沖縄は、実際にこれとよく似た思想が駆動する力にさらされ続けている。容疑者は、安倍総理ならば自分の思想を理解してくれると考えた。宜なるかな。


kazukazu88 ‏

イギリスの論客のオーウェン・ジョーンズも相模原の事件に触れて、これは障害者の人々へのヘイトクライムであり、より大きな怒りと注目が向けられるべき事件であると述べている。
https://twitter.com/OwenJones84/status/758005058466349056

極右思想の持ち主による政治的テロという見方もできなくない。そういう人間が衆議院議長に犯行計画を直訴した事実も重い。

.@neon_shuffle @lkj777 @Walking1Ted 日本で国のためと名乗る愚か者が実際に障害者の無差別殺人を行った今、政治的立場の違いを超えて、社会的弱者の暴力はヘイトスピーチも含めて許されないとはっきりと明示されるべきときだと思うのですが、違うのですか?


高文研

相模原の事件で真っ先に思い出したのが、この石原慎太郎の発言だった(朝日新聞1999年9月18日付)。石原都知事の反論はこちら→http://bit.ly/2awZxnU (都議会本会議1999年9月21日議事録)

CoabxWHVIAAZjDb.jpg



車いすのおじさんに本気で喧嘩を売る市民団体の人達
https://www.youtube.com/watch?v=wTUWJQrPuHc&feature=youtu.be

//////////

奇兵隊さんからです。
日本の「象徴」による政治の方向性

この事件は秋葉原の殺傷事件と同様に、組織的な複数犯による犯行です。
秋葉原では犯人が馬乗りになって被害者を刺していたそうですが、マスコミは伝えません。
林真須美の毒カレー事件も別人の容疑者の目撃証言があるそうですが、スルーされてます。

犯行は普通の日本人ではありませんよ。
マスコミの口を封じることの出来る権力による犯罪です。
安倍晋三は政治アクターの一人に過ぎませんが、彼の方向性はこの国の支配層の方向性でしょう。

| 奇兵隊 | 2016/07/28 20:36 | URL | ≫ EDIT


・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


銀英伝でヤン・ウェンリーが

「勝つことばかり考えると、際限なく卑しくなる」

とぼやいている。



儲ける・勝つ・ばかり考えて、際限なく卑しくなったヤマト=田布施朝廷横田幕府。



卑しく・下衆ばかりが、東京にいて、権力を握り、心中をしている。



お読みくださりありがとうございます。






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