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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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国際秘密力研究 より

上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:「支配と争い」「止揚」という弁証法的論理を批判し、それとは全く異なる、古今を一貫する東洋的「道理」を探求する。


〇「対立から統合へ」という弁証法的論理は争いと支配の論理である。弁証法的論理が平和を乱す。ワンワールド化しようとする事自体が平和を乱している。最初から支配しよう、統一しようと思わなければ自ずと平和である。結局「統一」志向とは支配欲の表れである。欲心を修辞的に飾っているに過ぎない。

〇「最初から」「自ずから」という所が大事である。不易流行と言うように時代により具体的な現象や物事の形式は変わるが、そこに自ずと表れる道理はそうそう変わるものではない。「貪欲が乱の元凶」という道理も然り。平和の為には弁証法的止揚など全く必要ない。古今を貫道する道理に則ればそれでよし。

〇道理や事実に則る事を中道と呼ぶ。これは古今の思想家で内容は異なる。例えば孔孟は仁や義と言うだろうし、仏陀は無常・離貪・慈悲等と言うだろう。だが、これらは弁証法的止揚で達するのではなく古今を一貫する道と捉えられた点では同じ。石屋の手先は中道と弁証法の区別も出来ないタワケ者である。

〇国史上の具体例で中道と弁証法の違いを考察。俳諧の歴史は江戸初期の松永貞徳の貞門、その後に西山宗因を祖とする上方の談林派が出た。松尾芭蕉は京都で貞門の北村季吟に学んだが、江戸に行き談林派の感化を受け談林派の俳人として世に出た。だが、最終的にどちらも超克し独自の蕉風(正風)を作った。

〇これは貞門と談林を止揚する「弁証法」ではない。芭蕉なりに国史上で古今に一貫すると見た「風雅の道(ものの哀れ、侘び寂び等)」に連なったという意識であろう。仏教でも「法」は一貫するとされ、儒学でも「道統」という意識がある。「止揚」という弁証法の論理とは違う東洋の一貫する「道」の論理。

〇両建との関連で考える。例えば「A対B」という両建があるとする。弁証法戦略だとA対Bの対立構造を「止揚」してCという結論に誘導する。一方、中道の論理で両建を破る場合は道理と事実に則りA対Bの両建もCという誘導目標も端的に打破る。道理は道理、事実は事実。端的にそこにある。「止揚」などしない。

〇物事の道理は抽象的なものではなく、必ず具体的な現象や形式として表れる。ここが東洋的な道理観の特徴である。西欧では抽象的な実体と捉えられるが、東洋では現象に即した「道」として把握される。例えば仏教で言う「無常」という道理は「五蘊」などと呼ばれる具体的な個別現象を離れたものではない。

〇平和に関する古今に一貫する道理の例を挙げるならばダンマパダ「5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」を思い出す。平和は弁証法的論理で到達するものではなく端的な道理に即する事で実現する。

〇「物事の道理は抽象的なものではなく、必ず具体的な現象や形式として表れる」とか「現象に即した「道」」という事を「東洋的な道理観の特徴」と書いたが、日本の古典文学の有名な文章を具体例としてこの事について説明してみようと思う。
「物事の道理は抽象的なものではなく、必ず具体的な現象や形式として表れる。ここが東洋的な道理観の特徴である。西欧では抽象的な実体と捉えられるが、東洋では現象に即した「道」として把握される。例えば仏教で言う「無常」という道理は「五蘊」などと呼ばれる具体的な個別現象を離れたものではない。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/1154465131041939456

〇平家物語の冒頭「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。」。ここでは「祗園精舎の鐘の声」「娑羅双樹の花の色」という具体的な現象に即して「諸行無常」「盛者必衰の理」という道理が示されている。この物語全体が歴史を題材に無常の理を示している。

〇これまた有名な鴨長明の方丈記の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」もしかり。「ゆく河の流れは絶えない」という道理を「もとの水にあらず」と「水」という変化する個別現象に即して述べている。個別現象としての水は変わるが、「流れは絶えない」という道理は一貫すると。

〇また「もとの水にあらず」だけでも「無常」という道理と「常に変わっている河の水」という変化する個別現象を同時に示していると言えよう。このように東洋的な道理観では変化する個別現象に即して不変の道理を示す。自然や人事、歴史を題材に無常観を示す我が国の中世文学は好個の具体例と言えよう。

〇「愚管抄」を著した慈円は「道理」を時代によって変化するものと捉えた。「無常」という道理はそこに現象ある限り「不変」と言えるが、慈円は古代の律令制、中世の荘園制、武家の幕府政治など歴史の変遷を「道理の変化」として解釈した。これは「道理」を具体的な歴史に即して理解する態度だと言える。

〇「無常」等は個別現象の最も一般的な道理と言えるが、慈円が言う道理とは時代を既定する「構造」を指していると解釈出来る。時代は変遷すると言ってもある程度の恒常性を以て一定の期間同じような政治や社会の構造が継続する(摂関政治や幕府政治等)。慈円はその根底に「道理の変化」を見ようとした。

〇「愚管抄」の著者である慈円の道理観も例に挙げたのは、これもまた具体的な個別現象に即して道理を考察した東洋的道理観の具体例の一つと考えるからである。ここでの個別現象とは日本の歴史である。天台座主だった慈円は当時の最高級の教養を傾けて歴史という個別現象に即して道理を考察した訳である。

https://twitter.com/kikuchi_8/status/1154449626784649222


(了)



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抜粋終わり






お読みくださりありがとうございます。
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果たして私は出来ているのかと思うこと
  • from ナオト :
  • 2019/08/18 (23:19) :
  • Edit :
  • Res
「私の偏見ですけど
宗教色の強い地域って
飢えが加速するような気がするんですよね


宗教って夢みたいなものだから
幻想を維持するには膨大なエネルギー
想念量が必要だと想うのです


宗教なんて生まれては消え
個人が俺が神と言い出して
それに付いて行く人がいなかったら
いつまで経っても新興宗教
カルトなまま

石投げられて終わりですよ


それが大衆を巻き込んで巨大勢力化して
尚且つ衰退しないよう続けるには
相当それに注ぐ必要がある


信者が離れたら終わりだから
そのために人をコントロールする
厳しい戒律やルールがあえて必要になってくる
犠牲者を生み天国へと送り届け
見えない世界からバックアップさせる


人員確保のための
そのための戦争であり
そのための生贄  犠牲なんだと想う


すべては一神教を続けるため



人類が宗教に注いでいるエネルギー量が
人類に飢餓を招いている




調和したエネルギーは倍増するから
「精霊」とのコンタクト
シャーマニズムで生まれた幻想なら
この世界に膨大な富をもたらすはずなのです


争いを生むということは
エネルギーが枯渇しているということ
それはその宗教の存続の危機

負債ばかりで利益を生まない会社を
ずっと続けているようなもので
ねずみ講のようなビジネスモデルで
信者を増やし続けないと
潰れてしまうほどエネルギー不足



初めは精霊との繋がりで得られた宗教観も
やがて効率よくエネルギーを集める
集金装置になってしまう
精霊など見たこともないそのフォロワーたちによって」
http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?mode=m&no=1064
から引用

「夢や願望がないほど眼力が生まれる
夢破れて年を重ねるほどに眼力がつくように



でも人を結びつけるのも幻想の力
甘美な夢の力


宇宙は想念の粒が生む  夢から出来ている
だって宇宙こそが巨大な集合無意識なのだから

誰かが見る夢が宇宙を押し広げている
夢が生命を生んでいる」
http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?mode=m&no=950
から引用

「ふと他人のエネルギーを吸ってなんとも想わないヴァンパイアは
人類の負債なんだと想った

ずっと人類は借金を抱えている感じ

ヴァンパイアが自分たちの好き放題やるために
地球に対して宇宙に対して私たちはどんどん負債を抱えている

地球や宇宙が無尽蔵にエネルギーを与えてくれるとしても
やっぱりそれなりに「借り」があるわけで

それは私たちがよりエネルギーを生み出す使い方をすることで
やったことがかえって  宇宙や地球にお返ししている

無尽蔵に与えてくれる宇宙や地球から借りたエネルギーを
喰い散らかして搾取してマイナスになるような使い方をしていれば
私たちは宇宙にどんどん借金をして負債を膨らまし続けている

宇宙に無限のエネルギーがあるのは
互いにエネルギーを増やして返しているからで
そうやって互いの作用で増幅しているから
宇宙は無限にエネルギーを生み出して
生命に溢れた空間をどんどん広げて行けるの

無限にあるからといって破壊するために利用していたらどうなるか



そうなるとね
やっぱりやったことはかえってくる
今度は宇宙から破壊エネルギーがやって来ることになるのですよ
だって人間が宇宙から与えられたエネルギーを破壊し続けていたら
せっかくもらったエネルギーを破壊してお返ししているわけで
今度はこちらが破壊されるようなエネルギーが
降ってくることになる


だってね  そうしないと今度は宇宙が搾取されてしまうよね
悪がはびこり放題になってしまうよね
破壊する者には破壊のエネルギーを返す
そうやってバランスを取っているから
宇宙はいつまでも枯れないでいるのでは」
http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?mode=m&no=937
から引用

 夢の用途を調和にしていること。果たして私はそれが出来ているのかと思ってしまいます。私の夢の用途が調和である確信がないです。
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