故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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とまべっちーの考え事 より
上記文抜粋
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「ポピュリズムとは何か」(水島治郎)
まず、ポピュリズムには大きく2通りの定義がある。
(1)指導者が大衆に直接訴える政治
(2)「人民」の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動
左か右かというより、下からの政治運動ということもできる。その特徴を列挙すると、
①主流の民族集団を優先し、マイノリティや移民を排斥したがる
②エリート批判
③カリスマ的リーダー
④イデオロギーが流動的。とにかくエリートの逆張りをする。
ポピュリズムは非民主的だと批判されることもある。実際、南米のポピュリスト政権が独裁化した事例もある。しかし、ヨーロッパのポピュリズムはむしろデモクラシーに則って運動する(ようになってきた)。ポピュリズムは「本質的に」民主的であるという見解もある。ポピュリズムはデモクラシーの一面を支持するが、別の面を軽視する傾向がある。ここでデモクラシーを支える2つの原理について見ておく。
近代デモクラシーには2つの解釈があり、それらは相容れない緊張関係にある。
(ⅰ)立憲主義的解釈
法の支配、個人的自由の尊重、議会制などを通じた権力抑制を重視する立場。「自由主義」(リベラル)的。
(ⅱ)ポピュリズム的解釈
人民の意思の実現を重視する。統治者と被治者の一致、直接民主主義の導入など。「民主主義」を前面に出す立場。
ポピュリズムがデモクラシーにもたらす貢献は何か。
①政治から排除されてきた周縁的な集団の政治参加を促進する。(サイレント・マジョリティなど)
②「人民」という新たな社会的なまとまりを作り出す効果がある。
③「政治」そのものの復権を促す。重要な課題を経済や司法に委ねるのではなく、政治の場に引き出す。
このような効果によってデモクラシーの実現に寄与したり、すでにあるデモクラシーをさらに民主化することができる。
ではポピュリズムがデモクラシーを阻害するのはどういう面においてか。
①「人民」の意思を重視する一方、権力分立、抑制と均衡といった立憲主義の原則を軽視する傾向がある。
②弱者やマイノリティの権利が無視されやすい。
③敵と味方を峻別する発想が強いため、政治的な対立や紛争が急進化する危険がある。ポピュリズム対アンチ・ポピュリズムといった新たな亀裂が生まれたりして、妥協や合意が困難になるおそれがある。
④投票を過剰に重視するあまり、政党や議会、司法機関などの権限を制約し、「良き統治」を妨げる危険がある。
ポピュリズムの功罪は上の通りだが、功罪のうちどちらの側面がより強く現れるかは、その国の状況によってある程度わかる。まずヨーロッパのように安定したデモクラシーがすでにある国にとっては、ポピュリズムがデモクラシーを促進させる効果が期待できる。しかし南米のように寡頭制だった国でポピュリズム政権が誕生すると、立憲主義を否定して権威主義的統治を断行し、デモクラシーが損なわれる危険が大きい。
さて、日本はデモクラシーが定着した国といえるのかどうか。ヨーロッパほどではないだろうが、南米よりは民主国家だろう。日本という国の現状をどのように見るかによっても、ポピュリズムに対する評価は変わってきそうだ。ポピュリズムの徴候を厳しく批判する東浩紀などは、日本の民度が相当低いと思っているから危険視しているのだろう。もちろん国民はそこまでバカではないという見方もあるだろう。
私の個人的な印象としては、「立憲主義」という原則にどれほどの価値があるのか良く分からない。三権分立が制度的に担保されているとはいえ、どうもそれはグダグダであり、ただのタテマエになってしまっているように見える。かつては行政が強すぎたし、最近は内閣が強すぎる。立憲主義は制度を重視するというが、日本人は制度を重視するような国民性なのだろうか?という疑問もある。ガチガチの契約社会であればもっと立憲主義に価値が置かれるのだろうが、どうも感覚的に私にはよく分からない。この立憲主義という価値観が共有されなければ官僚や司法はリスペクトされないので、エリート批判はやすやすと受け入れられていくだろう。
とにかくポピュリズムとはエリート批判である。大企業やグローバルビジネスマンなどの経済エリートも尊敬されておらず、政治家や官僚、知識人などの文化的エリートも尊敬されていない。だからポピュリズムが支持される。エリート階層はこの事実を受け止めなければならない。エリートがポピュリズムを馬鹿にすれば、「だったらお前エリートらしい仕事をしてみろよ」と思われて上下の分断が深まるばかりだろう。
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抜粋終わり
>私の個人的な印象としては、「立憲主義」という原則にどれほどの価値があるのか良く分からない。三権分立が制度的に担保されているとはいえ、どうもそれはグダグダであり、ただのタテマエになってしまっているように見える。
>この立憲主義という価値観が共有されなければ官僚や司法はリスペクトされないので、エリート批判はやすやすと受け入れられていくだろう。
>エリートがポピュリズムを馬鹿にすれば、「だったらお前エリートらしい仕事をしてみろよ」と思われて上下の分断が深まるばかりだろう。
日本は松川事件・三鷹事件等、怪しい権力事件があり、さらにそれがドンドン継続している。
冤罪は是正せず、悪事は謝らない。
法など、国民だけに適応で、上級国民は、裁判や司法でも優遇。
となると、エリートが、法を屁のように思ってるのが確かである。
ので、エリートが、馬鹿にされるのは必然。
なので、与党が、「天皇を元首」にってしたがるのは、「自分たちは法を守らない」てことだ。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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「ポピュリズムとは何か」(水島治郎)
まず、ポピュリズムには大きく2通りの定義がある。
(1)指導者が大衆に直接訴える政治
(2)「人民」の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動
左か右かというより、下からの政治運動ということもできる。その特徴を列挙すると、
①主流の民族集団を優先し、マイノリティや移民を排斥したがる
②エリート批判
③カリスマ的リーダー
④イデオロギーが流動的。とにかくエリートの逆張りをする。
ポピュリズムは非民主的だと批判されることもある。実際、南米のポピュリスト政権が独裁化した事例もある。しかし、ヨーロッパのポピュリズムはむしろデモクラシーに則って運動する(ようになってきた)。ポピュリズムは「本質的に」民主的であるという見解もある。ポピュリズムはデモクラシーの一面を支持するが、別の面を軽視する傾向がある。ここでデモクラシーを支える2つの原理について見ておく。
近代デモクラシーには2つの解釈があり、それらは相容れない緊張関係にある。
(ⅰ)立憲主義的解釈
法の支配、個人的自由の尊重、議会制などを通じた権力抑制を重視する立場。「自由主義」(リベラル)的。
(ⅱ)ポピュリズム的解釈
人民の意思の実現を重視する。統治者と被治者の一致、直接民主主義の導入など。「民主主義」を前面に出す立場。
ポピュリズムがデモクラシーにもたらす貢献は何か。
①政治から排除されてきた周縁的な集団の政治参加を促進する。(サイレント・マジョリティなど)
②「人民」という新たな社会的なまとまりを作り出す効果がある。
③「政治」そのものの復権を促す。重要な課題を経済や司法に委ねるのではなく、政治の場に引き出す。
このような効果によってデモクラシーの実現に寄与したり、すでにあるデモクラシーをさらに民主化することができる。
ではポピュリズムがデモクラシーを阻害するのはどういう面においてか。
①「人民」の意思を重視する一方、権力分立、抑制と均衡といった立憲主義の原則を軽視する傾向がある。
②弱者やマイノリティの権利が無視されやすい。
③敵と味方を峻別する発想が強いため、政治的な対立や紛争が急進化する危険がある。ポピュリズム対アンチ・ポピュリズムといった新たな亀裂が生まれたりして、妥協や合意が困難になるおそれがある。
④投票を過剰に重視するあまり、政党や議会、司法機関などの権限を制約し、「良き統治」を妨げる危険がある。
ポピュリズムの功罪は上の通りだが、功罪のうちどちらの側面がより強く現れるかは、その国の状況によってある程度わかる。まずヨーロッパのように安定したデモクラシーがすでにある国にとっては、ポピュリズムがデモクラシーを促進させる効果が期待できる。しかし南米のように寡頭制だった国でポピュリズム政権が誕生すると、立憲主義を否定して権威主義的統治を断行し、デモクラシーが損なわれる危険が大きい。
さて、日本はデモクラシーが定着した国といえるのかどうか。ヨーロッパほどではないだろうが、南米よりは民主国家だろう。日本という国の現状をどのように見るかによっても、ポピュリズムに対する評価は変わってきそうだ。ポピュリズムの徴候を厳しく批判する東浩紀などは、日本の民度が相当低いと思っているから危険視しているのだろう。もちろん国民はそこまでバカではないという見方もあるだろう。
私の個人的な印象としては、「立憲主義」という原則にどれほどの価値があるのか良く分からない。三権分立が制度的に担保されているとはいえ、どうもそれはグダグダであり、ただのタテマエになってしまっているように見える。かつては行政が強すぎたし、最近は内閣が強すぎる。立憲主義は制度を重視するというが、日本人は制度を重視するような国民性なのだろうか?という疑問もある。ガチガチの契約社会であればもっと立憲主義に価値が置かれるのだろうが、どうも感覚的に私にはよく分からない。この立憲主義という価値観が共有されなければ官僚や司法はリスペクトされないので、エリート批判はやすやすと受け入れられていくだろう。
とにかくポピュリズムとはエリート批判である。大企業やグローバルビジネスマンなどの経済エリートも尊敬されておらず、政治家や官僚、知識人などの文化的エリートも尊敬されていない。だからポピュリズムが支持される。エリート階層はこの事実を受け止めなければならない。エリートがポピュリズムを馬鹿にすれば、「だったらお前エリートらしい仕事をしてみろよ」と思われて上下の分断が深まるばかりだろう。
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抜粋終わり
>私の個人的な印象としては、「立憲主義」という原則にどれほどの価値があるのか良く分からない。三権分立が制度的に担保されているとはいえ、どうもそれはグダグダであり、ただのタテマエになってしまっているように見える。
>この立憲主義という価値観が共有されなければ官僚や司法はリスペクトされないので、エリート批判はやすやすと受け入れられていくだろう。
>エリートがポピュリズムを馬鹿にすれば、「だったらお前エリートらしい仕事をしてみろよ」と思われて上下の分断が深まるばかりだろう。
日本は松川事件・三鷹事件等、怪しい権力事件があり、さらにそれがドンドン継続している。
冤罪は是正せず、悪事は謝らない。
法など、国民だけに適応で、上級国民は、裁判や司法でも優遇。
となると、エリートが、法を屁のように思ってるのが確かである。
ので、エリートが、馬鹿にされるのは必然。
なので、与党が、「天皇を元首」にってしたがるのは、「自分たちは法を守らない」てことだ。
お読みくださりありがとうございます。
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アナクロなので、外国に今度は完全支配されるでしょう。中国あたりが天皇を珍品として欲しがっているので、くれてやっても良い。
中国の博物館に天皇が陳列されるのも面白い。
書き込みありがとうございます。