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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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さきほど、理趣経のことを少し書いた。

理趣経 ウイキ

理趣経 解説

ふと思ったが、

「楽しみは、一般的に、人に分けると増える」

「財物は、一般的に、人に分けると減る」

ってこと。

自分だけ楽しみをかき集めても、それは「儚い」という形で、減る。

毎度言うけど

他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ 

「自分を滅して、人のためにする」って悲壮で、深刻で、心は打たれるけど、なぜか近寄りがたく、多くの場合は悲劇的結末を迎えることが多いのか。
っていうと、大楽を目指しながら、「自分」を排除して、それに陶酔する面があるので、それは「清浄=自他の妨げが無い」とは言い得ないからであるのです。

空海著作のウン字義の中に

「大日如来は、「自分って固定した自我が無い」ということで、真の自我を得ているので、さまだけが無いのである」

って趣旨のことが書いてあったと思う。

自分にこだわらず「楽しみを分けまくる」となると、そりゃ楽は無限大に膨張しますよね。

それが「大楽思想」の顕教的一端であると、勝手に思ってます。

人間なので、「自分」というアンテナがないと、他者の楽しみも楽しむ「基盤」がないので、できなくなるので、自分を守るのはそういう意味で大切だが、「後生大事に守って、分け与えない」と楽は、増えずに減少するだけです。

まあ童貞なのでよくわからんけど、性交も自他ともに楽しんでこそらしいけど、それ以上に自他・世界とに楽を増やしまくるってことに思う。
自分だけ楽しむと、それは自慰と同じで、他の楽しみも、現在の我々のありようは、すべて「自慰」的なものに思う。

自分も喜ばないと、性交でも他者は喜ばないようですけど、大楽も、尚そうでしょう。


まあ楽しみを増やして長く楽しむ道を行きましょうか。


お読みくださりありがとうございます。

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