故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
http://fareastcl.exblog.jp/19340637/
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
皇帝を殺す
しばらくぶりに論文を発表した。タイトルは・・・
「皇帝を殺す~中国における至高者を殺害する物語についての予備的研究」
この論文のそもそもの始まりは、10数年前に北京を訪れたさいに、京劇の「閙天」や「盗仙草」の段を初めて観て、秩序転覆的とでもいうべきその大胆なプロットに驚いたことにある
「閙天」は「西遊記」の一部。孫悟空は、一個食べたら何万年も生きられるようになるという桃、しかも千年に一度しかならないというとんでもなく珍重な桃を、食べてはいけないのに、欲のままにさっさとたくさん食べてしまう。それで、天帝が激怒して悟空を成敗しようと神兵たちを差し向けるのだが、悟空は成敗されたりしないでそれと闘って勝ってしまうのである。
「盗仙草」は「白蛇伝」の一部。息絶えた夫を蘇らせるために、蛇の化身である白娘子が天上の貴重な薬草を勝手にむしり取って、成敗しにきた連中と戦って、やはり勝ってしまうという話。
この時はいくつかの劇場を渡り歩いたが、いずれも観光客で賑わう、湖広会館や正乙祠戯楼、あるいは梨園劇場であって、今にして思えば、「閙天」も「盗仙草」もどちらもいかにも外国人にも分かりやすい、ベタで有名な演目である。私の記憶のなかでは白娘子は一方的に勝つのだが、今の私が知るかぎりでは、たいていの「白蛇伝」のこの段では最後には「南極仙翁」が白娘子の深情を汲んで助けてくれるというプロットになっているはずで、今書いたプロットの概略は正確でないかもしれない。
それはともかく、当時の私はこの二つの演目にとくに強い印象をもった。どちらも、この世界のルールを平然と踏みにじって、結局は罰せられもしないし、反省もしない、というありえない展開なのである。命には限りがあり、死んだものは二度と蘇らない、という生き物の根本的な原理でさえ平然と突き抜けてしまっているかのようだ。むろん『西遊記』がとんでもなく型破りな話だということは前から知っていたが、『白蛇伝』の方は、以前に読んでいたものの、その大胆な秩序転覆性に今ひとつ気がついていなかった。しかし、このとき演劇でみて、天上の聖なる薬草を、女性の主人公がまんまと盗んでしまって少しも後ろめたくなさそうなのは、日本の伝統的な物語に親しんできたものにとってはちょっとした衝撃であった。私はそれまで、前近代における民衆向けの物語というのは、なんだかんだいって結局は、世の秩序を乱したりしないものだと思っていたのだ。
そのあと、民話の類をいろいろと読んでみると、閻魔大王をだしぬいたり、ならず者が皇帝になるなど、中国にはどうもかなり秩序転覆的な志向をもった物語が多いことがわかってきた。そして、たまたま読んだ「神筆馬良」というタイトルのお話では、主人公の少年が皇帝を溺死させてしまって、私はそんな不敬な民話がありえるのかとかなり驚いた。あとになってこれは民話ではなくて、洪汛濤という人によって1952年に創作されたものだと知ったが、古くからの民話のなかにも、同じように皇帝を溺死させてしまう「十兄弟」と通称される系統のものがあって、広く伝わっていることがわかった(この「十兄弟」については、君島久子氏の『「王さまと九人の兄弟」の世界』(岩波書店、2009年)という本が詳しくて、とても楽しい)。
調べてみたところ、皇帝を殺してしまう民話は他にもあって、日本にも伝播している、「百鳥衣」系統のものはとくに興味深いことがわかった。私は以前に近世日本における「父殺し」の物語の研究をしたこともあるので、その日中の異同はなかなか面白かった。簡単にいえば、中国では皇帝はあっさりと殺され、日本では、中国の皇帝と同じ役回りの殿様は決して殺されないのである。天皇や将軍はそもそも登場しない。
そんなこんなで、中国における皇帝や王を殺してしまう話を数年かけていろいろと調べてみたのだった。まだもっと調べるべきなのだが、これは期待以上にいろいろな展開が可能なテーマだということがわかってきたし、それに科研費を頂いて研究をしてきたので、その成果を早めに公表するのが義務であるようにも思い、いったん論文としてまとめてみることになった次第である。
論文としての完成度には自信があまりないが、「挑戦的萌芽研究」という科研費の名目にはふさわしい内容かなと自分では思っている。
今後もこの周辺のテーマを探求したいと思っている。
ネット上で読めます。
http://www.kyotogakuen.ac.jp/~o_econ/society/treatises/pdf/23-1-kawata.pdf
どなたでも、ご一読いただき、ご意見を頂ければ幸いです。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
やくざやチンピラが皇帝になれる「血と鉄の民主主義」の中国ですから、「皇帝殺し」など屁のようなものでしょう。
心理学的な言葉で考察すると、儒教であまりに「親子関係・君臣関係」が強いので、そのバランスを取ること。
それと日本をみてもわかるが、あまりに社会・天皇の権威が強すぎるので、「皇帝殺し」があることで、「人間の独立」に結びつく。
なんてことで。
お読みくださりありがとございます。
上記文抜粋
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皇帝を殺す
しばらくぶりに論文を発表した。タイトルは・・・
「皇帝を殺す~中国における至高者を殺害する物語についての予備的研究」
この論文のそもそもの始まりは、10数年前に北京を訪れたさいに、京劇の「閙天」や「盗仙草」の段を初めて観て、秩序転覆的とでもいうべきその大胆なプロットに驚いたことにある
「閙天」は「西遊記」の一部。孫悟空は、一個食べたら何万年も生きられるようになるという桃、しかも千年に一度しかならないというとんでもなく珍重な桃を、食べてはいけないのに、欲のままにさっさとたくさん食べてしまう。それで、天帝が激怒して悟空を成敗しようと神兵たちを差し向けるのだが、悟空は成敗されたりしないでそれと闘って勝ってしまうのである。
「盗仙草」は「白蛇伝」の一部。息絶えた夫を蘇らせるために、蛇の化身である白娘子が天上の貴重な薬草を勝手にむしり取って、成敗しにきた連中と戦って、やはり勝ってしまうという話。
この時はいくつかの劇場を渡り歩いたが、いずれも観光客で賑わう、湖広会館や正乙祠戯楼、あるいは梨園劇場であって、今にして思えば、「閙天」も「盗仙草」もどちらもいかにも外国人にも分かりやすい、ベタで有名な演目である。私の記憶のなかでは白娘子は一方的に勝つのだが、今の私が知るかぎりでは、たいていの「白蛇伝」のこの段では最後には「南極仙翁」が白娘子の深情を汲んで助けてくれるというプロットになっているはずで、今書いたプロットの概略は正確でないかもしれない。
それはともかく、当時の私はこの二つの演目にとくに強い印象をもった。どちらも、この世界のルールを平然と踏みにじって、結局は罰せられもしないし、反省もしない、というありえない展開なのである。命には限りがあり、死んだものは二度と蘇らない、という生き物の根本的な原理でさえ平然と突き抜けてしまっているかのようだ。むろん『西遊記』がとんでもなく型破りな話だということは前から知っていたが、『白蛇伝』の方は、以前に読んでいたものの、その大胆な秩序転覆性に今ひとつ気がついていなかった。しかし、このとき演劇でみて、天上の聖なる薬草を、女性の主人公がまんまと盗んでしまって少しも後ろめたくなさそうなのは、日本の伝統的な物語に親しんできたものにとってはちょっとした衝撃であった。私はそれまで、前近代における民衆向けの物語というのは、なんだかんだいって結局は、世の秩序を乱したりしないものだと思っていたのだ。
そのあと、民話の類をいろいろと読んでみると、閻魔大王をだしぬいたり、ならず者が皇帝になるなど、中国にはどうもかなり秩序転覆的な志向をもった物語が多いことがわかってきた。そして、たまたま読んだ「神筆馬良」というタイトルのお話では、主人公の少年が皇帝を溺死させてしまって、私はそんな不敬な民話がありえるのかとかなり驚いた。あとになってこれは民話ではなくて、洪汛濤という人によって1952年に創作されたものだと知ったが、古くからの民話のなかにも、同じように皇帝を溺死させてしまう「十兄弟」と通称される系統のものがあって、広く伝わっていることがわかった(この「十兄弟」については、君島久子氏の『「王さまと九人の兄弟」の世界』(岩波書店、2009年)という本が詳しくて、とても楽しい)。
調べてみたところ、皇帝を殺してしまう民話は他にもあって、日本にも伝播している、「百鳥衣」系統のものはとくに興味深いことがわかった。私は以前に近世日本における「父殺し」の物語の研究をしたこともあるので、その日中の異同はなかなか面白かった。簡単にいえば、中国では皇帝はあっさりと殺され、日本では、中国の皇帝と同じ役回りの殿様は決して殺されないのである。天皇や将軍はそもそも登場しない。
そんなこんなで、中国における皇帝や王を殺してしまう話を数年かけていろいろと調べてみたのだった。まだもっと調べるべきなのだが、これは期待以上にいろいろな展開が可能なテーマだということがわかってきたし、それに科研費を頂いて研究をしてきたので、その成果を早めに公表するのが義務であるようにも思い、いったん論文としてまとめてみることになった次第である。
論文としての完成度には自信があまりないが、「挑戦的萌芽研究」という科研費の名目にはふさわしい内容かなと自分では思っている。
今後もこの周辺のテーマを探求したいと思っている。
ネット上で読めます。
http://www.kyotogakuen.ac.jp/~o_econ/society/treatises/pdf/23-1-kawata.pdf
どなたでも、ご一読いただき、ご意見を頂ければ幸いです。
・・・・・・・・・
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抜粋終わり
やくざやチンピラが皇帝になれる「血と鉄の民主主義」の中国ですから、「皇帝殺し」など屁のようなものでしょう。
心理学的な言葉で考察すると、儒教であまりに「親子関係・君臣関係」が強いので、そのバランスを取ること。
それと日本をみてもわかるが、あまりに社会・天皇の権威が強すぎるので、「皇帝殺し」があることで、「人間の独立」に結びつく。
なんてことで。
お読みくださりありがとございます。
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