故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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アバンギャルド精神世界 より
上記文抜粋
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空海の死亡予告
◎スピリチュアリストの作法
超能力を使えるイエスがその予見された磔刑を回避しなかったり、他人の病気治しは結構やる出口王仁三郎が、自分の持病は治さなくて、卒中か何かで死んだり、親鸞の死には奇瑞は起こらず、超能力者や有名宗教家の死は時に物議をかもす。
空海の死もそうしたものの一つ。
宗教に何かあるとか、超能力に何かあるとか期待してはいけない部分がここにある。
空海が亡くなる6日前に書かれた空海御遺告によれば、
1.真言の法は、大日如来、金剛薩タ菩薩、龍猛菩薩(三祖)と伝えられ、唐の不空で6代目、恵果が七代目で、空海は8代目で、いずれも師匠から弟子へ師資相伝されてきた教えである。
2.高野山は、自分の冥想(入定)の地として、朝廷よりもらい受けた。
3.832年11月12日より穀類を摂るのをやめた。私はもともと100歳まで生きて仏法を護持しようとも考えていたが、835年の3月21日の午前4時に逝去することにした。62歳である。
師匠から弟子へ師資相伝は、クンダリーニ・ヨーガでは当然の作法。クンダリーニ・ヨーガでは、一対多のいわゆる大衆仏教的な伝法はあってはならない。秘密にされないと危険だからである。
冥想の場所として高野山を選定したこと、逝去日に春分付近を使っていること、そして穀断ちをして肉体改造(あるいはエーテル体改造)を数年前から行っているのは、まさしくスピリチュアリストの作法である。
高野山では、バスに乗るといきなり観光案内アナウンスが流れて他との違いを感じさせられるものだが、高野山は観光地ではなく、もともと冥想の適地として選ばれたのだから、一本坐って空海の臨在を感じるのが本当は望ましいのだと思う。
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抜粋終わり
おなじく より
上記文抜粋
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空海の死
◎肉体を残す
空海は、亡くなる三年前から、五穀断ちをしている。832年12月12日に「深く世味を厭ひて、常に坐禅を務む」となり、五穀を食べないで、メディシーションだけをやる状態となって、残り2年ほどを過ごすのである。
こうして冥想三昧の2年が経過し、835年の正月に水や飲み物も受け付けなくなった。困惑した弟子たちは、なおも水や飲み物を勧めるが、空海は、「やめなさい、やめなさい、人間の味を使わないで下さい」と峻拒する。
十万枚大護摩供でも、断水七日が限度であるが、空海は3月21日に亡くなるまで、凡そ2か月、これを続けるのである。
熟達したクンダリーニ・ヨーギは、肉体を変成して「霞を食べて」も生きられるものだというが、水分をとらなくなる正月の時期には、既にそういう肉体に変成し終えていたのだろう。
あれだけ超能力を使いこなせる空海のことだから、肉体の変成などはお茶の子だったのだろう。最後の数年を冥想に生きたのは、一流の神秘家として当然の生き方だったのだろう。列仙伝などの仙人を思わせる行状ではある。既に肉体に執着なく、アストラルな生き方が中心になっていたのだろうか。
3月21日に右を下にして亡くなるのだが、空海としては、肉体を残す死に方を選んだということになろう。水分も取らずに生きられるのだから、やろうと思えば屍解もできただろうが、殊更に肉体を残して死んで見せたところに、空海の意図を感じる。
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・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
なんとなく気になったので、載せます。
まあその程度ですけど。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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空海の死亡予告
◎スピリチュアリストの作法
超能力を使えるイエスがその予見された磔刑を回避しなかったり、他人の病気治しは結構やる出口王仁三郎が、自分の持病は治さなくて、卒中か何かで死んだり、親鸞の死には奇瑞は起こらず、超能力者や有名宗教家の死は時に物議をかもす。
空海の死もそうしたものの一つ。
宗教に何かあるとか、超能力に何かあるとか期待してはいけない部分がここにある。
空海が亡くなる6日前に書かれた空海御遺告によれば、
1.真言の法は、大日如来、金剛薩タ菩薩、龍猛菩薩(三祖)と伝えられ、唐の不空で6代目、恵果が七代目で、空海は8代目で、いずれも師匠から弟子へ師資相伝されてきた教えである。
2.高野山は、自分の冥想(入定)の地として、朝廷よりもらい受けた。
3.832年11月12日より穀類を摂るのをやめた。私はもともと100歳まで生きて仏法を護持しようとも考えていたが、835年の3月21日の午前4時に逝去することにした。62歳である。
師匠から弟子へ師資相伝は、クンダリーニ・ヨーガでは当然の作法。クンダリーニ・ヨーガでは、一対多のいわゆる大衆仏教的な伝法はあってはならない。秘密にされないと危険だからである。
冥想の場所として高野山を選定したこと、逝去日に春分付近を使っていること、そして穀断ちをして肉体改造(あるいはエーテル体改造)を数年前から行っているのは、まさしくスピリチュアリストの作法である。
高野山では、バスに乗るといきなり観光案内アナウンスが流れて他との違いを感じさせられるものだが、高野山は観光地ではなく、もともと冥想の適地として選ばれたのだから、一本坐って空海の臨在を感じるのが本当は望ましいのだと思う。
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抜粋終わり
おなじく より
上記文抜粋
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空海の死
◎肉体を残す
空海は、亡くなる三年前から、五穀断ちをしている。832年12月12日に「深く世味を厭ひて、常に坐禅を務む」となり、五穀を食べないで、メディシーションだけをやる状態となって、残り2年ほどを過ごすのである。
こうして冥想三昧の2年が経過し、835年の正月に水や飲み物も受け付けなくなった。困惑した弟子たちは、なおも水や飲み物を勧めるが、空海は、「やめなさい、やめなさい、人間の味を使わないで下さい」と峻拒する。
十万枚大護摩供でも、断水七日が限度であるが、空海は3月21日に亡くなるまで、凡そ2か月、これを続けるのである。
熟達したクンダリーニ・ヨーギは、肉体を変成して「霞を食べて」も生きられるものだというが、水分をとらなくなる正月の時期には、既にそういう肉体に変成し終えていたのだろう。
あれだけ超能力を使いこなせる空海のことだから、肉体の変成などはお茶の子だったのだろう。最後の数年を冥想に生きたのは、一流の神秘家として当然の生き方だったのだろう。列仙伝などの仙人を思わせる行状ではある。既に肉体に執着なく、アストラルな生き方が中心になっていたのだろうか。
3月21日に右を下にして亡くなるのだが、空海としては、肉体を残す死に方を選んだということになろう。水分も取らずに生きられるのだから、やろうと思えば屍解もできただろうが、殊更に肉体を残して死んで見せたところに、空海の意図を感じる。
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抜粋終わり
なんとなく気になったので、載せます。
まあその程度ですけど。
お読みくださりありがとうございます。
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