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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
ねことそらのあひだ  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
化かされた即位礼正殿の儀


>皇居に七色の虹がかかる!
 天照大神から祝福された天皇陛下
>新時代の到来を祝う虹の架け橋 都心にかかる
>雨が降ったのは天叢雲剣の力

などなど。
即位礼正殿の儀は、当日の気象でもりあがってましたね。

でもさ。
そもそもこの気象をもたらしたのは、温帯低気圧になった台風20号ノグリー。
意味はタヌキ。

みんなタヌキに化かされてるよ(笑)。




 ↑これはおまけ。

なんで台風20号がタヌキで、10月22日の首都圏に進路をとったのか、これでやっと納得できました。
化かしに来たんですね(笑)。

シクミもなかなかお茶目(?)なことやってくれるもんです。

前にも書いたけど、虹や彩雲は、今回のシクミでは決して吉兆ではありません。
むしろ逆です。

また、三種の神器の剣は天叢雲でも草薙でもなく、本来は「八重垣の剣」としてあるべきもの。
それが気象のせいで、ツイッターで「天叢雲剣」がトレンド入りしている。

この事象が強調してるのがなにかわかりますよね。
そう。「火の禊のスサノヲ」です。

雨が降ったのは天叢雲剣の力?
どういうつもりで云ってるのかわかりませんが、雨を降らせるのは天叢雲剣に宿るヤマタノヲロチの霊力。
つまりヤマタノヲロチの力が前面に押し出されちゃってるってことです。

これですね。
izumo.jpg

9月30日から信楽焼の『スカーレット』という朝ドラをやってるそうです。
舞台は滋賀県。信楽焼といえばタヌキ。
上の動画ですね。

陶芸は、窯(かま)。
2013年9月19日にスサノヲの御霊が素鵞社から遷されたのも、釜社(かまのやしろ)。
「火の禊のスサノヲ」の雛型です。

スカーレットは緋色。
それは炎の色でもある。

炎といえば22日の朝、皇居のすぐ近くの千代田トンネルで火災が発生。
すさまじい黒煙がトンネルから上がり、一時はテロかと関係者に緊張が走ったようですが、大型トレーラーからの出火でした。
パンクした後輪のタイヤが燃え、積んでいた乗用車につぎつぎと引火したようです。

でも思いませんか?
なんでよりにもよってこのタイミングで、と。

トンネル+炎といえば、もろイザナミの事象です。
カグツチ出産神話の。

しかも、事故はこれだけにとどまりません。

10月22日はかつて奥州安倍氏が滅亡した日。
「2013伊勢出雲同年遷宮のシクミ」における、「オワリのはじまりの日」です。

三種の神器の草薙剣は、オワリの剣。
2007年の草薙剣仮殿遷座祭で「オワリのはじまり」のシクミを示した熱田神宮も、もちろん尾張です。

その尾張で、大きな事故がたてつづけに発生しています。

旧尾張国海部郡の弥富町では、伊勢湾岸自動車道で7台、17人が重軽傷を負う事故。
もし天皇陛下が天照大神から祝福されてるなら、こんな事故は起きません。
そもそも出雲88天皇ですしね。
富士山の初冠雪発表も、88つながり。

また旧尾張国愛知郡の長久手では、名古屋瀬戸道路で6台、13人が重軽傷を負う事故。
なんでこのタイミングで尾張?
って思いませんか。

どう見たって10月22日=オワリのはじまりの日との、「オワリ」つながりですよね。

トレンドの天叢雲剣にしろ、このオワリの連鎖にしろ、本来は天照大神の八重垣剣であるべき三種の神器の剣が、天叢雲と草薙のエネルギーをより強烈に帯びてしまっている事実をあらわします。

天叢雲剣はスサノヲ。
草薙剣は日本武尊。
ご存じのように、いずれも僕らの火と鉄と戦争のカルマを背負い、「火の禊の十字」にかけられる存在。

まさに、オワリのはじまりの即位礼正殿の儀、ってわけです。


台風20号タヌキから変わった温帯低気圧は、僕らだけでなく気象予報士をも化かすような動きを見せます。
ふたつにわかれちゃったんですよね。

そのあいだを北よりの強風が吹き抜け、万歳旛など3本の旛、および菊花章大錦旛を落下させます。

な~に考えてんでしょうね宮内庁職員は。
甘いというかわかってないというか。お祭り気分というか。

業者にやらせたんなら、まったく指導がなってないですよ。
旛が落ちるなんてぜったいあってはならないことだし、不吉以外のなにものでもありません。
国の威信にさえかかわる問題です。
なんだかんだいってもワキのあまい組しやすい国だって、もろバレじゃん。

学生の応援団員でさえ、死んでも旗は倒さねえ!っすよ。
情けなくって涙がちょちょぎれます。

だいたい雨だからって武人が雨宿りしてどうすんだヨ。
ガラス張りの中で雛飾りでもあるまいに、まったく魔を祓う役に立ってねえじゃん!
つうかあれじゃ、虹でひらいた異界から入ってくる魔を、ようこそって素通りさせちゃってるよ。

いくら戦後最悪に防衛費を増大させたって、宇宙空間の飛翔体にJアラートを鳴らす安倍政権の危機管理、国防意識ってしょせんはこのレベルだって話です。

もしかたら僕がなにを言いたいのか、なんで怒ってんのかみなさんには伝わらないかもしれない。
でも見てくれだけじゃないんです。
天皇は国家の象徴。
即位の礼が国家を象徴する儀式だからこそ、シメるとこはちゃんとシメとかないかんわけです。

ガキのつかいじゃね~んだからさ!

以下は当時の気象衛星画像、および天気図です。

22日9時と12時の天気図を見くらべてみてください。
低気圧の中心が忍者に化けたタヌキみたいに瞬間移動してて笑えます。

201910220900.png



19102209.png


19102212.png

10月22日の即位礼正殿の儀。

ひとことで表現するなら、やっぱこの言葉しかないですね。

前途多難!


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


>そのあいだを北よりの強風が吹き抜け、万歳旛など3本の旛、および菊花章大錦旛を落下させます。


来ましたね・・・天皇家陥落だ。

>まさに、オワリのはじまりの即位礼正殿の儀、ってわけです。

その通り。

火と鉄の十字架にかけるは、我々でなく、天皇家。

たぬきが騙して、火を掛けにきた。



なぬとチャンネル より


上記文抜粋
・・・・・・・・・・
「宣明」後、国民代表「万歳三唱」の時、安倍総理が書したとされる「萬歳」の幟は既に天によって吹き飛ばされていた。皇国ファンタジーに取り憑つかれた幼稚な野心と愚鈍が消失したのならいいのですが。

即位礼正殿の儀で、新天皇が高御座に登って内外に即位を宣明するときに、
以下の三本の旗が、すでに風で吹き飛ばされていました。
・萬歳旛(安倍晋三筆)
・菊花章大錦旛
・菊花章中錦旛

時事通信が伝えています。
《万歳旛など落下=強風にあおられ-即位礼正殿の儀》 2019年10月22日15時56分(時事)
22日に行われた「即位礼正殿の儀」は雨天のため、皇居・宮殿の正殿前に広がる中庭には26本の旛だけが並べられたが、万歳旛など3本の旛が儀式開始前に強風にあおられ落下した。
午前11時35分ごろには、正殿に向かって右奥にある菊花章大錦旛が落下。しばらくして担当者が駆け寄り回収したが、再び掲げられることはなかった。
秋篠宮さまら皇族の入場が始まり、儀式開始まであと5分となった時には、同じく右側中ほどの菊花章中錦旛と、最前列の万歳旛が相次いで落ちた。
雨のため武官の装束姿の「威儀の者」や、太刀、弓、盾などの「威儀物」を持った宮内庁職員の数は大幅に減らし、宮殿の回廊などに控える「雨儀」と呼ばれる形式にしたが、強風が想定以上だった可能性もある。

・・・・・・・・・・・・・・・・
この3本の旗が落ちてから雨がやみ出し、陛下による宣明があり、そして、万歳三唱。
皇居には、虹が出てきました。
 天の意志が示された。 こう考えていいのではないでしょうか。

話が大きすぎて、うまくまとまらないままですが、以下、メモしておきます。

今回の儀式をテレビ解説するものがしきりに「伝統」と言っていましたが、これは、明治維新で実権を奪った伊藤博文や岩倉具視たちが遣欧使節から帰国後に、平安時代の儀式の形を引っ張り出して、明治の新天皇を「神聖不可侵」に見せるために、急ごしらえに造ったものです。
そのあとに、日本国民の定義を、記紀にある人間天皇の初代となっている神武天皇からの血を引く、としてしまったために、神武なる存在が実在したとするために、その墓を奈良の樫原にわざわざ造りにいった。そして、即位の日を「辛酉」年を捜して、BC660の2月11日としたのです。

日本国民とは、神武天皇の血をどこかで引いている、それが、皇民。皇民は、この物語を絶対の真実として、疑ってはならない、とした。
神仏分離令の後、日本全国にある各地の神社を記紀内容と伝承に基づいて再整理。この時、社殿の中に、ピカピカの鏡を置きだした。
それが「官幣」。

一方で、安政5年(1859) 日米修好条約から始まる、幕末の開国で、
万延元年(1860) 咸臨丸 福沢諭吉『万国政策』
文久元年(1861) 福沢諭吉が遣欧使節に通訳で加わったのが、イギリス艦オーディン号で、このとき、まず、香港に行き、植民地主義・帝国主義と会います。エジプトではスフィンクスも見た。
文久2年(1862)英国公使焼き討ち事件。この年12月に高杉晋作が上海行。
文久3年(1863)元旦、孝明天皇が上賀茂、下鴨で『攘夷祈願』。 
 4月18日(6月4日)長州ファイブがジャーデインマセソンの船でイギリスに出発。
元治元年(1864) 下関戦争における4カ国連合艦隊との戦い
 7月19日(8月20日)禁門の変 諭吉は出陣を拒否。・・勝・五代・高杉は?
 8月18日 七卿落ち これに長州征伐に。
慶応2年(1866)6月、第二次長州征伐(四境戦争)
 これに対し、高杉は長州海軍総督として「丙寅丸」に乗船し戦闘指揮。 対岸の門司に上陸し、小倉城を攻めている7月20日に将軍・徳川家茂が死去する。…(島津斉彬が送り込んだ)篤姫による毒殺説。
8月1日小倉藩が小倉城に火を放ち逃走したため、幕府軍の敗北が決定的となった。
 この情勢になって、岩倉具視が錦の御旗の製作に入った。
・・・ここから、大政奉還。しかし幕臣たちの抵抗が始まり、
 鳥羽伏見の戦いで、錦の御旗が掲げられ、慶喜が戦いを止めて江戸に逃げる。
江戸城の無血開城。新政府の設置。西郷らを残して、伊藤・岩倉の遣欧使節。
このとき、荒れ果てた江戸城東の旗本屋敷の跡地を岩崎がどんどん接収する。
そして、伊藤岩倉らが帰国後に始まったのが明治政府による「文明開化」。西欧の近代文明の窓口となったのが鹿鳴館。同じ頃、岩崎が作り上げたのが高輪の開東閣。
 明治政府の人間や財界人が、「和魂洋才」といっても、このときの為政者は、「和魂」の本質や意味は基本的に無明で、ただ、記紀の記載に基づいて、日本は太古から続いていると強弁した。そして、新政府の国民に対し絶対服従させた。
新天皇の神威を列島以外にも現実に広げるとして(実際は、岩崎の三菱が主導した国家の経済権益の拡大のために)、朝鮮半島の支配権を清国と争い、下関条約では、清国に対して最恵国待遇を持つイギリスの公使パークスに促され、清国内での鉄道敷設に伴う鉱工業権を認めさせ、日英同盟の締結後、さらに遼東半島については1905年にロシアと争った。このとき、旅順にあった、713年に唐玄宗が渤海を冊封した記念碑を強引に持ち帰った。
 伊藤博文は李氏朝鮮の併合には反対だったが1909年にハルピンで暗殺され、1910年、明治の日本の皇室は、李氏朝鮮まで加えて李王家にした。そして、すぐに檀君廟を破壊し、そこに皇祖神アマテラスを祀る朝鮮大神宮を建てた。
 以後、皇民、すなわち、神武の血をひく者=天皇の赤子を、半島や大陸にもどんどん増やしてく。
これが「皇民化」でした。
ここでは、皇国の事業遂行のために、皇民でも天皇から離れた位置にいるものは、皇民化(経済進出?侵略?)のための、単なる駒だった。まして、女性たちはこのときの皇民化の制度や進め方に、一切の疑問を述べることが許されなかった。
ここには、日本列島で育まれ研ぎ澄まされてきた、縄文からの精神性(霊性・悟性)も、西欧が宗教革命を経て数百年にかけて見つけ出し練り上げた、人間個人の尊厳を尊重する姿勢と主体的な自由な創造性は、当初はあったが、昭和に押しつぶされていった。
基本的には、明治の権力者による西欧に対する劣等感と、神国日本という虚構・妄想から始まっているのです。

初代総理大臣の伊藤博文は、明治天皇の神格化を進めた首謀者でしたが、朝鮮併合には反対でした。ハルピンで伊藤を暗殺した実行犯とされる安重根は、裁判の席で「伊藤博文は孝明天皇を殺害した」と告発したが、ハルピンでの銃弾は異なる方角から複数、撃たれていた。
伊藤の死によって、朝鮮併合を強引に推し進めようとする勢力が、日本の政界で力を持ちます。
詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/韓国併合

今回、安倍総理夫人が、白いミニスカートで、この令和の即位礼に列席したことが話題になっています。「白」の衣装は、皇后が着る十二単の色と決められていて、他の列席者は控えるべき、というのが不文律だったのを、あえて自分に耳目を集めさせるために、それを着たのでしょうか?
この二人と、その取り巻きの心に何があったにせよ、天は、そうしたものが、令和時代にも続けていいのか、その答えをお示しになった。
これが私の印象です。
さらに、鹿鳴館時代からの明治の国家権力と一体となって利権の追及確立に突き進んだのが、三菱ムラで、その時以来の集会所は、高輪の開東閣で今も残っています。福沢諭吉と岩崎弥太郎が思想的にも組んだ時から日本近代の資本主義が始まり、ここがフリーメーソン思想をたっぷりと取り込んで、金融ワンワールドからの指令が出されていました。

明治の皇国日本に飲み込まれた李氏朝鮮の関係者は、戦後になっても、その皇国日本の権威と権力構造の継続を願い、その権力の中に入り込み、利権を求めていました。彼らは、常に戦前の夢を、戦前の野蛮な道徳基準のままで、21世紀になっても追求しようとして、列島民を完全支配を、戦争屋に使嗾されながら目論んだのでしょう。
しかし、それが、世界では、どうなのか?地球規模ではどうか? 日進月歩するのが人類です。
天から見て、人類として、どうなのか? 
結論が出ましたね。


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

所詮、天皇などタヌキの騙しにすぎなかった。

それなので、三本の旗が飛んだ。

いわば、落城した。



偽日本人の天皇と、李の王様の宰相で、天皇の即位式。

そりゃ、天皇が正しい存在でもあったとしても、現実はたぬき騙しだ。


そういえば、最近面白い話を見たことがある。

密教の坊さんが「鎮宅法」で、祈祷をしたが、本尊を間違えて、お地蔵さんを本尊に祈祷した。

でも帰宅後にすさまじい体調不良になって、それからふと気が付いて「不動尊が本尊だった」と再度に祈祷し直すと、体調不良もなくなった。


今、神職や僧侶が、一生懸命に「国家の安危の主」として、天皇を想定して祈祷しているそうだが、そもそも天皇が「国民と国家の安危の主」でもなく、「責任を取らんだけ」でなく、ただの売国奴だので、彼らの祈祷も、そもそもあまり効かない。
むしろと、モラル破壊から、天変地異や、放射能垂れ流しが続いている。
不適当なものに不適当な方法で祈った、当然の結果かもしれない。

まあ、たぬき騙しだよな。そんな意味も含めてな。



お読みくださりありがとうございます。



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ムジナに倒れた錦の御旗!
  • from ローレライ :
  • 2019/10/23 (19:44) :
  • Edit :
  • Res
ムジナ台風に倒れた錦の御旗、とは明治クーデタ以来の錦の御旗詐欺の終わりに見える。
Re:ムジナに倒れた錦の御旗!
2019/10/24 11:01
>ムジナ台風に倒れた錦の御旗、とは明治クーデタ以来の錦の御旗詐欺の終わりに見える。

偽の「錦の御旗」が出てきたのと、反対の話かも・・・。

終わりの始まり。

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