故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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アバンギャルド精神世界 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
サイエントロジーの成功
スマホ・ゲームと愚民化の先
サイエントロジーは、アメリカの新興カルトの一つ。
サイエントロジーでは、言葉による観念のフェンシングを繰り返していくことにより、高度に複雑化された現実への直面方法を提供するものであって、知的なゲーム感覚を味わうことができる。
こうした言語的、心理的ゲームを繰り返していき、次々に与えられた関門を突破していくことで、自分の内部に入って行き、数千年の過去や未来を旅することすらできる。
ある意味で禅の公案群にも似ているといえるが、これがもっと発展した形態が、今のモバイル・ゲーム、スマホ・ゲーム、テレビ・ゲームである。カリフォルニアで生まれたカルトの手法は今や21世紀の国家群の民衆の意識を乗っ取っていると言えるまでに勢力を拡大した。
これにのめりこむと、何が善で何が悪かということは、勿論関係なくなるし、正気が何かということまで怪しくなる。
こうしたものは何も生まないが、為政者が民衆に気づかれないように何かろくでもないことをしようとする場合には、恰好の目隠しにはなる。
さて平和な日本で、電車に乗れば、半数以上の人がスマホ・携帯でゲームに打ち込んでいる。食べる者の心配はないかもしれないけれど、異性間での結婚すら所得が低いのであきらめざるを得ない若者(若者は生かさず殺さず?)が多いとか、老人が将来増え過ぎて国では面倒を見切れなくなるとか、中国が日本の領土に攻め込んでくるとか、将来の不安は尽きないが、それでも、「今ここで」このゲームをクリアするのが至上命題なのだ。
そんなこんなで、日本はどうなるのだろう。8月は集団的自衛権も可決、TTPも進む。準備が整ったところでドンパチかね。ドンパチは周到な準備の後に始まるので、情報通は、「歴史に偶然の出来事はない」などとのたまう。
・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>中国が日本の領土に攻め込んでくるとか、
これも「今ここのゲーム」なのですけどな・・・
ともわれ、それ以外は結構納得いきます。
ネットで有名なある医師がサイエントロジーの信者だそうです。
その人は、自閉症者の親御さんにひどいことを言って、袋叩きになったのが最近ありますよね。
>こうした言語的、心理的ゲームを繰り返していき、次々に与えられた関門を突破していくことで、自分の内部に入って行き、数千年の過去や未来を旅することすらできる。
>ある意味で禅の公案群にも似ているといえるが、これがもっと発展した形態が、今のモバイル・ゲーム、スマホ・ゲーム、テレビ・ゲームである。カリフォルニアで生まれたカルトの手法は今や21世紀の国家群の民衆の意識を乗っ取っていると言えるまでに勢力を拡大した。
>これにのめりこむと、何が善で何が悪かということは、勿論関係なくなるし、正気が何かということまで怪しくなる。
てなことはそのようですよね。
仏教では「慈悲」と「智慧」は、一体であるという。
でもいくら千年・万年のことを知っても、慈悲が生まれず傲慢になるのなら、妙な邪見を抱き込んで不幸になるだけの、妄想に堕落する。
また、「無知の知」というように天地仏神の無限の知に比べると万年億年のことがわかっても、所詮は猿知恵なのである。
だが、どうもその「無知の知」を知ることで、天地仏神のもつ「無限の知」とアクセスできるようになると思える。
それを老子は「病を病と知ることで、病からまぬがえれ得る」と。
慈悲を生まない知恵は、猿知恵であり、いくら博識でも無知の知を知らないと、それ妄想に成り下がる。
「慈悲」「無知の知」こそが、英知の早道かもしれないし王道かもしれない。
それは、昨今の利欲だらけの世の中では理解されないし笑われるだろうが、
そうでもないと、たぶん本物では無いのかもしれない。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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サイエントロジーの成功
スマホ・ゲームと愚民化の先
サイエントロジーは、アメリカの新興カルトの一つ。
サイエントロジーでは、言葉による観念のフェンシングを繰り返していくことにより、高度に複雑化された現実への直面方法を提供するものであって、知的なゲーム感覚を味わうことができる。
こうした言語的、心理的ゲームを繰り返していき、次々に与えられた関門を突破していくことで、自分の内部に入って行き、数千年の過去や未来を旅することすらできる。
ある意味で禅の公案群にも似ているといえるが、これがもっと発展した形態が、今のモバイル・ゲーム、スマホ・ゲーム、テレビ・ゲームである。カリフォルニアで生まれたカルトの手法は今や21世紀の国家群の民衆の意識を乗っ取っていると言えるまでに勢力を拡大した。
これにのめりこむと、何が善で何が悪かということは、勿論関係なくなるし、正気が何かということまで怪しくなる。
こうしたものは何も生まないが、為政者が民衆に気づかれないように何かろくでもないことをしようとする場合には、恰好の目隠しにはなる。
さて平和な日本で、電車に乗れば、半数以上の人がスマホ・携帯でゲームに打ち込んでいる。食べる者の心配はないかもしれないけれど、異性間での結婚すら所得が低いのであきらめざるを得ない若者(若者は生かさず殺さず?)が多いとか、老人が将来増え過ぎて国では面倒を見切れなくなるとか、中国が日本の領土に攻め込んでくるとか、将来の不安は尽きないが、それでも、「今ここで」このゲームをクリアするのが至上命題なのだ。
そんなこんなで、日本はどうなるのだろう。8月は集団的自衛権も可決、TTPも進む。準備が整ったところでドンパチかね。ドンパチは周到な準備の後に始まるので、情報通は、「歴史に偶然の出来事はない」などとのたまう。
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抜粋終わり
>中国が日本の領土に攻め込んでくるとか、
これも「今ここのゲーム」なのですけどな・・・
ともわれ、それ以外は結構納得いきます。
ネットで有名なある医師がサイエントロジーの信者だそうです。
その人は、自閉症者の親御さんにひどいことを言って、袋叩きになったのが最近ありますよね。
>こうした言語的、心理的ゲームを繰り返していき、次々に与えられた関門を突破していくことで、自分の内部に入って行き、数千年の過去や未来を旅することすらできる。
>ある意味で禅の公案群にも似ているといえるが、これがもっと発展した形態が、今のモバイル・ゲーム、スマホ・ゲーム、テレビ・ゲームである。カリフォルニアで生まれたカルトの手法は今や21世紀の国家群の民衆の意識を乗っ取っていると言えるまでに勢力を拡大した。
>これにのめりこむと、何が善で何が悪かということは、勿論関係なくなるし、正気が何かということまで怪しくなる。
てなことはそのようですよね。
仏教では「慈悲」と「智慧」は、一体であるという。
でもいくら千年・万年のことを知っても、慈悲が生まれず傲慢になるのなら、妙な邪見を抱き込んで不幸になるだけの、妄想に堕落する。
また、「無知の知」というように天地仏神の無限の知に比べると万年億年のことがわかっても、所詮は猿知恵なのである。
だが、どうもその「無知の知」を知ることで、天地仏神のもつ「無限の知」とアクセスできるようになると思える。
それを老子は「病を病と知ることで、病からまぬがえれ得る」と。
慈悲を生まない知恵は、猿知恵であり、いくら博識でも無知の知を知らないと、それ妄想に成り下がる。
「慈悲」「無知の知」こそが、英知の早道かもしれないし王道かもしれない。
それは、昨今の利欲だらけの世の中では理解されないし笑われるだろうが、
そうでもないと、たぶん本物では無いのかもしれない。
お読みくださりありがとうございます。
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