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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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「天皇」とかいう毒ばかり耳目に食わされ続けた今年の日本人。

口直しに。


clubbiのブログ

上記文抜粋
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阿弥陀如来 と観音菩薩


阿弥陀如来
 石手寺に伝わる仏像で一番大きいのは阿弥陀如来です。境内の西に阿弥陀堂はありますが、石手寺古図では元は二階建ての金堂があった場所です。
 石手寺の創始は古く、西暦670年頃と出土瓦によって証明されます。その瓦は宝物間にまつられている法隆寺の文様と同じ瓦です。この瓦は法隆寺付近と吉備=岡山県とこの石手寺付近に多数出土します。その意味するところは近畿と吉備と伊予をつなぐ連合小国家があったのではないかということです。近畿豪族と吉備豪族と伊予豪族の連合体です。そのことは日本の国の成立の研究にも合致しています。
 その勢力が叩かれたのが大化の改新の暴力クーデターだったかもしれません。
 血なまぐさい話はさておき、現法隆寺が再建されたのが670年ごろですからある意味で第一次仏教ブームの建立とも思われます。しかしその時に本尊となったのは先月お話しした薬師如来です。阿弥陀如来の信仰が隆盛となるのはそのあと400年後でしょうか。建物や仏像の研究員のお話では、石手寺の現弥勒堂は平安期建立の可能性があるといわれます。また阿弥陀仏もその可能性があると言われます。平安期は近畿から関西や平泉も含めて阿弥陀浄土の信仰が広まった時期です。とはいえ歴史学者が示す様にその信仰は庶民に浸透したものではなく貴族階級という空海様が言う血吸い蛭の人々の「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」という現世に飽きた人々の来世への危惧と期待を乗せるものでした。その後、その豪奢ぶりは嫉妬と貧困を経て戦乱を招き鎌倉仏教につながります。鎌倉期にはこの世の戦乱と奪い合いで疲弊した庶民は現世に失望し殺し殺される悲嘆に苦悩して来世に救いを求めるのです。この世を諦めて来世に逃亡します。その信仰が阿弥陀信仰です。
 ですから一口に網他信仰といっても二種類あるわけです。
金持ちの来世も得したい信仰と、現世で虐げられた人々の現世を諦めて来世に期待をする信仰です。
 さて、石手寺の阿弥陀信仰はどちらでしょうか。貴族の現世も来世もという欲張りな阿弥陀信仰か、それとも苦しむ庶民の切羽詰まった信仰か。
 平安の後期から末期に仏像が建立されていれば後者ですが、時期から言うと前者でしょうか。しかし石手寺の御詠歌にこうあります。

西方をよそとは見まじ安養の寺に参りてうくる十楽

 苦しかろうが悲しかろうが、死んで後に西方浄土を夢見なくても、いまここに石手の寺にお参りすればそこに極楽がありますよ
 という御詠歌です。いいですね。死後に期待しなくても今すぐに幸福になれるというのです。ただしお寺に居るとということですから、お寺を出るとまた苦悩がはじまるかもしれません。わが子が病気になってしまってなんとか元気になってほしいけどなかなか治らない。時には医者に見放されてしまうこともある。特に精神の病気などはなかなか快復しない。そんなとき藁をもすがる思いでお寺にお参りします。
 私も悩み相談で仲よくなった人が自殺をしたときには落ち込みました。半年間以上も鬱状態を苦しんだでしょうか。そんなとき仏様の前でどうぞあの世で平安でいますようにとお祈りしました。辛い悲しい思いはなかなか快方に向かいませんが、お祈りしているときは何とか自分を保つことができました。
 一心にひたすら祈願するときには苦しみから解き放たれることができます。無心になってひたすら手を合わせるからです。そして仏様はお釈迦様であり空海様でありこの世の私達を何とかして苦しみをなくしたいとひたすら修行する仏様ですから、私達を見放すはずがありません。仏様の大きな慈悲にすがれば助かるのです。少なくとも私は独りぼっちではありません。ちゃんと仏様が見ていてくださるのです。その見守っていてくださるということがそのまま形になったのが観音様です。観音様は音を見る。音とは私達の声です。声とは私達の嘆きの声です。私達の悲しみや苦しみの心を見てくださるのです。それが観音様です。この観音様こそ今回のお話の阿弥陀様の修行時代を表します。観音様がこの世で苦しむ衆生を助けようとして長い間修行して涅槃の位に到達したのが阿弥陀如来です。
 ですからお寺参りをするというこは仏様の温かな慈悲の心に守られるということです。そしてお寺にはいろいろな形で悲しんだり苦しんでいる人々が救いを求めてやって来ています。家族のことや仕事のことや病気のことや将来の不安やいろいろな悩みを何とかしたくてお参りしています。そのひたすらに願う姿は真摯で純粋で一途です。そのような姿を見ていると人間の精神の清らかさを感じます。そんな人に自分の悩みも打ち明けてみようかなという気持ちになります。
 実際の話ですが、わが娘を自死で亡くされたお母さんが遍路を歩いてしていました。ちょうど岩本寺を過ぎたころある女性と出会います。徒歩で毎日二十数キロmを歩きますから、昼間は追い抜いたりしますが夜はいっしょの宿になります。その人は今まで自分の娘のことを私以外には誰にも打ち明けたことはありませんでしたが、その出会った人には何故か話したくなったというのです。娘の苦難を自分一人で心に仕舞っていたわけですがそのことを誰かに打ち明けたい。多分打ち明けていっしょに守りたいという気持ちでしょうか。私も友人たちの死を自分の心に独りでしまっていましたが、自殺者供養を始めてみなさんと共に供養してお経を読むとなぜか心がゆるやかになったことがありました。そのお母さんも何故か話したくなって出会った女性の遍路さんに娘さんの自死を打ち明けます。するとなんとその相手の方も娘さんを自死で亡くされていたのです。後日そのお二人は私のところに来られました。そしてごいっしょにお経を上げました。
 人間は独りでは生きていけないのです。自分を受けとめてくれる人が必用なのです。だれか自分を見守ってくれる人が必用なのです。
 それは親だったり兄弟姉妹だったりしますが、もっと大きなものは仏様です。仏様は一切衆生のあらゆる苦難を悲しんでいます。なんとかなくしたいと必死なのです。なぜなら仏様は修行時代にやはり苦しみを越えてきたからです。悲しみを越えてきたからです。だから他人の痛みが人ごととは思えないのです。
 それが観音様であり阿弥陀様です。
 
見ること、観ること

 観音様や阿弥陀様は人の痛みを知る仏と言っていいでしょうか。先の娘さんの自死のお母さんにとっては出会ったお遍路さんが観音様ともいえます。お寺に来る人は難儀や悲しみを抱えているかもしれませんが、それ故に同じように苦しんでいる人々の心が見えるのです。だからお参りしている人はお優しいのです。石手寺では仏様は私達の苦難を受け止めてくれますが、もうひとり仏様がいます。それは参拝している真摯なお参りの人々です。ひたすら手を合わせるその必死な人々が仏様であります。だからお寺には良い魂が充満していて安らぎを与えるのです。それが先の御詠歌の意味です。
 そして観音様や阿弥陀様はお堂にだけ居るのではなく私達の心に居ることが分かっていただいたと思います。私達の悩み苦しむ心と、その痛みを通じて他人の痛みを知る心。ここにほとけごころがあるのです。
 
観る修行

 新しくできたみんないっしょ大仏曼荼羅は修行の場所でもあります。何を修行するのかというと阿弥陀様の前では観る修行です。物事を正しく観る。真実を観る。その為には当然に我欲を洗い流さなければなりません。それと同時に何を観るかです。何に向かっているかです。何に対面しているか。私達の顔はどこを見ているかです。
 物欲に負けてはいけません。勝ち負けに囚われてもいけません。最愛のわが子が居たとしてその子が苦しんでいたら一切を投げ捨てて我が身を捨ててでもその子を助けるでしょう。その時、我欲は放棄されています。これを清浄といいます。
 そのわが子への目線が一切衆生に向かうのが仏様です。私達はあらゆる人々の苦難を同情することはできません。それでも私やあなたが経験したのと同じ苦しみを見たら他人事として放っておくことはできません。戦争体験者は絶対戦争はいけないといいます。病気になった人は医者になってその病気の人を治したいと思います。
 人の痛みを知るということは実は他人のことではないのです。自分のことなのです。自分の経験の深さなのです。自分の痛みの深さであり、生きているということの意味の深さではないでしょうか。
 小我に生きるのではなく大我に生きる。小我とは自分のことだけにあくせくする生き方。大我とは他人と共感しながら生きる生き方。
 仏様は大我の生き方を説いています。そこに真実があるからです。お釈迦様も空海様も苦難の中からその道を発見されました。ぬくぬくと育って優秀だったから仏になったのではありません。苦しくて死んでしまいそうな困難を乗り越えるときに他人に助けられたり共感して、人のやさしさや努力の大切さを知ったのです。
 その鍵は知るということ。見るということにあります。
 


・・・・・・・・・
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抜粋おわり


舎利礼文 より

上記文抜粋
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1.『舎利礼文』
原文
一心頂礼 万徳円満 釈迦如来
真身舎利 本地法身 法界塔婆
我等礼敬 為我現身 入我我入
佛加持故 我証菩提 以佛神力
利益衆生 発菩提心 修菩薩行
同入円寂 平等大智 今将頂礼
読み下し文
一心に、万徳円満の釈迦如来に、頂礼したてまつる。
(釈迦如来の)真身の舎利、本地の法身[ほっしん]、法界の塔婆を、
我れ等が礼敬[らいきょう]すれば、我が為に身を現じ、入我我入す。
仏の加持の故に、我れ菩提を証し、仏の神力[じんりき]を以て、
衆生[しゅじょう]を利益[りやく]し、菩提心を発さしめ、菩薩の行を修して、
同じく円寂に入らん。 平等の大智に、今まさに頂礼したてまつる。

現代語訳
ありとあらゆる優れた徳を具えている釈迦如来を最上の敬意をもって礼拝いたします。
釈迦如来のまことの舎利と、真理(悟りそのもの)と、その真理を象徴する卒塔婆を、我々が礼敬すると、我々の前に真理は顕現し、入我我入が成就する。
仏陀の残された偉大な教えに従って(ありとあらゆるものを、そのままに見ることによって)、私は悟りを証し、仏陀や悟りに達した諸々の聖者が身にそなえるのと同じ優れた力によって、生きとし生けるものを助け、導いていこう。そして悟りを求める心をおこさせて、六波羅蜜を行い、同じく平安の境地に(生きとし生けるものと共に)至ろう。(すべては変化してやまず、定まった姿形や、しがみつくだけの価値を持たないという意味で、)平等なる(ものであるということを悟り、それらにたいする貪り・怒り・愚かさなどの迷妄を捨て滅ぼし、)心の平安に至らしめる偉大な智慧に対して、今まさに最上の敬意をもって礼拝します。

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2.解説
『舎利礼文』とは
写真;ビルマ ヤンゴン市内のカバイィーパヤーに奉られている、インド政府から寄贈された釈尊の真骨
『舎利礼文[しゃりらいもん]』とは、仏陀釈尊が御入滅され、火葬された後に残された遺骨、いわゆる仏舎利に対する、礼敬の意を述べた文言です。よって、狭義でのお経、つまり仏陀の言動録である経典ではありません。

これはインド出身ながら、唐代の支那にて活躍した偉大な密教の阿闍梨[あじゃり]、不空[ふくう]三蔵が、明州育王山(逝江省寧波)にて撰したものと伝えられています。不空三蔵は、支那四大翻訳僧の一人であり、弘法大師空海の師であった恵果和尚[けいか かしょう]の師でした。

また一説に、釈道安[しゃくどうあん]という東晋代の大徳による、との伝もあります。しかし、ここでは、釈道安大徳の時代にはいまだ支那に伝わっていなかった密教的な文言のあることから、『舎利礼文』をして、唐代における密教の大導師であった不空の撰と見る説を採っています。

三蔵
三蔵とは、ブッダの言動録などの集成である律蔵と経蔵に、それらについての注釈の集成である論蔵を加えた、仏典の総称です。しかし、支那以来、それは仏典をサンスクリットなどから漢語に翻訳する僧侶や、その三蔵に通暁した学徳優れた僧侶の敬称として用いられもした言葉でもありました。これを三蔵法師などと言います。

ところで、少々細かいことですが、一般に支那や日本では、三蔵とは経蔵・律蔵・論蔵の順番に言われ、「経律論の三蔵」などと言われます。しかし、本来は律蔵・経蔵・論蔵の順です。これは、それぞれがまとめられた順番によります。

さて、三蔵法師として特に有名なのは、『西遊記』の主人公としてとりあげられた玄奘[げんじょう]三蔵でしょう。しかし、不空三蔵もまた、玄奘三蔵と同じく学徳ひときわ優れた翻訳僧、四大翻訳僧の一人として、今なお讃えられています。

空海は不空の生まれ変わり?
余談ですが、真言宗には、「弘法大師空海は不空三蔵の生まれ変わり」という伝承があります。

これは、不空三蔵が入寂したと言われる日、つまり774年6月15日が、弘法大師空海の誕生日に一致するためです。また、恵果和尚がその示寂の日、「自分達は宿縁あって遠い昔から今に至るまで、互いに師となり弟子となって法を広めてきた。次は私が空海の弟子として、日本の地に生まれ変わろう」という趣旨の言葉を、弘法大師に残されていることに由来しています(『性霊集[しょうりょうしゅう]』巻二)。

本当だと面白く、また素晴らしい話なのですが、しかし、これはありえません。

何故なら、不空三蔵が亡くなった日もしくはその後に、母親が後の弘法大師を身ごもった、というなら十分にわかるのですが、死んだ日に生まれた、というのではどう考えても計算があいません。仏教の伝統では、精子と卵子が結合した瞬間に、(転生者の)意識がそこに生じる(転生する)とします。

伝統では、この瞬間を結生識[けっしょうしき]と言いますが、とにかく、弘法大師が不空三蔵の生まれ変わりならば、大師は三蔵の死後、少なくとも十ヶ月後以降に生まれていなければなりません。

ちなみに、なぜ仏教では満年齢ではなく、数え年を用いるかと言うと、受精した瞬間からその人の人生は始まっていると考えるからです。人は母親から生まれ落ちるまでに、すでに約一歳になっているというわけです。この事から知られるでしょう、人工妊娠中絶すること、堕胎することは、たとえ国の法律が認めていたとしても(本当は日本の法律でも「堕胎罪」によって禁じられている)、そこにどのような原因があろうとも、行為としては「殺人」であることに変わりはない、と。

さて、しかし、恵果阿遮梨が、前述の言を述べたのはその手紙が残っていることによって事実と認められますから、互いが輪廻するなかで、師となり弟子となって人々を導いてきたという、共通の認識が二人にはあったのでしょう。尊いことです。

舎利とは
さて、遺骨のことを舎利と呼ぶのは、「身体」を意味するサンスクリットのŚarīra[シャリーラ]あるいはパーリ語のSarīra[サリーラ]という言葉に由来しています。「シャリーラ」というサンスクリットの読みを、「舎利」と漢字で音写しているのです。

もっとも、凡人が、死んで荼毘[だび]に付されて遺骨を残しても、これを舎利とは普通呼びません。舎利とは、あくまで仏陀、もしくは阿羅漢や菩薩とよばれた聖者の遺骨を指す言葉として用いられます。

と、言っても民間では、その米粒ほど小さく分割された釈尊のお骨のその形から、寿司飯を「銀舎利」と呼称するというように、転用されている場合もあります。

釈尊が入滅されて荼毘に付された後、その仏舎利は、まず八つに分割されインド各地で祭られていました。しかしその後、さらに分割に分割を繰り返して、各地の仏教徒に盛んに信仰されてきました。釈尊亡き後、仏教信者達にとって、その残された舎利などの遺物[ゆいもつ]は、信仰の重要な拠り所でした。また、それを供養することによる功徳は非常に大きい、といわれるようになり、いよいよ信者達はその信仰を深めていったようです。

卒塔婆
写真;インド サーンチーの第一ストゥーパ
インド以来、仏教が広まった各地で、舎利を祀るために盛んに塔が建てられました。いわゆるStūpa[ストゥーパ]です。

(右写真は、ストゥーパの最古の形を伝えているという、インド中央部に位置する田舎町サーンチーにある、第一ストゥーパ。ここから、目連尊者と舎利弗尊者の銘を持つ遺骨壺と舎利が発掘され、大戦後、その一部が釈尊の真骨と共に、インドよりビルマに寄贈されている。)

このサーンチーのストゥーパの形を原型として、時代を経、あるいは土地が変わっても、基本的な形を残しつつ、その建築様式は多様化していきます。日本の多宝塔や五重塔も、このストゥーパの原型をいまだその一部に留めています。

ストゥーパという言葉は、支那において「卒塔婆」と漢字に音写されて伝えられました。これによって、日本においても、舎利がまつられた仏塔や舎利塔のことを、卒塔婆[そとば]と呼称するようになりました。「塔」という言葉自体も、実はこの卒塔婆を略すことによって生まれた言葉だと言われています。

写真;ビルマ・バゴーのパヤー
ビルマでは、仏塔・卒塔婆を、Hpaya:[パヤー]と呼んでいます。その意味は「尊い人」。また、スリランカでは、Dhāgaba[ダーガバ](Dagoba[ダゴーバ])と呼称。これは、「聖物の本性・内奥」を意味する、サンスクリットDhātu garbha[ダートゥ ガルバ]・パーリ語Dhātu gabbha[ダートゥ ガッバ]の転訛と推定されています。

もっとも、地域や時代の変化と共に、卒塔婆の意味合いも随分と変化しました。よって、卒塔婆には必ず仏舎利が祀られているかと言えば、ほとんどの場合「否」ということになります。もし祀っていたとしても、舎利に見立てた奇石・宝石または仏像、経典、真言陀羅尼などを奉安しています。

ところで、現在の日本で卒塔婆と言えば、墓に添え立てる、変な形の木の板を思い浮かべる人が多いでしょう。これはもともと石造りの仏塔、とくに五輪塔の形を模して作られたものです。木で出来た卒塔婆の頭のほうを見ると、五輪塔の形に切れ込みが入っているのが確認できるでしょう。

写真:ネパールはカトマンドゥのボーダストゥーパ
そんな舎利信仰が世界各地の仏教国で盛んな中、古来日本にて特に篤い信仰の対象となってきたのは、鑑真大和尚が日本に請来した南都は唐招提寺の三千粒の仏舎利、弘法大師が唐から請来し京都東寺に祀られている仏舎利、または慈覚大師円仁[えんにん]がもたらした京都比叡山に祀られる舎利です。

最近のものとしては、タイ王室から送られた、釈尊の紛れもない真骨とされている仏舎利が、名古屋は日泰寺[にったいじ]に祀られています。

舎利(駄都)を奉るために、芸術品といえるほど美しい意匠が施された小さな舎利塔が、日本では、特に密教で盛んに作られました。代表的なものに、西大寺のものが挙げられますが、それは大変に美しく見事なものです。

仏舎利を供養することの功徳は、甚だ大きいものであることが、多くの仏典に盛んに説かれています。仏舎利、またはそれを祀る塔は、涅槃に入られた仏陀の象徴、または悟り・真理の標示であり、仏教が伝播した国々で信仰の中心となってきた、最も尊いものの一つです。

『舎利礼文』
『舎利礼文』では、インド以来の伝統で、冒頭にて自身が信仰する対象に対して礼敬の意を表しています。

一心頂礼の一心は、言うまでもなく「心から」の意です。頂礼とは、いわゆる五体投地[ごたいとうち]のことで、仏教に於ける最敬礼を意味します。日本で言えば、(あまり聞こえがよくないかもしれませんが)土下座といったところでしょうか。

自分の頭頂(額)ならびに両手両足を地につけ、つまり五体を投げ出して、仏陀や聖者の足元を礼拝し、最大の敬意を示すのです。では何に対して一心頂礼するかと言えば、ここでは「万徳円満 釈迦如来」に対してするのです。

万徳円満とは、「ありとあらゆる全ての優れた徳を具えている」というほどの意味です。徳とは「優れた善良な性質。または善良なる行い」をいう言葉です。釈迦如来はもちろん仏教の開祖「仏陀釈尊」を指します。

真理は不変
次に、真身舎利は、(釈迦如来の)「まことの舎利」を意味しています。つづく「本地法身」は、少々難解な言葉かもしれません。これは「仏陀が悟られた真理そのもの」を意味します。

仏陀は人間として生まれ、苦悩し、しかし真理を悟って、仏陀(目覚めた人)となられ、生きる事の苦しみを克服され、最後は齢八十にて亡くなられました。その肉体は、若干の舎利を残すのみで滅びたのです。

ですが、仏陀が悟られた真理は、たとえ仏陀の肉体が滅びようとも、滅びることはありません。いや、仏陀がこの世に出られようと出られまいとも、「全ては変化してやまない、うつろいゆくものである」という真理は永遠なのです。そのような不変の真理を、「本地法身」といいます。

(もっとも、このように「不変」と言うと、真理をモノであると実体視してしまう人が出て来てしまい、表現が難しいところです。)

仏教の信
「法界塔婆」は、「真理の現れとしての現実世界の標示[ひょうじ]たる卒塔婆」を意味しますが、やはり難解です。難解なものは難解なままに理解するのが、一番望ましいのですが、ここでは深入りするのを避け、敢えて平たく言って「本来、色や形がない真理の、象徴としての仏塔」の意としておきます。

以上、真身舎利から法界塔婆までの三句は、「仏陀釈尊のまことの舎利と、真理と、その真理を象徴する卒塔婆」という意味です。その三つを、我等礼敬つまり「我等が礼敬」すると「為我現身(我が為に身を現す)」と続きます。

ここで「礼敬」とありますが、それはいわゆる「なんだか解らないが信じて伏し拝む」などという意味ではありません。ただ信じて拝むだけなら、どうにもなりません。

仏教では、信仰と呼ばれるものに、段階のあることを説きます。人が信仰の道に入る門は様々です。最初は「なんだかわからないが信じて伏し拝む」でもいいでしょう。いや、そのような事がほとんどでしょう。いきなり「仏教の信は確信であって盲信ではない。仏教は科学なのだ」、などと居丈高に言って「科学的な信仰」なるものを迫っても仕方がなく、最初から確信できる人はむしろどうかしていると言えるのですが、しかし、始終なんだかわからないで終わってしまうようでは、やはりどうにもなりません。

古来非常に重要視されてきた、『大般若経』という大乗の経典の注釈書に、このような一節があります。

佛法大海信爲能入。智爲能度。
仏法の大海は信をもって能入とし、智をもって能度となす。

『大智度論』巻一(T25, P63a)

この「仏法の大海は信をもって能入とし」という一節は、漢語仏教圏では非常に有名なものと言えます。

最初は、たとえばその地の文化圏、土地の慣習や家の宗教に従っただけ程度の信仰でも良いでしょう。しかし、もし仏教の教えに触れ、なにかそこに得るもの、有益なものを感じたならば、少しずつでも仏教の教えを自ら学んでいき、少しずつでも「これは確かに自他に有益な真実である」と、やがて実践を伴った確信に近づいてゆけば良いでしょう。この言葉に続く「慧をもって能度となす」のように、

さて、ここでの「礼敬」とは、「仏陀とはどういう人か、真理とはどういったものか、真理の象徴としての卒塔婆とはどういうことか」を、ある程度理解した上で信じ、真理を悟ろうと様々の努力をすることです。具体的には「戒を守って、様々に善行を行って功徳を積みつつ、冥想して智慧を磨くこと」です。

そのようにすることによって、何が「我が為に身を現す」かと言いますと、誰かか何かが、冥想中の自分の前に忽然と姿を現すと言うのではなく、今まで気付かなかった「真理が顕わとなる」という意味と解釈した方が良いでしょう。

入我我入
入我我入[にゅうががにゅう]は、「我れに入って、我れ入る」と読めますが、おそらく、これでは何のことかさっぱりわからないでしょう。それもそのはず、入我我入とは、密教の冥想法の一つです。

それは、行者が冥想の中で、真理の象徴としての仏・菩薩を想い描き、その仏菩薩と自分とを重ね合わせていくという、高度な冥想法です。この入我我入を通して、行者は自らの智慧を研き、その身心を高めていきます。

が、密教は誰でもが行えるというものではなく、無資格者にその内容を公開することが、固く禁じられています。当然、必要な過程を踏んでいない者は、入我我入という冥想をすることも出来ません。では入我我入が出来なければ、つまり密教を行うことができなければ、人は心の平安に達することが出来ないのかと言えば、そのようなことはないのです。

仏教は、人それぞれの立場・能力に応じて様々に説かれたものであり、修行法は唯一ではありません。密教も、数ある仏教のうちの一つでしかないのです。それが出来なければ、それによらなければ救われないと、断言される方法など存在しません。肝要なのは、種々様々にある教えの優劣を論じることでなく、みずからの立場・能力にふさわしい教えに従って行い、迷妄を滅ぼし、苦から離れ、平安を得ることです。

肝心なことは、川を渡るための船の見た目や技術、速度など、その優劣を競うことではなく、川を渡ることです。これを忘れると、といっても実際は多くの人が忘れてしまうのですが、船の優劣ばかりを論じるようになって、川を渡るどころではなくなってしまいます。

さて、以上、真身舎利から入我我入までの六句を一文として意訳すれば、「仏陀釈尊のまことの舎利と、真理と、その真理を象徴する卒塔婆を、我々が礼敬すれば、我々の前に真理は顕現して、入我我入する」となります。

加持
次の仏加持故 我証菩提の「仏」は、むしろ「ありとあらゆるもの」あるいは「真理」の意と理解した方が良いでしょう。加持[かじ]という言葉は、サンスクリットAdhisṭhāna[アディスターナ]あるいはパーリ語Adhiṭṭhāna[アディッターナ]の翻訳語で、本来は「決意」や「決断」を意味する言葉です。けれども密教では、いわゆる「仏の加護」あるいは「真理の力・働き」といったような意味で用いられます。

しかしさらに、特に日本の真言宗では、「加」を真理から我々への働きかけとし、「持」を行者から真理への働きかけとに分解して理解しています。

菩提とは、Bodhi[ボーディ]」というサンスクリットあるいはパーリ語の音写語で、「悟り」や「智慧」を意味する言葉です。

よってこの二句は、「ありとあらゆるものからの働きかけによって、私は悟りを証し」ということになります。

万法すすみて自己を修証するは悟りなり
曹洞宗祖の道元禅師は、以下の様な言葉を残しています。

自己を運びて万法を修証するを迷とす。
万法すすみて自己を修証するは悟りなり。

道元『正法眼蔵』

道元禅師の見解の是非はともかくとしても、この言葉、表現は秀逸です。

森羅万象は、常にその真実なる有り様を顕現しているのであって、それに気づかいていないのは人。そして人は、それに気づかぬが故に、自ら迷妄に迷妄を重ねて苦しみます。

そもそも、仏陀という言葉は、サンスクリットBuddhaの音写語ですが、その意訳語は覚者すなわち「目覚めた人」です。仏陀とは「悟りという何か超越的なモノを得た」というのではなく、「夢見たような朦朧とした状態から、完全に目覚められた方」です。

さて、以仏神力 利益衆生の「仏」は、先ほどとは異なり「仏陀や菩薩、阿羅漢などの聖者」を意味しています。

神力とは、いわゆる神通力のことです。仏陀はもちろんのこと、悟りに達した阿羅漢や、観音菩薩や文殊菩薩などの聖者は、大変な神通力をその身にそなえているとされます。

衆生とは、「生きとし生けるもの」を意味する言葉です。衆生は原意からいうと「意識を持つもの」であるとされ、故にこれをまた、有情[うじょう]や含識[がんじき]などとも言います。

ちなみに仏教では、植物を、衆生の中に含んで考えていません。ですから「生きとし生けるもの」といっても、植物は含まれません。もっとも、だからといって、植物を大切にしないということは決してなく、それは動物や神々などの住処であるとして、むしろとても大切にします。

以上、二句をまとめますと「仏陀や悟りに達した諸々の聖者が身にそなえるのと同じ神通力によって、生きとし生けるものの助けとなり」となります。

神通力
ここで注意すべきことが一つあるのですが、神通力というものを仏教が認め、経典に仏陀や諸菩薩、諸阿羅漢の不思議な事績が、様々に伝えられているのは確かです。そして、仏陀や菩薩、阿羅漢達が、神通力を示して人々を教化した、という話は多くの経典で伝えられています。

が、同時にそのような不可思議なことをやたらと行使し、また人に吹聴して廻ることを厳に戒められてもいます。世間には、「私には神通力がある」、「あなたは先祖の供養が出来ていない。だからそんな不幸に見舞われる。あなたにはわからなくとも、私にはわかる」といった類の物言いをする人があります。

人の理解を超えた奇妙なことを口にしたがる人を、頭ごなしに否定し、毛嫌いする必要はありません。ですが、そのような人からは出来るだけ離れて近づかない方が無難でしょう。そのようなことを周囲に吹聴して廻ったり、無暗に信じ込んでしまったりする人の末路は、決して良いものではありません。

また、過去の数多の高僧、大徳達の中に、神通力だの霊能力だの予言だのといったことを、無暗に公言した人はいません。積極的に肯定した方さえ殆どおられず、むしろほとんど皆が、その弟子達に対して、そのようなことを口にし、不可思議なことをひけらかすことを、厳に戒められています。

六波羅蜜
発菩提心 修菩薩行 同入円寂は「菩提心を発さしめ、菩薩行を修し、同じく円寂に入らん」と読みます。菩提心は、「悟りを求める心」を意味しますが、そこには生きとし生けるものの助けとなることへの決意も含まれます。

菩薩行は、具体的に布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの完全な行い、いわゆる六波羅蜜[ろくはらみつ]を意味します。

布施とは、みずから持てるものを他者にほどこすこと、他者の命を奪わないこと。持戒とは、五戒や十善戒を守ること。忍辱とは、逆境に対して怒らず怨まず、心を平静に保つこと。精進とは、ひるまず努め続けること。禅定とは、冥想して強力な集中力、集中した状態を得ること。智慧とは、観察の冥想の中で得られるもので、これを経論に説かれていることと照らし合わせ、モノのありのままを捉える認識のことです。

波羅蜜とは、サンスクリットあるいはパーリ語のPāramī[パーラミー]の音写語で、原意は「完全な」・「最高の」あるいは「完成」という意味の言葉ですが、伝統的には「悟りに到る(行為)」という意味とされます。

菩薩とは、サンスクリットBodhisattve[ボーディサットヴァ]あるいはパーリ語Bodhisatta[ボーディサッタ]のを漢語に音写した、菩提薩埵[ぼだいさった]を略した言葉です。これは、悟りを求める衆生、平たく言うと「悟りを得るために努力する人(生き物)」を意味します。悟りを目指して六波羅蜜を行い、全ての生けるものを助けようと修行する者のことを、菩薩というのです。

円寂とは、涅槃を意味する言葉で、「みずからの苦しみの根源たる、貪り・怒り・愚かさの三毒が全く滅した心的境地」、「何ものにもとらわれることのない平安な境地」、「絶対の境地」をさします。よってこの三句は、「悟りを求める心をおこして、六波羅蜜を行い、(仏陀や聖者が達したのと)同じく平安の境地に(皆共に)至ろう」と意訳できます。

平等の意味
最後の二句、平等大智 今将頂礼は、「平等の大智に、今まさに頂礼したてまつる」と読みます。

ここでいう平等とは、「全ては移り変わるもの。様々な条件に従って生まれ、また滅びゆくものであり、永遠に定まった姿形や性質はない。全ては等しく陽炎、夢幻のようなもの。水面に映った月のようなもので、必死に求め、しがみつくだけの価値は無い。その点で全ては平等である」という意味です。

大智は、真理を見通す智慧、モノのありのままを認識する力のことです。最高の悟り、を意味するとも考えて良いでしょう。

よってこの最後の二句の意を示せば、「この世の全ては定まった姿などない、しがみつくだけの価値を持たない、平等なるものであることを悟り、貪り・怒り・愚かさなどの迷妄を捨て滅ぼして、心の平安に至らしめる偉大なる智慧に対し、今まさに最上の敬意をもって礼拝します」となります。

貧道覺應 拝識
(horakuji@gmail.com)

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抜粋おわり



まあ口直しに。


お読みくださりありがとうございます

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