故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
卍 諸大乗経顕道無異 卍 より
上記文抜粋
・・・・・・・
遺骨と遺体
曹洞宗僧侶・ネルケ無方氏の書籍に、「釈尊は僧侶が葬儀をしてはいけない、バラモンに任せろと言った」という記述がありましたが、それはたぶん、大般涅槃経を指してそう書いていると思うんですけれども、果たしてそうでしょうか。
ちょっと引っかかったので、再確認してみました。
まず、釈尊は「修行者はそれに専念して、ブッダの遺骨の崇拝に関わるな」ということをアーナンダに申し渡しています。それに対してアーナンダが、「それでは、世尊の遺体の処理について我々はどのようにすべきでしょうか」と問うています。
「我々は」です。「彼らは」ではありません。
もしアーナンダが的外れな質問をしていたとすれば、釈尊は再び「関わるな」と言うでしょうが、ここで釈尊は、「ブッダの遺体は転輪聖王の遺体の処理に準じで行え」と申し渡しています。
遺骨崇拝と、遺体の処理はここで別の事態として釈尊は述べているように読めます。
そして、遺骨崇拝は在家の者の仕事である、と。この「崇拝」は葬儀のことではないでしょう。葬儀は「遺体の処理」です。そしてここに関しては、修行者が関わるべきでない、とは言っていません。
実際に釈尊は、父王シュッドーダナの葬儀に際し、長男として棺を担いだ、という記述もどこかにあったと記憶しています。
そして釈尊の涅槃においても、マハーカッサパが「葬儀委員長」的な役回りで、儀礼を執行した形跡もありますよね。
ですから、「釈尊は僧侶が葬儀をしてはいけない、バラモンに任せろと言った」と言い切るのには、ちょっと疑問符がつきます。
また釈尊没後のかなり早い段階から、仏教僧侶の住居は都城の門外すぐのところ、つまり遺体を放置また埋葬、焼くような場所に住んでいたという最近の研究もあり、どうも遺体の処理(と供養)に関してはバラモンではなく、仏教僧侶の領分だったようです。
これは「穢れの観念」からも首肯できるところで、恐らくバラモンが遺体処理をすることはなかったと思われますし、仏教僧侶がその部分を担ったのも、歴史的事実でしょう。
ですから仏教が遺体処理を含む葬儀に関わっているのは、相当に初期の段階からであったのではないでしょうか。
このあたりの事については、近年、文献学だけでなく考古学的な視点からも新しい知見が出てきているそうです。まだこれからの分野ですし、僧侶を含め一般に認知されるには(誇張なしで)100年かかるでしょうが、楽しみではあります。
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
真言律宗が、中世に絶大な支持をうけた一因は「葬儀に積極的にかかわった」から。
鎌倉新仏教は、基本的に「葬儀をする」ので、それも支持を増やした一因。
天台・真言は、官僧になると、朝廷関係の祈祷の件もあり、葬儀に関われなかった。
朝廷関係の「官僧」を辞めて、それに力を入れる層もいたそうで・・・・。その典型の一つが「高野聖」
道元くらいの碩学の叡尊が葬儀をしているのだから、まあ坊主が葬儀をするもの、間違いではないってことに思う。
みょうちくりんな「インド仏教崇拝」は、実は本当の「釈迦の仏教」を見失うことになるかもしれない。
まあ、ほぼ備忘録程度に・・
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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遺骨と遺体
曹洞宗僧侶・ネルケ無方氏の書籍に、「釈尊は僧侶が葬儀をしてはいけない、バラモンに任せろと言った」という記述がありましたが、それはたぶん、大般涅槃経を指してそう書いていると思うんですけれども、果たしてそうでしょうか。
ちょっと引っかかったので、再確認してみました。
まず、釈尊は「修行者はそれに専念して、ブッダの遺骨の崇拝に関わるな」ということをアーナンダに申し渡しています。それに対してアーナンダが、「それでは、世尊の遺体の処理について我々はどのようにすべきでしょうか」と問うています。
「我々は」です。「彼らは」ではありません。
もしアーナンダが的外れな質問をしていたとすれば、釈尊は再び「関わるな」と言うでしょうが、ここで釈尊は、「ブッダの遺体は転輪聖王の遺体の処理に準じで行え」と申し渡しています。
遺骨崇拝と、遺体の処理はここで別の事態として釈尊は述べているように読めます。
そして、遺骨崇拝は在家の者の仕事である、と。この「崇拝」は葬儀のことではないでしょう。葬儀は「遺体の処理」です。そしてここに関しては、修行者が関わるべきでない、とは言っていません。
実際に釈尊は、父王シュッドーダナの葬儀に際し、長男として棺を担いだ、という記述もどこかにあったと記憶しています。
そして釈尊の涅槃においても、マハーカッサパが「葬儀委員長」的な役回りで、儀礼を執行した形跡もありますよね。
ですから、「釈尊は僧侶が葬儀をしてはいけない、バラモンに任せろと言った」と言い切るのには、ちょっと疑問符がつきます。
また釈尊没後のかなり早い段階から、仏教僧侶の住居は都城の門外すぐのところ、つまり遺体を放置また埋葬、焼くような場所に住んでいたという最近の研究もあり、どうも遺体の処理(と供養)に関してはバラモンではなく、仏教僧侶の領分だったようです。
これは「穢れの観念」からも首肯できるところで、恐らくバラモンが遺体処理をすることはなかったと思われますし、仏教僧侶がその部分を担ったのも、歴史的事実でしょう。
ですから仏教が遺体処理を含む葬儀に関わっているのは、相当に初期の段階からであったのではないでしょうか。
このあたりの事については、近年、文献学だけでなく考古学的な視点からも新しい知見が出てきているそうです。まだこれからの分野ですし、僧侶を含め一般に認知されるには(誇張なしで)100年かかるでしょうが、楽しみではあります。
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抜粋終わり
真言律宗が、中世に絶大な支持をうけた一因は「葬儀に積極的にかかわった」から。
鎌倉新仏教は、基本的に「葬儀をする」ので、それも支持を増やした一因。
天台・真言は、官僧になると、朝廷関係の祈祷の件もあり、葬儀に関われなかった。
朝廷関係の「官僧」を辞めて、それに力を入れる層もいたそうで・・・・。その典型の一つが「高野聖」
道元くらいの碩学の叡尊が葬儀をしているのだから、まあ坊主が葬儀をするもの、間違いではないってことに思う。
みょうちくりんな「インド仏教崇拝」は、実は本当の「釈迦の仏教」を見失うことになるかもしれない。
まあ、ほぼ備忘録程度に・・
お読みくださりありがとうございます。
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