故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
---|
https://oomorigijyou.hatenablog.com/entry/2019/09/21/082507
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
石ころだらけの因縁を浄化した話 その2
・・・・・・中略・・・・・・
浄化によって祈りが全て形に
ともかく弁天宗の教祖様から教えられたように全部浄化していくと、不思議なことに今まで拝んでも拝んでも実現しなかったのに、私の思うこと祈ることが全て形に現れるようになった。
それでトントンと今日まで来ている。
だから強い思いと実行力さえあれば物事は全て叶うかと言うと、そうはいかない。できないことの原因、それを見極められるかどうかにある。
それを見極められるには自分を超えたところの縁が大事。それを教えてくださる。その道の大家に出会えるかどうかは縁による 。
(中略)
この世は曼荼羅なので、ただ特定の世界だけが尊い、特定の世界だけが正しい、そういうものではない。不純に思える世界でも、弘法大師はこの世の中には捨て去るものは何もない、みんなそれぞれに価値があり、役に立つ。
だからこの世は尊い、この世は遍照如来の世界であると仰っている。
ことなった分野や価値というものを生かすことで、自分の至らぬところが浄化され、マイナスをプラスに転じていける。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことを石ころだらけだと諦めてしまっては煩悩で終わってしまう。煩悩の世界を即菩提にするのが密教の考え方であり、実践行の根本ではないか。
だから石ころを石ころとせず磨き上げることでダイヤモンドのように輝く。
私は八浄寺の住職になるため、そうした自分では気づかない自分ではどうすることもできない世界の中でご縁によって導かれてきた。
以下略
以上、故岩坪師の著作『花開く天地いっぱい総がかり』から引用させていただいた。土中のたくさんの墓石を掘り起こし供養し、様々な縁を生かして、願いを実現させていった岩坪師は、ついに立派な瑜祇塔を境内に建立された。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>だから強い思いと実行力さえあれば物事は全て叶うかと言うと、そうはいかない。できないことの原因、それを見極められるかどうかにある。
これって結構だいじ・・・すべての物事に・・・
>強い思いと実行力さえあれば物事は全て叶う
のは、それは、そうはいかない。ある意味で法螺。
>この世は曼荼羅なので、ただ特定の世界だけが尊い、特定の世界だけが正しい、そういうものではない。不純に思える世界でも、弘法大師はこの世の中には捨て去るものは何もない、みんなそれぞれに価値があり、役に立つ。
別に、真言密教でも仏教でなくても、そういうものと思う・・
「迂をもって直と為し、禍をもって利と為す」と孫子。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
石ころだらけの因縁を浄化した話 その2
・・・・・・中略・・・・・・
浄化によって祈りが全て形に
ともかく弁天宗の教祖様から教えられたように全部浄化していくと、不思議なことに今まで拝んでも拝んでも実現しなかったのに、私の思うこと祈ることが全て形に現れるようになった。
それでトントンと今日まで来ている。
だから強い思いと実行力さえあれば物事は全て叶うかと言うと、そうはいかない。できないことの原因、それを見極められるかどうかにある。
それを見極められるには自分を超えたところの縁が大事。それを教えてくださる。その道の大家に出会えるかどうかは縁による 。
(中略)
この世は曼荼羅なので、ただ特定の世界だけが尊い、特定の世界だけが正しい、そういうものではない。不純に思える世界でも、弘法大師はこの世の中には捨て去るものは何もない、みんなそれぞれに価値があり、役に立つ。
だからこの世は尊い、この世は遍照如来の世界であると仰っている。
ことなった分野や価値というものを生かすことで、自分の至らぬところが浄化され、マイナスをプラスに転じていける。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことを石ころだらけだと諦めてしまっては煩悩で終わってしまう。煩悩の世界を即菩提にするのが密教の考え方であり、実践行の根本ではないか。
だから石ころを石ころとせず磨き上げることでダイヤモンドのように輝く。
私は八浄寺の住職になるため、そうした自分では気づかない自分ではどうすることもできない世界の中でご縁によって導かれてきた。
以下略
以上、故岩坪師の著作『花開く天地いっぱい総がかり』から引用させていただいた。土中のたくさんの墓石を掘り起こし供養し、様々な縁を生かして、願いを実現させていった岩坪師は、ついに立派な瑜祇塔を境内に建立された。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>だから強い思いと実行力さえあれば物事は全て叶うかと言うと、そうはいかない。できないことの原因、それを見極められるかどうかにある。
これって結構だいじ・・・すべての物事に・・・
>強い思いと実行力さえあれば物事は全て叶う
のは、それは、そうはいかない。ある意味で法螺。
>この世は曼荼羅なので、ただ特定の世界だけが尊い、特定の世界だけが正しい、そういうものではない。不純に思える世界でも、弘法大師はこの世の中には捨て去るものは何もない、みんなそれぞれに価値があり、役に立つ。
別に、真言密教でも仏教でなくても、そういうものと思う・・
「迂をもって直と為し、禍をもって利と為す」と孫子。
お読みくださりありがとうございます。
PR
Comment