故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
第二初詣。
太極拳の「捨己従人」って秘訣がある。
ちょっと「推手」の練習をしたら、少しその一端はわかる。
これが「己を捨てて、人に従う・・・ことで、逆に自分に都合のいいように事態を利用する」
てことにできる。
参考
参考2
孫子のいう順詳ての、これを徹底すると「意図して相手に従って、隙を見つけるなり、ノウハウを盗み切って、一転相手を葬る」ってのと近い。
結局は人生ってのは、仏神なり天地宇宙なりと、推手をするようなものだ。と思う。
推手も一種のそれも演武となり作品にもなる。将棋や囲碁の棋譜のようになる。
その製作者としては一体だが、推手の相手としては別で、個人である・・・
まあ、これは「天人合一」というかその前の段階で、かつ、それを越えた「涅槃・自由の極地」の現れの一形態と思う。
ただやみくもに、相手や状況に追従するのでなく、自他と調和して舞うように・・・そうでないと「吹っ飛ばされる」ので作品としたら失敗。
日本人の特に指導者が言う「自分を捨てろ!」てのは、自分を棄てようと意思が強すぎて、固着して浮っ飛ばされれているようなモノ。まだ舞うような喜びが無いからね。
お読みくださりありがとうございます。
太極拳の「捨己従人」って秘訣がある。
ちょっと「推手」の練習をしたら、少しその一端はわかる。
これが「己を捨てて、人に従う・・・ことで、逆に自分に都合のいいように事態を利用する」
てことにできる。
参考
参考2
孫子のいう順詳ての、これを徹底すると「意図して相手に従って、隙を見つけるなり、ノウハウを盗み切って、一転相手を葬る」ってのと近い。
結局は人生ってのは、仏神なり天地宇宙なりと、推手をするようなものだ。と思う。
推手も一種のそれも演武となり作品にもなる。将棋や囲碁の棋譜のようになる。
その製作者としては一体だが、推手の相手としては別で、個人である・・・
まあ、これは「天人合一」というかその前の段階で、かつ、それを越えた「涅槃・自由の極地」の現れの一形態と思う。
ただやみくもに、相手や状況に追従するのでなく、自他と調和して舞うように・・・そうでないと「吹っ飛ばされる」ので作品としたら失敗。
日本人の特に指導者が言う「自分を捨てろ!」てのは、自分を棄てようと意思が強すぎて、固着して浮っ飛ばされれているようなモノ。まだ舞うような喜びが無いからね。
お読みくださりありがとうございます。
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その時のみづな女王様は聖母のような写りになっていたんですけどね
デブ専マドンナでは
太った男性たちと一緒にHして
それがみづな女王様を妖精の姿に見せていたんですよ」
「世間的に デブと言われても ブサイクと言われても 年を召していたとしても
自分を美しくしてくれる効能がある人だったら つなごうとするのが
本物の美人さんなんですよ」
http://ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-3139.html
から引用
「
お前がよく想ってるスポンサーは
生活の面倒を見てくれる程度のスポンサーだ
モテなくてもいい
ブサイクでもいい
生活の面倒を一生見てくれさえすれば
ある程度自由にさせてくれれば
お前にとっては それがスポンサーなんだ
だから選り好みせず
くまちゃんのような男とも暮らせるんだ
」
http://maboroshinosakura.blog.fc2.com/blog-entry-1976.html
から引用
みづなさんとmahaoさんは求めている効能は違いますが、外見よりも効能という共通点がありますね。
太極拳を習得できたら良いなぁ と。
「套路」と言うのが通常見かける太極拳なのですか?
https://www.takeuchitaikyokuken.com/taikyokukenmoves-html/introductiontaichichuan/
「趙匡胤」さんの被り物から 道教の神様?、思い浮かんだのですが
お名前を思い出せません。
道教の神様ではないのかもしれませんが
「趙匡胤」さんの被り物から どなたか思いつきましたら 適当に名前を連ねてみて欲しいのですが。
套路で型を覚えて、推手でその使い方の練習。
てものありますが、動的に太極拳の身体の使い方や戦い方を習得するモノです。
てこと。
強いとか剛なだけでは負ける。ってことも覚えます。
今はこれくらいで。
では。