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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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山崎行太郎政治ブログ 毒蛇山荘日記 より

上記文抜粋
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柄谷行人と西尾幹二(3)
西尾幹二は「安部政権の世界史的使命」(WILL)で、今回の衆院選で、「小沢一郎が左翼であることが判明した」と得意げに書いているが、こんなことを書いて得意になっているところをみると、西尾幹二が「全共闘」や「左翼」・・・というような記号に、それこそ生理的に拒絶反応をする稚拙なネット右翼以下、あるいはマンガ右翼以下の凡庸、幼稚な「単純な保守派」であることが分かる。

そもそも、日本の民族主義的な戦後保守思想を実質的に支えて来たのは、誤解を恐れずに言えば、「反米愛国」の民族主義的思想を命懸けで主張、実践してきた、いわゆる「左翼」ないしは「左翼過激派」である。

右翼と保守ではない。

戦後日本の右翼と保守は「金儲け」にしか興味を示さなかった。

だから「営業右翼」とか「営業保守」と揶揄されたのである。

そのことが三島由紀夫にはわかっていたのである。三島由紀夫は、「親米愛国」という屈辱的スローガンを掲げる「エセ右翼」や「エセ保守」が大嫌いだった。

三島由紀夫が、市ヶ谷の自衛隊駐屯基地に乗り込んだ時、「日本刀」のみで武装していたのは、何故か。
実は、その直前におきた「よど号ハオジャック事件」の赤軍派の兵士たちの「日本刀で武装する」というスタイルにヒントを得ていたのである。
赤軍派の兵士たちこそ、カミカゼ特攻隊の後継者であり、鬼畜米英の思想を受け継ぐ民族主義者たちであった、ということが三島由紀夫にはわかっていたのである。

だからこそ、三島由紀夫は東大全共闘にも乗り込んで、「天皇陛下万歳」といいさえすれば、「君たちと共闘する」と宣言し、右翼と左翼の垣根を越えて意気投合したのである。

だが、「三島由紀夫」という記号(レッテル)を絶賛するしか能のない西尾幹二には、なんにも分かっていない。

西尾幹二は、右翼と左翼と言う二項対立の垣根を踏み越える能力に欠けている。小林秀雄、江藤淳、三島由紀夫のような一流の右翼思想家、保守思想家には、左翼にも熱烈な愛読者、支持者がいる。

しかし西尾幹二にはいない。西尾幹二が二流、三流の文芸評論家だったように、政治思想家や政治評論家としても、二流、三流であることが分かるというものだ。(続く)


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抜粋終わり

ふと思うことだが、王安石は、当時から敵対する陣営に蛇蝎のごとく嫌われた。

だが、書の上手さ、文章の良さは、敵にも「あいつの性根は大嫌いだが、奴の文書の美しさには、罪は無い」とその文章は、敵対勢力の後継者のつくる「唐宋八家文」でも、大家の一人として紹介されている。


美は、イデオロギーを軽々と越えてしまう。

左翼・リベラルが、中々に伸長できず、理想を掲げながら、前世紀は愚行を繰り返して、白眼視されるようになったのは、そういうモノを見過ごしてきた・軽視したからに思える。

「朝鮮人だからkポップは嫌い」とか「中国が嫌だから中華料理を喰わない」とかいうのは、まだ国境を超える日本の偉大な美や美味を知らないアホ・下流の日本人モドキなのである。

武士道が、そこそこ海外で評価されたのは、「彼我・敵味方」を超える、人道の「美」を日本人が発揮したからだ。
その「彼我・敵味方を超える」という美よりも、「鬼畜米英」で「敵性音楽・敵性芸術を排斥する」というような「下流・下衆」の思想が流行った大東亜戦争が、あのような悲惨な結末を迎えるのは、必然と言い得るのは、間違いない。


再見
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