忍者ブログ
故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/03     02 < 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  > 04
Admin | Write | Comment
P R
建築とかあれこれ 呪いもあれこれ   より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
プーチンのロシアは国民を守ります!



プーチン大統領:福島原発のような大事故の脅威からロシアを確実に守らなければならない
© Sputnik/ Mikhail Klementyev
政治
2015年10月30日 23:39短縮 URL
140990
プーチン大統領は声明を表し、福島におけるような技術災害やエボラ出血熱のような流行病などの脅威からロシアを確実に守る必要性を訴えた。

アサド大統領
© Sputnik/ Aleksei Druzhinin

米大統領府がアサド氏の残留に合意、ウォールストリート・ジャーナル紙

「現 代の世界には技術的な脅威が数多く存在する。その筆頭は、エネルギー関連の大型産業インフラストラクチャーだ。2011年3月の福島の悲劇や、毒性物質お よび爆発物の保管庫で火災が置き、100人以上が死亡し、10億ドルを超える物的損害を出した、中国における最近の悲劇を指摘すれば十分だろう」。安全保 障会議でプーチン大統領が述べた。
また伝染病の蔓延も散発しており、「最近のエボラウィルス蔓延においては、1万1000人の命が奪われた。ロシアを、またロシア国民を、こうした脅威から確実に守らねばならない」とプーチン大統領。

続きを読む
http://jp.sputniknews.com/politics/20151030/1100705.html

煙モクモクなのに
国民を避難させない
日本とは、違います!!!
ですから、日本の皆さん
安心してロシアにお越しください!

という感じです。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

ロシアは、これでも福一原発禍のような災害から国民を守ります。

でも日本は国民をころします。


で、

日本全国民の海外移住は?それへの現状は?

を先日の夜に易に問いました。

雷沢帰妹 の不爻

参考

上記文抜粋
・・・・・・・
八卦のdataku-n.gif兌(だ)の上に、shinrai-n.gif震(しん)を重ねた形。

帰妹とは、妹=女子が嫁ぐ=男の元へ行く、ことをいう。
帰の字には、嫁ぐという意がある。

この卦は下卦の兌を少女とし悦ぶとし、上卦の震を長男とし動くとすれば、少女が長男の下に入っているのであって、ふたりが共に悦んで動いている様子であり、ラヴラヴな気分である。
だから帰妹と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは地天泰から来たものとする。
地天泰の六四が悦んで下り、九三は震い動いて上がったのが、この雷沢帰妹である。
しかし、このように、爻がひとたび交代すると、三四ともに正位を失ってしまう。
正位とは、陰陽が正しいことで、三爻は奇数爻だから陽、四爻は偶数爻だから陰が正しいのだが、今、雷沢帰妹になると、三爻は陰、四爻は陽と、陰陽が不正になってしまう。
これは、色欲に悦び動き、正しい道を失い、自己の情欲の赴くままにしているのであって、配偶をきちんと選ばず、婚姻の正しき礼を失った者である。
もっとも、正しくなくても嫁いだことには変わりはない。
だから帰妹と名付けられた。
また、震の雷が兌の沢の上に在る様子である。
雷が動けば沢の水も従って動くものである。
これもまた男女情欲をもって、相悦び動くの喩えである。
だから帰妹と名付けられた。

卦辞
帰妹、往凶、无攸利、

帰妹は、往(ゆ)くは凶(きょう)、利(よ)ろしき攸(ところ)无(な)し、

交代生卦法によれば、この卦は地天泰から来たわけだが、その地天泰のときには、天地陰陽二気が相交わること正しく、六本の爻に悉く応爻があり、泰通安寧の吉とされている。
しかし、忽ちに一点の情欲に牽かれて動き、三四の陰陽の爻が相交代してこの雷沢帰妹となると、九四震の長男の主爻も、六三の兌の主爻も、共に正位を失い、また各その応爻の助けを喪う。
これは凶以外の何ものでもない。
また、悦んで動くという様子であるわけだが、世人が悦んで動くのは、色欲か利欲のどちらかである。
色欲や利欲を丸出しで動くのは下品であり、そんな人は誰からも尊敬はされない。
だから、往くは凶、利ろしき攸无し、という。





・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


どう解釈すべきか・・

動くな!だが「帰妹」=「出戻り娘」でもある。

ブリヤードが故地であるとするなら、それもありでしょう。


で、「日本の全国民のブリヤート移住の吉凶」を今朝に易に問いました。

風雷益 の4爻 
参考

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
八卦のshinrai-n.gif震(しん)の上に、sonfuu-n.gif巽(そん)を重ねた形。

益は、益す、増加する、といった意。

交代生卦法によれば、もとは天地否より来たものとする。
天地否の九四が来たって初に居り、初六が往きて四に居るのが、この風雷益である。
これは上を損(へら)して下を益す様子である。
だから益と名付けられた。

しかし、山沢損同様に、これも全体から観れば剛柔の交代のみであって、損益はない。
それなのに、ことさら益という。
それは、国家経済を以って喩えれば、上君主の驕りを減らして、下万民を賑わし恵むときは、その国は大いに富むものである。
また、内卦を自分、外卦を相手とすれば、外を減らして内に益し、相手を減らして自分に益す様子である。
また、草木を以って言えば、上の枝葉を透かし減らし、その枝葉を肥料として下の根元に撒くときは、その草木は大きく育つものである。
また、家屋をもって言えば、上の棟木を減らして下の柱を益すときには、その建物は強固にして、倒壊の危険は少なくなり、安全性が益す。
したがって、これらの様子から、ことさらに、益と名付けられた。

また、交代生卦法に従って言えば、天地否の初往き四来るは天地陰陽の二気が上り下って相交わることである。
陰陽の二気が交わるときは、必ずよく雨を成す。
坤地はその雨を承(う)けて、震巽の草木を生じるものである。
天地の草木百物を発生養育するのは、益の根本である。
だから益と名付ける。

また、震を動くとし、巽を従うとすれば、これは自分が動いて相手が従う様子である。
自分が動いて相手が従うときには、互いに相助け益すことになる。
だから益と名付けられた。
また、震を長男とし男とし、巽を長女とし女とすれば、長男長女すなわち男女が相交わり相助け益す様子であり、そうであれば子孫は繁栄するものである。
だから益と名付けられた。

しかし、風も雷も形のないものであり、常に動いているものであり、損益のものである(乾の最下の陽を損したのが巽、坤の最下に陽を益したのが震である)。
雷は陽の気の動きであり、風は陰の気の動きである。
そもそも陰陽は、相助けて益すものである。
雷が奮えばそれに呼応して風が怒り、風が烈しいときは雷が呼応して轟く。
これは雷と風が相助け合って益している様子である。
だから益と名付けられた。

なお、風雷相助け益すことから益と名付けられたのなら、雷風恒もまた雷風の組み合わせだが、こちらはなぜ、益とは名付けなかったのか。
それは、震雷は陽気にして上に属し、巽風は陰気にして下に属すからである。
雷風恒は上に属す震雷が上、下に属す巽風が下にあるが、これは恒常の位置であり、従って恒と名付けられた。
そもそも陰陽は交わるを以って用をなし、交わらなければ用をなさない。
天地否は、天地の位置が正しいので陰陽が交わらないわけだが、それと同じことである。
震雷も下にあればこそ上に昇り、巽風も上にあればこそ下に降りて、上下陰陽の気が交わり益を生むのである。

また、天地水火の四卦にも、損益の意があるべきではないか、なぜ山沢と雷風の四卦に限って損益と名付けられたのか、という疑問もあるだろう。
これは、山沢が地にある損益のものであるとともに、風雷が天にある損益の現象だからである。
したがって、山沢風雷の四卦について、損益の道を見出したのである。
これを天地否の交代生卦法によって話せば次のようになる。
乾天は上に位置し、坤地は下に位置する。
初六が上って四に居るのは、地の気の上昇であり、九四が下って初に来るは天の気の下降である。
要するに、地の気が昇って風となり、天の気が下って雷となるのであって、天地の気が交わって風雷を生じ、風雷が相交わって草木百物を生じるのである。
したがって、天地間にある物は、皆この風雷二気の相益す作用によっての産物なのである。
だから、山沢雷風の四卦をもって、損益の卦とされたのである。

卦辞
益、利有攸往、利渉大川、

益は、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし、

往く攸とは、おこなうことを言い、この卦では、上を損(へら)して下を益すことを指す。
また、この卦は二五共に中正を得て、君臣相益す様子である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
また、大川を渉るときには、舟に楫(かじ)が必要だが、巽も震も木とする卦であり、その木は楫として利用するものである。
また、巽を従う、震を動くとして、従って動く様子とし、巽を風とし従うとし、震を舟とし動くとすれば、震巽二木の舟が風に従って動き行く様子である。
だから、大川を渉るに利ろし、という。

・・・・・・・中略・・・・・・・

六四、中行告公従、利用為依遷国、

六四(りくし)、中行(ちゅうこう)をもって公(こう)に告(もう)して従(したが)わる、依(よ)ることを為(な)し、国(くに)を遷(うつ)すに用(もち)うるに利(よ)ろし、

六四は柔正を得て宰相の位に居るので、よく中行の道を以って公に告げる者である。
したがって、その言葉を聞き入れてもらえる。
だから、中行をもって公に告して従わる、という。

そもそも今は、下を益すべき時なので、下民を賑わし益して、国の基を強くするのが大事である。
下民に疾苦するところがあれば、速やかに救済して安からしめるべきである。
常に、民が飢えや寒さの患いのないようにしないといけない。
それが宰相の職であり任である。

そもそも国を開き、民人を安堵させ、足らし益して繁昌させることは、国都とするべき適切な場所を得ることである。
もし、国都とするべき場所がないときは、民が依り頼むところを失うことである。
もとより国都を建てることは、民の利便性を図り、その居に安堵させることを目的としているのである。
したがって、その国都が、民にとって不便で引っ越したいと思うようなところであれば、その時宜に中して、国都を下民が安堵する場所に遷すのもよい。
これは下を益すということの中でも、最も大なることである。
だから、依ることを為し国を遷すに用うるに利ろし、という。



・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>国(くに)を遷(うつ)すに用(もち)うるに利(よ)ろし、

首都移転っていうこともあるし、日本では「国替え」というと、国土も移すってこともあります。


まさに、「ブリヤート移住もよろし!」です。

変卦は、天雷ムボウ 

参考 



ブリヤート共和国移住も計算に入れときましょう。

吉なようですし・・・でも帰妹だから、簡単には動かないように思えるけど。


お読みくださりありがとうございます。

PR
建築とかあれこれ 呪いもあれこれ  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・

CIAがロシアに降参?しに行ったり

安保強制可決後に、
自衛隊は仮想敵国にするはずの、
南スーダンの中国軍の護衛に行ったり

ネタニヤフの私設暴力装置「イスラエル警察」による
児童射殺を問題視されたりと

どんどんがんがん、
核爆弾原発マフィア旧支配者「軍産複合体」が
追い込まれていますーーー


デブリが一時的に?鎮圧したこの隙に
一斉に何かが動き出したような気がするのは

ぎのごちゃんだけでせうか?

みなさんは、どう思われますか?

・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

特に

>デブリが一時的に?鎮圧したこの隙に

のくだりは

以前卜したモノを思い起こす。

7月16日の記事 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
参考に

http://homepage1.nifty.com/feministekisen/kouwoman.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・
解説 

天より隕つるありは、天の軌道から外れることから、忽然と意想外のことが起こる意味。志し命を舎かずは、九五は陰を防ぐという志を立てて、陰が生ずるのは自然の理、天命だとしてもそれを天命のままに放置(舎)しない。そこに天命を超えた奇蹟も起こる(王夫之説)。

考え方と判断 占ってこの爻を得たら、最初の志を貫けば、思わぬ福がやってくることもあるだろう。方針しばらく様子をみる、そうしていれば相手がチャンスを提供してくれる。



・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

もはや、隕石が落ちてくるのを待つしかない・・・・ような気もする。


・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>天より隕つるありは、天の軌道から外れることから、忽然と意想外のことが起こる意味。

などまさにそう・・・


さらに

放知技 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・

30:飯山一郎 : 2015/09/24 (Thu) 17:38:10 host:*.ocn.ne.jp
>>27 都内在さん
.
「於京都天皇退位 於東京東宮践祚」

「京都に於いて(今上)天皇退位、東京に於いて東宮践祚(せんそ)す」

今上陛下が京都で、「退位」と「譲位」を宣言、これを受けて東宮殿下が、
「受禅践祚」(天子の位を受け継ぐこと)を宣言し、その後に、「即位」
(天子の位に就いたことを内外に明らかにすること)の儀が行われる。

皇室典範上「践祚は崩御時に限られる」という法解釈もあるが、もともと
「践祚は崩御時に限られる」という条文はない。(飯山一郎の主張)

ちなみに、今上陛下が敬われる後奈良天皇は、「践祚」から「即位」まで
10年もの時間をかけられた。


・・・・・・中略・・・・

33:飯山一郎 : 2015/09/24 (Thu) 17:55:16 host:*.ocn.ne.jp
>>30
「於京都天皇退位 於東京東宮践祚」
この文言、じつは、飯山一郎、命を懸けて発信しました。
民族派右翼はさることながら、「街宣車右翼」が飯山一郎天誅!の理由になるからです。
しかし、今上陛下の御製にある「稲刈り鎌」なる文言は、天皇史上最も激烈な「言霊」を
秘めた御発信だからです。そういう今上陛下の御内心を慮(おもんぱか)らぬ奸(かん)
どもに対して、飯山一郎は命を賭した文言を認(したた)めました。


・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


これは「天より隕つる」である・・・。



>志し命を舎かずは、九五は陰を防ぐという志を立てて、陰が生ずるのは自然の理、天命だとしてもそれを天命のままに放置(舎)しない。そこに天命を超えた奇蹟も起こる


すでに起きてしまったのか、まださらなる奇跡があるのか・・


少なくとも前天皇の責任とかあるが、それを「すっきりさせる」ことができるのなら、それも軌跡かも。


お読みくださりありがとうございます。
日本自殺法案が通りました。

まあそういうものですが、それを以前載せた易の卦をみて、再考してみようと思う。


7月16日掲載文より 

上記文抜粋
・・・・・・・・

風水カン の九五

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-64.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・・
渙は、散らす、渙散、離散、といった意。

・・・中略・・・・

およそ天下の事物は、否塞して難渋するときは、必ずこれを渙散させないといけない。
その渙散させるときをもって、否塞していたのが亨通するのである。
要するに、交代生卦法で、天地否から来たとするから、渙は亨る、というのである。

さて、王道の興廃は、まったく人民によるところである。
民衆は国の本である。
民衆の心が集まるときに国は興り、民衆の情が渙散するときに国は廃れる。


・・・中略・・・・

天下の否塞を渙散させて亨通させるも、大川を渉るも、共に貞正に行われることが大事である。
邪に事が行われるのであれば、災いを起こし、害を生じるものである。
大川という険難を渉るにしても、貞正に流れや風波を読まずに、いい加減な判断で行けば、身命はどうなるかわからないものである。
だから、貞しきに利ろし、という。


・・・・中略・・・

蒙は、くらい、おろか、先が見えない、といった意。
艮を山とし、坎を雲霧とすれば、艮の山の麓より坎の雲霧が発生し、峰も谷も覆い隠して、幽暗となった様子。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし阻むとし、坎を川とし険しいとすれば、山川険阻の地を表現していることになるが、そういうところは旅人も道に迷いやすく、これでいいのかと先が見えない不安を抱く。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし、坎を泉とすれば、山より泉が出るところを表現していることになるが、その泉はやがて他の湧き水と合流して川となり、さらにいろいろな川と合流して、大きな川となり最後には海にたどり着く。
しかし、湧き出る泉の時点では、これからどこをどう流れて、どういう結末になるかは、無知蒙昧のように、まったくわからない。
だから蒙と名付けられた。
また、上卦を外とし、下卦を内とすれば、内卦の坎の険難の外に出て、その場に艮止(とどま)っている様子。
例えば、鉄砲水が出て、危うく岸に逃れたけど、さらに遠くの安全なところまで避難することはせず、鉄砲水をすぐ近くから眺めているようなもの。
これでは何も知らない子供のように愚かなことだ。
だから蒙と名付けられた。

・・・・・中略・・・・

ともあれ、多少なりとも勉強をすると、自分はもう、蒙昧ではない、と過信してしまいやすい。
しかし、客観的に観察してみると、まだまだ蒙昧なものだ。
だからこそ、驕らず、謙虚に、貞正に勉めるのが利ろしい、ということで、貞しきに利よろし、という。

・・・・・・中略・・・・

六五(りくご)、童蒙(どうもう)のごとくならば、吉(きち)

六五は柔中の徳が有り、九二に応じ、上九に比している。
その九二は賢明剛中の才徳が有り、成卦の主爻であって、よく六五の君を補佐する賢臣である。
また、上九は剛明の才徳が有り、王者の師の位置に居て、よく六五の君を教導輔弼する者である。
したがって六五の君は、自身が陰柔であることを弁え、富貴栄誉を欲することなく、謙虚に六二の賢臣に委ね任せ、上九の賢師の助言に降り服し、その純心精一なることが、童子のように天真自然であれば、吉である。
だから、童蒙のごとくならば吉、という。

・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり




同じ記事で新井先生は

>この安保法制なんか、 "目覚めの一発" にすぎないよ。

 これから、 マッカーサーのとき以上の衝撃が来る。


と言っている。



この戦争法案=自殺法案が「日本帝国の本音」を表している。

それも意味しているのか。



やはり

>邪に事が行われるのであれば、災いを起こし、害を生じるものである。
大川という険難を渉るにしても、貞正に流れや風波を読まずに、いい加減な判断で行けば、身命はどうなるかわからないものである。
だから、貞しきに利ろし、という。


は、マジっぽい・・・。

先日のチリの大地震は、戦争法案の参院委員会可決時に起きた。

さらに茨城の水害・南関東の地震・・・。


まだ来るかも・・・・


それも火の禊が・・・


それでも目覚めたら、この火の禊で亡くなる方・放射能禍で亡くなった方々の供養にはなるはずだが・・・。


易は東日本の人に微妙なことを言っている。

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-49.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・

九三(きゅうさん)、臀(いさらい)に膚(にく)无(な)し、其(そ)の行(い)くこと次且(ししょ)たらば、(あやう)けれども大(だい)なる咎(とが)は无(な)し、


・・・・中略・・・・

まるで、臀部に膚肉がなく、座っているのが痛くて、すぐに立ち上がってしまうように。
だから、臀いに膚无し、という。
しかし九三は、初六と応でもなければ比でもないので、行き求める筋合いではなく、行こうとしても、容易には行けない。
無理して行こうとすれば危険である。
このまま諦めれば、多少の気迷いはあったとしても、大きく咎められることはない。
だから、其の行くこと次且たらば、けれども大なる咎は无し、という。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



飯山先生の忠告に合致する。

放知技 より
上記文抜粋
・・・・・・・・

477:飯山一郎 : 2015/09/19 (Sat) 13:52:54 host:*.ocn.ne.jp
断定するが、日本列島には、もはや避難先がない。
ごく一部の地域を除いて列島全域に殺人水蒸気が流れてくるからだ。

そこで海外に避難する!ということになるワケだが…、生活が破綻する例が
ものすごく多い。

海外への避難は、先ずカネがかかる。
そして次に言葉が通じない。食事、風習、社会環境、風土などが大きく異る。
海外の生活環境に適合できないことのストレスで病気になりやすい。

避難してきた日本人をダマす悪人も多い。日本国内にも「避難ママ」を狙う
詐欺師のたぐいが多い。

「飯山一郎の極秘情報」と称して、高額なサプリと一緒に「避難ママ」に売り
つける詐欺師の存在情報を、私は今までに何十件も知らされた。

おっと、急な来客なので、結論を急ぐ。

個人的な「避難」は、やめたほうがE~。環境激変で生活が破綻するから…。

「逃げて!」と言うシトは信用しないこと。

いま!逃げても、体内には過去4年半の間に吸い込んだ放射性物質がギトギト。

いま!するべきことは、免疫力をあげること!

そうして、放射能障害が出ないように…、出ても軽く済むようにすること。
(この後、客と面談します。)

・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



この戦争法案成立後を易に問う。

ネット上の卦を得るサイトを用いてみました。

山地剥 の不爻

http://senryounoinshu.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/23-eca7.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・・
23 山地剥 ( さんちはく )

山が崩れて平地となる。
飾りを致して然る後に亨ればすなわち尽(つ)く。故にこれを受くるに剥をもってす。剥とは剥ぐなり。
残る一陽が今にも尽きようとしている。
君子は、積極的に行動してはいけない。消長、満ち欠けの理があることを胸におさめて行動する。
上に立つ者はこの卦を見て、まず下々を富ませることに配慮し、自己の地位を堅固にするのである。

相場は、 下がるの義あるもその義をとらず、地上に山ある故に大いに高い。
究理によっては、将来、地山謙へ易位して下ると見る。
漸落の相場では崩落寸前と見るべきだが、崩落の危険が予想されながら、案外高値を持続するのは、山がそう簡単に崩れるわけが無いからである。上九のこう卦に注目。また優秀な銘柄は高く、雑株級が暴落するという場面も少なくない。
物価下落す。
高下損あり。
己 未 : 寄附より下離れ。よく高値を現す。
庚 午 : 強弱對陣互角の姿なり。

一陽五陰の卦のため、主爻に配する爻卦をみること。

主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、上爻、上爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。

剥は削り、傷れ、爛れるという意味である。消長法では、乾よりきてこうとなり、遯、否、観、剥となって今其の勢いが一陽を削り落として坤としようとするときにあたり、即ち陰が長じて陽を削り落とす故に剥と言う。艮は峻険であっても風雨の作用で次第に崩れ削られて坤地に帰してゆく。落とされる、尽きる、終わる、零落。進んで事をなせば凶、退き守れば利あり。位高く、実収なしの義。仰ぎ観られる義。執着の深い意。隠遁の意。削り落とされるという時、其の凶を察して防ぎ守ることを専一にすべきである。勝負、持合とする。

剥(はく)は、往くところあるに利(よ)ろしからず。
彖に曰く、剥は、剥ぐなり。柔剛を変ずるなり。往くところあるに利(よ)ろしからずとは、小人長ずればなり。順にしてこれに止まるは、象を観ればなり。君子の消息盈虚をたっとぶは、天行なればなり。
象に曰く、山の地に附くは、剥なり。上もって下を厚くして宅を安んず。

23  山地剥 さんちはく 身を削る心配

艮の山が削り取られて荒野になるさま。剥奪。心配。内向。衰退。苦労。散財。陰の勢いが強くなって陽が最後のひとつだけになった。危機が近い。身を切るような心配ごとがある。対人関係は骨折り、支障が多くて調うことがない。今までのことは諦めて次のチャンスを待てば返り咲きもありえる。

暗い陰爻が上昇し最後に残った明るい陽爻にその破壊的なエネルギーを及ぼし葬り去ろうとしている。暗い陰の力は強く正しい陽に決して直接的には攻撃を加えない。少しずつ目に見えないやり方を及ぼし、最後には崩壊させてしまうのだ。この卦の6つの線は家の形を示す。頂上に残った陽の一線は屋根を表す。その屋根が今や正に崩れ落ちんとし、家は崩壊を目前にしている。この卦は月で言えば第9番目の月、すなわち10-11月である。下から突き上げてくる陰の力はかってなく強力で、今や完全に陽に取って代わろうとしていることろだ。

剥:どこに行ってもよろしくない。

剥卦の示すのは、小人どもの力がいや増して、僅かに残った堅実な君子にとって代わろうとしている時だ。このような環境は、結局、時の働きによるもので、君子はこんな場合何を試みることもよろしくない。このような逆境にいかに対したらよいかは、この剥卦の上下の卦の形とその表す象意を見ればよい。内卦「坤」は大地を現し、その特性は従順である。外卦「艮」は山を表し、静止がその象意だ。つまりこれらが強く勧めるのは困難に逆らわず心を静かに保てということだ。何故なら、ものごとが満ち、また欠けるのも、あるいは盛んになるかと思えば衰えるのも、すべて人の力ではなく、時の働き、すなわち宇宙の意志によるものだからだ。このような、時の働きに逆らうのは不可能事だ。このような場合、困難を受け入れ暴挙を慎むのは卑怯でもなんでもなく、知恵ある行為というべきだ。

山が大地の上に横たわっている。
剥卦が表すイメージだ。
かくして、人の上に立つものは下の者らに対し寛容であるべきで、
そのようにすることによってのみ、自己の立場をまっとうできる。

山は大地の上に屹立しそこに拠っている。もし山が単に高さばかり高くて、それを支える山裾が狭かったら、それは倒れてしまうだけだ。山が安定して立っているのも、偉大な大地の広大さに支えられてこそであり、単に居丈高に急峻であるからではない。多くの人々の上に立つ者も同じようでなければならない。すべてを支える大地のように、慈悲と寛容で下の人々に接するべきである。そうであってこそ、静かに佇む山のような安定した地位を保つことができる

23. 山地剥(さんちはく)天卦:艮 地卦:坤斜陽 欠乏 忍び寄る危機

剥がれ落ちる 浸食 零落
資材が失われていく 控え目にしている方が良い 怠けて弱く止まって、ぐずぐずして身が保てない
温順・篤実であれば家の財産を失わない 物に執着する 隠遁
仰ぎ見られる 病に至る

・散財と失業の憂いがある。
・浪人、失業者が多く出る事が多い。
・墜落や遺失に注意する必要がある。
・免官、破産、落第などの事がある。
・人に欺かれる事がある。
・初婚は後で破談となり、再婚には吉である。
・婦人の助力を得れば成功する。

山地剥(さんちはく) †

  謙虚さを知って
  初めて大成する

■高慢さがネックになる †

山地剥(さんちはく)を評して、八卦では「山の高みが崩れ、大地に還ろうとしている」卦であるとしています。
これは、あなたの精神が至上の高みを通り越して高慢さを生み、それが元で築き上げてきたものすべてが崩壊の危機に瀕している状態を表わしているのです。
山地剥(さんちはく)の人は、自分の行動が周囲にどのような影響を及ぼしているかを常に謙虚に考えたほうがよい運勢なのです。
そのためには「異性の力」が必要となってきます。
自分の能力を過信しがちなあなたをコントロールしてくれるのが異性なのです。

■仕事の姿勢を知る †

あなたは、艮卦特有の堅実な仕事能力を有しています。
学習能力はきわめて高く、経験が深まるにつれて、高度な仕事をなしとげられます。
仕事ができるようになることで、山地剥(さんちはく)の人は大きな自信を身につけていくのですが、同時に謙虚な姿勢を忘れてしまう悪い癖があります。

山地剥(さんちはく)の人は能力が高いので、会社経営者も数多く見られます。
その会社は山地剥(さんちはく)ならではの高尚な理想を掲げたすばらしい会社なのですが、どこか社長であるあなた自身の驕りが現われているようにも見えてしまうことがあります。

こうした驕りの雰囲気は、会社が危機的状況に陥ったときに一気に噴出します。
艮卦は変化に弱く、このような対応には向かないのですが、だれもあなたに意見をいえる人材がいない状況では、あなた自身がすべてを判断しなくてはならず、結果どして失敗するのです。

山地剥(さんちはく)の人は、常に謙虚さを考えなければいけません。
謙虚な気持ちを忘れなければ、苦境で助けてくれる人材にも困らないでしょう。
あなたは、高級ホテルや老人ホームなど、人に尽くす気持ちを忘れないでいられる職場に向いているでしょう。

■恋愛は謙虚さを取り戻すチャンス †

あなたの周囲には、あなたの富や名声、美貌を求めてすり寄ってくる異性が数多くいるはずです。
そんなときでも、あなたは彼らには目もくれず、自分の高潔さに見合った異性を求めます。
しかし、意中の相手は、あなたが思い上がっていることを知って、誘いを断わります。
山地剥(さんちはく)の人はこのとき初めて、自分が謙虚さを失い、傲慢な人間になっていたことを知りえるのです。

こうして、山地剥(さんちはく)の人は、たとえその恋愛がうまくいかなくても、恋をするたびに自分の失っていた謙虚さを取り戻すことができるのです。
もちろん、あなたの傲慢さを指摘してくれるすばらしい恋人に巡り会えれば、生涯、幸福になれるでしょう。
あなたの危険をいちはやく察知して、助言してもらえるからです。

山地剥(さんちはく)の人のセックスは、自分ではやさしくしているつもりでも、自分勝手なことが多そうです。
相手のことを常に考えてあげられるようになれば、セックスの相性もよくなるでしょう。

■異性の力が幸福を導く †

何度もいうように、才能にあふれたあなたにとって一番こわいのは、自分に自信がつきはじめてからです。
あなたの自信は驕りに通じ、艮卦の長所である「もの静かな謙虚さ」を消してしまいます。
山地剥(さんちはく)の人は、信頼できる異性のパートナーを得ることで、この危機を回避することができ、真の幸福をつかめるのです。

■財運 †

異性とのトラブルさえなければ、財運は順調です。
異性とのトラブルは大きな損失を招く恐れがあります。
そんなときは、ほとぼりがさめるまで、じっとおとなしくしていることです。

23山地剥 (さんちはく)

【キーワード】裂ける

〔大意〕剥は「はぎとる」「裂く」などの意味で『易経』では「小人の勢いが盛んとなり君子を剥害する時に当たる」という喜ばしくない状態を暗示しています。

いわゆる衰運の象で、困難、苦労がつきまといがちです。まさに「剥は、往くところあるに利ろしからず」です。物事を強引にすすめるとうまくいかない。ここは一番じっくり構えてあせらず、待つ度量が必要になります。

潜在意識の理論では「待つ」ことをあまりすすめてはいません。消極よりは積極、否定よりは肯定が成功を勝ち得るためには大切であると説いています。では、この卦はどう解釈すべきでしょうか。

マーフィー博士はこういいます。「家が分かれあらそえば倒れてしまう」と。ここでいう家とはあなたの心のことです。つまり心の中の争い、葛藤があるときに事をおこせばどうなるか。これはうまくいかないに決まっています。

まさに葛藤に引き裂かれた形になり、事はうまく運ぶどころかより悲惨な結果になりかねない。こういうときは「じっとしてあなたの心、体、外界の情況が静まるのを待つことである」というのは当然です。いくら約束があったにしても、台風が吹き荒れているときに外出する人はいません。

ましてこの卦の剥離(はくり)というのは、無理矢理はがされるという強い調子があります。障害が消えさるのを待つことは、消極的でなければ否定的でもない。いまは台風が来てあなたの家の戸を吹き飛ばそうとしている。こんなときじっとしていることは、むしろ当然のことである。それができれば障害は去り、運は上昇へと向かいます。いまは自己の内部にエネルギーを貯えるときです。

初6―すべては過ぎさっていくものであることを実感しなさい。
二6―否定的なものと同居してはいけない。
三6―自分の心にある不安や心配、否定的観念は消えさることを念じなさい。
四6―恨み、怒り、後侮はあなたの人生にとって毒である。
五6―答はあなたの心の中にある。
上9―悪は終局的には滅び去ることを忘れてはいけない。


・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-28.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・
この卦は十二消長のひとつである。
純陽の乾為天から、天風姤、天山遯、天地否、風地観と、次第に陰柔が増長し、陽剛を消し滅ぼし、ついに今、僅かに上九の一陽剛のみが、どうにか残り止まっている。
しかし、この最後の一陽剛も、最早、剥され、消し尽されようとする時勢である。
だから剥と名付けられた。
また、艮山が崩れて坤の大地に付く様子でもある。
そもそもは、山の地上に聳え立つ様子だが、見上げると怖いくらいに高く聳えた山は、崩れ落ちて地に付くのではないか、と思わせるものである。
だから剥と名付けられた。
また、山が地上にあれは、いつかは消し剥がされて平地となりそうにも思えるものである。
だから剥と名付けられた。

卦辞
剥、不利有攸往、

剥(はく)は、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろしからず、

まずこの卦は、坤を順(したが)うとし、艮を止まるとする。
これは順って止まることの重要性を示しているのである。
したがって、君子は宜しく順って止まり、その道を守るべきときとする。
また、陰を小人の道、陽を君子の道とすれば、小人の道が増長し、君子の道が消滅しようとしているときである。
君子としては、新たに事を起すようなことは慎み、時に順い止まり守るしかないときである。
そもそも易は、君子たる人間の生き方を尊び教える書である。
したがって、君子に戒めて、往く攸有るに利ろしからず、というのである。
何かをやろうとしても、小人の勢いが強く、とても太刀打ちできないのである。


・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


警戒が大事です・・・・・。

全部崩れる寸前・・・・



ともわれ、用心しか、我々のできることは無いです。


お読みくださりありがとうございます。
作夜、中途覚醒して、暇つぶしに、飯山先生のブログをみて、仰天。

ついに「セカンドインパクトが近づいている!」

と、考えれる事態になっている。

先日の占断

上記文抜粋
・・・・・・・

天より隕つるありは、天の軌道から外れることから、忽然と意想外のことが起こる意味。


・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


べたに隕石=衛星兵器もあり得る。


まず再度飯山先生の記事を載せましょう。

上記文抜粋
・・・・・・・・・
2015/09/09(水)  「デブリ破壊」に手段を選ばず?!

「荒療治」の悪寒米海軍が横須賀基地に集結中! という情報が上のツイートだ。
未確認だが、横須賀基地の動きが慌ただしい!という情報もある。

米国の軍産が「荒療治」を検討している!という気配情報が、鷲の米国の友人から入電した。

鷲の第六感は、「もしや?!」と、風雲急を告げている。


イヤな悪寒がする。
まず…、
フクイチの臨界デブリから噴出する「トリチウム水蒸気」などの大量の殺人ガスは、すでに大気中を流れて、米国本土や極東ロシアや中国の沿海部に到達している。

それは、簡単に言うと、深刻な大気汚染の問題だ。

だが、露・中・米が、これを永遠に放置することは、ない!

フクイチの臨界デブリの問題を解決する方法は、荒療治でもOK!ということになれば、じつは、非常に簡単なことだ。

ひとつは、爆破による破砕法だ。
フクイチの臨界デブリは、塊(かたまり)になっているので、臨界=核分裂が継続してワケで、デブリを爆破してバラバラに破砕すれば、臨界現象は一瞬で停止する。

ふたつ目は、海水侵食法。
これは、フクイチの敷地全体をデブリもろとも猛烈に爆撃して破砕し尽くし、大ナダレを発生させて海水中に漬けてしまえば臨界は停止し、大量の殺人ガスの噴出現象も止まる。

ロシアは、上の荒療治とは別の、もっと安全な方法によるデブリ鎮圧を、日本人を移住させてからヤろう!と考えている…。

しかし米国は、日本人を移住させずにヤル!…鴨。過去にもヒロシマやナガサキでヤっているしな。

アメリカの「荒療治」を、プーチンと習近平が(中国の「衛星ミサイル」を使って…)阻止する!と推測する識者もいる。

太平洋の放射能汚染はロシアと中国の国益に反するし…、「太平洋を守るためにアメリカの横暴な荒療治を阻止した!」と国際世論に訴え、「正義」という大義名分を獲得するメリットが大きいからだ。

いずれにせよ…、
米国軍産が「またもや日本人を核殺する!」というヤバイ情報に充分な注意を払うことが肝要だ。

飯山 一郎

・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり



アメリカって国は、します。

核兵器の一発・二発ぶち込んで、日本人を殺しまくっても「アメリカ国民を守る」のは、普通の発想ですし、それが「国君」の最低限の責務。

阿呆のニホンジンに任せれない・・・・


ともわれ、易にこの事態を問いました。

天地否 5爻 

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-17.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・
否とは閉塞否定といった意。

前卦地天泰とはまったく逆の形であり意味である。
この卦も地天泰同様、乾を天の気、坤を地の気とするが、上にある天の気が上昇、下にある地の気が下降だから、意味は逆になる。
要するに、陰陽の気が交わらないのだ。
陰陽の気が交わらなければ雨は降らず、草木百物は育たない。
このような状態を否塞という。
だから否と名付けられた。
また、上にある者がことさら上にあることを主張し、下にある者がことさら下にあることを主張し、上下が対立しているのだ。
君臣が心を一つにするのではなく、双方が共に相手の言い分を否定するだけで、決して譲り合わないのである。
だから否と名付けられた。
また、夫婦で言えば、乾の夫と坤の妻が、自己主張ばかりで相手の気持ちを汲もうとしない様子である。
夫婦が互いに相手を思いやり、心を通わせてこそ、結婚生活は上手く行き、子孫繁栄にも恵まれるというものだが、これではそういう明るい未来は否定され、離婚が待ち構えているだけである。
だから否と名付けられた。
また、内卦の坤は柔弱、外卦の乾は剛健とすれば、優柔不断で自分自身の考えが曖昧なのに、物事はその場の思いつきで威圧的に決め付けてしまう様子である。
これでは何事も失敗するばかりである。
だから否と名付けられた。
また、内卦の坤を小人、外卦の乾を君子とすれば、小人が国政を弄び、君子たる資質を備えた人間が外に左遷されている様子。
これでは必ずその国は傾き凋落する。
だから否と名付けられた。
また、十二消長で言えば、天風姤で生じた陰気が半分を占めるまでになったところである。
したがって、陽を君子の道、陰を小人の道とすれば、小人の道が幅を利かせ、君子の道が尊ばれなくなってきた様子。 これでは世の中は混迷する一方で、先行きは不透明である。
だから否と名付けられた。

卦辞
否、大往小来、不利君子貞、
否(ひ)は、大(だい)往(ゆ)き小(しょう)来(き)たる、君子(くんし)の貞(かた)くなしきに利ろしからず、

前卦地天泰とは逆に、こちらから出て行くのは大、入り来るのは小である。
十二消長で言えば、陽の大なる者が卦外へ行き、その数を減らし、陰の小なる者が卦内に来て、その数を増やしているときである。
だから、大往き小来たる、という。
大きく投資しても、儲けは少ない、という意味に取ってもよいだろう。
とにかく陰陽が交わらなければ、何も生まれないのだから、これは大凶である。
君子ならば、小人の道が盛んになろうとする兆しを見極め、原理原則に捉われず、小人から害されないように、時が過ぎるのを待つのが得策だろう。

・・・・・中略・・・・・・・

九五、休否、大人吉、其亡其亡、繋于苞桑、

九五(きゅうご)、否(ひ)を休(やす)む、大人(たいじん)は吉(きち)なり、其(そ)れ亡(ほろ)びん其(そ)れ亡(ほろ)びんとして、苞桑(ほうそう)に繋(かか)るべし、

九五は否中の泰の中位に在って、否も殆ど尽きようとする時に向かっている。
もとより九五は、剛健中正の徳が有り、否を救い、乱を払い治める英勇の君上である。
だから、否の気運を終息させるという意味で、否を休む、という。
そして、そもそもこれは、大人君子の志を得て、功を成すべき時であるのだから、大人は吉、という。
要するに、六二の爻の否中の否の時とは反対なのである。

さて、六二では、大人は否なり、とし、この九五では、大人は吉なり、という。
また、六二の時は、否中の否だが、最後に「亨る」と付け加えてある。
これは、志行堅固にして、この九五の時を待ち、九五とともに否を救い、乱を払い治めれば、そのときに亨る、という義である。
しかし、このような時勢に向かっているとしても、今、直ちに否の全卦が終わるわけではない。
まだまだ一歩間違えば、忽ち否中の否へ陥ち入る危険がある。
とすると、常に惧れ謹んで、このままだとそのうち滅亡する可能性もある、と、戦々兢々として警戒するべきである。
喩えば、苞(茅の一種)や桑の細い枝に、重い物をぶら下げるときのように、慎重な上にも慎重に、危ぶみ省みながら行うのが大事である。
このようであればこそ、否を救い得て、泰通の時に至るものなのである。
だから、其れ亡びん其れ亡びんとして、苞桑に繋るべし、という。

※なお、苞桑は「桑の根」という意味の熟語でもあるが、中州は上記のように解釈している。



・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


この事態が、この福一デブリを収束させる端緒たりえる・・・・

けど「否」ですし、


>これは、志行堅固にして、この九五の時を待ち、九五とともに否を救い、乱を払い治めれば、そのときに亨る、という義である。
しかし、このような時勢に向かっているとしても、今、直ちに否の全卦が終わるわけではない。
まだまだ一歩間違えば、忽ち否中の否へ陥ち入る危険がある。
とすると、常に惧れ謹んで、このままだとそのうち滅亡する可能性もある、と、戦々兢々として警戒するべきである。

>慎重な上にも慎重に、危ぶみ省みながら行うのが大事である。
このようであればこそ、否を救い得て、泰通の時に至るものなのである。
だから、其れ亡びん其れ亡びんとして、苞桑に繋るべし、という。


というから、かなり危険な状態だが、これでこの日本田布施放射能帝国が終わるときが来ています。

変卦は

火地晋 5爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-40.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

晋とは、進む、という意。
この卦は、易位生卦法によれば、もとは地火明夷から来たものとする。
地火明夷は、太陽が地中に入った様子であり、この火地晋は、太陽が地上に進み昇る様子である。
だから晋と名付けられた。
また、離を明とし麗(つ)くとし、坤を順(したが)うとし、内卦を自分、外卦を相手とすれば、自分が明に麗き順う様子である。
およそ物事は、明に麗き順うときはその道必ず進むものである。
だから晋と名付けられた。
また、来往生卦法によれば、もとは天地否より来たものとする。
その否塞の卦中に、六五の一陰爻が外から進み上ってこの卦となったのである。
だから、その一陰が進み上がったということにより、晋と名付けられた。

卦辞
晋、康侯、用錫馬蕃庶、昼日三接、

晋は康(やす)んじる侯(きみ)なり、馬(うま)を錫(たま)うこと蕃庶(はんしょ)たり、昼日(ひるひ)に三(み)たび接(まじ)われり、

康んじる侯とは、民を安んじ、国を治める侯=国主のことある。
蕃庶とは、衆多という意。
この卦は昇り進む時であって、太陽が地上に在って万邦を照らす様子であり、君が文明にして四海を統御する様子であり、また、君徳が上に明らかにして、諸侯に順う様子であるが、要するに、世の中が上手く治まっている様子である。
これは、六五の君主が文明柔中なので、諸侯も順うのであって、そうであるのなら、よく治世に貢献した者は、褒美を賜ることが数多くあり、君主からも親しく何度も呼ばれ、優遇されるというものである。
だから、馬を錫うこと蕃庶民たり、昼日に三たび接われり、という。
なお、馬は柔順にして人を乗せ遠くへ行くものであるが、これは、諸侯が柔順にして天子の命を奉り、遠くの国を治めることの比喩でもある。


・・・・・・・・中略・・・・・・・


六五、悔亡、失得勿恤、往吉、无不利、

六五(りくご)、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、失得(しっとく)ともに恤(うれ)うること勿(なか)れ、往(ゆ)けば吉(きち)なり、利(よ)ろしからざる无(な)し、

今は晋の時ではあるが、六五の君は柔弱にして威権は微少(すくな)い。
これを以って九四の権臣が剛強をほしいままにして、君を欺き凌ぎ、法を弄び、威を振るう。
しかも、下に君家を輔佐するべき陽剛の臣はない。
したがって、六五の君は、その様子を悔い歎く。
しかし六五は、柔中の徳が有り、離明の主爻であるを以って、終にはその悔いも亡び消える。
このような時には、六五の君はしばらく時勢を省み察し、自らの心を裕寛(ゆたか)にし、失も得もみな天運のなせるところにして、これを恤えて悶えても無益だと悟り、よく離明柔中の徳を守って、兆民を懐柔安撫するべきである。
だから、失得ともに恤うること勿れ、という。
さて、この時に当たっては、六五の君が頼みにするべきところの者は、ひとり上九の賢者のみである。
しばらくは上九の賢者に頼み、九四権民の威を削り、勢いを殺ぎ、以って天下を治めることこそが、吉を得る道なのである。
だから、往けば吉なり、利ろしからざる无し、という。
この「往けば」とは、上九に頼みに往くことを指す。



・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり


デブリの鎮圧で、一気に道が開ける。

ただこの「晋」の卦は、「安倍晋三」を想起させる・・・・

あと

「大地に火が上がる=福島に原爆をぶち込み火柱やキノコ雲があがる」

とも見える。


栄光への道を歩むにも、しばらく地獄レベルのいばらの道をまず歩む必要があるのかも。


お読みくださりありがとうございます。


追記

後の記事でもあるけど、原爆二発よりも、「衛星兵器」と「天皇消滅」の二発で、日本は救われるように思える。

天が崩れて、、、「離=火」が地上の姿を現す。

天皇でない「明仁さん」が、出現する・・・かも。


福一と日本帝国政府の悪政での惨禍のためにブリヤート共和国の移民も考慮せざろう得ない状態。


その可否を易に問いました。


沢風大過 2爻 

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
大過とは、大いに過ぎる、大なる者が過ぎる、ということ。
易では、陽を大、陰を小とするのだが、この卦は四陽二陰にして、陽爻が陰爻よりその数が過ぎている。
だから大過と名付けられた。
なお、四陽二陰の卦は、他に雷天大壮、天山遯をはじめ、いくつかあるが、それならなぜ、ことさらにこの卦だけ大過というのか、ということになるが、それは、内外主客をもって、卦の形を判断するからである。
そもそも主は内にして、客は外に位置するものである。
したがって、主を陽とし、客を陰とすれば、この卦は四陽が主として内にあり、二陰が客として外にあるわけである。
とすると、主が客よりも大いに過ぎている。
だから大過と名付けられた。
逆に、雷山小過の場合は、二陽が内に主としてあり、四陰が外に客としてあるが、これは客の小なる陰が主の陽なる大よりも過ぎているから、小過と名付けられたのである。
念のために付け加えると、陰は主となるべきものではないので、陰が内にある山雷頤や風沢中孚は、大小過と名付けられなかったのである。

もとより主には勢いがあり、客には勢いはないのは、兵家の主戦客戦という語にもあるとおりである。
この卦は、勢いのある主たる陽剛が、勢いのない客たる陰柔に過ぎている。
対する雷山小過の場合は、客の勢いのない陰柔が、主の勢いのある陽剛に過ぎているわけだが、客は過ぎているとしても、そもそもが勢いのない者だから、大いに過ぎるとは言えないので、小過と名付けられたのである。

また、この卦は、兌を沢、巽を木とすれば、沢が木を滅ぼすという意もある。
沢は水草が集まり蓄えられている場所であり、本来は木を潤養するところである。
しかしこの卦にあっては、巽の木は、兌の沢の中に入って滅没している。
これは、その潤養が却って大いに過ぎた様子である。
だから大過と名付けられた。
また、兌を悦ぶとし、巽を従うとすれば、悦んで従う様子である。
心に悦楽して従事するときは、その事は必ず大いに過ぎるものである。
だから大過と名付けられた。
また、兌を少女とし、巽を長女とすれば、この卦は少女が長女の上に位置している。
これを少女について言えば、長女を凌ぐことが過ぎているのであって、長女について言えば、少女に譲ることが過ぎている様子である。
これもまた、大過と名付けられた所以である。

卦辞
大過、棟橈、利有攸往、亨、

大過(たいか)なれば、棟(むなぎ)橈(たわ)めり、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、

棟とは、屋根を支える大事な木なので、材木の中でも、その材質が傑出大過なものを選んで使うものである。
しかしその棟も、多くの木材を載せ負うと、材力の分に大いに過ぎ、橈んでしまう。
これは、人事に於いても同様である。
人それぞれ能力には限度があり、その人の能力を大いに過ぎる仕事を任されれば、棟が橈んでしまうように、その任に堪えられず、失敗を招いてしまう。
だから、大過なれば棟橈めり、という。

そもそも天運には窮通があり、時勢にも過不及がある。
君子ならば、それを弁え知る必要がある。
今、大過のときに当たって、その任に居り、その職を掌ろうとする者は、必ず大いに過ぎる非常な大材力大手段がないときは、その事を遂げるのは難しい。
しかし、その大いに過ぎる大材力大手段があれば、しかる後には、物事を成すことは可能である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
そして、しかる後に事物は遂げ成るから、亨る、という。


・・・・・・・中略・・・・・・・

九二、枯楊生梯、老夫得其女妻、无不利、

九二(きゅうじ)、枯楊(かれやなぎ)梯(ひこばえ)を生(しょう)ず、老夫(ろうふ)其(そ)の女妻(じょさい)を得(え)たり、利(よ)ろしからざる无(な)し、

この卦は兌の沢の中に巽の木が在る象である。
また、巽は柔木とする。
楊は柔木(柔らかい木)にして、水を好む木である。
したがって、象を楊に取る。
草木の性は陰潤の水の養いの過ぎるにも枯れ、陽燥の水の養い不足なるにも枯れるものである。
今、この卦は四陽ニ陰なので、陽が大いに過ぎている。
これを草木に取れば、陽燥に過ぎて乾き枯れる義が有る。
なおかつこの卦は、もとより陽に過ぎている。
しかし、この九二の爻は、内卦の中の徳を得ているので、過ぎていない、という義が有るとともに、初六の陰柔の比爻の浸潤の助けを得て、剛柔相適い、相済(ととの)い、ほとんど宜しきを得ているので、大過の過失を補う、という義が有る。
そこで、象に則して直ちに言えば、九二の枯れた陽が、初六の陰の根の助けを得て、再び陽の梯を生じる義である。
だから、枯楊梯を生ず、という。
およそ草木の中で、すでに乾枯しているに、そこから梯を生じて復活するのは、楊のみである。

さて、これを人事について言えば、一旦喪い果てることが、再び復活するという義である。

もとより九二は陽剛にして夫である。
初六は陰柔にして妻である。
初とニと陰陽正しく比している。
したがって、これを夫婦とする。
なおかつこの辞には女妻とある。
女とは、未だ嫁いでない者の称にして、言うなれば少女の義である。
この卦は大過の時なので、夫は老夫、妻は女妻と言う。
これは夫の年齢が、遥かに妻に過ぎている様子である。
爻象を以って見れば、九二は初六より一段上である。
これは加倍の長である。
その上に大過の時の義を兼ね合わせる。
だから、老夫、其の女妻を得たり、という。

老夫が少女と結婚するのは、常識を大いに過ぎているということもあり、躊躇することもあるだろう。
しかし、九二の夫が初六の妻の助けを得ることは、枯楊が水の潤おいの助けを得て、梯を生じるようなものであって、この夫婦にもついには子が生まれ、その血は脈々と受け継がれていくのである。
要するに、結婚の目的は子孫を残すことであって、老夫と少女のカップルであってもその目的は達成できるのだから、世間的な評価は関係ない。
本人同士が望むのであれば、躊躇せず、積極的にその話を進めて、何ら問題はない。
だから、利ろしからざる无し、と、背中を強く押す。



・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


日本復興のために、この「ブリヤート共和国への日本移民」は、吉と言っているのかな。

ただ、そういう風な計画は、一番いいってことかも・・・。


沢山カン の 2爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-36.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・
八卦のgonsan-n.gif艮(ごん)の上に、sdataku-n.gif兌(だ)を重ねた形。

咸とは、物と物とが相対して、その心念合一になることを言う。
平たく言うと、感じる、ということである。
そもそも天地の間の物は、相咸じないということはない。
その相咸じる中でも、男女の情欲より咸じることの激しいものはない。
その男女の中でも、少男少女は、特に咸じることが甚だしい。
『論語』李子篇に、少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り、とあるが、これは少年の咸じることの甚だしいことにより、礼を失うことを恐れて、深く戒めたものである。
咸じるとは、思慮なく感覚的に感じていることである。
例えば、可愛い女の子を見て可愛いと感じ、カッコイイ男の子を見てカッコイイと感じることや、満開の桜を見て綺麗だと感じることなどが、咸じるということになる。

さて、この卦は、艮の少男が兌の少女の下にいる。
これは少男少女が相交わり、互いに咸じ合っている様子である。
だから咸と名付けられた。

もとより万物の相対する者は、すべからく相咸じる者である。
山は地の高い場所、沢は地の低い場所であり、この両者は高いと低いとで相対している。
これを、山沢相対する、という。
易位生卦法によれば、この沢山咸は、山沢損から来たものとする。
山沢損の艮山が下り、兌沢が上ったのがこの沢山咸である。
しかし、山沢の実体が上り下りするわけがない。
動いたのは気であって、艮山の気が下り、兌沢の気が上がったのであって、これにより、二気が交わり咸じたのである。
だから咸と名付けられた。
なお、気が上り下りして相交わるというのは、地天泰、風雷益、水火既済の三卦と同じ例である。

また、ひとりのこととして観るときは、兌を悦ぶとし、艮を止まるとし、悦んで止まる様子とする。
人々が、その事その物を悦び、その悦ぶところに心を止めることが、咸ということである。
だから咸と名付けられた。

また、交代生卦法によれば、もとは天地否から来たものとする。
天地否の上九が下り来て九三となり、天地否の六三が上り往きて上六となったのが、この沢山咸である。
上九が下り来たのは、天気が下って交わる様子であり、六三が上り往くのは、地気が上って交わる様子である。
これは天地が交わり咸じる様子である。
だから咸と名付けられた。

卦辞
咸、亨、利貞、取女吉、

咸は亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よろ)し、女(おんな)取(めと)るに吉(きち)、

およそ天下のことは、互いに心念合一の咸じ合う域に達していれば、亨通しないことはない。
また、その道を悦んで、その事を心に止めるときには、これも亨通しないことはない。
だから、亨る、という。
ただし、咸というのは、感覚的に感じ合って意気投合しているだけであって、まだ具体的な効用事業に感じ合っているわけではない。
だから、元いに亨る、とまでは言えず、単に、亨る、という。

そもそも天下のことは、すべて善悪正邪の両方を具えているわけだが、特に咸の道は、情欲意念が強い。
正しきに咸じれば善となるが、正しくないことに咸じれば不善となる。
だからこれを戒めて、貞しきに利ろし、という。

さて、男女夫婦の道は、家道の大経であり、夫(おっと)が首(はじ)めに唱えれば、婦(つま)が随い和して、和楽するものだが、そもそもはこの咸より始まることである。
男女夫婦が互いに咸じなければ、和楽することもない。
またこの卦は、悦んで止まる様子であるが、これは婦が悦んで夫の家に止まる、ということでもある。
だから、女取るに吉、という。


・・・・・・・中略・・・・・・・

六二、咸其腓、凶、居吉、

六二(りくじ)、咸(かん)じて其(そ)れ腓(こむら)なり、凶(きょう)なり、居(お)れば吉(きち)なり、

初を拇(ぼ=足の親指)とし、三を股(もも)とし、二はその中間に在る。
これは腓(こむら)の位である。
六二は陰柔にして、上の九五と陰陽正しく応じている。
これは、九五に咸じて、他の志を持つべきではない爻である。
しかし咸というものは、そもそもが情欲意念から発するのであって、なおかつ六二は陰柔にして節操が弱く、遠くに咸じることは日夜に疎くなり、近くに馴れ親しみ咸じやすい。
かくして、遂に六二の陰爻は、まず比爻の九三の陽爻に比し咸じてしまう。
これを以って、九三が動けば六二も共に動き、九三が止まれば六二も共に止まるのだが、その様子はまさに股と腓が共に動き止まるが如くである。
これを人事に当てれば、その人に定まった志念などなく、卓立した見識もなく、ただ他人に就いて進退動止する者とする。
苦楽是非もすべて他人任せで気概節操のない惰夫であり、このような態度で行動するのが凶であることは、言うまでもない。
だから、咸じて其れ腓なり、凶なり、という。
しかし、今日よりこのような態度を戒め改め、まず、自らよく物事に主宰たる見識を張り立て、志を堅固に定め、妄りに動かないようにすれば、吉を得られるものである。
だから、居れば吉なり、という。
居るとは、九三に比し咸じるという不正の動きを止めて、九五正応に咸じるようにしなさい、という義を込めての垂戒である。



・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


だからといって、すぐに動くな・・・・という話かな。


移民計画は大吉。

でも移民自体は、まず様子見。


てことかな・・・



面白い・・・・


さてさて・・・



お読みくださりありがとうございます。







<< BACK  | HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 日本天皇国滅亡記。{渾沌堂主人雑記}天皇を看板にする「愛国」をいう偽物は要らん。 --  All Rights Reserved

Designed by CriCri / Material by White Board / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]