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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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先日、易で「今後の日本は・・・」と漠然とした感じで聴きました・・・・・。

ちょっと怖いですは・・・

沢水困 3爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-52.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・
47 沢水困(たくすいこん)

・・・・中略・・・

困とは、苦しむ、困窮して自らの力では打開できない、という意。

易位生卦法によれば、もとは水沢節から来たものとする。
水沢節は、坎の水が兌の沢の上に在り、沢水が溢れず枯れずほどよくある様子である。
それが今、上下が入れ替わると、兌の水は悉く漏れ下り、この沢水困となる。
これは、沢水が涸渇した様子であり、困窮厄難を示す。
だから困と名付けられた。

また、内卦の坎は一陽二陰の間に陥り、二陰のために覆われている様子、外卦の兌は一陰が二陽の上に在り、これも二陽が一陰に覆われている様子である。
また、下の坎は陽卦、上の兌は陰卦であり、陰卦をもって陽卦を覆っている様子である。
また、陰は小人の道、陽は君子の道であり、陽を男子とし、陰を女子とすれば、君子は小人に覆われ、男子は女子に覆われている様子である。
男子が女子に覆われるというのは、男性が色仕掛けで誘惑する女性の言いなりになっていることである。
これらは、困窮の至って甚だしいことである。
だから困と名付けられた。

・・・・中略・・・・

卦辞
困、亨、貞、大人吉、无咎、有言不信、

困は、亨(とお)る、貞(ただ)しかるべし、大人(たいじん)は吉(きち)、咎(とが)无(な)し、言うこと有れども信ぜられじ、

この卦は、坎を険難、兌を悦ぶとすれば、険難のときに悦んでいる様子となる。
険難のときであっても悦んでいるのは、一見問題がありそうだが、実はこれこそ困のときの正しい道なのである。
天命に身を委ね、その困窮に甘んじ、時期を待つしかないときである。
徒に悩んでも解決するものではない。
とすれば、その険難に置かれている状況を悦び楽しみとするのが、一番精神衛生にもよいし、そのようにしていれば、人間としての器の大きさも評価されるのである。
逆に、困窮を脱しようと右往左往しても、おいそれとは脱出できないものである。
なんとか現状を打開するためにと、甘い見通しを立てて無理して金策に走り、結局は失敗し、さらに借金に借金を重ね、ついには泥沼に陥ることがあるように。
したがって、今置かれている険難の状況を悦び楽しむ余裕こそが大事なのである。
そうしていれば、やがて必ず困窮を脱するときが来るものである。
だから、困は亨る、貞しかるべし、という。
亨るというのは、今すぐにではない。
貞しく、というのは、この場合は、険難を悦ぶ余裕で耐えることである。
困のときだからこそ、貞しく険難を悦ぶ余裕で耐えていれば、いつか困窮から脱して、そのときに亨通する、ということである。
大人ならば、どんなに困窮しても、天を恨まず、他人を咎めず、ひたすら貞正の道を守り、険難を悦び、時が至るのを待つものである。
右往左往するのは小人である。
だから、大人は吉、咎无し、という。
咎无しとは、道に違はざることである。
これが小人ならば、凶、咎有り、ということになる。
およそ人は困苦のときに遇うと、必ずその困窮を緩和し、険難を脱しようと、数々の辛酸を舐め、恥辱を耐え、耳を低くして尾を伏せ、他人に哀れみを求め、救済を乞い、哀しみ訴えるものである。
しかし、そうして訴えても、どこまで相手から信用され、助けて貰えるだろうか。
世の中というのは、そんなに甘くない。
自分がその困窮をあれこれ言っても、話半分にしか聞いて貰えないのが普通である。
だから、言うこと有れども信じられじ、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
困、剛揜也、
困(こん)は、剛(ごう)揜(おお)はるる也(なり)、

険以説、困而不失其所亨、其唯君子乎、
険(けん)にして以(も)って説(よろこ)ぶ、困(くる)しんで而(しこう)して其(そ)の亨(とお)る所(ところ)を失(うしな)わざるは、其(そ)れ唯(ただ)君子(くんし)乎(か)、

貞、大人吉、以剛中也、
貞(ただ)しくせよ、大人(たいじん)なれば吉(きち)なりとは、剛中(ごうちゅう)なるを以(も)って也(なり)、

有言不信、尚口乃竆也、
言(い)うこと有(あ)りとも信(しん)ぜられずとは、口(くち)に尚(たよ)れば乃(すなわ)ち竆(きゅう)する也(なり)、

象伝(原文と書き下しのみ)
沢无水、困、君子以致命遂志、
沢(さわ)に水(みず)无(な)きは、困(こん)なり、君子(くんし)以(も)って命(めい)を致(いた)し志(こころざし)を遂(と)ぐ、

・・・・・・中略・・・・

六三、困于石、據于蒺*梨、入于其宮、不見其妻、凶、
*梨は正しくは草冠に梨という字で、茨など棘がある植物のこと。
この字(図形として作成)→ri_toge.gif
しかし、JIS規格にもユニコードにもないので、意味は異なるが音が同じ*梨で代用しておく。

六三(りくさん)、石(いし)に困(くる)しみ蒺*梨(しつり)に據(よ)る、其(そ)の宮(みや)に入(い)りて、其(そ)の妻(つま)を見(み)ず、凶(きょう)なり、

石とは九四を指し、蒺*梨とは九二を指す。
宮とは六三の居所、妻とは上六を指す。

今、困の時に当たって、六三は陰柔不才、不中不正にして、下卦坎の険(なや)みの卦の極に居る。
その上、応爻の援助はなく、九四の陽剛に承け、九二の陽剛に乗っている。
したがって、前に進もうとすれば九四の堅剛な石に遮られて進めず、後ろに退こうとすれば、九二の蒺*梨の鋭利な棘に刺され阻まれて退くこともできず、進退共に窮まっているのである。
これは、困窮の至って甚だしい者である。
だから、石に困しみ蒺*梨に據る、という。

まして六三は、九四の陽に承けると九二の陽に乗るという険みが有るだけではない。
自身の居所の六三の位もまた、坎の険みの極にして、あまつさえ上六の応位の妻が有るとしても、これもまた陰柔にして相応じてはいないので、その妻に会えない。
したがって、安んじるところがなく、援助もない。
困の至極、凶の最大なる者である。
だから、其の宮に入りても其の妻を見ず、凶なり、という。


・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


>其(そ)の妻(つま)を見(み)ず、凶(きょう)なり、


これは、なにか保育所に入れなかったママさんが、「日本死ね」っていったのと呼応しているように思える・・・

あと

>言うこと有りとも信ぜられずとは、口に尚(たよ)れば乃ち竆(きゅう)する也。

新井先生とかも「ホのことを黙っているし誤魔化しているが、それはもうだめだ」

という趣旨のことを言われてますが、まさにこの言葉のとおりです!!


その挙句のはても易も言ってます変卦で・・。

沢風大過 3爻

参考
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-33.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・
28 沢風大過(たくふうたいか)
takufu.gif大過 巽下兌上(そんか だじょう)

八卦のsonfuu-n.gif巽(そん)の上に、sdataku-n.gif兌(だ)を重ねた形。

大過とは、大いに過ぎる、大なる者が過ぎる、ということ。
易では、陽を大、陰を小とするのだが、この卦は四陽二陰にして、陽爻が陰爻よりその数が過ぎている。
だから大過と名付けられた。
なお、四陽二陰の卦は、他に雷天大壮、天山遯をはじめ、いくつかあるが、それならなぜ、ことさらにこの卦だけ大過というのか、ということになるが、それは、内外主客をもって、卦の形を判断するからである。
そもそも主は内にして、客は外に位置するものである。
したがって、主を陽とし、客を陰とすれば、この卦は四陽が主として内にあり、二陰が客として外にあるわけである。
とすると、主が客よりも大いに過ぎている。
だから大過と名付けられた。
逆に、雷山小過の場合は、二陽が内に主としてあり、四陰が外に客としてあるが、これは客の小なる陰が主の陽なる大よりも過ぎているから、小過と名付けられたのである。
念のために付け加えると、陰は主となるべきものではないので、陰が内にある山雷頤や風沢中孚は、大小過と名付けられなかったのである。

もとより主には勢いがあり、客には勢いはないのは、兵家の主戦客戦という語にもあるとおりである。
この卦は、勢いのある主たる陽剛が、勢いのない客たる陰柔に過ぎている。
対する雷山小過の場合は、客の勢いのない陰柔が、主の勢いのある陽剛に過ぎているわけだが、客は過ぎているとしても、そもそもが勢いのない者だから、大いに過ぎるとは言えないので、小過と名付けられたのである。

・・・中略・・・

卦辞
大過、棟橈、利有攸往、亨、

大過(たいか)なれば、棟(むなぎ)橈(たわ)めり、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、

棟とは、屋根を支える大事な木なので、材木の中でも、その材質が傑出大過なものを選んで使うものである。
しかしその棟も、多くの木材を載せ負うと、材力の分に大いに過ぎ、橈んでしまう。
これは、人事に於いても同様である。
人それぞれ能力には限度があり、その人の能力を大いに過ぎる仕事を任されれば、棟が橈んでしまうように、その任に堪えられず、失敗を招いてしまう。
だから、大過なれば棟橈めり、という。

そもそも天運には窮通があり、時勢にも過不及がある。
君子ならば、それを弁え知る必要がある。
今、大過のときに当たって、その任に居り、その職を掌ろうとする者は、必ず大いに過ぎる非常な大材力大手段がないときは、その事を遂げるのは難しい。
しかし、その大いに過ぎる大材力大手段があれば、しかる後には、物事を成すことは可能である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
そして、しかる後に事物は遂げ成るから、亨る、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
大過、大者過也、棟撓、本来弱也、
大過(たいか)は、大(だい)なる者(もの)の過(過)すぎたる也(なり)、棟(ムネ)撓(たわ)むとは、本末(ほんまつ)の弱(よわ)ければ也(なり)、

剛過、而中、巽而説、利有攸往、行乃亨也、大過之時大矣哉
剛(ごう)過(す)ぎたれども、而(しか)も中(ちゅう)にして、巽(ととの)って而(しこう)して説(よろこ)ぶをもって、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、行(おこな)えば乃(すなわ)ち亨(とお)るとなり、大過(たいか)之(の)時大(おお)いなる哉(かな)、


象伝(原文と書き下しのみ)
沢滅木、大過、君子以独立而不懼、遯世无悶、
沢(さわ)が木(き)を滅(め)っするは、大過(たいか)なり、君子(くんし)以(も)って独立(どくりつ)して而(しこう)して懼(おそ)れず、世(よ)を遯(のが)れても悶(いきどお)ること无(な)かるべし、


・・・・・・中略・・・・

九三、棟橈、凶、

九三(きゅうさん)、棟(むなぎ)橈(たわ)めり、凶(きょう)なり、

卦辞に棟と言うのは、全卦を棟の象に取ってのことである。
爻辞では、この九三に、棟橈む、九四に、棟隆んなり、と、この両爻の辞だけに、棟と言う。
これは、全卦の棟のその中間を取ってのことである。
今、この大過の時、過陽の卦に在って、九三は陽爻を以って陽位に居り、なおかつ不中である。
そもそも棟というのは、そこにかかる力が、棟が持っている力を過ぎれば、必ずその任に堪えず、橈み、さらに重さが甚だしければ折れることもある。
これを人事に擬えるときは、国家が背負っている重さに耐え切れず、まさに傾き覆るに至ろうとする時勢である。
とすれば、凶であることは言うまでもない。
だから、棟橈めり、凶なり、という。

なお、上六と陰陽相応じている。
これは陰陽が相助け合う義に取るのが普通だが、棟を以って言うと、上にある応爻は、九四や九五とともに、九三が負い載せている者であって、九三を助ける者ではない。
むしろ、却って九三に重みを増しているだけである。
したがって、上九は応爻ではあるが、実際には何の助けにもならないのである。



・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


棟木が折れる・・・


地震?ホの日本経済の壊滅?

あります、確実に・・・。なにか痛撃が・・・


日本に死を!そうすれば日本人が生き延び繁栄するだろう・


お読みくださりありがとうございます。

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