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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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元祖ネトウヨ・ネトサポのナチスSA{突撃隊}

これが粛清されたのが「長いナイフの夜」事件。

ウイキ

上記文抜粋
・・・・・・・

長いナイフの夜事件(ながいナイフのよるじけん、ドイツ語: Nacht der langen Messer De-Nacht der langen Messer.ogg 発音[ヘルプ/ファイル])とは、1934年6月30日から7月2日にかけて、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が行った突撃隊(SA)などに対する粛清事件である。
粛清は正式な法的措置を執らずに行われ、エルンスト・レームらSA幹部、かつてナチス左派の領袖だったグレゴール・シュトラッサー、元首相で名誉階級陸軍大将のクルト・フォン・シュライヒャーなど党内外の人々多数が裁判を経ずに殺害された。当局の公式発表によると77人が死亡したことになっているが、116名の死亡者の氏名が明らかになっている。亡命ドイツ人の発表では千人以上という数値も主張されている。事件名は、5世紀ウェールズでのザクセン人傭兵による、ブリテン人への宴席での騙し討ち(隠し持った長ナイフによる殺害)(en:Treachery of the Long Knives)にちなむ。

・・・・・中略・・・・

レームの処刑[編集]
6月30日が終わっても突撃隊幕僚長レームはいまだミュンヘンのシュターデルハイム刑務所に投獄されたまま生かされていた。アドルフ・ヒトラーが唯一お互いに「お前(Du)」と呼びあう仲の同志であるレームの処刑に最後のためらいをしていたためだった。しかし7月1日正午前にはヒトラーもゲーリングとヒムラーの説得に折れ、ついにレームの処刑を決意した。ダッハウ強制収容所所長テオドール・アイケに連絡し、レームに一度自決の機会を与えたうえで処刑するようにと命じた。
午後3時頃、アイケは部下のダッハウ副所長ミヒャエル・リッペルトを引き連れて、シュターデルハイム刑務所のレームの独房を訪れた。アイケはレームに対して「貴方は死刑に処される。総統は最終決断のための機会を貴方に与えた」と宣告し、「レーム逮捕」を報じるナチ党機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』紙と自決用の一発だけ弾の入った拳銃を置いて独房から立ち去った。しかしいつまでも銃声がしないため、アイケ達は再度レームの独房に戻った。アイケはリッペルトにレームを撃つよう命じ、リッペルトがレームに向けて2発発砲した。撃たれたレームは床に倒れながら「我が総統…。」と述べたのに対してアイケは「貴方はもっと早くそれを言うべきだった…。」と返したという。レームにはまだ息があったので、もう一発胸に撃ち込んで殺害した(とどめを刺したのがアイケかリッペルトかどちらであるかは不明)[11]。


・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり

ウイキ SA{突撃隊}

上記文抜粋
・・・・・

ナチスの政権掌握直後の1933年には補助警察となり、政敵の弾圧にあたった。しかし突撃隊は下層民も多い大衆組織であったため、社会主義的な思想を持つ隊員が多く、国防軍などの保守勢力との連携を深めるアドルフ・ヒトラーにとって厄介な存在となり、1934年6月末から7月初旬にかけてレームをはじめとする突撃隊幹部が親衛隊(SS)によって粛清された(長いナイフの夜)。粛清後は勢力を失ってSSの配下となり、以降は国防軍入隊予定者の訓練を主任務とするようになった。

・・・・・中略・・・・・

ヒトラーはレーム以下突撃隊幹部粛清に乗り気ではなかったが、レームや突撃隊幹部と対立するところの多いプロイセン州首相ヘルマン・ゲーリング、親衛隊のハインリヒ・ヒムラーやラインハルト・ハイドリヒらによって突撃隊粛清の準備は進められていた[127][129]。国軍軍務局長ヴァルター・フォン・ライヒェナウ少将もこの動きに協力した[130][131]。

突撃隊問題に曖昧な態度をとるヒトラーに粛清を決意させるため、ヒムラー、ハイドリヒ、ゲーリングらは突撃隊の「武装蜂起計画」をでっち上げることとした。1934年4月下旬から5月末にかけてハイドリヒはレームと突撃隊の「武装蜂起」の証拠の収集・偽造を行った[132][133]。そして1934年6月はじめ頃からそれらがばら撒かれて、突撃隊「武装蜂起」の噂が流れた。ヒトラーは6月4日に首相官邸でレームと会談を行った。会談の結果、高まる緊張を少しでも沈静化するため突撃隊の多くの部隊が一カ月の休暇に入り、レームも療養に入ることとなった[134][135]。しかしヒンデンブルク大統領とブロンベルク国防相は、6月21日にノイデックの大統領私邸においてヒトラーに対し、もし事態の鎮静化ができないならヒトラーの権限を陸軍に移して代わりに処置させると通告した[136]。ヒトラーはこの日に突撃隊の粛清を決意したという[137]。6月25日までにはヒトラーはブロンベルクにレーム以下突撃隊幹部を粛清する旨を伝え、国軍もその準備に入った[138]。
6月30日に会議を行うとして突撃隊幹部をバイエルン州バート・ヴィースゼー(de)に召集、同日にヒトラーはバート・ヴィースゼーに赴いて粛清の陣頭指揮を執った。ベルリンでもゲーリング、ヒムラー、ハイドリヒらの指揮によって粛清が執行された[139]。レーム、ハイネス、シュナイトフーバー、エルンスト、フォン・デッテンなどの突撃隊幹部が粛清された[140]。これは長いナイフの夜と呼ばれる[111]。


・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


ヒトラーは確かに悪人だった。だが、本当はそれほどでなく、財界・官界・軍部の意向でドンドン膨らんで、モンスターになった。

で、レームの処刑という突撃隊幹部の抹殺には元来否定的だったヒトラー・・・

それに比べると、我が安倍総統は、そうそうに処刑ではないが籠池夫妻を「私たちをだました人。詐欺師」と言い出した。

人情ない事ヒトラーすら凌駕する。

その様な人を「いい人」という日本の指導層や、安倍総統という指導者・・・


アソウさんが「ナチスに倣え」といっているが、ネトサポ・ネトウヨも、突撃隊同様に無慈悲に簡単に殺されるかもしれない。
なにせヒトラーよりも無慈悲で友人を切り捨てれる冷血漢だからね・・・


お読みくださりありがとうございます。
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