故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=78796
上記文抜粋
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[銃とバッジは置いていけ 他]アカデミー名誉賞受賞の宮崎駿監督「アニメーションを続けられたのは日本が戦争をしなかったというのが大きい」
竹下雅敏氏からの情報です。
最初のまとめ動画を見ると、宮崎監督が、本当に“世界の宝”だということがよくわかります。アカデミー名誉賞を受賞したとのことでニュースになっていますが、“アニメーションを続けられたのは、日本が戦争をしなかったというのが大きい。…70年過ぎてだいぶ怪しくなってきた”という部分が、NHKの報道ではカットされています。
下の韓国でのニュースでは、かなり踏み込んだ発言をしており、こうした発言内容が日本で流れることは無いようです。宮崎監督のアカデミー名誉賞受賞記者会見の全文が出ていますが、“続きはこちらから”以降で、この中から重要な部分を一部取り上げました。
(竹下雅敏)
日本人として黒澤明監督以来となる、アカデミー名誉賞を授賞した宮崎駿監督。「アニメーションを続けられたのは、日本が戦争をしなかったというのが大きい。戦争と原爆の記憶があったから“戦争は絶対しない”というのが定まっていたが、70年過ぎてだいぶ怪しくなってきた」
会見では、「大きなものは無理ですけど、小さいものでチャンスがあるときはやる。作れる限り作っていこうと思っています」と“生涯現役”を宣言。
詳細は(source: スポニチアネックス - )
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抜粋終わり
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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[銃とバッジは置いていけ 他]アカデミー名誉賞受賞の宮崎駿監督「アニメーションを続けられたのは日本が戦争をしなかったというのが大きい」
竹下雅敏氏からの情報です。
最初のまとめ動画を見ると、宮崎監督が、本当に“世界の宝”だということがよくわかります。アカデミー名誉賞を受賞したとのことでニュースになっていますが、“アニメーションを続けられたのは、日本が戦争をしなかったというのが大きい。…70年過ぎてだいぶ怪しくなってきた”という部分が、NHKの報道ではカットされています。
下の韓国でのニュースでは、かなり踏み込んだ発言をしており、こうした発言内容が日本で流れることは無いようです。宮崎監督のアカデミー名誉賞受賞記者会見の全文が出ていますが、“続きはこちらから”以降で、この中から重要な部分を一部取り上げました。
(竹下雅敏)
アカデミー名誉賞受賞の宮崎駿監督「アニメーションを続けられたのは日本が戦争をしなかったというのが大きい」
転載元より抜粋)
14/11/10
日本人として黒澤明監督以来となる、アカデミー名誉賞を授賞した宮崎駿監督。「アニメーションを続けられたのは、日本が戦争をしなかったというのが大きい。戦争と原爆の記憶があったから“戦争は絶対しない”というのが定まっていたが、70年過ぎてだいぶ怪しくなってきた」
会見では、「大きなものは無理ですけど、小さいものでチャンスがあるときはやる。作れる限り作っていこうと思っています」と“生涯現役”を宣言。
詳細は(source: スポニチアネックス - )
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転載元より抜粋)
13/7/26
(続きはここから)
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70年近く戦争のない時代が続き、幸せだった
転載元より抜粋)
14/11/10
――監督としては、今回のアカデミー名誉賞というものに対しては、あまり価値や意味は見いだせれないですか?
宮崎:
あらゆる賞に対して、ぼくはそうなんで。なにも、これ(アカデミー名誉賞)だからペケとかね、そう思ってません。だから、さっきも言いましたように、賞っていうのは相手にされないと悔しいし、貰って幸せかっていうと、それも幸せじゃないんですよ。だから、無ければいちばん良いものなんです。分かりません?
――ここにおられる方は、式典で宮崎さんが何をおっしゃっていたか分からないので、コメントを紹介したいと思いますけど、間違っていたら言ってください。3点、まず1番目、「奥さんに、あなたは運が良いと言われた。鉛筆と、紙と、フィルムの50年間を過ごせたこと、それが通用する最後の時代に立ち会えたことが幸せだった。」
――それから2番目、「そして、その50年間のあいだ、日本では戦争が一度もなかったことも幸せだった。」
宮崎:
違います、飛ばしてる。「戦争で儲けたりはしたけど、とにかく戦争はしなかった」って。実はプロデューサーが、来るとき飛行機の中でしたもんですからね、ちょっと付け足さなきゃいけないと思ったんです。正確に言うと、70年近くしてないんですね。
ぼくは、ちょうど『鉄腕アトム』が始まった1963年に、アニメーターになったんです。『アトム』をやったんじゃありませんが。1964年にオリンピックです。高度経済成長が始まってるころです。その後ね、いろいろあっても、とにかくアニメーションの仕事が続けてこれたっていうのは、やっぱり日本が70年近く戦争をしなかったってことが、もの凄く大きいと思ってます。特に、この頃、ひたひたと感じます。もちろん、特需で儲けたりとか、朝鮮戦争で。それで経済を再建したとかね。そういうことは、いっぱい起こってるんですけど。でも、やっぱり、戦争をしなかったっていうのは、日本の女たちが戦争をしたくないって、ほんとうにちゃんと、そういう気持ちを強くもって生きていたこと。
話が飛ぶようですが『ゴジラ』というのが出てきたときに、ぼくはあのとき中学生だったのか、小学生だったのか覚えてないですけど、怪獣ものを見に行くという気楽さじゃないんですよ。水爆実験の結果ゴジラがやってくるっていうんでね、ただごとじゃないインパクトを感じてたんです。それで、同時に、ニュース映画フィルムでやってたのは、ビキニ環礁の水爆実験のフィルムですからね。これは、もの凄く恐ろしかったです。そういう、戦争と原爆から繋がる記憶を持ってたから、やっぱり戦争をしてはいけないというふうに、それが国の中心として定まっていたんだと、ぼくは思いますよ。それが、70年過ぎると、だいぶ怪しくなってきた、ということだと思うんです。それについてとやかく、ぼくは言いませんけども、ぼくが50年この仕事を続けてこられたのは、日本がいろいろあっても経済的に安定してたこと。安定してたのは、やっぱり戦争しなかったことだって、ぼくは思ってます。
宮崎:
あらゆる賞に対して、ぼくはそうなんで。なにも、これ(アカデミー名誉賞)だからペケとかね、そう思ってません。だから、さっきも言いましたように、賞っていうのは相手にされないと悔しいし、貰って幸せかっていうと、それも幸せじゃないんですよ。だから、無ければいちばん良いものなんです。分かりません?
――ここにおられる方は、式典で宮崎さんが何をおっしゃっていたか分からないので、コメントを紹介したいと思いますけど、間違っていたら言ってください。3点、まず1番目、「奥さんに、あなたは運が良いと言われた。鉛筆と、紙と、フィルムの50年間を過ごせたこと、それが通用する最後の時代に立ち会えたことが幸せだった。」
――それから2番目、「そして、その50年間のあいだ、日本では戦争が一度もなかったことも幸せだった。」
宮崎:
違います、飛ばしてる。「戦争で儲けたりはしたけど、とにかく戦争はしなかった」って。実はプロデューサーが、来るとき飛行機の中でしたもんですからね、ちょっと付け足さなきゃいけないと思ったんです。正確に言うと、70年近くしてないんですね。
ぼくは、ちょうど『鉄腕アトム』が始まった1963年に、アニメーターになったんです。『アトム』をやったんじゃありませんが。1964年にオリンピックです。高度経済成長が始まってるころです。その後ね、いろいろあっても、とにかくアニメーションの仕事が続けてこれたっていうのは、やっぱり日本が70年近く戦争をしなかったってことが、もの凄く大きいと思ってます。特に、この頃、ひたひたと感じます。もちろん、特需で儲けたりとか、朝鮮戦争で。それで経済を再建したとかね。そういうことは、いっぱい起こってるんですけど。でも、やっぱり、戦争をしなかったっていうのは、日本の女たちが戦争をしたくないって、ほんとうにちゃんと、そういう気持ちを強くもって生きていたこと。
話が飛ぶようですが『ゴジラ』というのが出てきたときに、ぼくはあのとき中学生だったのか、小学生だったのか覚えてないですけど、怪獣ものを見に行くという気楽さじゃないんですよ。水爆実験の結果ゴジラがやってくるっていうんでね、ただごとじゃないインパクトを感じてたんです。それで、同時に、ニュース映画フィルムでやってたのは、ビキニ環礁の水爆実験のフィルムですからね。これは、もの凄く恐ろしかったです。そういう、戦争と原爆から繋がる記憶を持ってたから、やっぱり戦争をしてはいけないというふうに、それが国の中心として定まっていたんだと、ぼくは思いますよ。それが、70年過ぎると、だいぶ怪しくなってきた、ということだと思うんです。それについてとやかく、ぼくは言いませんけども、ぼくが50年この仕事を続けてこられたのは、日本がいろいろあっても経済的に安定してたこと。安定してたのは、やっぱり戦争しなかったことだって、ぼくは思ってます。
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抜粋終わり
お読みくださりありがとうございます。
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