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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

要するに、近代以降の日本は、キチガイの集落に過ぎない。天皇制廃止賛成!

戦闘教師「ケン」 激闘永田町編   より

上記文抜粋
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君主と籠城の関係について
「リーダーは時として配下を切り捨てる冷酷さが求められる」旨のリーダーシップ論を読んで仰天。私の知る歴史にそんな原理は無かったからだ。

日本であれ欧州であれ、古来リーダーの資質は「部下を見捨てない」点に求められた。武田勝頼が父信玄よりも版図を広げながらあっという間に滅んだのは、包囲された遠江・高天神城に後詰めを出さず、あまつさえ降伏許可すら与えなかったことに起因した。
かねてより高天神城は、武田信玄が西上作戦の折りにも陥落させることができなかったこともあって、正式な後継者では無かった勝頼はその奪取に強く執着していた。だが、重臣たちは「遠すぎて補給線が維持できない」と反対するものが多かったとされる。にもかかわらず、勝頼は信玄の死の翌年(1574年、天正2年)に大軍を率いて遠江に侵攻、高天神城を落とした。この時は、籠城していた小笠原家の一族が内応して陥落したのだが、徳川家康は織田信長に救援を求め、陥落前日には三河吉田まで後詰軍が来ていた。

その翌年、長篠合戦で武田軍は大敗し、1580年(天正8年)には徳川家康は5千人を率いて高天神城を包囲した。古来、籠城は後詰めを前提として採られる作戦で、籠城単体では成立しない。家康は、城を包囲して武田方の後詰めが出てきたところを野戦で仕留めるか、勝頼が後詰めを出さなければ遠江、駿河における武田の権威を失墜させられると考えていたものと思われる。興味深いことに、信長は家康に対して「高天神城を降伏開城させるな」旨の書状を送っている。
当時、武田家は甲相同盟の破綻から北条家とも戦端を開いており、織田・徳川連合軍と野戦するリスクは冒せなかったものと推察されるが、後詰めを出さず、かといって降伏開城の許可も出さなかった結果、籠城中の城兵の大半が餓死した挙げ句、城主の岡部元信以下全員討ち死にという事態に終わった。
その結果、勝頼は「ブラック大名」の烙印を押されて、穴山、木曽、小山田などの一族重臣層からすら見捨てられ、翌81年の「武田攻め」を迎えるところとなった。戦国期にあっては、後詰めを出さなかった主君の権威は失墜し、籠城者の離反・降伏はおろか、ドミノ倒し的に他の武将の離反を誘発する恐れがあった。

逆に長篠合戦の場合、武田方(1万5千人)が奥三河の長篠城を包囲、徳川家の主力(8千人)を誘引して決戦を迫ろうとしたところ、織田家の援軍が3万人も同行しており、それに気づかなかった武田勝頼が逆に決戦を強いられてしまった形となった。この時、家康は別働隊を編成して武田方の鳶ヶ巣山砦を陥としているが、これは長篠解放のためであり、籠城する奥平家に対する配慮と設楽原に布陣した武田軍の後背を脅かす狙いがあった。

中世欧州では、王は街の統治権や徴税権を得る代償として、住民の生命と財産を守る義務を負った。そのため、街が敵軍に包囲されたときは、国王は救援の義務を負い、それが遂行できない場合は、その街に降伏開城する許可を与えることが求められた。青池保子の名作『アルカサル-王城』はその辺の事情を見事に描いている。解囲軍が届かない、間に合わないと分かっているのに、徒に死守籠城を命じる君主は「愚昧」「暴君」と評価されたのだ。但し、異教徒相手の戦争は事情が異なったようだ。

Velazquez-The_Surrender_of_Breda.jpg

ベラスケスの代表作『ブレダの開城』は、三十年戦争におけるスペイン軍によるオランダ・ブレダ攻囲戦の勝利を描いたものだが、スペイン軍を率いていたのは名将スピノラだった。オランダ軍は何度も解囲を試みるも、その都度撃退され、オラニエ公ヘンドリックはブレダ市に降伏開城許可を出し、スピノラは籠城兵の健闘をたたえて掠奪と捕虜虐待を禁じたとされる。これは、憎きプロテスタント相手に、カトリック側の将軍が慈悲を示したことを讃えた作品ではあったが、城と君主の関係とはそういうものだった。

根本的には、現代にあっても同じである。1942年11月にスターリングラードにいるドイツ第6軍がソ連軍の「天王星作戦」によって包囲されると、ドイツ側は12月12日に「冬の嵐作戦」を発動して解囲を試みる。だが、スターリングラード市まで40kmのところでソ連軍に阻止され、マンシュタインはヒトラーと第6軍に「雷鳴作戦」(包囲された第6軍による自力脱出)を要請するも、認められず、解囲に失敗した。さらにヒトラーは、第6軍に降伏を許さず、文字通り死守を命令するが、43年1月31日に降伏する。捕虜となったドイツ軍人は10万人に及んだ。
この際に、ヒトラーが脱出も降伏も認めなかったことは、翌44年7月のヒトラー暗殺事件の遠因となっている。また、「空中補給で第6軍を賄う」と豪語していたゲーリング空軍元帥も信頼を失った。

現代日本は例外的な環境にある。
太平洋戦争において、太平洋の島々に配された日本軍はことごとく死守、玉砕が要求され、一切の降伏が認められなかった。フィリピン(レイテ)、マリアナ(サイパンなど)、沖縄では、海上から解囲軍が送られ、それぞれ「レイテ沖海戦」「マリアナ沖海戦」「坊ノ岬沖海戦」が生起したものの、日本側は全て壊滅的打撃を受けて敗退した。
「伝統」に従えば、解囲軍が壊滅し、さらなる後詰めが出せない以上、君主は降伏許可を出すのが筋であり、名君の条件だった。ところが、昭和帝は降伏許可を出さず、最後の一兵まで戦って玉砕することを求めたため、破滅的な結果を招いた。
歴史的には、このような勝ち目の無い戦で臣下の生命を徒に使い潰す君主は「愚昧」「暴君」とされるはずなのだが、何故か日本では「御聖断によって戦争を終わらせた名君」として評価され、軍部の戦争指導と責任についても「解体された」ことでウヤムヤにされてしまった。その結果、今日に至るまで日本の学校(特に部活動)や企業では、生命や人権を軽視する(全く考慮しないと言っても良い)教育や文化がまかり通っている。
明治以降、3千万人の人口が4倍になったことと、明治体制下で全てが天皇の私物とされてしまったことが、大きく影響しているものと思われる。そして、明治体制を否定せぬまま、敗戦によって形式的にデモクラシーが導入された結果、非人道的な弊害が見えない形で温存されてしまったのだろう。

城ではないが、1979年にソ連がアフガニスタンに軍事介入したのは、「友党を見殺しにすべきではない」「アフガニスタンの混乱を放置すれば他の社会主義国も動揺する」というスースロフの意見に象徴されるように、「同志友邦の苦境を放置し、救難依頼を無視した場合、社会主義陣営の頭領としての権威が失墜する」という感覚が、共産党政治局で共有されていたことが大きい。
実際、「ベルリンの壁」崩壊前に東独でKGB要員として勤務していたプーチン氏は、「(ソ連共産党)党中央がSEDを見限って事態を放置した時に、党と国家(ソ連)を見限った」と回想している。
これらのことは、共産主義者ですら「同志・同胞を見殺しにすることは許されない」旨の倫理を持っていたことを示している。その意味でも、現代日本人だけがよほど特異な文化、社会環境に置かれていることを示唆している。

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抜粋終わり

>「伝統」に従えば、解囲軍が壊滅し、さらなる後詰めが出せない以上、君主は降伏許可を出すのが筋であり、名君の条件だった。ところが、昭和帝は降伏許可を出さず、最後の一兵まで戦って玉砕することを求めたため、破滅的な結果を招いた。
歴史的には、このような勝ち目の無い戦で臣下の生命を徒に使い潰す君主は「愚昧」「暴君」とされるはずなのだが、何故か日本では「御聖断によって戦争を終わらせた名君」として評価され、軍部の戦争指導と責任についても「解体された」ことでウヤムヤにされてしまった。その結果、今日に至るまで日本の学校(特に部活動)や企業では、生命や人権を軽視する(全く考慮しないと言っても良い)教育や文化がまかり通っている。

どう考えても、昭和天皇は暴君・愚昧の面があったというしかない。

それを無かったことにしたのが、日本滅亡の最大の要因ではないのか。

>その結果、今日に至るまで日本の学校(特に部活動)や企業では、生命や人権を軽視する(全く考慮しないと言っても良い)教育や文化がまかり通っている。

如何に戦争責任を天皇が免責したことが巨悪かわかるだろう。

天皇家の生物学的な存続を求めるために、天皇制の廃止を断固主張する。

さもないと、今度は生き物として絶滅させられるぞ。

>これらのことは、共産主義者ですら「同志・同胞を見殺しにすることは許されない」旨の倫理を持っていたことを示している。

日本人は同朋を平然と見捨てるようになった。これが今の日本の悪の根源。


日本会議・トウイツムーニーが断固世界的に許されないのは、このような思想の流布は、人類の破滅になるからだ。

天皇制死して、日本人が再生する。

追記

>徒に死守籠城を命じる君主は「愚昧」「暴君」と評価されたのだ。但し、異教徒相手の戦争は事情が異なったようだ。

そういう意味で、戦前の明治憲法日本は、天皇教=国家神道というカルト宗教国家であったというと、すべての符牒があう。

日本会議とか右翼は、そのカルト宗教から抜け出せないカルト信者というと、すべてがしっくりいく。

天皇を止めると、カルトのご神体がなくなる。もっと日本人は正気になれる・・・まあ多少の混乱は覚悟だ。
「天皇の人間宣言」ですら、大混乱になったが、それだけカルトを抜けるのは容易ではない。
ねこたさんでも辛酸をなめ、時示朗さんも甘酸辛苦を味わった・・・
それだけ、あの「天皇崇拝=天皇真理教=国家神道」の巨悪・カルトの巨悪を示す。


お読みくださりありがとうございます。

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