故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
現存する人とつながるための掲示板(投稿には挨拶文が必須です) より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
心中と愛、自然理性の起源、私は小百合ストではないが、68歳の彼女はナイスだと思う 投稿者:ウエダ 投稿日:2014年 3月18日(火)19時45分13秒
こんばんは、皆さん、植田です。
本日のツイッター。
世一良幸さんから。https://twitter.com/astroecology
世一さん、いつも、私の文章を御自分のツイッターで引用していただいて、ありがとうございます。
それと、今年に入ってからのつぶやきの内容、これまでにも増して、大変面白いです。
大方のツイッターの日本語が流れ出てくる源泉のポジション(発想の位置)に比べて、世一さんのそれは、一歩、深いところにある、というような印象を受けます。
それはそうと、きょう、目についたのはこれです。
* 「世一良幸 ?@astroecology ? 41分
橋下徹さんが「曽根崎心中は自殺もの。子どもたちに自殺を美化しますか?」と言ったらしいことに対して「バカだよね。」と書いている人がいるけど、私は、橋本さんの物事を一般化して論じる姿勢は良いと思う。」
これを見て思い出したのですが、英語の「love」の文字が日本語に入ってきたとき、日本人は、何と訳したか?
ずっと昔に、何かの本で読んだのですが、「死にます」だったとか。
今では、日本語では「愛」が定着していますが、幕末・明治の日本人が、「ラブ」という単語を見て、イメージしたのが、死にます、と。
このイメージの背景にあったのが、江戸時代の「心中もの」だったのではないか、と私は思います。
江戸時代の日本人は、当時の日本人の人間関係の規律に反する出会いと心理(情念)の動きーおおかたは、愛情・恋愛だったと思いますがーが発生したとき、その情念をまっとうするには、心中するしかなかった、と。
自殺を美化する、というのは、発想的には間違っていませんが、日本人の心理史に即して考えると、短絡的すぎるでしょう。
江戸時代の日本人には、愛をそのように表現するしか方法がなかったわけです。
だから、美化する、というよりも、時代背景を説明したほうが、ずっと現代日本人のためになる(役立つ)と私は考えます。
とはいえ、橋本氏の懸念も、理解できます。
時間の流れを捨象してモノゴトに接してしまうのが日本人の思考習慣ですから、そうなってしまいます。
江戸時代も、現在も、日本人には同じ、と。というか、時間が流れていることをまったく意識化しない日本語ワールド。
時間の流れに対して、自分の意識・情念を対象化する習慣のない日本語の世界でモノゴトを考えると、何かと、狭苦しい発想になってしまいます。
曽根崎心中も、江戸時代の文脈の中に、しっかりとはめこんで、現代の日本人が接するのであれば、何も問題ないではないか、と私は思います。
次のつぶやきは、私の同志がいた!! と、思うことができました。
* 「山崎 雅弘 ?@mas__yamazaki ? 3月6日
「日本語で『わかってください』というのは、『私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください』という意味の『ご理解ください』なのである。… このように使われる場合の日本語の“理解”は、同意するという意味になる」上巻 p.46」
自然理性では、理解する≠同意する
律令理性では、理解する=同意する
この「自然理性」という語の出自を話題にした世一さんのつぶやきを見た覚えがあるのですが、最近は、つぶやきの数が多いので、どこにあったのか、わからなくなってしまいました。
それで、超簡単に。
「自然理性」という語の西洋語における初出がどこなのか、今も、私にはわかりません。
使っている人は多いです。
デカルト、ホッブス、パラケルスス、パスカル、等々。
これらは近代の入り口にいた人たちですが、使われ始めたのは、その前でしょう。
スコラ哲学者たちの誰かが、使い出したのだろうと想像しています。
具体例があります。
トマス・アクィナスが『神学大全』の中で、アリストテレスのことを自然理性の学者、と呼んでいます。
その意味は、キリスト以前の哲学者、ということです。
スコラ哲学者たちにとっての、学問の最大の権威は「バイブル/聖書」でした。すなわち、知の源泉は、啓示でした。
この視点から見ると、アリストテレスは聖書を権威にすることなく、自分の生まれつきの知力・理性(地頭)だけで思考した人だった、ということになります。
ゆえに、自然理性、と。
こういう意味では、日本人も、全員が自然理性人として生まれてきますが、残念ながら、途中で、律令理性に向かってしまいます。
それから、吉永小百合さん。
「ふるやしき ?@1106furuyasiki ? 3月15日
“@tsghoh: 安倍政権への怒りを語る、吉永小百合の本気度。核というものは人間とは共存できない。」
この写真は、グッドではないですか。
https://twitter.com/tsghoh/status/444682730685472768/photo/1
吉永さんは、うまく年齢を重ねた日本人の一人のようです。
これで68歳というのですから、実に、ナイスです。
今でも、ビューティフルです。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・
心中と愛、自然理性の起源、私は小百合ストではないが、68歳の彼女はナイスだと思う 投稿者:ウエダ 投稿日:2014年 3月18日(火)19時45分13秒
こんばんは、皆さん、植田です。
本日のツイッター。
世一良幸さんから。https://twitter.com/astroecology
世一さん、いつも、私の文章を御自分のツイッターで引用していただいて、ありがとうございます。
それと、今年に入ってからのつぶやきの内容、これまでにも増して、大変面白いです。
大方のツイッターの日本語が流れ出てくる源泉のポジション(発想の位置)に比べて、世一さんのそれは、一歩、深いところにある、というような印象を受けます。
それはそうと、きょう、目についたのはこれです。
* 「世一良幸 ?@astroecology ? 41分
橋下徹さんが「曽根崎心中は自殺もの。子どもたちに自殺を美化しますか?」と言ったらしいことに対して「バカだよね。」と書いている人がいるけど、私は、橋本さんの物事を一般化して論じる姿勢は良いと思う。」
これを見て思い出したのですが、英語の「love」の文字が日本語に入ってきたとき、日本人は、何と訳したか?
ずっと昔に、何かの本で読んだのですが、「死にます」だったとか。
今では、日本語では「愛」が定着していますが、幕末・明治の日本人が、「ラブ」という単語を見て、イメージしたのが、死にます、と。
このイメージの背景にあったのが、江戸時代の「心中もの」だったのではないか、と私は思います。
江戸時代の日本人は、当時の日本人の人間関係の規律に反する出会いと心理(情念)の動きーおおかたは、愛情・恋愛だったと思いますがーが発生したとき、その情念をまっとうするには、心中するしかなかった、と。
自殺を美化する、というのは、発想的には間違っていませんが、日本人の心理史に即して考えると、短絡的すぎるでしょう。
江戸時代の日本人には、愛をそのように表現するしか方法がなかったわけです。
だから、美化する、というよりも、時代背景を説明したほうが、ずっと現代日本人のためになる(役立つ)と私は考えます。
とはいえ、橋本氏の懸念も、理解できます。
時間の流れを捨象してモノゴトに接してしまうのが日本人の思考習慣ですから、そうなってしまいます。
江戸時代も、現在も、日本人には同じ、と。というか、時間が流れていることをまったく意識化しない日本語ワールド。
時間の流れに対して、自分の意識・情念を対象化する習慣のない日本語の世界でモノゴトを考えると、何かと、狭苦しい発想になってしまいます。
曽根崎心中も、江戸時代の文脈の中に、しっかりとはめこんで、現代の日本人が接するのであれば、何も問題ないではないか、と私は思います。
次のつぶやきは、私の同志がいた!! と、思うことができました。
* 「山崎 雅弘 ?@mas__yamazaki ? 3月6日
「日本語で『わかってください』というのは、『私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください』という意味の『ご理解ください』なのである。… このように使われる場合の日本語の“理解”は、同意するという意味になる」上巻 p.46」
自然理性では、理解する≠同意する
律令理性では、理解する=同意する
この「自然理性」という語の出自を話題にした世一さんのつぶやきを見た覚えがあるのですが、最近は、つぶやきの数が多いので、どこにあったのか、わからなくなってしまいました。
それで、超簡単に。
「自然理性」という語の西洋語における初出がどこなのか、今も、私にはわかりません。
使っている人は多いです。
デカルト、ホッブス、パラケルスス、パスカル、等々。
これらは近代の入り口にいた人たちですが、使われ始めたのは、その前でしょう。
スコラ哲学者たちの誰かが、使い出したのだろうと想像しています。
具体例があります。
トマス・アクィナスが『神学大全』の中で、アリストテレスのことを自然理性の学者、と呼んでいます。
その意味は、キリスト以前の哲学者、ということです。
スコラ哲学者たちにとっての、学問の最大の権威は「バイブル/聖書」でした。すなわち、知の源泉は、啓示でした。
この視点から見ると、アリストテレスは聖書を権威にすることなく、自分の生まれつきの知力・理性(地頭)だけで思考した人だった、ということになります。
ゆえに、自然理性、と。
こういう意味では、日本人も、全員が自然理性人として生まれてきますが、残念ながら、途中で、律令理性に向かってしまいます。
それから、吉永小百合さん。
「ふるやしき ?@1106furuyasiki ? 3月15日
“@tsghoh: 安倍政権への怒りを語る、吉永小百合の本気度。核というものは人間とは共存できない。」
この写真は、グッドではないですか。
https://twitter.com/tsghoh/status/444682730685472768/photo/1
吉永さんは、うまく年齢を重ねた日本人の一人のようです。
これで68歳というのですから、実に、ナイスです。
今でも、ビューティフルです。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
お読みくださりありがとうございます。
PR
Comment