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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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戦闘教師「ケン」 華東大乱編

上記文抜粋
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「日本兵は少数にもかかわらず、1万メートル以上も塹壕を掘り、綿密に計算した陣地を構築、一人あるいは二人で壕に立てこもり、死ぬまで戦った」
「中国軍は(何万人もいたのに)1500メートルしか塹壕を掘らなかった」

みたいなことが書かれている。
重要なのは「たくさん塹壕を掘った」「一人で立てこもって戦い続けた」である。
一次大戦以降の軍隊の基本は「穴を掘る」にあるわけで、「穴を掘らない自軍(国民党軍)が勝てるわけが無い」ことを暗示しているのだ。
同時に、訓練が不十分だったり、士気の低い軍隊において、兵卒を一人で壕に入れた場合、90%以上が逃亡、降伏、戦わないのどれかになってしまう。ごく稀に英雄的な兵が一人で戦い続けることは、どこの軍隊でもありうるが、だからこそ「英雄」なのだ。逆を言えば、例外なく一人でも死ぬまで戦い続ける日本軍は「鬼のように強い」ということになるのである。もちろん、捕虜になることが禁じられている倫理的な問題は別の話である。
この政治的メッセージと軍事的評価のアンバランスが非常に興味深い。
とはいえ、国民党軍も坑道爆破を試みたり、アメリカ製の火炎放射器やバズーカ砲まで持ち込んでいるのだから、無能一辺倒とも思えないのだが。

とにかく日本軍の陣地遺構が非常に良い状態で残されており、戦記を読んで、見る者が見れば、非常に納得のいく戦跡になっている。さすがに中までは入れないが、そこは仕方あるまい。

五泊六日で計画した旅で、上海から昆明に飛び、一泊。さらに飛行機で騰衝まで飛び(約600km!)、そこから「松山」までレンタカーで2時間ほどである。私は中国人の知り合いと一緒に来たから良いが、普通はハイヤーを丸一日予約する必要があるだろう。
なお、5泊6日のうち、太陽を見たのはちょうど松山に登った時のみで、あとは雨か曇りばかりだった。特に騰衝は霧が深く、この時期はフライトの半分以上が欠航するということで、実際、帰路は芒市から一日遅れとなった。
別の日だが、車で移動中、凄まじい雨と霧で視界が10~20メートルあるかないかになってしまい、ノロノロ運転せざるを得ないことが何度かあった。あるインパール作戦の回顧録に、「凄まじい雨で前を歩く戦友を見失った」旨の記述があったが、まさにそれであった。

最後に改めて日中両軍の戦没者に哀悼を捧げたい。

【参考】
楳本捨三『壮烈 拉孟守備隊』 光人社NF文庫(2012)

【追記】
拉孟守備隊は七月末の段階で300名余が残るに過ぎず、それも大半が負傷しており、解囲軍が来援する見込みは立っていなかった。通常の軍隊(国民軍)であれば、降伏が許される環境にあったと考えられるが、日本軍においては許されなかった。この当時、降伏が認められない軍隊は日本が最左派にあったが、基本的にはソ連軍やドイツ軍も同じで、ただ後者は個々人の判断で降伏するケースもあった。

中世においては、籠城した軍隊に対して解囲軍を起こせなかった君主は評価が激減したため、君主が解囲不能と判断した場合は降伏許可を出すのが慣例だった。これは洋の東西を問わない。
近代においては、国民国家が成立したことを受けて、主権者が王から市民・国民へと移行、軍隊の保有者も王から国民の手へと移った。その結果、主権者たる国民を無為に殺害するような作戦行動や軍隊規則は禁じられる傾向にあったが、特に日本とソ連は例外的状況にあった。日本においては軍隊は天皇の私物であり、基本的人権も大きく制限されていたため、兵卒の生命や軍隊の損害を考慮する倫理的根拠が無く、それが酷薄、残虐非道な軍隊を作り上げ、兵員の6割を飢餓と傷病で失ったり、玉砕や自殺攻撃を行わせる背景となった。
だが戦後、それらを犯罪として問う気運は高まらず、戦争犯罪人の追及もまた非常に不徹底に終わったまま、今日に至っている。
その弊害は、自衛隊において捕虜になった場合の規定がいまだ作られていないことに象徴される。天皇制と明治帝政が存続する限り、再び同じことが起きる蓋然性は極めて高いだろう。


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・・・・・・・・・
抜粋終わり

>日本においては軍隊は天皇の私物であり、基本的人権も大きく制限されていたため、兵卒の生命や軍隊の損害を考慮する倫理的根拠が無く、それが酷薄、残虐非道な軍隊を作り上げ、兵員の6割を飢餓と傷病で失ったり、玉砕や自殺攻撃を行わせる背景となった。

>だが戦後、それらを犯罪として問う気運は高まらず、戦争犯罪人の追及もまた非常に不徹底に終わったまま、今日に至っている。

>天皇制と明治帝政が存続する限り、再び同じことが起きる蓋然性は極めて高いだろう。

天皇を消し去らないと、日本人に明日は無い。

これが厳然とした事実なのである。

天皇が日本人最大の敵なのである。

天皇が、日本最大の厄災で、原発と並ぶ消滅させるべき、存在なのである。


お読みくださりありがとうございます。
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慰安婦狩りの末中国奥地で玉砕した日本軍の教訓!
  • from ローレライ :
  • 2019/07/16 (06:43) :
  • Edit :
  • Res
慰安婦狩りの末中国奥地で玉砕した日本軍の教訓は天皇カースト教の自爆教育の猛威の遺跡である!
Re:慰安婦狩りの末中国奥地で玉砕した日本軍の教訓!
2019/07/17 20:04
>慰安婦狩りの末中国奥地で玉砕した日本軍の教訓は天皇カースト教の自爆教育の猛威の遺跡である!

天皇教徒に日本人が殺された、海外の遺跡。

ゆるさんぞ天皇。


書き込みありがとうございます。
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