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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

海人も、天皇も、渡来人も、そもそも前の戦争の責任者はみな処罰すべきです。

京の風 より

上記文抜粋
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二つの「ユズルハ」神社と「海人」。坂越の大避神社。太子町の斑鳩寺。今、成都でG20蔵相会議
 こんにちは。

1) 淡路島・沼島の旅行の中身が濃かったので、すこし、書くのが遅れました。

  箇条書きにします。

 20日(水)、朝一で、神戸の弓弦羽神社。 さらに、磐座の祭祀跡のある渦が森に。

 昼に、淡路島の諭鶴羽神社。 ここの宮司さんとは、2年ぶりですが、最近の逸話として、・・・

 この神社に、羽生結弦君が来た時には、霧が立ち込め出し、幻想的な空気に包まれる。

 そのなかを滑るように、羽生君は走り出し、見事な舞い を見せたと。

 同行したお母さま曰く、「ユズルは、神様に感応して、自然と、舞ってしまうのです。」

 午後は、沼島に。

 この島は3回目。今回は島の民宿に泊まった。この日は満月だった。(写真がうまく上がらない。ゴメン)。

 淡路島に沈む夕日を見てから、上立岩に上る満月を見る。翌朝4時半に、その満月が沈むのを見て、

 今度は、上立岩に、朝陽を拝む。 なんとも、贅沢な時間を過ごしたものです。

 その後は、福良港で「うずしお」観測の咸臨丸に乗り、さらに、一気に赤穂に向かって、坂越の大避神社にいきました。

 ここは、弓月の出で、ウマヤドを助けた秦河勝をまつる神社ですが、どうして、徳川幕府(第5代の綱吉)が、山鹿素行をここに蟄居させたのか、また、そこで、素行が中朝事実を書き上げたのか、その背景と理由を検証し、

 最後は、太子町に向かって、斑鳩寺で、ウマヤドが持っていたとされる地球儀をみて、そして、622年に太子本人が製作したとされる太子像を直接拝んで、解散でした。なぜ、この地に、太子ゆかりの寺ができたのか? 

 別の言い方をすれば、ウマヤドは、なぜ、この地を選んでいたのか? これも日本史の大きなポイントでした。

2) 沼島と海人族と天皇

 沼島は、日本列島の中央構造線の上にあり、その圧力で、むき出しになった岩山の島です。

 そして、ここが、海人族の拠点だった。彼らは、対馬に行くだけでなく、遠く、アユタヤとも航路を開いていた。

 海人族には、本来国境はなかった。日本列島から、東アジア世界に縦横に活躍の場を広げていたが、持統が、皇祖神アマテラスを作り出したとき、この海人族に、彼らが、大陸(則天武后の周)・半島(新羅)・列島(日本)で、どこに帰属するか、自分で選ばせた。多くは、日本を選んだ。彼らには、新規に、日本列島内に領地が安堵された。それが、各地に残る「海人」の地名になっている。

この海人たちの発言力の大きさが現代に現れたのが、2004年の小泉内閣時代に起きた、「皇室典範」の改正騒ぎだった。愛子様即位の道を求める、女系天皇容認の改正案に、最も反対したのが神社界だったが、このとき、もっとも強い発言力があり、最後に、改正案を見送らせたのが、海事連(海事振興連盟)だった。

今回、6月13日に、陛下の「生前退位」のご意向を、NHKが報道したが、この沼島と、海事連が関わってくる。

その前日、南シナ海での、中国の領有権主張に対し、国際司法裁判所の、仲裁法廷では、フィリピンの主張を全面的に認めた。

 一方、沼島は、勾玉の形をした小島ですが、、伊弉諾と伊弉冉による「国産み」の島です。現代につながる日本の統治体は、この島での「男女の契」から、始まっているのです。それは、古代出雲からの「ユズルハ」でした。

3) 陸に上がった「海人」

 日本列島に統治領域を限定して、皇祖神アマテラスが治める国家にしたのは、持統のときだった。

その前、夫であった天武は、大海人皇子と呼ばれた如く、海人族とつねにともにあった。これは、大海人が、列島・半島・大陸を、つねに行き来していた人物だったためだ。その彼が、日本定着を決意したのは671年に大津で、天智の前に進んで、槍を突き立てた後です。大海人は、そのあと、宇治の木幡を経由して吉野にいきます。天智も、大海人の後をおって宇治の木幡に行きますが、ここで変事が起きます。ここから壬申の乱が始まっています。

 海人族は、日本国の運命に関わった。壬申の乱で大活躍したのは高市皇子ですが、この人物を生んだのは、宗像徳善の娘、尼子姫です。宗像氏は、安曇氏がシナノに追い出された後、現在の北部九州から半島までが活動範囲だった。大海人が673年に即位し、686年に「草薙の剣」に祟られて死ぬと、4年の称制を経て、鵜野讃良(持統)が690年に即位する。同年、第一回の遷宮をしたあと、691年から3年間に31回も持統は吉野に通いますが、この間、同じ海洋族をまとめ上げていたのが、高市皇子でした。

 694年に藤原京ができ、正式に皇祖神アマテラスが祀られるようになると、誰もが、次期天皇は高市皇子と予想していましたが、696年に殺されます。翌年、持統の孫とされる軽皇子(草壁の子)が即位し、この人物は文武天皇になります。一般の理解は、ここでは、自分の孫を何としても即位させたがった持統の鬼のような性格が指摘されますが、軽皇子は、本当に、彼女の孫なのでしょうか?

 持統は、大宝律令ができるとき、高市の息子の長屋王と、わざわざ宇治間山に行っています。宇治は、応神(ホンダワケ)の都だったところです。応神の王朝は実際は二代で終わっています。それを含めて、額田王は「秋の野の、御草刈り上げ・・・」の予言の歌を読みあげ、これは、以後の大和朝廷で、何回も意識されました。

 定説に従えば、持統は退位した後、自分が殺した高市皇子の息子の長屋王と、一緒に宇治に行ったことになります。宇治には鎮魂の機能があるのでしょうか?

 長屋王は、文武の子である首皇子(聖武)が724年に即位すると、その補佐役に入り、朝廷で絶大な権力を握りますが、不比等の息子4人の画策で自害に追い込まれました。

 文武(軽)・聖武(首)は、本当に、天武(大海人)の血脈なのでしょうか?

 問題は、持統の孫とされる文武につけられた和風諡号です。これが「豊祖父」です。この意味を検討している言説が、これまで全くなかった。日本書紀の記載は、「持統の退位」、「豊祖父の即位」で終わっている。

 長屋王は、何を目指し、藤原4兄弟からは、何が嫌われたのか?

そして、明治になって、

 海人族の末裔は、幕末維新期に勝海舟に見いだされ、明治政府では、海運業者となって復活したが、このとき、明治の近代日本は、新たに、記紀神話を真実とする、皇国史観で、国家を再構築した。そして、富国強兵になり、それが、第二次大戦になって敗戦し、戦後は、経済発展最優先になり、アメリカの属国状態になった。なによりも、ここでは、原発が、国家事業として推進されたのです。

安倍晋三は、「戦後レジームからの脱却」をいいながら、アメリカからの独立よりも、中国を敵視して、軍事力の強化に努めてきた。

 世界の警察官のアメリカが衰退するのなら、自分たちがそれに取って代わろうとする、野心が、日本会議の面々、なかでも、新生JICA だったのかもしれません

 昭和24年にできた海事連は、「海洋国家日本の再構築」を掲げた。彼らにとって、アジアの海は、自分の領海そのものとの意識なのでしょう。

 そこに、中国が好き勝手に出てくる。これを、どんなことがあっても封じ込める。こうした意識が、外務省を走らせていたのでしょう。

 陛下は、「生前退位」の意向を、年初から発表するつもりだったようですが、官邸から圧力がかかり、参議院選挙の前には、発表するな、と、止められていたようです。

 安倍政権の裏には、FRBと一体化していたアメリカの戦争屋がいた。さらに、安倍自身が、日本版CIAを創りたがっていた。

 実は、日本が戦後、尖閣を実効支配し、さらに2012年に民主党政権時代に「領有」したことが、中国の南沙の「領有」主張に加え、「基地化」に拍車をかけていることを、外務省は十分に承知していた。

 南沙では、日本は当事国ではないが、フィリピンからの提訴を日本は全力で支援し(積極的に掘り起こし)、国際司法裁判所での仲裁裁判にかければ、中国の主張を潰せる、と、これまで動いてきた。

4) 東アジアは、平和の海になる。 

しかし、今年4月、田母神が逮捕された。これは、日本版CIAの陰湿さを日本の良識派が嫌ったもの。

そして、伊勢志摩サミット。オバマの広島訪問の後、参議院選挙の結果がでたあと、 

12日に、フィリピンの主張を全面的に認める判決が出た。中国側の主張が 取り下げられた。

 さて、これで、中国の習近平が追い込まれる?

 とんでもない。 逆だ。 習近平は、中国国内では、ますます、政権が安定する。

これで、中国国内の軍部の軍事冒険主義がようやく止まる。無礼な「俺様主義」が国際社会で、中華民族の恥であることをようやく、大陸の人民に教えることができた。もともと、尖閣や南沙を、「核心的利益」としたのは、アメリカ戦争屋に煽られた江沢民政権だった。 

 今、日本では、都知事選挙。

 アメリカの大統領選挙では、トランプと、クリントンの戦いに。

  トランプが勝てば、沖縄の独立が強まるでしょう。

 しかし、それを、最も嫌うのは、戦後のアメリカ支配の下で、利権を築いていた外務と防衛族。

 さて、現代にいきる、海人族たちは、どんな反応をするのでしょうか?

 本来の海人族は、もっとも平和を愛したはずです。そして、どこの統治体の所有物でもなかった。

 戦前の海人族は、海軍になった。そして、その結末は、「海ゆかば」の悲劇になった。

 戦後の大繁栄は、海運業者のたまものだった。

 現代の海人たちは、沖縄をどうするのか? すでに、南シナの中国領有は、正統性をなくした。

 尖閣を含め、係争中のすべての東アジアの海域を、国際的な共同管理に乗り出すのが、一番、いい。

 海人族よ、陛下のお気持ち に従ってほしい。そのうえで、海上自衛隊を、一点の曇りもない、平和の使者にしていただきたい。

 G20の裏にいる、金融ワンワールドの面々も、それを支持するはずです。イギリスのEU離脱で、世界経済リスクの増大といって、今、全ての方策が動員されます。

 ここで、もめていたのでは、フクシマの本格処理に永遠に入れない。 人類の大方針は、完全に脱原発だ。

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抜粋終り


播磨は不思議なところ・・・

鶴林寺は、絵の聖徳太子像が、秘仏で、太子堂にある。ってここ最近は誰も見てないと思う。

16歳太子像もある。

恵弁さんも有名で、新西国30番の金剛城寺は、聖徳太子ゆかりで、弘法大師の密教を継ぐお寺。

金剛城寺 ウイキ

参考

個人的な感想をいうと、この金剛城寺は、私は好きですよね。
なにがって、「普通」な感じが完全で、
「日本の昔{江戸くらい}のお寺の風景」
があって、聖天さんまで祀っているのに、穏やかで、良いです。

懐かしさ炸裂してます・・・。



前の敗戦の海軍無罪論てあるが、海軍の方が重篤な闇がある。

水野広徳をのけ者にし、敗北するような指揮・作戦を繰り返す・・・。

挙句に、敗戦の時にA級戦犯に海軍閥は誰も処刑されてない。

なにかおかしいですは・・・




海軍・海人も、「支配の思想」に汚染され、「岡の河童」になり果ててます。

日本の海自・海運も、明治以降の毒を、本当に洗濯・というよりも粛清が必要に私は思います。

海人と官僚と皇族・天皇の責任を取らせないと、明日の日本は無い。


追記

平清盛は、播磨の守になり一気に出世階段を駆け上る。

秀吉も播磨攻略から、天王山の戦いで、天下人の道をゆく。

姫路城は、池田輝政の築城で、西国宰相て言われた。

あと、兵庫県になったときに、姫路の富をほとんど神戸に吸い上げて、神戸の発展はあった。

そのために、姫路は、神戸に対してのリスペクトは他の地域よりもない。

「歴史もないくせに、格好つけやがって」

ともわれ、姫路・播磨はそれだけ、富と歴史がある場所です。



あとどうでも良い話だが、「今、成都でG20蔵相会議」て、諸葛孔明が宰相を務めた蜀漢の首都・・・

軍事家である以上に「政治家・財政家」だった諸葛亮・・・。

「泣いて馬謖を斬る」と、自身も三階級降級した。

あと、後年首都が陥落した時に、皇帝の劉禅はみずから降伏して皇帝の位を捨てた。

でも、日本てどうだった。

天皇は残り、A級戦犯を供養するなとはいわないが、英霊ともども懸賞している。
本当に負けて、再起を期すための反省・学習・公明正大な法の執行による綱紀粛正をしたの?
ずるずる、責任逃れを繰り返しては、再戦も復興もままなるわけがない。

街亭の戦い ウイキ

劉禅 ウイキ

お読みくださりありがとうございます。



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