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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

殺し合いなど人間のすることではない。

京の風 より

上記文抜粋
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誤操作で消えてしまった部分が、瞬速コピーされていたブログにありました。こっちも掲載します。

私の操作が誤って、消えてしまった部分ですが、ヒロちゃんのblog が、とりあげてくれていました。

ここには、サンカに関して、書きました。 以下から、抜粋します。

(ヒロちゃん、あなたの反応、本当に速いですね。助かりました。ありがとう。これまでも、貴ブログで、「京の風」を紹介してくれていましたね。今後もよろしく)

http://blog.livedoor.jp/capitarup0123/archives/6845573.html

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5) 国家権力と対等で生きる。

 幕藩体制の中では、争いを嫌うサンカは、全国各地の山中に、独自の生存方法と文化を確立して暮らしていた。戸籍に載らない人々で、自他ともに、自らを、民ではなく、草 と呼んでいた。

 権力になびかず、イノチを大切にする誇りがあった。

 大いなるイノチと、人間に生まれた自分個人の持つイノチ。

豊穣の大地と一体で生きることに至福の喜びを感じていた。

里の民とも、棲み分けながら助けあった。

それを強引にやめさせて、国家の民にした。これが、明治政府。

これに反発したのが、実は、自由民権運動の真相。

サンカは、何を嫌ったのか? 「納税と兵役の義務」のうち、特に、殺傷を強制させられる「兵営の義務」。 本来の縄文精神を、もっとも色濃く残していたのです。

民がすむ、里とは、実は、田畑の耕作権や 水利を争うところ。…「我田引水」という言葉がある。

この百姓をどう抱え、治めるか、が、封建領主=藩主・代官だった。…「生かさぬよう、殺さぬよう」

 さらに、 「依らしむべし、知らしむべからず」。 「民を愚かに保て」って。

で、重要なこと。

自由であることは、 自分のイノチを、自分たちで、守ること。

自然の声を、いつもその響きに浸りきって、感じ取るように、しっかり聞き続ける。

本来、山は神々のいるところで、神聖な場所だった。いい加減な気持ちでは、入ってはいけなかった。

昨日、3000年ぶりに、白根山の鏡池側 が噴火した。

3000年前というと、日本列島に水稲稲作が入って(佐賀の菜畑遺跡)、「みずほの国」がはじまったとき。

水稲稲作が始まって、穀物生産が増え、作物の余剰が生まれ、その余剰の獲得を巡って、日本列島でも、人間の世界に権力構造が生まれた。それを前提にして生まれたのが、日本の神道です。

 この辺を、にっぽん文明研究所の奈良泰秀先生が、上手に説明しています。(冒頭のビデオ)

奈良先生とよく話してきたのですが、この日本列島で、多くのユーラシアの文明を受け止め、融合させてきたのは、縄文のどんな感性か? それは、何か?

 翡翠の勾玉。 八尺瓊勾玉。 これは、縄文精神で、これが、古神道。

今、世界人類は、IT技術の発展と、その習得で、縄文の古神道の精神にむかいます。

 自然に浸りきって、すべてのイノチを感じながら、未来を創る。これをしよう。

 そして、今のITのネットの活用で、どう現実の人間世界を、作り直すか?

このとき、江戸期まで色濃く残っていた「結(ゆい)」、そして、大陸の「幇(パン)」が参考になる。社畜や官畜からの脱出です。

最後に、意地悪をひとつ。

「うちの店は、世界一美味い トンカツ屋だ、と自慢するブタ君」

これ、だれのことか、わかりますか?  


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抜粋終わり

>「依らしむべし、知らしむべからず」。 「民を愚かに保て」

逆に老子はいう

「民の生きる場所を狭めるな。人を圧迫するな。すると已む得ず人は知恵をこらして反抗せざろうえなくなる」

わかるよね。国家が人・庶民を圧迫すると、庶民は生き延びるために考えざろうえない。

でも、これはどっちも幸福ではない。

国家が「生活環境を整える」というインフラ整備というサービス業に失敗しているってことだよな。

結局は、見方を変えると、国家など、人間生活を維持すための「インフラ」の一つに過ぎず、信じて命をささげるものではない。

水なり電気のインフラを整備して、その上がりを頂くのが、企業なり地方公共団体。まあ一種のサービス業だ。
国家は、結局、それに過ぎない。天皇も本当はそれに過ぎないのである。



>特に、殺傷を強制させられる「兵営の義務」。

勝海舟が、別の言い方で「日本人は職能・身分で所作・動作が違いすぎる。でのすぐに軍隊で統一行動などできない」と言っていたと思う。

元和偃武の200年で、遺伝子とまでは言わないが、戦争をしにく気性・考えになっていたと思える日本人。

サンガってよくわからんが、そういう「偃武」的な指向が強い人たちもいて当然だし、そういう人たちが、陰で日向で抵抗していたのは当然に思える。

そういう人たちが存在できるってこと有る以上、日本の人は総合的に「戦争できない人たち」だったのだと思うが。
それを無理やり戦争できるようにしたのが明治阿呆帝国で、そのゆがみが前の戦争や福一原発事故とかに表れていると思う。


>私の操作が誤って、消えてしまった部分ですが、ヒロちゃんのblog が、とりあげてくれていました。

なんというか、何か仏意・天意を感じます。


浩然の気は無敵で、命の輝きは帝網重々であるから・・・。



お読みくださりありがとうございます。


追記

日本でも禹を祀っているところがあるとか・・

参考

参考2

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