故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/03 02 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 04 |
---|
京の風 より
上記文抜粋
・・・・・・・
陛下の覚悟。「生前退位」表明。摂政も置かず、殯(もがり)も否定で、政治概念の「神聖さ」消失。
熊本から戻って、東京のK2O事務所で、陛下の会見内容を確認しました。
まさか、これほどのご決意とは。
これが、私の感想です。
法改正の難しさなどを踏まえ、 自らは、退位するが、摂政を残すのではないか、と予想していたのですが、 今回の生前退位のご意向では、
摂政も置かず、しかも、殯(もがり)に伴う、一連の儀式まで、完全に否定されました。
昭和天皇の「大葬の礼」と 今上陛下のご成婚の儀では、「神である天皇」としての神格の継承式の面があったのですが、
今回陛下は、完全に、日本国憲法が規定する、日本国の天皇、すなわち、国家と、国民統合の象徴である自分を、改めて表明し、それを、日本国民に求めました。
これは、自らの神格の完全否定です。国民の安寧を祈る、祭主である、との宣言です。
それ以外のいかなる考えも認めず、為政者は、自分を利用するな、という厳命です。
これは、現代の天皇には、明治憲法での「神聖にして不可侵」という神威はなく、それを語ること、その神威を前提にして、国事行為をすることを、すべて、戒めるものです。
これは実は、明治憲法での、皇国史観ファンタジーを否定するにとどまらず、 日本書記から続いている、天皇像や天皇観を完全に脱却するものです。
具体的に言えば、戦前の軍国主義ノスタルジーに没頭する人間の否定です。神武天皇の赤子(せきし)からなる民がいるのが日本国だ、という政治概念を語る人間に対し、そんなお伽話をもうやめない、と叱責しているのです。
これに伴って、当然のこと、日本の神社界の体系も変わります。
日本会議や神社本庁の面々には、戦後、国家(統治体)と国民統合の象徴となった天皇に、明治期に伊藤博文らによって政治的に創作された、日本民族の中核として神聖さを、この21世紀委に再度持たせ、自らはその輔弼をしたり、場合によって、自らがその代理になったとして、天皇の神意を広めるという名目で、対外的な軍事拡大を正当化する、もくろみの者がいました、
そうした人間に対し、完全に、その根拠を消しているのです。
そして、自らが、国民の声に耳を傾けるとして、民意を無視して戦争に向かいたがる為政者に、大叱責をしたのです。
しかも、この放送を、CNNが全世界に流した。
これは実は、1300年前に藤原不比等によって作られた、天皇の政治的な神聖さの終焉をなすものです。
摂政も、モガリも、天皇の神聖さを担保するものとして、その地位や儀式が存在したのですが、もう、不要だと。
これは、いわば、
不比等が作り出した、イザナギ・イザナミによってオノコロ島(沼島)で国が誕生したという、国産み神話に、もはや、何ら、現実世界での政治的力を与えてはならないとする宣言です。今上陛下は、みずから、天皇ファンタ―を終わりにしたのです。
実は、日本列島に、「天皇を創った」という一族の長老が、この2月7日に亡くなったばかりでした(この人物の死は、4月6日に関係者に流れ出した)。
今回、天皇にまつわる、政治的「神威」が無くなったことは、昨年9月の国連総会で、バチカンの法王フランシスコが、「十字架には神の力はない。神は、私たちが撒いた種を生長させ、花を咲かせ、実をならせる力である」と、言ったことに呼応します。
政治が神を語ることで、国民を戦争に駆りだしてきたのが、これまでの人類社会ですが、これが、日本では、ようやく、今日、完全に否定されたのです。
2016年8月8日は、永遠に、記録される記念日になりました。
まさに、今日の放送は、「稲の根本に鎌をあてがう」のそのトドメの一撃になりました。陛下御本人が、日本会議や神社本庁、そして、日本版の軍産複合体の知的幼さと、政治的危うさに、本当に心を痛めていらしたことが、判ります。
私たちは、日本文化の核としての、天皇について、もっと、きちんとした定義つくりが必要になりました。
今上陛下の言葉にある「国民の声に耳をあてがう」。 ここに、私は、第二代目の綏靖(カム・ヌナカワ・ミミ)の名前との共通点を見て、同じ姿勢を感じます。 ヌナカワとは、縄文の女神であり、自然そのものです。
記紀にある、神話編から続けられる人間天皇の誕生と、実際の日本列島での王権の誕生とその推移のドラマを、きちんと対比させないといけません。
特に、カムヤマトイワレビコとは何者か? さらに、神武とは、何者なのか?
なぜ、ハツクニシラスが、初代の神武と、第10代の崇神にあるのか?
そして、縄文時代からの霊性は、今の天皇に、どのように、引き継がれているのか?
これらは、私たちが、12年間、真剣に、解明に努めてきたことです。
「うちの先祖が天皇を創った」という、イカヅチこと金井氏の祖先は、第10代崇神のときに、日本史に登場しています。これは、3世紀で、黄巾の乱の後の、卑弥呼の時代のことでした。
私は、大陸・半島・列島の人間が、それぞれ納得できる古代史を完成させたいと思います。
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
上記文抜粋
・・・・・・・
陛下の覚悟。「生前退位」表明。摂政も置かず、殯(もがり)も否定で、政治概念の「神聖さ」消失。
熊本から戻って、東京のK2O事務所で、陛下の会見内容を確認しました。
まさか、これほどのご決意とは。
これが、私の感想です。
法改正の難しさなどを踏まえ、 自らは、退位するが、摂政を残すのではないか、と予想していたのですが、 今回の生前退位のご意向では、
摂政も置かず、しかも、殯(もがり)に伴う、一連の儀式まで、完全に否定されました。
昭和天皇の「大葬の礼」と 今上陛下のご成婚の儀では、「神である天皇」としての神格の継承式の面があったのですが、
今回陛下は、完全に、日本国憲法が規定する、日本国の天皇、すなわち、国家と、国民統合の象徴である自分を、改めて表明し、それを、日本国民に求めました。
これは、自らの神格の完全否定です。国民の安寧を祈る、祭主である、との宣言です。
それ以外のいかなる考えも認めず、為政者は、自分を利用するな、という厳命です。
これは、現代の天皇には、明治憲法での「神聖にして不可侵」という神威はなく、それを語ること、その神威を前提にして、国事行為をすることを、すべて、戒めるものです。
これは実は、明治憲法での、皇国史観ファンタジーを否定するにとどまらず、 日本書記から続いている、天皇像や天皇観を完全に脱却するものです。
具体的に言えば、戦前の軍国主義ノスタルジーに没頭する人間の否定です。神武天皇の赤子(せきし)からなる民がいるのが日本国だ、という政治概念を語る人間に対し、そんなお伽話をもうやめない、と叱責しているのです。
これに伴って、当然のこと、日本の神社界の体系も変わります。
日本会議や神社本庁の面々には、戦後、国家(統治体)と国民統合の象徴となった天皇に、明治期に伊藤博文らによって政治的に創作された、日本民族の中核として神聖さを、この21世紀委に再度持たせ、自らはその輔弼をしたり、場合によって、自らがその代理になったとして、天皇の神意を広めるという名目で、対外的な軍事拡大を正当化する、もくろみの者がいました、
そうした人間に対し、完全に、その根拠を消しているのです。
そして、自らが、国民の声に耳を傾けるとして、民意を無視して戦争に向かいたがる為政者に、大叱責をしたのです。
しかも、この放送を、CNNが全世界に流した。
これは実は、1300年前に藤原不比等によって作られた、天皇の政治的な神聖さの終焉をなすものです。
摂政も、モガリも、天皇の神聖さを担保するものとして、その地位や儀式が存在したのですが、もう、不要だと。
これは、いわば、
不比等が作り出した、イザナギ・イザナミによってオノコロ島(沼島)で国が誕生したという、国産み神話に、もはや、何ら、現実世界での政治的力を与えてはならないとする宣言です。今上陛下は、みずから、天皇ファンタ―を終わりにしたのです。
実は、日本列島に、「天皇を創った」という一族の長老が、この2月7日に亡くなったばかりでした(この人物の死は、4月6日に関係者に流れ出した)。
今回、天皇にまつわる、政治的「神威」が無くなったことは、昨年9月の国連総会で、バチカンの法王フランシスコが、「十字架には神の力はない。神は、私たちが撒いた種を生長させ、花を咲かせ、実をならせる力である」と、言ったことに呼応します。
政治が神を語ることで、国民を戦争に駆りだしてきたのが、これまでの人類社会ですが、これが、日本では、ようやく、今日、完全に否定されたのです。
2016年8月8日は、永遠に、記録される記念日になりました。
まさに、今日の放送は、「稲の根本に鎌をあてがう」のそのトドメの一撃になりました。陛下御本人が、日本会議や神社本庁、そして、日本版の軍産複合体の知的幼さと、政治的危うさに、本当に心を痛めていらしたことが、判ります。
私たちは、日本文化の核としての、天皇について、もっと、きちんとした定義つくりが必要になりました。
今上陛下の言葉にある「国民の声に耳をあてがう」。 ここに、私は、第二代目の綏靖(カム・ヌナカワ・ミミ)の名前との共通点を見て、同じ姿勢を感じます。 ヌナカワとは、縄文の女神であり、自然そのものです。
記紀にある、神話編から続けられる人間天皇の誕生と、実際の日本列島での王権の誕生とその推移のドラマを、きちんと対比させないといけません。
特に、カムヤマトイワレビコとは何者か? さらに、神武とは、何者なのか?
なぜ、ハツクニシラスが、初代の神武と、第10代の崇神にあるのか?
そして、縄文時代からの霊性は、今の天皇に、どのように、引き継がれているのか?
これらは、私たちが、12年間、真剣に、解明に努めてきたことです。
「うちの先祖が天皇を創った」という、イカヅチこと金井氏の祖先は、第10代崇神のときに、日本史に登場しています。これは、3世紀で、黄巾の乱の後の、卑弥呼の時代のことでした。
私は、大陸・半島・列島の人間が、それぞれ納得できる古代史を完成させたいと思います。
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">「天皇陛下のお言葉なのだから国民は重く受け止めなければならない」的な言説や態度、ムードには、たとえ「お言葉」の内容がいかに優れたものであったとしても、違和感と危険性を覚えざるを得ない。もっとフラットに捉えないと、天皇制ファシズムはいとも簡単に復活しますよ。</p>— 想田和弘 (@KazuhiroSoda) <a href="https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/762737925322932224">2016年8月8日</a></blockquote>
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
この相田さんの言葉も心に置いてください。
プーチン6段の巴投げに、明仁さんの空気投げ・合気投げが、炸裂ですは。あるいは化勁の極地に近い?参考
お読みくださりありがとうございます。
お読みくださりありがとうございます。
この相田さんの言葉も心に置いてください。
プーチン6段の巴投げに、明仁さんの空気投げ・合気投げが、炸裂ですは。あるいは化勁の極地に近い?参考
お読みくださりありがとうございます。
お読みくださりありがとうございます。
PR
Comment