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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
ニュースの深層  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
日本社会ではいま「多数派」が一番苦しい? 二極化の先にあるもの


「こうあるべき」という規範がつらい…


「障害」とはなんだろう? 「普通」とはなんだろう? この社会の「生きづらさ」の正体とは? 作家の小野美由紀さんが「これからの身体知」をテーマに個人や社会が抱える問題を探る本企画。

今回は、脳性まひをかかえる小児科医で、『リハビリの夜』(第9回新潮ドキュメント賞)などの著書をもつ東京大学先端科学技術研究センター准教授・熊谷晋一郎さんのもとを訪ねました(写真・三浦咲恵)。

障害にもブームがある?


小野:相模原の障害者施設殺傷事件以降、「障害」あるいはマイノリティという存在への関心が社会的に高まっているように思います。

熊谷:そうですね。

小野:私もあの事件は本当に衝撃で「これから社会はどうなってしまうのだろう」と危機感を覚えると同時に「担い手として、どんな社会を自分は実現してゆきたいのだろう」と深く考え始めました。

12月に上梓する小説は、築100年の銭湯を舞台に、社会の中に居場所がないと感じている若者を主人公に、マイノリティであったり、事情があって社会からこぼれ落ちてしまった人間が、どうやってこの世の中でたくましく居場所を獲得してゆくか、自分と他者への寛容を身につけてゆくかということを自分なりに追求した内容なんです。

それで、障害者の自立支援や当事者研究に長年携わられている先生に今日はお話を伺いたいと思います。

熊谷:よろしくお願いします。

小野:先生が以前、どちらかの記事で「今、発達障害ブームとも言える」とおっしゃられていましたが、私もそれはすごく感じています。

一つには、発達障害の当事者がSNSやwebの記事で自分のことについて語り始めたというのもあるのかなと思うんですけど、良いことだと思う反面、「障害」という言葉にすごく違和感を覚えます。

相模原事件の犯人に関しても「パーソナリティ障害」だったと言われていますけど、この「◯◯障害」というレッテル自体が、一見人々に“規範から外れる自分”を許容することを促すようでいて、かえって"規範の中に押し戻している感じ"、と言いますか、その言葉づかいを容認する思考体系の中に人を閉じ込めていることを強く感じるのですが、先生はどう思われますか?

熊谷:そうですね。一つ言えるのは、「時代によって問題とされる障害、つまりある種の"ブーム"になる障害は変わるということです。

小野:障害にもブームがあるんですか!?

熊谷:この半世紀ぐらいを振り返って見ますと、例えば私が生まれたのは1977年ですが、当時は脳性まひ——つまり私の障害です——がすごくブームで。脳性まひは脳の損傷によって手足が動かないという障害なのですが、「なるべく早く発見しなきゃ」「なるべく早く治療を開始しなければ将来によくない」と活発に言われていました。

今はそれが少し下火になって、日本では1990年代ごろから徐々に発達障害というものが注目されるようになって、診断数もうなぎのぼりに増えていった。けれど、総数としてはそれほど大きくは変わらないはずなんですよね。

昔からずっと、今日なら発達障害とされる人はいたはずです。時代によって注目される障害が変わる。これが何を表しているかというと、決して各障害の人口構成が変わったわけじゃなくて、世の中の規範が変わった。

小野:規範というと?


社会の変化で「障害」の範囲も変わる

熊谷:つまり、恐らくその時々によって、社会に必要とされる人間の定義が変わってきている。脳性まひが問題とされた時代は高度経済成長というか、言われたとおりに黙々と決められた生産ライン——つまり製造業ですよね——で働き続ける人間像が理想とされた。

しかし、今はそういう仕事は機械がやってくれる時代ですから、人間はもっと違うことをやりなさいと。例えばコミュニケーションであるとか発想力であるとか、言われたことをベルトコンベア方式でこなす人間ではなく、自立性が求められるようになるわけです。

そうすると今度は、かつては「黙々と働くことが得意」とか「こだわりが強くて職人気質」とか呼ばれて賞賛されたかもしれない人たちが「障害」のレッテルを貼られやすくなります。

小野:コミュニケーションが重要視される社会になったからこそ、それがうまくできない人が「規範」からあぶれて、目立ってしまうということでしょうか。

熊谷:おそらくそうでしょう。「社会が望む人間像」と「障害者」と呼ばれる人間像は、ポジとネガの関係です。社会の変化に従い、障害者の範囲も常に変化するものです。


小野:「コミュ力」とか「コミュ障」とか盛んに言われ始めたのもSNSが流行り始めてからですし、社会の要請によって「だめ」のレッテルが貼られる対象も変わるということですね。それに対して先生はどう思われますか?

熊谷:まず、概念をちゃんと整理した方が良いと思うんです。例えば「この人はコミュニケーション障害だ」という言い方はかなり論理的に乱暴だと考えています。コミュニケーションというのは、優劣がつけられるような、人の「中」にある能力ではなく、人と人の「間」に生じるものなわけですよね。

小野:そうですね。

熊谷:例えばAさんとBさんの間にコミュニケーションの障害が起きた。その時「Aさんの側に障害がある」と言えちゃう理由はなんなのか、と。複数人の間に起きている現象を個人の特徴にすり替えることを“個人化”と呼びますが、「障害」のレッテル貼りの効果の一つは、個人化できないものの個人化であると言えます。

例えば耳の聞こえる人と聞こえない人の間でコミュニケーションが上手くいかないとき、見方を変えれば、耳の聞こえない人に障害があるのではなく、手話ができない方に問題があるとも言えてしまうわけです。

どちらか一方に問題を帰属させられない。そこにあるのは、単なる差異ですよね。それなのに、それがどちらか一方のせいになるのは、結局のところ数や力の論理というか、数が多い方や権力のある方がノーマルで、そうじゃない方が障害化させられることになってるのかなという感じですよね。

小野:先生は著書の中で「全体のシステムの不調和の原因は、一つだけではなく複数の原因が重なって起きるのだから、一つだけが原因とは言い切れない」というふうに書かれていましたね。

私は、あの事件の原因を「パーソナリティ障害のせい」と決めつけてしまうのも、不自然というか不思議な感じがすごくするんです。

私も今は一応「健常者」というくくりに入れられてますけれど、それは取り立てて診断を受けてないからで、もし受けたら、何かしらの病名がつくかもしれないし、つかないかもしれない。将来どうなるかはわからない。

そういう、社会や自身の行動によって常に変わり得る「あわい」の中に、個人という存在があるような気がする。

熊谷:彼の書いた文章の中に、犯行動機として「優生思想的」なものが書かれていました。つまり、社会の役に立たない人間は死んでもいい、と。その思想は果たして彼だけのものだったのだろうか、と。

犯罪を実行したのは彼かもしれないけど、彼がこれまで生きてきた中で受け取った言葉や概念というものは、決して彼オリジナルのものではない。犯人が世の中に蔓延している様々な物事の考え方に影響を受けていることは間違いないと思うんです。

中間層が実は一番しんどい?


小野:障害者に対する社会の見方であったり、介助者が置かれている社会的な環境であったり、色々なものが複雑に絡まりあって「彼という人格を作った」という感じがします。

先生ご自身は相模原の事件から1年経って、今どのようにお感じになっていますか。1年前から考え方が変わられた部分はありますか?

熊谷:1年経って、以前にも増して私が強く実感しているのは、「思いの外、多数派が今苦しんでいるのでは?」ということです。

小野:多数派が苦しむ……。マジョリティとして扱われている人? マイノリティではなく?

熊谷:そうですね。もちろん、マイノリティも苦しい時代です。

しかしそれと同時に、少なくとも自覚としては「自分はマジョリティだ」と思っており、そして周りからもそう見られやすいグループの一部の人達が、かつてない、といってもここ半世紀ぐらいの間ですが——にはなかったほどの、不安や不満を溜め込んでいそうであるということに、あれから1年経っていろいろなことを見聞きする中で気付かされました。

衝撃を受けたのが、慶応大学で財政学の専門の井手英策さんが教えてくださったんですけど、いわゆる弱者を排除しようとする言説、例えばヘイトクライムとか差別的な思想に一番とらわれているのは中間層のしかも比較的上の方であると。

小野:えっ、生活に何の不満もなく、豊かに暮らしていけそうな層ですよね!?


熊谷:本当にびっくりしました。てっきりもっと、生活が苦しい状況にある人が「私はこんなに頑張っているのに苦しい。なのに何でお前らは福祉の恩恵を受けているんだ」と、例えば生活保護バッシングのような形で弱者を批判するんじゃないかと思っていた。

小野:私もそう思っていました。

熊谷:実はそうじゃないんだというのをデータとして教わって。中間層の中でも、相対的に恵まれている人たちが排他主義を強めている。

今、社会の二極化がどんどん進んでいて、中間層が没落しつつあると言われていますが、その一方で大金持ちの層がより恵まれた状況になっていっている中で、どこの層がいちばん不満に感じているのかというと、もしかしたら、大金持ちに手が届きそうだけど手が届かない層というか、だんだん離れていっている実感のある層なんじゃないか、と。


小野:向こう岸に追いつけない焦りが、彼らをそうさせているのでしょうか?

熊谷:もしくは、彼らは人一倍、右肩上がりの規範的な期待を内面化してしまっているのかもしれませんね。

小野:自分自身に?

熊谷:「人生はどんどん豊かになっていくもの」という期待をベースラインとして持っていて、その期待に現実が追いついていけないことへの苦しさ。それは、財政や金融政策の在り方など、世の中の構造の問題で、自分の努力だとか、そういったもので解決する問題ではないのだけど、至らない自分に不安を感じたり不満を感じたりしているのかなと思ったりしますね。

少なくとも親世代——私は団塊ジュニアですけれども、上の世代はまさに右肩上がりがデフォルトというか「だんだん豊かになっていく未来」という物語が人生の初期設定にありました。

団塊ジュニアの私たちの世代というのは、ちょうどちぐはぐな世代で、頭にはその「団塊の物語」がこびりついていているにもかかわらず世の中は右肩下がりになっていて、それに気持ちが追いついていかないという、そういう感覚はちょっとわからなくもない。


小野:企業の中で成功している人や、勝ち組と呼ばれる人たちの方が、かえってそのことへの不安や不満が言いづらいでしょうね。「私たちはお金も持っていて、社会的には勝ち組で、だから不安なんてないし苦しくない」と、心の声を押し込めてしまう。

熊谷:そうですね。それがここ10年20年ぐらいの間に強くなっているような感じがします。

杉田俊介さんという、元は介助者で、今は文筆業や批評活動をされている方がいるのですが、彼は『現代思想』という雑誌で「今は僕のような多数派が、自分のしんどさを語る語彙を渇望しているんじゃないか」ということをおっしゃっていて。けれども、「普通」であればあるほど、不満や不安を表現できる言葉があんまり身の回りに流通していない。

そういうフラストレーションの中で、安易な言説、例えばいわゆるヘイトクライムであるとか、排他主義、排外主義、社会的に弱い立場にいる人々に対して「彼らの存在が多数派である私たちをこの窮地に陥れているんだ」という発想に流れやすくなっているのではとおっしゃっています。

小野:なまじ自分たちが規範に適合出来ているからこそ、それができない人は「頑張ってないだけだ」という風になってしまうのかな。

熊谷:中間層の人たちが、自分が抱える困難に対して正直になって、敵を見誤らず、自分の困難を言葉にできたらどれだけ良いだろうと思います。


社会は右肩上がりではないし、みんな不安

小野:話題は変わりますが、先生のご著書『リハビリの夜』を読んで驚いたのが、身体障害者の人々がこんなにも「健常者の肉体の動作モデル」に縛られているのか、ということです。

例えば脳性麻痺のような障害のある方の場合、コップ一つ持ち上げるのでも、その人それぞれに心地よい自分なりの動作があるはずですよね。

それなのに、どんな人もリハビリでは最初に「健常者と同じ動き」をゴールとされ、健常者と同じ動作で生活できるように徹底的に「規範」となる動きを矯正させられる。

その規範の重圧たるや、とんでもないと想像したのですが、一方で思ったことが、「これって障害者だけじゃないぞ」と。

健常者も障害者と同じぐらいに社会の規範を重たく肩に乗せて生きてるな、と。

熊谷:おっしゃる通りですね。

小野:「こう言う正常な動作の規範があって、それに合わせろ」と言って育てられるわけですよね。小学生の頃の、体育の「前へならえ」に始まって、箸は右で持つとか、お辞儀をする時の角度とか、道は右側を歩くとか。

社会を営むにはもちろんある程度の統一は必要なことですが、その規範があまりにも過剰になりすぎていて、それにぴったり適合することを全員が求められる。

そういう意味では、「同じ」と言っては乱暴ですけど、障害者も健常者も、誰もが等しく強い「規範」に縛りつけられて生きてるんだなと強く感じています。

熊谷:なるほど。

小野:けれど、実際「多数派」と呼ばれる人たちの中でも、よく見ると置かれている状況はバラバラです。

女性か男性かに始まり、結婚している、していない、子供がいる、いない、介護している、していない……など。それぞれのセグメントによって、強いられている規範が違う。

同じ「多数派」カテゴリに入っていても、背負っている規範は違うのに、それが言語化ないしは可視化しにくいから、お互いの理解が進まないのかな、と。

熊谷:障害者だろうと、健常者だろうと、マイノリティだろうと、マジョリティだろうと、みんな社会の多様な「こうあるべき」という規範に苦しめられている。

規範の内容に注目すると、互いの差異に目が向きますが、規範と現実の乖離で苦しめられているという共通点に目を向けることで、マイノリティとも連帯ができるはず、という風になってくれたらいいんですが、そうなっていない、むしろ自分の不平や不満を否認するような機制が働いているというか。

小野:先生は介助された経験がおありだからこそ、援助する側とされる側というのは時に入れ替わる、というのをご存知だと思うんですよ。

例えば先生が介助者の方に介助の仕方を教えているときは、先生は教える側の立場に立ちますよね。その時は先生が助ける側で、教わる方が助けられる側ですよね。

でも、社会の中では援助する側とされる側というのは常に変わらないものとして決め付けられてしまっているような気がしていて。

熊谷:そうですね。介助の現場に関して言えば、介助者がバーンアウトしたり、精神的に病んでしまったりする背景に「自分たちは援助する側であって弱音を吐く側ではない」という現場の規範がガチガチに彼らを取り巻いて、悪影響を及ぼしているという印象はあります。

私は「介助者が自分たちのことを当事者研究する」というプログラムを行っているんですが、社会的なことでも肉体的なことでも人間関係でも、弱音を吐き出す場所を介助現場に文化として根付かせる必要があると考えています。

それがひいては障害者の側の尊厳につながる。介助者が弱音を吐けない空間では、やはり障害者も身が細る思いがするといいますかね、常に殺気立ってしまいます。

私も小さい頃の原体験で、介助者の目つきや手つきに暴力性が宿る瞬間というのを皮膚感覚で感じ取ってきましたので、そこらへんはとても大事だと思います。

小野:介助する側というのはそんなになかなか弱音を吐いたり問題を共有したりする機会が職場でないものなんですか?

熊谷:昔はあまりにも障害者の方の主体性が蔑ろにされていた時代があったので、障害者運動の中にも、その反動として障害者だけがものを言って良くて、介助者はそれを実現するサポートをする立場なんだという思想と実践が展開されてきました。介助者は基本的にはものを言っちゃいけない、障害者がものを言うのだという考えです。

でも、やはり介助者も自分の弱さを表現して出せる場が必要なんじゃないか、それがひいては障害者の安全とか尊厳にも関わるんじゃないかということを、バックラッシュにならないように、慎重に、ぽつりぽつりと言い出す人が出ていている感じです。

小野:介助の現場に限らず、本当はどんな人でも、それぞれの中に「ここは依存したほうがいいな」という部分と、自立できる部分というのがモザイク状にあると思うんです。

でも、そういう人間観があまり許されないというか、「援助されなくてもやっていける側」はずっとそのままであり続けないといけないという硬直した社会観みたいなのがあるからこそ、これまで援助されずにやってこれた側、今まで自分たちで全部やってくることを当然とされてきた側は簡単に弱音を吐けないのかなと思いました。

「社会は右肩上がりではないし、健常で、就労できて、一般的な社会生活を送る人でも、人生のどこかで援助される側になることもあるし、そこから復帰する場合もある。むしろそうなっても当たり前だ」という認識が広まった方が、援助される側にとっても良い結果を生みそうですね。

熊谷:そうですね。どうやって「みんな不安なんだ」というふうに相互理解に持っていけるのかというのが、私の現在のテーマです。



・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

>衝撃を受けたのが、慶応大学で財政学の専門の井手英策さんが教えてくださったんですけど、いわゆる弱者を排除しようとする言説、例えばヘイトクライムとか差別的な思想に一番とらわれているのは中間層のしかも比較的上の方であると。

これは高須クリニックの会長やらアパの偉いさんがヘイトを繰り返しているのみたらわかる。

でも彼らは何を恐れているのだろうか・・・


>そういうフラストレーションの中で、安易な言説、例えばいわゆるヘイトクライムであるとか、排他主義、排外主義、社会的に弱い立場にいる人々に対して「彼らの存在が多数派である私たちをこの窮地に陥れているんだ」という発想に流れやすくなっているのではとおっしゃっています。

>小野:なまじ自分たちが規範に適合出来ているからこそ、それができない人は「頑張ってないだけだ」という風になってしまうのかな。

>熊谷:中間層の人たちが、自分が抱える困難に対して正直になって、敵を見誤らず、自分の困難を言葉にできたらどれだけ良いだろうと思います。


諸葛亮が「自分はおろかで・・・」といい、光武帝が部下によく窘められ庶民に突っ込まれる。「自分は百姓に何もできなかった」と違勅を残した・・。
趙匡胤も、よく臣下に突っ込まれ反省している。

なんだろうか、本当にできるわかっている人は、自分の情けなさ・弱さをわかって受け入れている。


お読みくださりありがとうございます。
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