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半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

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戦闘教師「ケン」 激闘永田町編 より

上記文抜粋
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柳広司先生の投書

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4月30日の朝日新聞投書欄の一つ。新聞に投書とは、柳先生も古風な手法を使われて乙ですな。中野学校出の伯父を持つ身として『ジョーカー・ゲーム』はもちろん読んでマス。

Dの魔王 
・忠義とロイヤリティ②補 

共謀罪の恐ろしさについては、すでに何度も指摘しているが、この機会に一部再掲しておきたい。

共謀罪の恐ろしさは、ソ連やナチス・ドイツのケースを挙げるまでも無く、日本の戦前に見ることができる。1910年の大逆事件では、明治天皇暗殺計画が発覚し、宮下太吉ら5人によるものであったにもかかわらず、幸徳秋水を始めとする24人が死刑に処せられた。当局は当初から5人の計画であったことを知っていたが、大逆罪を拡大適用した。事実が判明したのは戦後のことだった。なお、幸徳が死刑になったのは、公判で「いまの天子は、南朝の天子を暗殺して三種の神器をうばいとった北朝の天子ではないか」と述べたことによるとされている。

1923年の朴烈事件では、関東大震災直後に治安警察法による予防拘束(まだ事件を起こしてもいないし、計画も発覚していない段階での検束)を受けた朴烈が、拷問を受けて、愛人の金子某との「皇太子襲撃計画」について、特高の誘導尋問に同意したと見なされ(自白すらしてない)、大逆罪が適用され、死刑宣告された。後に恩赦で無期懲役になったものの、戦後の1945年10月末(8月15日でも9月3日でも無い)まで刑務所に収容されていた。
自由主義と決別するとき

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治安維持法が最初に審議された際、当時の若槻禮次郎首相は、

「世聞にはこの法律案が労働運動を禁止するがためにできるやうに誤解しておる者があるやうであります。此法律が制定されますと、労働者が労働運動をするについて、何等かの拘束を受けると云ふやうに信じて居る者があるようであります。斯の如きは甚だしき誤解であります。」

と答弁、川崎卓内務省警保局長は、「乱用など云ふことは絶対にない」と断言している。

現行の日本政府は、治安維持法を施行し国民弾圧をほしいままにした帝国政府の後継であり、安倍内閣は「明治の日」に象徴されるように戦前の帝政を称賛しているだけに、菅官房長官の言は全く信用に値しない。「一般の方々が対象になることはあり得ない」というのは原案の話であり、数年後には改悪されて「合法左翼」や「合法リベラル」が対象にされるのは明白だろう。本ブログが閉鎖される日も遠くないかもしれない。

そもそも期間が一カ月もない程度のオリンピックを開催するために、時限立法ならともかく恒久法で市民を「一網打尽」にできる法律が必要であると主張している時点で、政府の本音がどこにあるか分かるだろう。そもそも東京都と政府は、「東京は世界で最も安全な街」を最大のセールスポイントにしていたはずだ。
いつぞやの手口で楽しく弾圧

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例えば、2013年の米ボストンマラソン・テロの場合、いまだに被疑者とテロ組織との関係は確認されず、計画と呼べるような計画書の類いも発見されていない。にもかかわらず、殺人などの罪状で死刑が宣告されている。この容疑者を、「テロ等準備罪」で取り締まれたかと言えば、まずムリだっただろう。

実際、治安維持法は「実際の適用が難しい」として適用緩和と対象拡大が進められ、戦前期の最大の悪夢となり、国民弾圧をほしいままに反戦・自由主義グループを一掃して、軍国と戦争に邁進する推進力になってしまったのである。
すでに先の刑事訴訟法改正で、通信傍受が大幅に緩和されたことを考えても、共謀罪と盗聴のコンボで「電話で冗談言っただけで逮捕」の環境が成立することだけは、覚悟しておいた方が良いだろう。
予備罪は立件が難しい

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秘密保護法、通信傍受、共謀罪、予備罪等の組み合わせは、権力に巨大な暴力を付与するわけだが、日本の場合、森友疑獄や原発マフィアに象徴されるように政官業報の強固な腐敗テトラゴンが確立して、権力を相互に監視するシステムが存在しないため、巨大権力の暴走を抑止する装置が極めて脆弱なのだ。

例えば森友疑獄では、官邸と財務省が共謀して国家資産の不当な払い下げ(実質ほぼ無償)が行われていたことが判明したが、財務省はあらゆる関連文書の開示を拒否し、あるいは文書を廃棄して、一部では偽造している疑いすらある。この場合、背任罪、公務員職権濫用罪、財物侵奪罪、公文書管理法違反、虚偽公文書作成罪、証拠隠滅罪などに問われる可能性があるが、これらは今回の共謀罪から適用を除外されている。本来であれば、こうした「公共の利益を損なう重大犯罪」こそ共謀罪の対象にして、腐敗政治家や官僚を一掃すべきであるはずだが、それを自分の手で除外してしまうところに、今回の共謀罪の本来の意図といかがわしさが存在する。

森喜朗のように腐敗構造の頂点に立つ者が最高位の叙勲を授与されていることは、この国が自浄能力を失い、末期症状に陥っていることを象徴している。

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抜粋終わり

必要とあれば、森友問題の籠池さん一家を共謀罪でとらえて小林多喜二・三木清のように簡単に殺せるのだ。


根っこからの腐敗なのである。

これは明治維新からすでにあった。幕末の長州と水戸の狂気が、日本中に伝染して、あの戦争で一度瀕死になった。

代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives より

上記文抜粋
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水戸学と吉田松陰とテロリズム 水戸学と横井小楠と教育勅語


 前の記事で紹介した吉田俊純著『水戸学の研究 ー明治維新史の再検討』(明石書店)、大変に興味深い内容である。若干の論点を紹介してみたい。

 著者は、水戸学が他藩にどのような影響を与えたのかを考証し、水戸学が明治維新に果たした役割が大きかった事実を論証していく。「水戸学と横井小楠」「水戸学と吉田松陰」「水戸学と長州奇兵隊」・・・・といった具合である。

 「幕末でもっとも開明的な思想家」とも評価される横井小楠と、長州尊攘派のイデオローグ吉田松陰の水戸学の受容の仕方は対照的なのが興味深い。横井小楠は若いころには水戸学に心酔したが、後にその危険性に気付き、それを徹底的に批判するようになる。逆に吉田松陰は、当初は水戸学に批判的であったが、密航に失敗して萩に幽閉されてから、徹底的に水戸学を受容したテロリストになっていくのである。

横井小楠の尊攘テロリスト批判・神道批判

 肥後の横井小楠は、若いころに藤田東湖と交流し、藤田の信奉者になる。しかし、水戸尊攘派が過激化するのを見るにつけ、尊王論と結びついた藤田の「誠」は、手段をわきまえない術策に陥ることは必然であると気づく。小楠は、水戸学の信奉者は「戦国の山師と同様」とまで述べ、尊王攘夷論を批判する。言い換えれば、藤田東湖の「尊王攘夷」とは、「誠」を大義に掲げつつ、そのためには、ありとあらゆる卑劣な手段を講じてもかまわないと考えるテロリズムに帰結することは必定であると批判するようになった。

 水戸学は、儒教道徳と神道を結び付けたところに特徴があるが、小楠その危険性を察知して、神道も徹底的に批判するようになる。1864年には井上毅に対して「神道の害は甚だしく、水戸や長州のような神道を奉じる輩は、君父に向かって弓を引くまでの不埒者となった」と述べている。(『沼山対話』。井上毅は、「神道」を伏字にして紹介しているが、著者によれば、伏字の中に「神道」が入ることは明白である)

 小楠は、『古事記』の神代神話も含めて全て真理と考えるようなカルト思想が、国際正義に背を向けた偏狭な国粋主義、さらに原理主義テロリズムに発展することを悟り、水戸と長州の過激派批判に転じた。そして、「儒教」の中から国際的に通用する普遍性を抽出し、儒教に基づいて西洋帝国主義も批判するという開明的思想家となった。

小楠と教育勅語

 しかしながら、『水戸学の研究』の著者の吉田俊純氏は、小楠の思想の限界性も指摘していて興味深い。すなわち、小楠が神道を批判したとして、水戸学全体を否定したとは言えないからだという。著者は、明治に小楠が生きていたとしても、開明的な方向にのみ進んだとは限らないという疑問を呈し、その根拠として、「教育勅語は、小楠の影響を強く受けた後輩の元田永孚と井上毅によって作られたことも、思い起こすべきである」と述べている。

 安倍政権の思想のキーワードでもある「教育勅語」は、国家神道と儒教道徳の混成物で、どちらかというと神道色を薄めて、儒教道徳を前面に出したという点、水戸学的要素がみられる。教育勅語の精神が、軍部の玉砕精神にもつながっているという側面は濃厚である。この教育勅語が、開明的思想家・横井小楠の影響を強く受けた後輩の元田永孚と井上毅によって起草されたという事実は、意味深であると言わねばなるまい。何故そうなってしまったのであろうか? 

吉田松陰の水戸学受容とテロリズム
 
 つぎに吉田松陰を見てみよう。吉田松陰は、密航に失敗する前、佐久間象山門下である当時は、水戸学に批判的であった。ペリー来航時の嘉永6年(1853)には、兄宛ての手紙で、「水戸の老公(徳川斉昭)でも阿部閣老(阿部正弘)でも、海外事情を何も知らないのでは戦の仕様がない」と述べている。安政元年(1854)には、やはり兄宛ての手紙で、水戸の会沢正志斎を批判して、「会沢は『新論』で偉そうなことを述べているが、攘夷だなんだと言ってみても、軍艦の作り方一つ知らないではないか」という趣旨の批判をしている。

 吉田俊純氏の著作には書いていないが、この松陰の言葉は、佐久間象山の水戸学批判をそのまま展開したものであろう。西洋技術を何も知らない水戸学の学者たちが、「尊王だ攘夷だ」と叫んでみたところで、いざ西洋から侵略されれば、何の役にも立たない空言に過ぎないという批判である。
 松陰は象山からそう言われ続けて、オランダ語や物理学など勉強しようとしてみたが、彼は語学も数学も全くダメで、一向に身に付かなかった。彼は思想のセンス的には、完全に藤田東湖的であったのだ。
 松陰に、理系的な素養はなかった。頭では、象山の教えが分かっていても、西洋技術を学ぶセンスは自分にはない。それで悩んで、「ならばアメリカに渡ってしまえ」と考えたのかも知れない。(これも私の推測であるが)
 
 周知のように松陰は密航に失敗して萩に幽閉される。そこで佐久間象山のくびきから逃れることができた。やれ「オランダ語を学べ」、それ「物理学も勉強しろ」、「西洋を知らずして西洋に勝てるか」といった小言ばかり述べる口うるさい師匠が目の前からいなくなったのである。
 
 萩の獄中で、松陰は水戸学の著述をむさぼり読み、また本居宣長の『古事記伝』も読破して、『古事記』に書いてあることは神代の神話も含めて、すべて真理であり、疑うことは許されないと考える国家神道の原理主義者になった。佐久間象山がそれを知れば、唖然として松陰を叱ったであろうが、象山はいない。

 松陰は水戸学と本居学を折衷させて、自己の思想を確立する。そしてついには、「尊王攘夷」の四文字のお題目を唱えれば道は開ける、身は滅びても魂が残ればよいと、と宗教原理主義的な玉砕テロリズムを鼓舞するようになる。かくして、合理的な思考をしていた象山門下時代の吉田松陰とは全く別人のようになってしまった。
 水戸学の思想はテロにつながると危険視した横井小楠の危惧を、まさに体現したのが吉田松陰とその門下生たちであったといえるだろう。



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抜粋終わり

>「神道の害は甚だしく、水戸や長州のような神道を奉じる輩は、君父に向かって弓を引くまでの不埒者となった」

孝明天皇暗殺の真偽はわからんが、

515事件や226事件を見ても、その通りになったとわかる。

まだ226の青年将校はマトモなところがあった。

だが、あの戦争を指導した連中は正真正銘の基地外である。

で、今も2013年の「主権回復の日記念式典」で、日本でもっとも忙しい老夫婦を、公衆の面前で辱めれる無慈悲さ。

参考

9条改正など屁の河童になるよね。


こりゃ、日本の指導層とは「キチガイ」と同義語です。


お読みくださりありがとうございます。


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『悪霊憑きの国』
『明治クーデター』で『悪霊憑きの国』になった日本の悲劇『明治とは成功したオウム』。
ローレライ 2017/05/11(Thu)12:12 編集
Re:『悪霊憑きの国』
>『明治クーデター』で『悪霊憑きの国』になった日本の悲劇『明治とは成功したオウム』。

お見事、その通り!!


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忠武飛龍 【2017/05/11】
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