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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
リテラ より

上記文抜粋
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筑駒出身AV男優・森林原人に寄せられた女性たちの性の悩み! 多かったのは「AV脳」と「セックスレス」


麻布、栄光学園、筑波大学附属駒場、ラ・サールすべてに合格して、筑駒に進学。そんな「神童」と呼ぶにふさわしい経歴をもちながら、東大には進学せず、現在は日本でも有数のトップAV男優となっている男、森林原人。
 本サイトでは以前、彼の自伝的エッセイ集『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』(講談社)を取り上げ、超高学歴から人気AV男優へと数奇な人生をたどった男がもつ「性」にまつわる哲学を紹介したが、その哲学は、男性優位主義的だったりセックス至上主義的だったりする旧来的なセックス観とは一線を画すものだ。
 そのことがよくわかるのが『AV男優 森林原人のイケるSEX』(扶桑社)。同書は森林が女性からのお悩みに答えるという企画本だが、頭の回転の早さゆえの高いコメント力もさることながら、旧来的なセックス観とは一線を画す森林のアドバイスは、性のちがいを超えた普遍性をもっている。
 本書の悩み相談でしばしば登場するのが、彼氏や夫がいわゆる「AV脳」であるという相談。やたらSM的なプレイを求めてきたり、行為のラストに「何が出るの?」と聞いてくるなど、男がAVを見過ぎているがゆえに発生する悩みは尽きない。
 こういった「AV脳」は男だけの問題ではなく、当の女性自身のなかにも「AV脳」をもっている人はいるようで、「これまでの人生で一度も潮を吹いたことがない」と悩む相談に対し、あれはパフォーマンス上の「見せるための前戯」としてAVの世界で開発されてきたものであり、〈潮吹きが達成感のために使われているセックスはまず気持ちよくないです〉と森林が諌めるくだりも本書にはおさめられている。
 しかし、そんな森林本人もAV脳とは無縁ではない。撮影現場でのこんなエピソードを披露している。
〈今でこそ、したり顔でセックスや愛について語っている僕も、「AV育ち」の「AV脳」なので、AVっぽい質問をしてしまいます。僕のお気に入りは、「おちんちんおいしい?」です。大抵みんなおいしいと答えてくれますが、一度だけ「おいしいわけねーだろ、てめぇで舐めてみろ!」と怒られたことがあります〉
 思わず笑ってしまうエピソードだが、本書のなかでとりわけ目につくのが「セックスレス」に関する相談。彼はそれに関し、〈日本人のセックスレスの原因は、セックスが好きかどうかではなく、する土壌ができていないというか、きっかけ作りが下手なだけな気がします〉と語り、これは性欲の問題ではなく、夫婦や恋人間のコミュニケーションの問題と捉える。そしてこんな提案をするのだった。

〈裸で抱き合うだけの挿入しないセックスを提案してみて下さい。裸で抱き合うと不思議と安心しますから、優しい言葉で会話ができます。それだけでも、随分と気持ちが楽になるはずです。まずは、そこからです。その先には自然とセックスがありますよ〉
 そしてさらに、セックスレスの相談に答えながら彼は、そもそも人間にとって「セックス」とは何かという問いに対して、このような考えを語っている。
〈いきなり壮大な話になりますが、人間は基本的に孤独です。誕生した瞬間から、本能的に孤独を感じており、その孤独をどう克服するかが永遠のテーマだったりします。性欲の本質は、生殖ではなく孤独の克服です。赤ん坊は母親に抱きしめられ、その温もりを通してひとりじゃないんだと安心するそうですが、大人だってそう変わりません、肌の接触が必要で、孤独じゃないと強く感じられるのがセックスです〉
〈人間にとって性欲の本質は、生殖や快楽への欲求ではなく、孤独の克服です。人は人と繋がりたいという欲望を本質的に持っています〉
 前著『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』のなかで森林は、自身がAV男優としての道を歩むことになったそもそものきっかけは、超進学校に通い、自分以上に勉強のできる化け物のような級友に出会ったことで大きな挫折を味わったことだったと語っている。
〈僕が努力してきた時間が無駄と思えるほど圧倒的な頭脳の存在を知らされたのです。勉強もたいしてせず、いとも簡単に合格した奴らが何人もいて、そいつらは、塾にも行かず、親に教わっただけとか、一を聞いただけで十も百もわかってしまうような頭で、天才としか言い表せられません〉
〈全国模試で一ケタ代の順位しか獲らない奴や、数学オリンピックで金メダルを獲る奴、ラジオ英会話を聞くだけで英検一級になっちゃう奴。そんな奴らと学力で張り合おうとは、とてもじゃないけど思えませんでした〉
 そんな思春期の彼を救ってくれたのは「性」であり「エロ」であったと言う。
〈物心ついた僕にとって、性は、救いで、逃げ場だったのです。“性”なんてかしこまった言い方をされるものじゃなく、下品で下世話で面白い“エロ”でしかなかったけど、エロも性の一部だとしたら、僕はやっぱり、性に救われたってことになるんだと思います〉(前掲『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』)


そんな人生を歩んできた彼は、セックスが心にもたらしてくれるポジティブな変化をこのように語っている。
〈僕は人一倍コンプレックスの塊です。そのコンプレックスの種をどうにかしたいと思い、整形をしようかとか、いっそいなくなってしまいたいとか、いろんな方向でいろいろと考え悩みました。(中略)そんな僕が、セックスで相手と溶け合う瞬間は、自分のすべてを相手が受け止めてくれているように思え、それが勘違いだとしても、僕は僕でいいんだと思い込めて、許せ、受け入れることができます。まぁ言うほど悪くないじゃん自分も、と。どれだけ自分を嫌いになっている時でも、どれだけ嫌なことがあっても、将来に不安を感じどんよりした気持ちになっても、セックスで溶け合った瞬間、それらがとりあえずはどうでも良くなるほどの絶対的な全肯定感に包まれます〉(前掲『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』)
 ただ、セックスによって一瞬は孤独が解消されたと感じたとしても、それは虚像でしかないし、その行為が相手を傷つける可能性も大いに孕んでいるということもまた、彼は理解している。『AV男優 森林原人のイケるSEX』で、森林はこのように語っている。
〈でも、この救われた気持ちは勘違いだということも承知しています。「どれほど相手とひとつになれるいいセックスをしたとしてもわかり合えているわけじゃない」というのと同じで、人と人はつながれた気になっても、それはあくまでも一瞬の出来事で、だから儚く脆く、なかったかのように幻となり、その一瞬が嘘だった気すらしてきてしまう。そんな風に人と人は決して掴めない絆を求め続けながらも、同じところで悩み、つまずき、傷つき、嫌になってしまう〉
 アダルト誌などで執筆活動をしているライターの井川楊枝氏による著書『モザイクの向こう側』(双葉社)によれば、現在のAVでは、男優が童貞であったり早漏であったり、はたまた、プロの男優ではなく素人の男を使ったりといった企画がトレンドであると語られている。これに対し井川氏は前掲書のなかで〈ともに女性慣れしていない男を意味するキーワードであり、それだけ今の購買者が草食化している証かもしれない〉と分析していた。
 森林が人気を集め、多くの監督から引っ張りだこになっているのは、苦い青春を送ったがゆえにそういった新しい感覚をもちあわせた、業界においては稀有なAV男優だからなのだろう。




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抜粋終わり



同じく より

上記文抜粋
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星野源はなぜ大衆ウケするようになったのか?…いまだから語れる、くも膜下出血が変えた人生観

星野源の表現のポップ化、『化物』と『SUN』のあいだ

 昨年の『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS)をきっかけとしたお茶の間でのブレイク以降、いよいよ星野源の勢いが止まらない。
 5月にNHKでテレビ初の冠音楽番組『おげんさんといっしょ』が放送されることが明らかになり大きな話題となっている。今月は主演声優を務めたアニメ映画『夜は短し歩けよ乙女』も公開され、先月末に発売された最新エッセイ集『いのちの車窓から』(KADOKAWA)は重版が連続し、累計発行部数は早くも24万部に到達。先日は、過去に糸井重里、タモリ、内田樹、リリー・フランキー、是枝裕和といった錚々たる面々が受賞している「伊丹十三賞」を受賞した。
 音楽、演技、文筆、どの分野でも外れなしでヒットを飛ばしまくっている状況なわけだが、こうなるとぼちぼち聞こえてくるのが、「星野源、ちょっとマス受け狙い過ぎなんじゃないの?」という古株ファンからの声だ。
 確かに、特に音楽活動に顕著だが、ここ数年の星野源の表現のポップ化は著しい。現時点での最新アルバムとなる『YELLOW DANCER』は、内省的なフォーク色を薄めてソウルやR&Bに急接近し、より「みんなで踊れる」ポップミュージックを指向したものだった。その後にリリースされた「恋」も音楽的にはその延長線上にある。
 ただ、そのポップ化の裏には、単に「大衆受け狙い」「セルアウトした」などとは片付けられない深い理由があった。そこには、2度にわたるくも膜下出血の手術、一度ならず二度も死の淵をさまよった経験が強く影響しているというのである。「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)2017年5月号に掲載された小説家・米澤穂信との対談ではこのように語られている。
米澤「『化物』(3rdアルバム『Stranger』収録)の歌詞では、「僕」が「誰かこの声を聞いてよ」と言っていますよね。次に出された『SUN』(8thシングル、4thアルバム『YELLOW DANCER』収録)では、「君の声を聞かせて」となっている。これはご自身の心境の変化なのか、あるいはもともと根は一緒のものを違うかたちで表現したのでしょうか」
星野「さすがです! そこに気づいてくださるとは。心境の変化です。『化物』は病気で倒れる直前に作った曲なんですが、当時は心情的に「僕のことを誰かわかってくれ!」と、独り善がりな状態だったんですね。その痛々しさが、そのまま歌詞に出たんです。でも、倒れて休んでって期間があってからの『SUN』では、(中略)自分の外側に興味が向かっていました。それに気づいたのは、曲ができて少し経った頃で。よく考えたら『化物』と『SUN』は対になっているぞ、と。気づいていただけて嬉しいです」



星野源を根本から変えたくも膜下出血

 ここで語られている通り、「化物」は13年5月に発表されたアルバム『Stranger』に収録されている曲で、この楽曲のレコーディングを終えた直後、星野は猛烈な頭痛を訴えて緊急搬送。くも膜下出血と診断されて急きょ手術を受けることになる。
〈気が付けば深夜2時。ボーカルとコーラスの収録を終え、これですべてのレコーディングが終了という達成感の中、スタッフ皆で拍手をしていると、急に目の前がぐにゃっと曲がった。
 あれ?
 猛烈な勢いで変な気分になり、誤摩化そうと携帯電話を手に取り「メール見てくる」とスタジオの外に出ると、バットで頭を殴られたような痛みとともに、立っていられなくなり、地面にへたり込んだ。
 痛い。頭の中が超痛い。歩けない。壁を伝いながらよろよろとスタジオに戻り、スタッフに頭痛を訴え、保冷剤を持ってきてもらった。それを頭に当て、ソファに横になったが痛みは増す一方で、結局救急車を呼んでもらった。
(中略)
 翌朝、くも膜下出血という診断が下った。脳の動脈に慢性的な動脈瘤があり、そこからの出血だと言われた。現在出血した場所はかさぶたのように塞がり血はひとまず止まったが、なるべく早く手術をしなければならなくなった。
 その日の夜7時に、動脈の管を通して行うカテーテル手術をすることになった〉(『蘇える変態』マガジンハウス)
 この手術はうまくいき、星野はいったん仕事復帰するものの、ほどなくして再発。今度の手術は、執刀医に開口一番「手術やりたくないです」とまで言われるほど難易度の高いものだったが、奇跡的に後遺症もなく完治させることに成功した。
 そんな大病を患う前に書いた「化物」は、ステージを終えて日常に帰った「僕」が、風呂場のなかで急に無常感に襲われたときの心の叫びを〈誰かこの声を聞いてよ 今も高鳴る体中で響く 叫び狂う音が明日を連れてきて 奈落の底から化けた僕をせり上げてく〉と歌っている。これは、舞台で共演した中村勘三郎に聞いた話を自分の体験と重ね合わせて歌ったものだと本人は語っているが、確かに前述の対談で星野が言うように「僕のことを誰かわかってくれ!」という主張が前面に出ている。
 一方、病気が完全に治ってから、15年5月にリリースされた「SUN」にはそのような要素はいっさいない。〈Baby壊れそうな夜が明けて 空は晴れたよう Ready頬には小川流れ 鳥は歌い 何か楽しいことが起きるような 幻想が弾ける 君の声を聞かせて 雲をよけ世界を照らすような 君の声を聞かせて 遠い所も雨の中も すべては思い通り〉と歌われるこの曲には、〈壊れそうな夜が明け〉た後の晴れ渡った気持ちが徹頭徹尾盛り込まれている。そんな「SUN」の歌詞について、星野はこのように種明かししている。


星野源が『徹子の部屋』で語った夢

〈歌詞の内容は、難しいものではなく、わかりやすく明るいものがいい。意味がないほど明るい。意味不明に明るい。この世で一番明るいものはなんだろう。
 太陽だ。すべてのものに光を与え、命を与え、煌々と輝きながらも、誰もその実態に近づくことはできない。
 マイケル(引用者注:マイケル・ジャクソン)みたいだと思った。世界中に元気と希望と音楽を届けていたのにひとりぼっちで、誰もその心に近づくことはできなかった。タイトルは『SUN』になり、歌詞には、マイケルへの個人的な思いを忍ばせた〉(『いのちの車窓から』)
 しかし、なぜ星野の表現はこのように「外に外に」開かれたものになり、選ばれる言葉や音楽的な要素も、内省的で暗いものからカラッと晴れ渡るような明るいものに変わっていったのか? それは、二度も「死」を意識せざるを得ない体験をしたことで、「死んだらもうその先に楽しいことはない」ということに気がついたからだった。それは表現のみならず、生き方そのものを変えてしまうほど大きなものだったと言う。前掲「ダ・ヴィンチ」のインタビューで彼はこのように語っている。
「その人個人っていうものが、その人個人たり得る瞬間って、エゴから解き放たれている瞬間だと思うんです。“俺を分かってくれ”っていう痛々しい余計な不純物が取り除かれた時に、本当の意味でその人にしかできないオリジナルな表現が出てくる。それを分かっていても、どうしてもエゴが出ちゃったり欲が出すぎちゃったりしていたのが、倒れる前までの自分でした。でも、倒れて入院していた時に、人は死ぬんだなってことが色濃く実感として分かったんですね。死んだ後って何もないんだなってことが分かったので、死ぬまで楽しく生きないともったいないなって。もっと色んな人に会いたいし、色んな景色を見たい。その時に初めて大人になれたような、エゴっていうものから解き放たれたような感覚があったんです。それがやっぱり楽曲にも出ていると思いますし、文章にも出ているんじゃないかと思います。“俺を分かってくれ”とかじゃない、普通の自分のままでいられるようになったんです」
 今月10日にゲスト出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日)で、黒柳徹子に「これからのあなたの夢は?」と聞かれた星野は、旬のタレントとは思えぬこんな答えを返していた。
「僕の夢は、長生きしたいです。長生きして、なるべく楽しく朗らかに過ごせるのが一番いいなぁと」
 この夢の背景には、過酷な体験を通して感じた切実な思いが隠れている。彼の表現がどんどんポップで開かれたものになっていっても、決して「大衆に媚びた」といったようなものに感じないのは、そういった理由があるのだろう。
(新田 樹)
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抜粋終わり




なにか、日本の思想の底流が完全に変化したように思える。


>その人個人っていうものが、その人個人たり得る瞬間って、エゴから解き放たれている瞬間だと思うんです。“俺を分かってくれ”っていう痛々しい余計な不純物が取り除かれた時に、本当の意味でその人にしかできないオリジナルな表現が出てくる。
>それを分かっていても、どうしてもエゴが出ちゃったり欲が出すぎちゃったりしていたのが、倒れる前までの自分でした。
>でも、倒れて入院していた時に、人は死ぬんだなってことが色濃く実感として分かったんですね。死んだ後って何もないんだなってことが分かったので、死ぬまで楽しく生きないともったいないなって。もっと色んな人に会いたいし、色んな景色を見たい。
>その時に初めて大人になれたような、エゴっていうものから解き放たれたような感覚があったんです。それがやっぱり楽曲にも出ていると思いますし、文章にも出ているんじゃないかと思います。“俺を分かってくれ”とかじゃない、普通の自分のままでいられるようになったんです

結構すごいことを理解した星野源。

エゴを自己を出そうとする、それに呪縛される。

エゴを自己を抹消しようとすると、それゆえに何も亡くてしまう・・。

エゴエゴの西欧文明も、「自我を抹殺」の大日本奴隷帝国の「社畜」の日本天皇真理教文明も、

ダストシュートですは。

他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ 

理趣経 百字偈


>〈ともに女性慣れしていない男を意味するキーワードであり、それだけ今の購買者が草食化している証かもしれない〉と分析していた。

草食化というよりも、「より本当のモノを」と貪欲化している。あるいはもう近代・特に大戦後の「大量生産・大量消費生活」の欺瞞と嘘に耐えきれなくなった人が多くなったと思う。





お読みくださりありがとうございます。
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