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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
日本が国際社会で疎外されるのは、なぜだろう?


日本が、焦眉の年、2050年を越えて生き延びてゆくシナリオは、
もういちど戦争を起こして、またしても徹底的に負けて、破壊されて、新生日本として再出発することになるか、
例えば国会議事堂が物理的に破壊されて、世界中の人間に、均しく、わかりやすい形で戦前の日本が消滅したことを示すか、
多分、ふたつにひとつしかない。

そんなアホらしい、と苦笑する訳知りの、訳知り顔のまま衰退する日本にぶらさがって、寄生してきた日本のおじさんたちの顔が見えるようだが、世の中の、特に国際的な関係や国の後先は、案外と、というよりも例外なく、論理が示す方向に収斂するもので、なぜ論理が自動して、そういう結論にたどりつくのか、これから説明しようとおもう。

むかし、渋谷の大盛堂書店の地下にあったミリタリーグッズの店に、ドイツ人たちが現れるようになって、盛んにナチの旗や制服を買い求めている、という記事が70年代の英語雑誌に報じられている。
80年代までは、報じられていて、90年代には見あたらないので、そのあたりで何かがあったのかも知れないが、しばらくのあいだは、秘かにナチズムを信奉するドイツ人たちの聖地になっていたもののよーです。

当時は、いまと異なって、ドイツから日本にやってくるには、航空券だけで30万円はしたはずで、たいしてオカネがあるともおもえない身なりであったらしいドイツ人たちが、苦労して貯めたオカネで、ひとの話だけを頼りに遙々日本まで旅したのはなぜかというと、知っている人も多いはずで、ドイツではナチの遺品、ナチに関連した商品、あるいはナチを想起させるものに至るまで、東西ドイツともに厳禁されていた。

Strafgesetzbuch section 86aという、この有名な法律は、もともとはコミュニズムとナチズムの双方を禁ずるための法だったが、ドイツ統一前後からは、ほとんど「ナチズム禁止法案」として機能してきた。

ドイツ人の叡知は、この一条の法律を種子に、戦後、しだいにナチズムの否定を自国のアイデンティティとして育てていったことで、ナチズムに対する最も苛烈な糾弾者は、シオニストの国であるイスラエルとドイツ共和国自身だった。

今日、若いドイツ人が外国人にナチについて訊ねられて、自分達にも責任があるかどうかを聞かれた場合、もっとも平均的な返答は、「ナチについては、もちろん知っているが、自分達は、ナチ・ドイツを完全に否定した国家で育ちました。
ナチズムは、いまのドイツにとって敵対的な思想です。
だから、もちろん、わたしには責任があるわけはない。
責任ということなら、ドイツがまたナチ・ドイツにならないように監視する義務がわたしたちにはあるとおもう」
くらいでしょう。

戦後一貫して、ナチとの同一性を、国家として否定してきたドイツは、それでも、長い間、周囲の国の不信の眼にさらされてきて、他人の善への努力に関しては、なにごとにも懐疑的なイギリス人などは、「ぬわあああにテキトーな理屈をこねて、ごまかそうとしてやがんだ、ドイツ人はドイツ人じゃねーか。おれは誤魔化されんぞ」などと述べていたが、ドイツ人たちが真摯にナチズムを糾弾して、ナチ思想を抱くことそのものを犯罪とみなして、あまつさえ、ホロコーストの糾弾を自分達の国家の中心概念におきだしたのを観て、なるほど、いまのドイツは、ナチズムの敵対者なのだ、そーゆーこともあんのね、と納得されていった。
70年かけて、ドイツは、かつてのドイツとは対立的な国であることを証明した。

ユダヤ人は、まだドイツ人を許していない。
普段の生活で、ユダヤの人と話していても、かなりの割合のユダヤ人は、ドイツ人への嫌悪感を、やっと隠して暮らしている、という印象がある。
イギリス人も、ドイツ人は信用できない、という人はたくさんいる。

しかし、それを口にできないのは、ドイツ人たちが国を容器とした文明の問題としてナチとの非連続性を主張しているのに、こちらは、民族の血、というような、別によく考えてみなくても人種偏見とおなじロジックに立っているのはわかりきったことだからで、誰でもレイシストだと誤解されたくはないので、黙っている。

ドイツと対比して考えると、わかりやすいとおもうが、日本と日本人は、ドイツとは逆に、戦後日本は、戦前の大日本帝国の正当な後継者であると主張している。
「われわれは戦争に負けただけであって、それまでの日本を否定されたのは、戦争に負けたという力の論理によっている」と、普通に述べる人が、市井のおっちゃんから首相まで、ふつうに、どころではない、至る所に存在する。

なぜ、どこの国民の目にも異様とうつるほど南京虐殺を否定するかというと、戦前の日本と戦後の日本は、ひと続きの、同じ国だと自分でも知っているからでしょう。
「おまえがやったことじゃないか」と言われているのだと、感じている。
アメリカに負けて、これまでの日本は間違った思想の国だった、これからは、戦前の日本を否定して、まったく正反対の信条の国を建設する、というのは、陰で舌をだしている、とまでは言わないが、不公正な押しつけであると感じているという偽らざる気持を、おもわずしらず、白状してしまっている。

そーじゃないかなあー、そーゆーことなんちゃうかなあー、と周りが、戦争が終わってからずっと疑惑の目で見ていたのは図星で、経済が繁栄した70年代くらいになると、憲法第九条を改正したいと、でっかい声で、言い出した。
平和憲法を改正したいと述べる主語は誰であるかというと、当然、「戦前から一貫して続いている日本」です。

日本人の意識の上では、戦前から一貫して続いている日本だけが真の日本で、途中で民主主義を誓わされたり、軍隊を捨てさせられたり、東京裁判という「勝者による不公平な裁判」で、報復として同胞の政治家や軍人が処刑されたのを、涙をこらえて我慢したり、だからこそ、戦争をやった当事者ではあっても、日本は加害者ではなく被害者だという驚くべき国民感情のなかで戦後を過ごしてきた。

かつての敵、アメリカと、いまは仲良くなって同盟している、という、会社の同僚との関係や近所づきあい、お友達との機微と、国家間の外交をごっちゃにしてるんちゃうか?と疑いたくなる、ぼんやりした考えのなかで日本人は安全保障を考える習慣をもっているが、そのアメリカといまはお友達の国は、誰であるのかというと、これも戦前の日本です。

「なんべん謝らせれば気がすみんだ!」と、例えば慰安婦問題において日本の人は述べるが、謝るそばから、「おれが悪いんじゃねーよ。おめーらがあんまりうるせーから謝ってやっただろう!? それなのに、ガタガタゆってんじゃねーよ」という、下品な態度であることは別に、日本が組織的に戦争犯罪を繰り返した大日本帝国とおなじ日本であるかぎり、戦前の日本と連続性をたもった国として、「美しい国」というような恥知らずなお題目を唱える政府を支持しているかぎり、そりゃ、論理的にも感情的にも当然で、国が崩壊するほどの被害にあったアジアの国々が日本を許す日がくるわけがない。

たとえば独日両方と戦った復員兵たちがドイツを許しても日本を許さなかったのは、反省している、反省していないというようなことではなくて、もっと論理的骨格をもった反感、「日本は戦前の日本とおなじ日本ではないか。なぜ、そんな国家の存在が許されているのか」という怒りだった。
戦前の独裁者のなかで、万世一系、ただひとり指導者として長生きして大往生した昭和天皇が、その意味で「日本の象徴」であったことは、言うまでもありません。

G7が開催されたりするたびに、広告代理店を動員したりして、自分達が大活躍しているように見せかける政府の努力にも関わらず、英語を理解できる人が増えて、インターネットが普及して、情報が日本でも共有されるようになってくると、映像ひとつでもあきらかで、日本だけが、なぜかのけ者にされているのが、日本人にも、やっと感じられるようになってきた。

「あれは安倍が信用されていないのだ」という人が大多数で、部分的には、生まれついてのウソツキというか、自分が口にすることは真実でなければならないのだという責任感にまるで欠けた首相で、それが忌まれているのは真実だが、おおもとは
日本のアイデンティティが戦前の日本と同一であることから来た論理の帰結で、要するにアメリカのデタラメな外交で、沈まぬ巨大空母の基地として便利使いすることを目的に、日本人に戦前の日本を否定するチャンスを与えなかったアメリカ軍を共犯者として、ドイツ・イタリア・日本の三国同盟国のなかで、ただひとつそのまま生き延びてきた国として、国の存在そのものが、許されないものとして、世界という昔に較べれば、遙かに緊密な意思の交換をおこなうようになった共同体に住むひとびとの眼に映りはじめている。

そこにもってきて、ゆいいつ戦前の日本を否定するよすがになっていた戦後憲法を否定したいといいだして、ほとぼりがさめたので戦争もやらせてください、できたら核兵器ももちたい、おれに楯突くと、アメリカがだまっちゃいねえぞ、つまりは戦前の日本とロジックがそのままおなじであることを臆面もなく露わにして、しかも、それをヴォーカルに世界中を行脚して述べて来た首相を国民が支持し続けている。

若い中国人たちに「正気をたもっている日本人を助けて日本を解放するべきだ」と述べる人たちがあらわれたり、アメリカ人たちのなかに、「日本との同盟などコストがかさむばかりで、かつての敵といつまでも手を結んでいるのは、どうかとおもう」という声が出てきているのは、つまりは日本が戦前の日本との自己同一性を声高に述べだしたからで、

冒頭にもどると、おなじく論理的な帰結として、国が、経済崩壊にしろ、なににしろ、なんらかの理由で崩壊して、世界中の誰がみても従前とは異なる国として再生されるか、あるいは戦前からの同一性保持の道をこのまま歩いて行って、必然的な結論である戦争を始めて、またぞろアメリカによるか中国によるか、乾坤一擲の勝負に出たロシアによるか、国が焦土と化して、今度こそ誤魔化しでなく、戦前の日本と断絶した新生日本として再出発するか、日本が未来を生き延びてゆく道筋は、ふたつにひとつしかない。

戦争のほうの選択肢は、下手をすると国が消滅するという可能性があるので、願わくは、他国のような民衆の手による革命は全然むりでも、アベノミクスで疲弊した財政が破綻するかどうかして、軍事とは関係がないところで、国がいったん破滅するほうにすすめば、なんとか、日本の人のことだから、あっというまに復活するのではないかと期待しています。

そのときこそ、戦前から21世紀まで続いた、明治日本がデザインしたAncien régimeを、日本人がこぞって否定することを祈って。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

>日本が、焦眉の年、2050年を越えて生き延びてゆくシナリオは、
もういちど戦争を起こして、またしても徹底的に負けて、破壊されて、新生日本として再出発することになるか、

それでも「天皇制」が亡くならなくては、生き延びれない。

天皇制を消滅させたら、即時に復活で栄光への道ができる。

京の風 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
「本来、神社とは地域の平和と繁栄を祈るためのもので、 この日吉神社でいえば、江戸時代は氏神の地域と尾張国の繁栄を神様に祈願していました。 明治になって、日本という統一国家ができたので、その象徴として『天皇』を据えたのです」


掲題は、週刊金曜日の取材に答えた、清洲山王宮日吉神社の神職56代の、三輪隆裕宮司の言葉です。

以下から、転載いたします。

http://mazeranmisogi.jugem.jp/?eid=2715

(転載開始) 

日本の神社は朝鮮の被差別民の白丁がやっている!

神道は仏教思想が元で仏教修行僧が支えていた!



実は天皇も?撮影禁止の部分に本当の神道の歴史が!



國學院大學博物館 考古と神道で知る日本の文化・歴史より



https://youtu.be/eg866M-vb3g





神社本庁と日本会議を真っ向批判する現役宮司 



神社本庁は日本会議と結びつきが強く、裏社会のエージェントいう話も あるが真実は如何に。



以下リンク

-*-*-*-*-*-*-*-

安倍政権ともつながりが深い日本最大の右派団体「日本会議」が、いま、出版・言論界で注目を浴びている。



最近目を引いたのが、「週刊金曜日」(金曜日)5月27日号の特集「日本会議とは何か」である。



同特集には、『証言 村上正邦』などで日本会議の成り立ちを記したジャーナリスト・魚住昭氏や、

一水会元代表の鈴木邦男氏、右派の歴史修正主義等を研究してきた能川元一氏などが寄稿しているのだが、



特に注目したのが、現役の神社宮司である三輪隆裕氏へのインタビュー記事だ。

三輪宮司は愛知県・清洲山王宮日吉神社の神職56代。

周知の通り、

全国約8万社の神社を統括する宗教法人「神社本庁」は日本会議と密接な関係にあり、

神社本庁統理や神宮代宮司らが顧問として日本会議の役員に名を連ねている。



だが、三輪宮司のインタビューを読むと、

神社界全体が日本会議の推し進める“戦前回帰”的な運動に賛同しているわけではない

ことが、はっきりとわかる。



三輪宮司は、冒頭から

“日本会議は「皇室と国民の強い絆」が「伝統」だと主張しているが” という

「週刊金曜日」の質問に対し、こう答えている。



「いや、それは『伝統』ではありません。



江戸時代にはごく一部の知識階級を除き、『京都に天皇様がおられる』ということを庶民が知っていたか、はなはだ疑問です。



本来神社とは地域の平和と繁栄を祈るためのもので、



この日吉神社でいえば、江戸時代は氏神の地域と尾張国の繁栄を神様に祈願していました。



明治になって、日本という統一国家ができたので、その象徴として『天皇』を据えたのです」

(「週刊金曜日」より)



(中略)



さらに批判は神社本庁にも及ぶ。



三輪宮司は、国家神道が神道の歴史では極めて特殊 であることを

「今の神社本庁には理解できないのですね」と言い、 このように解説するのだ。



「戦後、占領軍の『神道指令』で国家神道は解体されました。

 その後、神社は生き残るために宗教法人・神社本庁として再出発しますが、



当時の神道界のリーダーは、ほとんど明治時代に神主になった人だったため、

それ以前の本来の神道ではなく、明治政府が作った神道が『伝統』だと思ってしまった。

その感覚が、戦後70年経ってもまだ残っているのです」(「週刊金曜日」より)

(中略)

ようするに、神社界全体が、いや、たとえ神社本庁の傘下の神社であったとても、



決して日本会議らが企む明治復古的な改憲に諸手を上げて賛同しているわけではないのだろう。



むしろ、三輪宮司が「週刊金曜日」で解説しているように、



国家神道が“偽りの伝統”であることを熟知している宮司や職員の多くは、



安倍政権による改憲に内心危機感を覚えているのかもしれない。



だが、神社本庁は近年、個別の神社の人事に対して強権的な介入を繰り返す など



「傘下神社への締め付けを強化している」(全国紙社会部記者)との声も漏れ伝わってくる。



参院選後に安倍首相が着手するとみられる憲法改悪の前に、一人でも多くの神社関係者が日本会議、神社本庁に反旗を翻して欲しいが、残念ながらそう簡単にはいきそうにないだろう。



http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=331788



〇 神社本庁の総裁は 天皇の姉  



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載終わり)・・・・・・・・



まあ、分っていたことですが。



その結果、2018年の今、神社本庁が急速に崩壊に向かっています。

昨年12月、首都圏の有力神社で、宮司の家で、弟が姉を殺す事件が起きてしまいました。 その神社は、すぐに、神社本庁からは破門になりましたが、富ケ岡八幡では、今、富ケ岡八幡粛清委員会 が立ち上がっています。



1910年以後に誕生した、半島生まれの「皇国日本人」は、江戸時代までの日本列島での神社信仰を知りません。まして、縄文時代の日本列島の信仰や、漢字を拒否していたときの情報交流の在り方も情報の内容そのものも、考えたことがないでしょう。伊藤博文によって、明治政府ができ、国家体制の頂点に天皇が置かれ、そこと直結する国家神道のもつ、国家からの優遇策(経済面、利権)に惹かれていたにすぎません。

朝鮮総督府が半島・満州で「皇民化」を進めるとき、自ら進んで、喜んでそこに入り込んだ人たちは、半島内では、李氏朝鮮時代には、一体、どんな人たちだったのでしょうか? 彼らは、戦後、日本の天皇の地位に、アメリカの占領軍が来てからあとは、今度は、列島と半島では、誰の手先になったのでしょうか。



彼らは、「翡翠の響き」が、多くの共振をもたらす、「縄文カンナガラ」を感じたことがあるでしょうか? もし、列島に来てそれを感じたとして、それを、どう普段の生活規範や、政策に生かしたらいいか、真剣に考えたことがあるでしょうか?

戦前は無理だったでしょうが、戦後の経済成長の時、そして、この平成時代は、どうだったのでしょうか?



例えば、ホリエモンは、寿司の職人になるのに10年も修業するのは無駄、と言いましたが、

この人間は、「同じ板場、同じ素材、同じ包丁、同じレシピ、同じ器をつかっても、名人と一般人とでは、最後に出来上がる寿司の味に、明らかな違いが出る」ことを知りませんし、その意味も分らないのでしょう。



イノチと、人間の心と技の関わりが判れば、見えてくる世界があるのですが、マネーだけを見ている人間には、そこまで、認識ができない。

これ、分りますか?

それが分る人間が、これからの未来を創り出していきます。なぜなら、その違いのところに、これから、その世界を共有したい、応援したいという心を持った マネー が流れ込むからです。



この辺は、次回、東京で話しましょうか?

「それは、こうでしょ」という方は、私にメール下さい。 nunato2511arai@gmai.com

・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


天皇制を否定することが、「戦争の過ちを、認めて、平和と人道の道」を歩むことを認めていることで、前の戦争狂気の時代と決別したことを明らかになる。


天皇制を辞めて、明るい未来と栄光の日本に。


お読みくださりありがとうございます。
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無題
  • from うめもどき :
  • 2018/06/23 (16:10) :
  • Edit :
  • Res
いろいろな意味を含めて(全方向に向かって) 失礼でしたら申しわけないのですが・・・。

まず(私の知る)若年層は自分の生活範囲に関係しない「天皇」はマスコットキャラクター的に見えているようです。

>日本の神社は朝鮮の被差別民の白丁がやっている!
>神道は仏教思想が元で仏教修行僧が支えていた!

こういう過去が天皇制と関わって、今と今後に影響があるとかの思考が生活にないのではと。ですので総体として
年齢層に応じて捉え方が違いすぎて
今後の日本社会の想像は?です。

図書館に『皇室がなくなる日』「生前退位」が突きつける皇位継承の危機
笠原英彦著 新潮選書 2017年2月25日発行 が、 
(「はじめに」より)
天皇の退位を可能とし、前天皇と新天皇が共存することになれば、天皇の権威は二元化し統合力の著しい低下は免れないであろう。これでは、天皇を「日本国民の象徴」と規定した憲法第一条は空文化しかねない。そこで本書では、あえてその原点に立ち返り、日本人にとって天皇とは何か、皇室とは何かといった根源的な問いについて読者とともにじっくり考えてゆきたい。

ドンドンと複雑で難解な形になっているのでしょうか?

最初に書き込みをさせていただいた通り
マスコットキャラクター、
若年層に考えてもらう機会があるといいのでしょうか? ね。
Re:無題
2018/06/23 20:42
>
>ドンドンと複雑で難解な形になっているのでしょうか?
>
>最初に書き込みをさせていただいた通り
>マスコットキャラクター、
>若年層に考えてもらう機会があるといいのでしょうか? ね。
>

今はロシアはプーチン、アメリカはトランプ。

まあ血統で決めなければ、天皇制っても意外と悪いものではないのかも。

AKBみたいに、選挙したら面白い。

血統ってのは血族で、閨閥だから、害になる・・・。

まあゆる~くこんなことを書いてみました。
嫉妬の発作の防御に使えそうな口癖
  • from ナオト :
  • 2018/06/23 (20:51) :
  • Edit :
  • Res


この「面倒くさ!」は、嫉妬の発作に対して起きる口癖で「嫉妬の電気に感電して辟易とした気分になる」という感覚になります(「辟易」はうんざりとした気分のこと)。



誰かが「あの人ずるい!」と嫉妬の発作を起こしているときに、脳内では「ビビビッ!」で電気の発作が起きてます。



それが脳のネットワークで伝わってきて「ビビビッ!」って感電するのが「嫌だ~!」と言うことで「面倒くさい!」という口癖が出ちゃうんです。



他人に対しての嫉妬の発作であっても、脳のネットワークで電流として私の脳に「ビビビッ!」って流れてきちゃうから「ヒエ~!」となります。



「口癖」の本を読んでいて改めて気がついちゃったんですが「面倒くさい!」と私はよく人に会うときに言ったりします。「それって、事前に相手からの嫉妬を予測しているから」と言うことだったんです。



要するに、私は友達に会う前に「面倒くさ!」と言ったら、それを聞いた他人は「なんて失礼な!面倒臭いんだったら最初から断れよ!」と思われちゃいます。



でも、これまでの私の「口癖」のパターンを思い出してみたら「面倒くさ!」を連発する時って「その場に行ったら実際に嫉妬の攻撃を受けてめちゃめちゃ疲れた~!」となっている時だったんです。



ある意味で「嫉妬の攻撃を予測している」ということだったんです。



一般的な考えだったら「会って会話をしているところをシミュレーションして嫌なことを想定しちゃうから不快になる」ということになります。



私の場合は、脳のネットワークが存在している、という仮説があります。



そのネットワークは時空を超えますから、未来の自分とつながって、嫉妬の「ビビビッ!」を受けて「うわ~!嫌だ~!」となっている脳の状態を事前に体験しちゃうから「面倒くさ!」となるんです。



まるで「ドナドナ」状態なんです(ドナドナは、牧場から市場に売られていく悲しい子牛の歌です「ドナドナド~ナ、ド~ナ~!子牛をの~せ~て~!」)。



「口癖」ってこのように分析してみると本当に面白いんです。



それでもって「餌食になる子牛モード」で友達に会いにってしまうと「ビビビッ!」って攻撃を受けて「めちゃくちゃ疲れた~!」となってしまいます。本当に疲弊しちゃって嫌な気分になって、帰りの電車の中では最悪なんです。



でも、これって「ずるい人」の本の最後で気がついたのですが「弱者のままでいたら嫉妬の攻撃を受け続ける!」という法則がそこにありました。



私の「面倒くさ!」の口癖で「弱者モード!」になってしまっているから、周囲の人たちは「嫉妬の電気で丸焼きにしてやろうか~!」となってしまいます(ドナドナだ~!)。



もしかして「口癖」を変えることで「ずるい人」の本に書いてあった「関係の更新」ができて「強者だも~ん!」となり相手の嫉妬の発作を未然に防ぐことができるかもしれなんです。



未来の自分と脳がつながって「あんた嫉妬の攻撃で大変だよ!」と教えてくれているから「面倒くさ!」となっています。

未来を変えるために、この口癖を「ムカつく!」とか「楽しみ!」や「緊張する!」などにしてみます。



「口癖を変えても、ちっとも重い気持ちが楽にならないや!」となったら「未来は変わりません!」と言うこと。



「たいしたことない!」や「たやすいこと!」でも重い気分が軽くならないから、みんなに会った時の嫉妬の発作って未然に防ぐことができないんです。



私の場合「面倒くさ!」が湧いてきたら「自動解析しちゃろ!」という言葉に変えたら「オホホホ~!」な気分に変わりました(オホホホ~!は「ずるい人」関係更新モードで嫉妬の発作を受けない状態)。



「自動解析」は相手を自動的に観察し分析して全部暴いちゃうぞ~!というモードで、それをしたら嫌われてしまうのでいつもは封印しているモードです(性格ワル!)。



「自動解析しちゃろ!」という言葉に変えると「ドナドナ」じゃなくなるんです。



「口癖」って本当は未来を予測していたりするんですよね。



その口癖を変えちゃうと「未来が変わる」という面白い展開があるのです。」
http://insight-fap.jugem.jp/?eid=2383
から引用

 自動解析しちゃろ!は嫉妬の発作の防御に使えそうな口癖になりそうですね。
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