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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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世相を斬る あいば達也  より

上記文抜粋
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ふざけるな!“日本が日本を失った日”を「祝明治150年」企む安倍 

安倍や日本会議の連中の頭はどうなっているのだろう?明治維新と云う愚行が、我が国の伝統文化の類を積極的に焼き払った記念日であり、本来の保守的立場からは、到底容認できない。

そもそもが、アジア人が、欧米人に倣って、“なにもかもを”見よう見真似で“猿まね”をした、恥ずべき歴史的事実であり、「祝」などという漢字を使って歓ぶべきことではけっしてない。無論、江戸時代以前の日本の伝統文化すべてが守るべきものであったかどうかには議論の余地があるが、その悉くを破壊しようと行動した薩長が官軍(善)で、賊軍(悪)などと云う歴史の歪曲は、時の政治力の差で生まれた、まさに捏造の歴史観である。

明治維新で、我が国は欧米文化から得るものはあっただろうが、そもそもが、欧米人の文化や近代技術を、そのまま真似て、欧米列強と伍して生きていこうと決定する能力が、薩長軍にあったとは思えない。薩長軍と云うものは、現代で言えば「IS」のようなもので、遺跡や鎮守の森などを破壊し、仏教を蔑ろにして、一部の神社だけに、既得権を与え、国家神道の構築を試みたのである。

江戸時代までの神社仏閣は日本人の“共存”のシンボルであり、共同体の一部だった。また、明治以降の産業革命は、戦後の日本の復興同様に、東国の人々を都会におびき寄せて、産業労働者にすることで、東国の共同体に大きな爪痕を残したままである。以下の毎日の特集記事の戊辰戦争云々というよりも、江戸時代までの、藩政や地方ごとの産業、そして、藩ごとの伝統文化が失われ、金太郎アメのような地方が生まれ、そして、衰退していく、そのことが、21世紀になって見えてきた。筆者は、明治維新を“日本が日本ではなくなった日”と記憶したい。思い出したが、孤高の学者、小室直樹氏は会津出身だった。


≪安倍政権が演出「祝明治150年」の陰で
「会津は戊辰を忘れない」論

 安倍晋三政権は今年、「明治維新150年」を唱え、祝賀ムードを全国に広めようとしている。しかし、旧薩摩、長州藩(鹿児島、山口県)を主力とする「西軍(官軍)」に敗れて「賊軍」の汚名を着せられた側では、「明治維新」ではなく「戊辰戦争150年」を掲げる自治体も少なくない。「祝いじゃない。悲しみのときだ」と。怒りの記憶と、忘却について考えた。【藤原章生】
 戊辰戦争で最大の犠牲者が出た会津藩の拠点、福島県会津若松市では、薩長が率いた明治政府、その流れをくむ地域や子孫への怒りが今もあるのか。
 会津藩が19世紀初頭に築いた藩校「日新館」(今は観光施設)の館長、宗像精(ただし)さん(85)を訪ねると、1935年版の歴史教科書「尋常小学国史」をまず読み上げてくれた。<会津藩主松平容保(かたもり)は、奥羽の諸藩と申し合はせ若松城にたてこもって官軍にてむかった>。戊辰戦争で最大の激戦となった会津戦争についての記述である。東北地方で仙台藩に次ぐ規模を誇り、城下で約4万人が暮らした会津藩は、女性らの自殺も含め数千人の死者を出したとされる。「小学6年向けの教科書だから賊軍や朝敵という言葉を使っていないけれども、官軍に『てむかった』とはっきり書いてある。賊軍、悪者ってことだ。薩長中心の官僚が演出した、こんな欺瞞(ぎまん)と歪曲(わいきょく)の歴史を会津の子供たちにも学ばせた。薩長憎しは簡単に消えるもんじゃない」
 宗像さんは、元会津藩士で東京帝大の総長まで上り詰めた山川健次郎監修の「会津戊辰戦史」(33年)を取り出し、「敵軍(西軍)の暴掠(ぼうりゃく)」の章を示す。「『敵は野蛮の甚しき行いのみ多かりし』とある。農工商民から金品、家財、娘らを奪い、薩摩の分、長州の分と山分けして分捕ったと書いてある。韓国の従軍慰安婦の問題があるでしょ。ああいう問題は、金では解決しないんだよ。前から友好を求めてきた山口県萩市に私も去年行ったけど、『仲良く』はできる、でも『仲直り』つまり歴史を水に流すなんてできないとはっきり言ってきた。ただ、長州、薩摩も悪い人ばかりじゃない。だから、子供のために歴史をもう一度検証し、『仲良く』はしていこうと」
 会津藩士らは藩を追われて散り散りになった。子孫にとって明治は悲劇の始まりだ。会津史を書き続ける作家、星亮一さん(82)は、長州勢が受け持った会津戦争の戦後処理が、会津人に積年の反中央感情を植えつけたと語る。「報復を企てる会津藩士を原野に飛ばして息の根を止めろと、長州の木戸孝允が強硬に言い、最終的には1万7000人が青森の下北半島に追いやられた。現地での差別、飢えによる塗炭の苦しみが、近代史上類をみない恨み、怒りを植えつけました」
 NHKの大河ドラマの時代考証などに当たってきた史跡研究専門の会津若松市職員、石田明夫さん(60)は「恨みの根は、明治以降、開発から取り残された点が大きい」と言う。「大きな藩があった地でありながら、戦前、会津には一校も大学ができなかった。道も鉄道も乏しい。だから旧会津藩地域の人口密度がいまも北海道より低い」
 福島県在住の星さんも明治期の「差別」に言及する。「官僚や軍部での出世差別も加わり、積年の理不尽に対する怒りが会津人に限らず、旧東軍の東北、越後の人々に広がった。だから、『明治150年』など認めない」。東京電力福島第1原発事故で出た汚染土の中間貯蔵施設建設を巡り、石原伸晃環境相(当時)が「最後は金目でしょ」と発言したことにも触れ、「政治家の暴言に東北の人が怒るのは、そのたびに怨念(おんねん)が顔を出すからです。安倍さんが明治150年と言う度に我々の心が無視されたと反発するのです」。
 天災の多さなどその風土から日本人は一般に憎しみ、怒りをためないと言われる。会津人は別格なのだろうか。しかし、現在も残る恨みや怒りは、幻想に過ぎないという意見もある。
 「会津という神話」を2010年に著した摂南大准教授、田中悟さん(47)は「会津人の恨みは戦後に強化された一種のファンタジーだ」と言う。「戊辰戦争から60年が過ぎた1928年、会津松平家の勢津子妃が昭和天皇の弟、秩父宮殿下と成婚し、会津は賊軍という汚名を返上しました。またその前の明治末期、若松市(現会津若松市)は陸軍連隊を誘致して軍都になっています。十五年戦争下では、会津精神、白虎隊(戊辰戦争時の青少年隊)の魂こそ日本人のかがみと称賛され、会津人は当時、いわば我が世の春の中にいた。それから戦後間もないころまで、薩長への恨みなるものはほとんど意識の外にあったはずです」
 白虎隊は日独伊三国同盟の下、独伊にたたえられ両国から記念碑を贈られている。そんな史実を示すと、宗像さんは語気を強めた。
 「お人よしの会津人が、薩長が築いた軍部にうまく使われたんですよ。会津人の一面だけを礼賛し利用されたんだが、白虎隊はもっと純でかたくなな思いで自刃した。それを日本精神などといわれるのは、はなはだ迷惑だ」
 郷土史を研究してきた会津若葉幼稚園長、中沢剛さん(84)も、恨みは戦時中に晴れたどころか深まったと言う。
 「会津若松の連隊は『白虎部隊』などと呼ばれ、満州事変、上海事変、のちには南京、ガダルカナル、インパールの最前線に立たされ何度もせん滅に近い状態に遭った。熊本の連隊と並び『強くて文句を言わない』とたたえられて激戦地に放り込まれ、会津、東北は多くの若い人材を失ったのです。若松の連隊も加担した南京事件もそうです。被害者数の議論はあるでしょうが、やられた方は絶対に忘れませんよ」

■失ったもの「考える機会に」

 「恨みを言い立ててきたのは、戦後の場合、観光という側面がなかったわけではない」と会津若松市の広告会社経営、庄司裕さん(71)は言う。星さんも「簡単に長州と和解などしたら、ふぬけの会津人と言われる、という意識がある。一種のブランドなんです。たとえば会津在住の高校生にさほど郷土意識はないんですが、東京に出ると『おまえ、会津か』と一目置かれる。すると、薩長を許さない会津人という旗を自ら揚げるようになる面もあります」。
 日新館の宗像さんにその話をすると、「会津人の心はそんなもんじゃない」と言下に否定する。「被害をエスカレートさせて話すところはあるけど、私らは純で愚直なまでに先祖の教えに従い、歴史を忘れない。それが雪国の閉ざされた環境が育んだ会津人気質なんです」
 そんなに違うのか。私など曽祖父の時代など全く関知しないが、と素朴な疑問をぶつけると、庄司さんはこう答えた。
 「忘れるのは日本人の知恵であり、弱点です。例えば、唯一の被爆国である日本の政府が核廃絶について、まあいいかという態度をとるのはどうかと思う。忘れてはいけないことはある。150年を振り返るとき、日本人は何を忘れ、何を失ってきたのか、一人一人が考える機会になるよう会津人として願っています」
 日本の諸都市が見舞われた米軍による無差別空襲、そして広島、長崎。そんな被害のみならず加害行為も実は、多くの現代人がただ忘れたふりをしているだけではないのか。会津の地でそんな思いがわいてきた。
  ≫(毎日新聞)


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抜粋終わり

>忘れるのは日本人の知恵であり、弱点です。例えば、唯一の被爆国である日本の政府が核廃絶について、まあいいかという態度をとるのはどうかと思う。忘れてはいけないことはある。

同感である。

だから、また核兵器が福島で爆発した。日本帝国謹製の据え置き地雷型原爆・発電所付が。

忘れると学習しない。それは致命的な欠点である。感情は忘れても良いが教訓は忘れてはいけない。
それができないと、死滅する。それも自然の摂理でいいのだが、私は死にたくないので、学習するし、日本天皇国の滅亡を祈願する。


DEEPLY JAPAN より

上記文抜粋
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明治朝日本をお終いにしたいがむしろ進むらしい日本

あいばさんが、何か気合いが入ったことを書かれていた。

ふざけるな!“日本が日本を失った日”を「祝明治150年」企む安倍 

http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/dc400e06f0598fcd2cbab1673243e963



そこらの行政がからんだ出来事に、「祝150年」とか入っているのを見るにつけ、私らアホやわなと思わずにはいられない私でございますので、基本的にあいばさんのお考えに私も賛成。

前にも書いたけど、私の友達は私が日本はこの先どうなるんだ、このままではダメだみたいなことを言うと、「あなたって諦めが悪い、日本なんてもうないのよ」などしばしば言ってくれちゃっている。じゃあ今のは何なのというと、さあなんでしょう、名残りみたいなもの?とおほほと笑う。

で、あいばさんに戻って、ここが凄いですね。

明治維新で、我が国は欧米文化から得るものはあっただろうが、そもそもが、欧米人の文化や近代技術を、そのまま真似て、欧米列強と伍して生きていこうと決定する能力が、薩長軍にあったとは思えない。薩長軍と云うものは、現代で言えば「IS」のようなもので、遺跡や鎮守の森などを破壊し、仏教を蔑ろにして、一部の神社だけに、既得権を与え、国家神道の構築を試みたのである。

そういえば、しばしばコメントをくださっていたローレライさんもそんなことをおっしゃていたなと思い出す。ローレラインお元気でしょうか?

で、薩長軍のみならず、維新で景気づけられた勢力というのは今でいえばISみたいなものだというのは、ISというより、イスラム過激派全体みたいな気もする。



さらに今日は、

●時代錯誤、餓鬼化する経団連 低労賃と低電力のおねだり

今国会で、根拠不十分で踏んだり蹴ったりの「働き方改革」法案では、何が何でも、将来的に日本全労働者を非正規的雇用体系に持って行き、最終的には超低賃金の“移民”へのシフトで、死に体と変わらない多くの輸出製造業を生き延びさせる方策を講じている。つまり、あけすけに、安い賃金の労働力が欲しいと、強請って(ネダッテ)いるわけである。

働き方改革というより、働かせ方改革のようだなと私も思ってる。

要するに、労基法を通じてある程度コントロールしていたそのコントロールをすべてとっぱらって、バラバラにさせたいというのが経済界の本音でしょう。

で、大企業と個人じゃ太刀打ちできないからこそ法によって公正や社会的公正を保ってきたその仕組み、労働者を標準する社会そのものを壊そうということでしょうね。これは、単純にいってザ・キャピタリズムの本音。

だからこそ、過去100年どこの国もすったもんだしてきた。それをきれいに忘れて、いいじゃないか、ソ連も倒れたことだ社会主義など下らない、規制など取っ払えとバカみたいに騒いできた過去30年を振り返れば、まあこうなる日は目に見えていたとも言えるかも。

必要なのは主義ではなくて、ザ・キャピタリズムを導入した社会にあっては、社会の一体性を確保しその中で公正や公平、社会的正義を確保するための工夫が必要だって話なんだと思う。しかし、それができなかった。

ただ闇雲に、壊しにかかった。



■ ステルスの戦争時代

とかとか思う一方で、日本で目につくのが、現状は1927年、29年あたりに似てるからこれから大戦争の時代に入るのだ、みたいな論調。私はこれは、日本人を不安に陥れて、判断力を失わせるための単なるプロパガンダだと思ってます。こうすることによって、戦争準備をさせて、仕方がない、仕方がないで緊急事態条項まで行こうという腹。

では現状、世界はどうなのかというと、率直にいってロシア vs 西側は過去30年間ずっと戦争してるでしょう。ただそれに「戦争」という名がつかないだけで。

2014年のウクライナ危機なんかまんまロシアへの侵攻作戦だと思うし、その後クリミアというお宝を奪えず、しかもプーチン率いるロシアの踏ん張りでウクライナでも大戦争にできなかった後、金融資本はロシアに通貨安を誘って経済を壊そうという動きにも出た。

これらすべてはまったくの戦争行為でしょう。

シリアもリビアも、あれは一体戦争でなかったら何なの? 西側は静かに世界相手に戦争してると考えるべきではなかろうか?

だから、日本で目につく、これから戦争、これから戦争というのは、完全に愚かな人間が書いているか、金もらってその方針で書いているかのどちらかでしかないと思う。



で、こう考えた時、トランプはむしろ米・露間で一旦戦争を停戦しようと登場したのだが、そうであればこそ戦争続行派から打ちのめされそうになっている、と考えれば辻褄があうのでは?

まぁでも、情報戦とサイバー戦争はどこかでひどい被害が出ない限り終わらないんだろうなとかも思う。そのうち、サイバー戦争の戦略的兵器削減交渉の時代が来るんでないの?



■ 内に向かって爆破してる、みたいな

あわせて考えるに、

・現在の日本というのは、戦後、戦争時代の反省をもとに一人ひとりの日本人に等しく生きる権利があるんだ、という出発点から作った社会を壊そうとしている

・その理由づけとして、国際環境の変化、不安を使ってる(例:北朝鮮との戦争を望んでいるのは日本以外にないように見える)
ということなのではなかろうか。

つまり、実のところこの「改革」は、一見すると自衛隊周りなどが目につくが、経済界も立派に役割を果たしている。

この感じは、昭和金融恐慌あたりでつまづいて人々は苦しむんだが、外に向かって財界+軍が拡張していった頃のメンタリティーを思わせる。

心理的にはそうなんだが、しかし、現在は、こういう拡張はできない(産業競争力も自分で言ってるほど強くもない)。

そこで、労働者賃金を圧縮して、国内を打倒にする方向に行っているんじゃないのかな、と考えてみて、怖くなる。でも資本に国境はないんだからそうなるのでは?


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


「天皇」こそ、日本を破壊する「魔神」で、明治維新は、日本を破壊する破壊神を呼び寄せて最高神に仕立てる邪教の儀式だった。


革命だ、易姓革命・市民革命だ。

家康でも聖徳太子でも明治天皇でもなく、劉邦なり朱全忠が、日本に必要なのである。


このまま「天皇陛下」の国家が、日本人をいたぶり続けると、日本人の絶滅か、革命が必然になる。この現在の世界・技術のレベルでは。なにせ福一の放射能が、年中降り注いで、昨日も大杉漣さんが、放射能の影響もあり早世された・・・


この悪の国・魑魅魍魎の国は、亡びるのが、一番の功徳であり、真っ当な国に仕立て直す革命こそ、最大の日本人の功徳・善行である。


お読みくださりありがとうございます。


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日本の堕落は明治より始まった
  • from 通りすがりの名無し :
  • 2018/02/22 (12:34) :
  • Edit :
  • Res
と小林よしのりも最新刊「新・堕落論」にて説いておりました。

つべに解説動画もあるので一度見てみるのもいいかと思います。

しかし日本の文化や風習のルーツのいくつかは
隋・唐・明と呼ばれていた中国や
百済・新羅・高句麗と呼ばれていた朝鮮が由来の物も
結構な数あるのに下痢一派やネウヨは
それらの事実も捏造と否定するんでしょうな。

あとは欧米列強がアジアを政治的思想的に分断させて
紛争政争の火種にした上で
濡れ手に泡を目論んでそうにも感じられるのが。

ここ最近米国本土のあちこちに空から何かが落ちて
火事が起こりまくってるのって
そういう連中に切れた何かしらの力が天誅を与えているのかと
そんなオカルト的な見方をついしちまいますね。
Re:日本の堕落は明治より始まった
2018/02/22 17:45
同感です。

明治に「天皇=日本国王」としても、敗戦の責任を取らずに居座ったことで、天皇制の終わりなのです。

明治から延々と堕落し続けているのです。その現況が明治維新と天皇なのです。


書き込みありがとうございます。
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