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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
DEEPLY JAPAN  より

上記文抜粋
・・・・・・・
今更なぜか「プロジェクト・フラ」

何をいまさら、という話が唐突に出て来た。なんで?

ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し訓練も
12/30 05:00

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/154416

【根室】1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、明らかにした。米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。

 振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。



プロジェクト・フラが現実に始まったのはヤルタ会談の直後かもしれないが、話し合いは会談の前にもたれているし、そもそも、これが必要になったのは、ソ連がドイツの敗戦が秒読みになったため、ようやく極東方面の対日作戦に参加してもいいよ、と言ってくれたから(連合国視線で、だが)。

アメリカは最初から極東の北部方面を自分で片づける気がない。だから、ソ連がドイツ側と戦争している時から、英米は対日参戦を促すんだが、ソ連は東西からの挟み撃ちになる可能性を危惧して断固断ってきた。

その前に、そもそも欧州戦線で、イギリス、フランス側からドイツを攻撃しろ、つまり第二戦線を開けてくれとスターリンは言い、でも開けてくれないイギリスさんだった。

しかし、1942年末から43年初頭にかけてスターリングラードの戦いでソ連優位が確定して、こりゃもう勝敗は明らかだなとなったので、イギリス+アメリカはノルマンジー作戦を計画して、既に弱ったドイツを叩いて欧州の西側から西部ドイツまで米英は移動した、解放した、占領した。他方、ソ連は中・東欧諸国地帯を移動、解放、占領し、ドイツ東部を流れるエルベ川で米ソが出合いました、と。これが名高いエルベ川の邂逅というやつ。

これが1945年4月25日で、この1週間後にベルリンが陥落して、欧州戦線はお終いになった。



下は、米兵とソ連兵@トルガウ







ここに到達する2カ月前に、ヤルタ会談があって、スターリン、ルーズベルト、チャーチルが会って要するにこの大戦争のクロージングを話し合った。

そこに極東方面の作戦も入って、そこではおおむねソ連の要求をアメリカが呑んだ。だから、ここでいきなりソ連の対日参戦が話題になったと考えるのは誤りだし、ここでいきなり米ソが手を組んだみたいにも取れる書き方(上の記事なんかそんなニュアンスがある)もまったくの誤り。一緒にWW2のクロージングに向かってた。

ただ、その直後ルーズベルトが4月に死んだので、そこから米ソの冷戦的な趣が強くなってきたことは事実だし、なんとかしてソ連やアメリカを出し抜こうと狙ってた、英国民のというより資本家の代理人チャーチルが糞な奴なのも事実。しかし、連合軍としては誰かが満洲をなんとかしないと話は終わらないんだから、ここで米ソ対立してる場合ではない。

にもかかわらずここでチャーチルは、いわゆる アンシンカブル作戦を立案。1945年7月1日を決行日として、ソ連に英米の意思を押し付けるのだとの主張の下、軍事作戦を展開しようとする。米、英、ポーランド、ドイツの兵隊がソ連駐留部隊を急襲しようという作戦。

上で肩組んでた米ソ兵はどうするんだよって話なんだが、イギリス参謀本部はソ連の戦力が大きくてそんなのできないと5月末には有害だとして退けるがチャーチルはまだ諦めない。その後米は極東方面にパワーを割いて(まだ沖縄戦やってるわけだし)、終戦方向に力を注いでいくため、イギリスが一人でそんなことやっても無駄でもあり、さらに8月にはソ連が対日参戦して話が終わってしまうのでこの話はなしになった。しかし、ここらへんで芽生えた(または確定した)不信感も、翌年からのいわゆる米ソ対立に寄与していく。ちなみにこの作戦は1998年まで公開されていなかったらしい。

が、最近ちらちらと話に上る。私はこれはイギリスのポーランドに対する「おべんちゃら」なんだと思うな。できもしない約束をして1939年に戦争に入ったのもポーランドがらみ。だから最後にも一応騒いでみせたといったところなんじゃないのかと思う。もちろん、いつものように自分でできずに、米兵だのみで考えてるイギリスをアメリカ人は見透かしている。



それはともかく、プロジェクト・フラは、既にwikiにさえ記述があるのに、なんで根室振興局の調査結果みたいなことを書いているのか、謎だ。

Project Hula


ソ連参戦の全体像のwikiの項目はここらへん。このへんを主軸に全体ピクチャーをとらえて、個別を補うというのが良い学習方法ではなかろか。

Soviet–Japanese War


ソ連の対日オペレーションは、満洲、サハリン、千島と3つ計画、実行されている。

Khingan-Mukden Offensive Operation (August 9, 1945 – September 2, 1945)
Harbin-Kirin Offensive Operation (August 9, 1945 – September 2, 1945)
Sungari Offensive Operation (August 9, 1945 – September 2, 1945)

South Sakhalin Operation (ru) (August 11, 1945 – August 25, 1945)
Soviet assault on Maoka
Soviet assault on Tōro (ru)
Seisin Landing Operation (August 13, 1945 – August 16, 1945)
Kuril Landing Operation (August 18, 1945 – September 1, 1945)



で、この処遇はヤルタ会談で主に米ソが合意して行われたわけだが、日本ではこの処置を遺憾とするならともかく、何か不正であるかのように言う人々が後を絶たない。

冷静に考えれば、実にバカげた話。だって、勝ってる側が戦争状態を終結させようとして、お前あっちから、俺はこれを担当する、みたいなことをやっているそのやり方が気に入らないと負けた側が言ってどうなるの?という話だから。

しかしこれをまた、アメリカが使うわけですよ。そうだろ、ルーズベルトが悪かったんだよな、みたいなやり方で、ブッシュが東欧側に謝ってみたりする。

しかし、現実の1944年、45年のアメリカに他にやりようがあったのかというと、実はそれほどない。もちろん、米兵をあと50万でも100万でも死なせていいとか、陸上の作戦遂行能力に乏しい米陸軍を入れてぐじゃぐじゃにしつつでも終結しようというのなら、できないことはなかったでしょう。しかし、アメリカ人にそれほどのやる気もなかったからこそソ連に頼ったわけですよ。それなのに、終わると、ソ連って酷い人よねと日本人にすり寄る怪しいアメリカ(笑)。



前にも書いたけど、私はこれを断固言い続けようと思う。アメリカ覇権とはソ連の人々2700万人の死体の上に載っている、と。

といって私は別にアメリカくたばれとか思って言ってるのではない(そう思うこともままあるが ^^;)。そうではなくて、アメリカも普通に立派な国になるのなら、もう少し名誉を重んじたらどうだろうと思うわけですよ。自己の名誉を重んじること他者の名誉を重んじることは同じ精神に由来すると私は信じます。

(第二次世界大戦の死者数)





もう遅いかもしれないが、アメリカにはチャーチル率いるイギリスみたいな屑な国にはなってもらいたくないと思う気持ちが私にはある。チャーチルってほんと、ありとあらゆるエピソードが絶望的にひどい。

しかしこのチャーチルを日本の保守派と言われる人たちは、反共であったという一点で尊敬してるわけでしょ。そりゃ日本人の思考回路が行き詰まるのも当然ちゃ当然だと思う。



■ 参考
混乱を無視して進むドイツ流


・・・・・・
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抜粋終わり

>にもかかわらずここでチャーチルは、いわゆる アンシンカブル作戦を立案。1945年7月1日を決行日として、ソ連に英米の意思を押し付けるのだとの主張の下、軍事作戦を展開しようとする。米、英、ポーランド、ドイツの兵隊がソ連駐留部隊を急襲しようという作戦。

これは、ちょうど北宋が、燕雲十六州奪還作戦で、金と同盟を組んで成功したが、その後「金が異民族で信用ならない」と奇襲を仕掛けて、逆襲されて、挙句に首都を失った。てことに近いことをしていた。

ウイキ 靖康の変 


いわば、下衆すぎる「人種差別的志向」のあるやり口だ。



日本の指導層・天皇のはじめとする皇族・公家には、どうもすさまじい「人種差別意識」があるように思える。


velvetmorning blog  より

上記文抜粋
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『本土空襲 全記録』ところで、旧海軍の井上成美大将は、無差別爆撃である重慶爆撃の責任者だったのに、なぜ戦犯としての起訴を免れたんですか? ― 2017/12/30 21:39


まだ全部は見ていないのだが、『本土空襲 全記録』というのをNHKでやっていたのをちらと見た。

今になって思うのは、日本人を子供から大人まで全部竹槍持たせて闘おうとさせたのって、日本全土を空爆するためですよね。

いろいろ興味深かったのだが、日本の大都市の計1400万人を対象に毒ガスで攻撃する計画もあったそうだ。
6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170812


日本の一般市民に対して毒ガス攻撃する計画があったならば、ナチスドイツに対しては、毒ガスで攻撃する計画は無かったのでしょうか?
随分とナチスドイツの武器工場(強制収容所)で働かされていたユダヤ人やロマ人と名付けられた人々が、ガス室で殺されたことになっていますが。。


ところで、旧海軍の井上成美大将は、重慶爆撃の責任者だったのに、なぜ戦犯としての起訴を免れたんですか?
重慶爆撃は無差別爆撃で、連合軍が日本に対する無差別爆撃を行う根拠にしていたのに。

一般市民を対象とした無差別爆撃は、明らかな戦争犯罪です。
であれば、真っ先に軍事法廷で裁くべきです。
なぜ旧海軍の井上成美大将は、A級戦犯になっていないのでしょうか?


重慶爆撃は、日中戦争を停戦出来ないまでに拡大させた戦争を泥沼化させ、アジアで大量に人々が犠牲になった大元になった出来事だと思いますが。


それから、なぜ重要犯罪人である井上成美は、戦後、米海軍の基地がある横須賀で英語塾をやって暮らしていたのでしょうか?

そして、なぜ日本海軍は、誰もA級戦犯になっていないのでしょうか?


太平洋戦争の原因である真珠湾攻撃作戦を立案し、実行した指揮官 源田実が、アメリカから勲章貰い、東京大空襲や原爆投下を指揮したカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を与えるように進言 してましたよね。
それをサポートしたのが、小泉純一郎の父親で60年安保の時の防衛庁長官の小泉純也
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2017/08/13/8646072

「神風特別攻撃隊」の戦果のほとんどは、米軍にとって沈んでも大勢に影響のない小艦艇だった
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2017/08/16/8648339


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抜粋終わり


天皇制を守るために、「太平洋戦争」をした可能性も有る、と思えるかもしれない。

そもそも天皇が「ペテン師」の面もあり、「失政の責任も取らない」のであるから、軍隊が蜂起して革命を望む可能性もあった。

その軍隊を「一掃」して「か弱い天皇」を演じて、日本軍を亡くして、米軍を「番犬」にする・

それが前の戦争の「裏の策略」だったのではないのか?



「天皇」というシステムが、日本人の「外交感覚」を破壊しているのは有史から延々と続いている・・・


天皇制ある限りに・・・日本人は、政治・外交についての成長できない「檻の中の人間」で奴隷であり続けてしまうのかもしれない・・・。



お読みくださりありがとうございます。
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