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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
国際秘密力研究 より

上記文抜粋
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大本教を調査した中村古峡氏の大本教分析の要旨


①出口なおは濫書という形で現れた「常同症」患者

②なおの直筆「筆先」にはなおの識字レベルがそのまま反映している

③出口王仁三郎は宗教知識を使ってなおの濫書を改竄し読める体裁にした

④鎮魂帰神法は催眠術

➄言霊論は山口志道の「水穂伝」の丸パクリ

中村古峡氏には「大本教の解剖 学理的厳正批判」という大部の著作もある。

【中村古峡『大本教に就て』】onido.onisavulo.jp/modules/ond/in…



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抜粋終わり


同じく より

上記文抜粋
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日猶同祖論や景教渡来説のおかしさ

〇兵庫県に大避神社という神社がある。御祭神は秦河勝である。この時点で「秦氏=猶太人説」「秦氏=景教徒」という説は崩れるのではないか。猶太教や景教を含む耶蘇教では人を神として祭るのはご法度のはずである。こういう基本的な事柄を無視することからして日猶同祖論や景教渡来説はうさん臭い。

日猶同祖論者は日本人と猶太人の宗教観の違いという根本的なところを無視する。どこそこにダビデの星があるとか、この日本語はヘブライ語と響きが似ているとか、その手の後付とかどうとでも解釈できる枝葉の部分ばかり強調する。猶太教徒にとって最も重要な宗教観の部分で日本人と猶太人は相容れない。

〇日本はアニミズムの国であり猶太人が重視する「天地の創造主」という信仰は無い。「猶太教が一神教化する前の多神教徒としてのヘブライ民族が渡来したのだ」と言う者もいるが、それならば道教やヒンドゥー教の神々も仏教の護法神として渡来しているから「猶太」だけ取り立てて言う意味がない。

「多神教徒としてのヘブライ民族が渡来した」とまで言って、あくまでも日本と猶太を結び付けようとするのは、何らかの政治的意図があるとしか思えない。道教の神もヒンドゥー教の神も日本に渡来している。例えば金刀比羅宮の御祭神はガンジス川のワニの神である。かと言って日印同祖論は言われない。

〇修験道も日猶同祖論において定番である。小箱の頭巾やほら貝が猶太教で使われる物と似ているといった類である。しかし、修験道と猶太教は根本的に世界観が異なる。修験道は原始アニミズムを色濃く継承し、木石など自然物を崇敬する。超越神を崇拝する猶太教でそれはあり得ないだろう。根幹が違う。

とはいえ一神教的な傾向を持つ修験一派が存在するのも事実である。それが丹波や鞍馬山の人脈である。インサイダー筋が大本教の母体として示す大江山の霊媒集団や神智学の影響を受けている鞍馬寺の鞍馬弘教等である。大本一派は一神教的だが元々かかる傾向性を持つサンカの修験一派が母体の可能性。

〇古代のラビと修験者の頭巾やほら貝、服装が似ていたとしても「だから何」という程度の話に過ぎない。そんな事より、明らかに意図的に「天地の創造主」というキリシタン神学由来の概念を導入した平田篤胤の方が問題である。出口王仁三郎もその神観を継承している。同祖論もこの周辺が主に唱える。

〇ネストリウス派=景教は人性と神性を明確に区別する。マリアも「神の母」ではなく「人性としてのキリストの母」という扱い。カトリックより人格と神格が厳格に区別されている。人と神の距離が近く、同一視し、場合によって人が神に命じる関係(例:役小角と一言主神)すらある日本の宗教観と隔絶する。

神智学徒のゴルドン夫人が高野山に大秦景教流行中国碑のレプリカを建立した。人性と神性はあくまで区別されるべきだとするのが景教である。一方、真言密教は「即身成仏」つまり、人も仏も構成要素は同じ「六大」だから人と仏はゼロ距離だとする教義である。似ても似つかないどころか真反対である。

宗教観を見ると、景教渡来説がいかに胡散臭く、ありえそうにないかが見えてきた。正倉院の宝物と同じで西方の外面的な文物は多数渡来したであろう。法隆寺のエンタシス方式もそうである。しかし、日本人の宗教観は同じ汎神論文化の印度や支那とは親和性があるが、中東以西のそれとは隔絶が大きすぎる。

〇●●渡来説、●●同祖論の類は、枝葉の文物をいくら眺めても「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という程度の「結論」しか得られない。要するに信じたいものを信じるという結果にしかならない。比較的明確な結論を得るには世界観や宗教観など思想の枠組みを比較するのがより確実と思う。

〇日猶同祖論の初期の論者の一人佐伯好郎は同時に景教渡来説の権威。日猶同祖論と景教渡来説は初期からセット。佐伯は英国聖公会のキリスト教徒。聖公会は英国諜報員とメーソンの巣窟と渡部悌治先生述。猶太資本導入推進のために日猶同祖論を唱えたことを服部之総に告白。河豚計画の犬塚惟重の団体顧問。

〇景教渡来説を唱えている人士はキリスト教徒ばかりである。宗教的立場からの願望が投影されている「説」と言える。「いろは歌」まで耶蘇教の思想を歌ったものという者までいて驚いた。仏教の基本的教義を抑えておけば「いろは歌」は「有為=縁起したものの無常と、無明の克服」という趣旨と分かる。

猶太人のシンボルと言えばダビデの星=六芒星というイメージだが、六芒星が猶太のシンボルになったのは17世紀からである。六芒星はネパールでもよく使われるシンボルだそうだ。六芒星が伊勢神宮や松尾大社にあっても日猶同祖論の根拠にならない。猶太の古代からの象徴は七枝の燭台=メノラだろう。

〇石上神宮に安置されている七支刀がメノラだ!とかこじつける者もいる(笑)メノラは燭台であって刀ではないであろう。そもそもアニミズムの日本と一神教の猶太という根本的な相違がある。日猶同祖論者はわずかでも共通点があれば針小棒大に取り上げ、違いはどんなに大きいものでも無視する。

(了)


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・・・・・・・・・
抜粋終わり

>猶太教徒にとって最も重要な宗教観の部分で日本人と猶太人は相容れない。


私もそう思う。


そういうことを見過ごしている日本の妙な「日ユ同祖論」。

オカシイよね。


なにか「ためにするため」の嘘だろう。

大本教系の陰謀論。これもワンワールドの片手と思える。


同じく より

上記文抜粋
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「無力増上縁」という考え方はNWOに対抗する発想のヒントになる

〇「人に迷惑をかけない」は無責任で縁起に悖る教えとおっしゃる方がいたが違うと思う。
一口に縁起と言っても「因縁・所縁縁・等無間縁・増上縁」の四縁がある。このうち増上縁は有力増上縁と無力増上縁に分けられる。有力増上縁とは他が存在するのに積極的に関与する間接的原因・条件=縁である。無力増上縁とは他が存在するのを妨げない原因・条件=縁である。つまり「人に迷惑をかけない」とはそうすることで「他者が存在するのを妨げない」という立派な「無力増上縁」である。人に迷惑をかけない=無力増上縁の現成である。

※「因縁」とは物事の直接の原因としての縁。「所縁縁」とは認識対象としての縁。何かを認識する場合、その認識対象が所縁縁にあたる。「等無間縁」とは常に刹那消滅しつつ相続する心相続において、現瞬間の心の原因となる一瞬前の心。先行する心と現在の心の間に間隙がないから「無間」という。「増上縁」とは間接的な原因・条件の全て。物事の生起・存在を妨げない事も含む(無力増上縁)。

〇仏教の「他を妨げない縁」という無力増上縁という考えはすごい発想である。
縁というと何か積極的なものを連想するが、それだけではなく、何かが存在する事を妨げない存在も縁と捉える。そういう意味では、銀河の果てにある塵芥も自分の存在を妨げていないという意味で「縁」があるということになる。何でも積極的に関与して結びつけるのだけが「縁」ではない。これは「博愛」や「正義」で偽装して多様な文化圏に介入して引っ掻き回し、それらを破壊した上で全世界を画一化していこうというワンワールド的発想に対抗できるアイデアだ。

超国家的権力が介入するのではなく、それぞれの国・民族・地域がそれぞれ主体的に国家や文化を営んでいく。それは相互の「絶縁」ではなく「無力増上縁」なのである。そういう発想が可能となる。先哲が残した遺産にはNWOに対抗する叡智が秘められている。


(了)


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抜粋終わり


ブラボー!!

いやに仏教が、徐々に排斥されいる近代。

大乗仏教の哲学は、かなり「ワンワールド」思想の強敵のようで、それを守るのが、人類と日本を守ることになると思う。



お読みくださりありがとうございます。
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『キリスト教世界のコンプレックスで日ユ同祖論。』
  • from ローレライ :
  • 2015/10/14 (11:19) :
  • Edit :
  • Res
『キリスト教世界』を恐れて『擦り寄る、日ユ同祖論。』、仲間扱いして欲しい片思い。
無題
  • from 5Dolphin :
  • 2015/10/14 (12:51) :
  • Edit :
  • Res
そもそも日本人もユダヤ人も民族ではないですからね。日本は多民族国家ですし、自称ユダヤ人もニセモノですしね。現代社会で民族論を語るのは野暮で、侍や忍者の世界を語るようなもんです。
Re:無題
2015/10/14 20:46
>そもそも日本人もユダヤ人も民族ではないですからね。日本は多民族国家ですし、自称ユダヤ人もニセモノですしね。現代社会で民族論を語るのは野暮で、侍や忍者の世界を語るようなもんです。


私もそう思います。


まあ民族論は「悪党が善人を躍らせる方便」の傾向が強いと思います。

参考程度にいいのですけど・・・・


書き込みありがとうございます。
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