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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
産めよ増やせよ大和撫子((旧日本の独立を目指して))) 

上記文抜粋
・・・・・・・・・
トランプは国連を、というか世界政治をプロレスにしてしまった  

基本プロレスはヤラセだ

その範囲内でいかに観客を楽しませるか

それが興業というもので

そのまんまそれをしていて

敵役にされた

朝鮮半島は迷惑そのもので

韓国はさっさと

この舞台から

降りたがっている

死に役を与えられるなんてごめんだ

いい加減にしてくれよ

という態度である

文大統領と天皇が一番正気である

開始>
文大統領が意欲「北も参加する平昌平和五輪の実現を」
終わり>

まあ、コッチには撃つなよと言ってるんでしょうけど

開始>
両陛下 埼玉に私的ご旅行、高麗神社を参拝
終わり>


この辺でやめとけ、と天皇はおっしゃってます

遠回しにトランプに

11月にしがみついて懇願しても、そんなプロレス興業にカネやらんよ



おっしゃってます

過剰プライドで頭のイカれたアメリカ人どもと

それにぶら下がった安首相(安倍こと)やその他の日本会議=統一教会のしがみつき売国商売人ども

にこれが通じるのかどうかわからんが。


・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

>過剰プライドで頭のイカれたアメリカ人どもと

戦争屋はともかく、トランプとその支持者は、札束で頬を張り倒せば、通じる。

>それにぶら下がった安首相(安倍こと)やその他の日本会議=統一教会のしがみつき売国商売人ども

こいつらは、人型寄生虫なので人間の言葉など理解できない駆除しかない。

祈りというと・・・

光武帝と建武28宿伝 より

上記文抜粋
・・・・・・・
泰山封禅

 劉秀はその晩年に大きなイベントがあった。泰山封禅である。
 泰山封禅で注意すべきことは、これは劉秀が言い出したことではないことだ。家臣が何度も申請したのである。
 晩年の劉秀はますます自分に厳しく、周囲の人はみな痛々しいものを触れるように見ていたようである。
 史書の記録は、建武二十年(西暦44年)以降、すなわち劉秀の晩年の統治について記述が短い。というのも平和で事件が何もなく過ぎ去っていたからである。民衆は平和を謳歌できるようになり、のんびりと落ち着いて暮らせるようになった。ところが民衆が休み、のびやかになるのにまるで反比例するように皇帝は忙しく働くようになった。
 劉秀は以前にも増して政務に熱心になり、さまざまな努力を続けるが、その姿は多くの人に悲愴であり、悲しげに映っていた。人々はこの劉秀の行動を不思議に思い、また何とか劉秀を元気づけようといろいろなことを考えていたようである。
 それが皇太子の休むように勧めた諫言であり、あるいは民衆たちが伝えた奇跡の瑞兆であった。奇跡はほとんどが劉秀の指示により記録から抹消されたため、残ったものは少ないが、実際に報告された数は相当な数に及んだようである。これらは民衆が平和な時代を喜び、それを皇帝に伝えようとした気持ちの表れのようだ。
 そして大臣たちが勧めたのが封禅の儀式である。
 封禅は封の禅と二つからなる。封の儀式は泰山の山頂で天の神をまつるもので、禅の儀式は泰山のふもとである梁父で地の神をまつるものである。
 それまでも家臣からしばしば封禅の儀式をすることを勧められていたが、自分にその資格はないとずっと断っていた。さらに執拗に封禅を勧められた劉秀は逆に怒り出し、民衆は恨みに満ちている、天を騙せというかと叱咤し、もし私の政治を褒め称えたりするものがいれば、刑罰として髭を剃らせ地方に送って屯田の労役をさせると言い出したのである。
 注意すべきことは、劉秀は民衆から送られる大量の上書を読んでいたことである。どんなに平和な時代でも、不幸な境遇の人間がいるのはどうにもならない。特に問題として王莽の時代に河筋が変わった黄河の修復が経済的理由で延期されたままになっており、流域の民衆は今も避難生活を強いられていた。劉秀は、万人が楽しむまで自分が楽しむことはできないと感じていたようである。

・・・中略・・・・

劉秀は百官ともに、建武三十二年二月己卯(西暦56年3月15日)泰山に到着し、二月辛卯(3月27日)山頂で封の儀式を行い、二月甲午(3月30日)にふもとの梁父で后土を祀って禅の儀式を行い、かくて封禅を終えた。統一の事業の完成を天に報告したのである。
 封禅の儀式は国家の大事業であり、武帝や始皇帝も数万、十数万の人員や外国の高官などを連れて行ったと言われる。しかし劉秀は、三千人の随行員に絞り、軍隊の強行軍のような速さで泰山に到着している。劉秀は民力の消費を嫌って、費用を最小限に抑えようとしていたことがわかる。
 歴史上で泰山封禅の儀式をそれまでに行った皇帝は、秦の始皇帝と漢の武帝である。泰山封禅の公式な目的は神々に国家の長久を祈願するものでるあが、彼らの真の目的は実は国家の運命ではなく、自分自身の不老不死を求めての行動であった。泰山は瞑府の入口と考えられており、ここで天を祀ることで不老不死になれるとの方士(魔術師)たちの言葉を信じていたのだ。方術(魔術)はすべて秘密になければならない。そのため始皇帝も武帝も儀式の詳細について隠匿して記録を残していないのである。
 では光武帝劉秀はどうだったか。
 劉秀は泰山封禅の儀式のちょうど一年後に死去する。このときすでに体の異常を感じ死を意識していたはずだ。頑強な肉体を誇った劉秀も、実はその中年の頃に二度、重病で倒れている。
 一度目は建武十七年(西暦41年)、四十七歳。郭皇后の廃后事件の年である。
 二度目は建武二十年(西暦44年)六月、大司馬呉漢が亡くなった翌月、五十歳のときである。
 だが、今度の体の異常は今までとは違うと気づいていただろう。自身の健康不安から、不老不死のための儀式をしようと考えても不思議ではない。
 だが劉秀は始皇帝や武帝のようなことは何もしなかった。劉秀はすべての儀式を公開して記録し、何の不思議なことも行わなかった。ただ天に天下のことを報告し、国家の安定を願って去っていったのである。
 泰山で天に捧げた文面は興味深い。まず自分が皇帝に至った理由とその正統性について、『河図赤伏符』、『河図会昌符』、『河図合古篇』、『河図提劉予』、『雒書甄曜度』、『孝経鉤命決』など予言書を挙げて述べている。自分が皇帝になったことを天に向かって言い訳しているわけで、これは劉秀のインポスター・シンドロームを明確に表していると言えよう。それから今までの皇帝として歩みを述べ、何度も民衆の幸福を祈願する言葉が登場するが、自らについては何も述べていない。


 劉秀と始皇帝や漢の武帝は、その生涯が大きく異なる。
 始皇帝も武帝も自ら軍隊を率いたことはほとんどない。戦場で武器を持って戦ったことも、敵味方の死体に満ちた地獄絵図のような戦場を駆け抜けたこともなかっただろう。
 かつてドイツのホロコーストの責任者アイヒマンは「百人の死は悲劇だが百万人の死は統計だ」といった。またソ連のスターリンも「一人の死は悲劇であるが万人の死は統計でしかない」といった。始皇帝や武帝の感覚はこのようなものであったろう。
 だが劉秀は全く違う。その生涯の前半期は戦いの人生である。戦場で自らの手で直接殺した人間の数だけでも数百人に及び、眼下に捉えた死体の数は数十万人に及んだだろう。劉秀にとって百万人の死といえども統計ではなかった。
 戦士として無数の命を奪った男が、死を前に命乞いをしてはお笑い草であろう。玉座で見下ろすだけの皇帝たちとは死生観が全く異なるのだ。
 劉秀はかつて匈奴国境から民衆を避難させ、南匈奴の帰順に従い人々を帰還させたが、その地がほとんど廃墟になっていたことを悲しんだ。土地調査にともなってたくさんの人が死んだときはそれを長く後悔していた。劉秀は民衆とともに一喜一憂して生きたのである。

・・・・・・中略・・・・・

 自らの死期を悟った劉秀は、ただ天意を問いたかったのであろう。自分が皇帝であることは正しいのか、その政治はうまくいっているのか、と。泰山は雨降りが多い地域で、始皇帝が泰山封禅をしたときは嵐や大雨に襲われたと記録されるが、劉秀の封禅では天もまた祝福するかのように好天が続き、随行員にも一人のけが人、病人も出なかったと記録される。


・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


>ただ天に天下のことを報告し、国家の安定を願って去っていったのである。

>それから今までの皇帝として歩みを述べ、何度も民衆の幸福を祈願する言葉が登場するが、自らについては何も述べていない。


これが国家なり世界を支える「祈り」ってものだろう・・・。


お読みくださりありがとうございます。
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