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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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先日、NHKで「アンナ・ハーレント・全体主義の起源」の中で、アイヒマンの話があり、「悪の陳腐さ」という話だった。

そういえば、前の戦争に突入した日本人も「陳腐な悪」であの大破壊を自国とアジアにもたらした。

アイヒマンほどではないが、東条英機も似たような小役人。優秀な官僚能力と無思想。あるいは「天皇真理教」

権威に服従し法に従うのが絶対の正義。日本の教育の隠れた絶対命題がこれである。


特に戦後は軍隊帰りの人間がそれ叩きこんだ。

その崩壊した軍隊のモデルが持ち込まれた最大のモノが「体育会系部活」だった。

ドンドン部活に入らない子供が増えているのは、無意識的にはその忌避である。



親鸞が「殺そうとしてなくても、百人百万殺してしまう事がある」とすさまじいことを言っているが、その辺の人間の弱さを縁起の複雑を言っている。

「命令・権威に服従」てのは、道徳して間違いでないようだが、それが時に大きな過ちを犯してしまう。
その辺を親鸞さんは鋭く指摘している。

その辺の宗教的な救いでなく道徳的・政治的な対処・賞罰については孔子が「こいつら二人の弟子はなんでもいうこと聞くけど、親殺し・主君殺しだけは絶対にしません」と論語で言っている。

また「主君・上司が滅茶苦茶なら、已む得ずにげてもいい」と孔子や古い儒学は言っている。

日本では天皇や上司の命令で親殺し・恩人殺しが「忠義」っていうのだから、人情が薄くなるのも当然ですはな。


三国志演義で、袁紹の軍師だった田豊が「男児たるもの、仕える主君を過つのは一生の過ち」といって自殺して果てた。


天皇や上官の言いなりになって、自他を破壊するのは、やはり過ちであり、道徳的には悪なのである・・・・・

でも阿弥陀さん・如来はこのようなキチガイ国家日本阿呆帝国に生まれたことは憐れんで、死後は救ってくれるようだ。
が、刑死とか刑罰を受けるとかいう生きているうちのことは、手が出せないし、それは因果応報で受けるべき報いなのであり、それを受けることでお浄土に行けるってことのようだ。


まあ、死んで許してもらう前に、生きてここまでの過ちをしないように尽力するのも、それをできる可能性を如来から頂いた我々のできること。

それを怠ると、死後はともかく、生きている間は、死刑・無期懲役は、已む得ないのである。


お読みくださりありがとうございます。
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