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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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アヴァンギャルド精神世界  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・


個人的無意識の雑念・魔境の祓い方

◎神仏の御名を唱え、守り給ヘと一心に念ずるなど

本山博は、個人的無意識の雑念・魔境の祓い方を2種呈示する。

・・・・・中略・・・・・・・・

『(1)精神集中時には、現在していること、気になっていること、およびそれらに付随した感情、あるいは近い過去で心に重大な影響を与えた事柄とそれに付随した感情等が雑念として湧いてくるが、瞑想時には、精神集中時に湧く雑念はかなり静まっており、それらとは違った若い時、あるいは幼少時の記憶、若い時あるいは幼少時に心に受けた強い印象、感情等が、時折雑念として湧いてくる。

換言すると、精神集中時には無意識の浅い層から雑念が、湧いてくるが、瞑想時には無意識の深い層から雑念が湧いてくる。

(2)前生からの想念
瞑想では、物理的次元の肉体の制約を離れ、部分的に自我の殻が破れた状態にあるから、現在の生とは違う前生の想念が、(意識+超意識)の複合体の中ヘ現れてくることがしばしばある。これも三味の境地から見れば一組の雑念に当たるが、その身心に及ぼす影響は、精神集中時の雑念より、強く、大きく、広い。

しばしば、前生の想念の出現によって、現在の自分の性格、体質の特徴、長所、欠点、がよく理解されることがある。その意味では、前生、今生を貫いた自分のカルマを超える方向を知ることができるチャンスが得られる。

・・・・・中略・・・・・・

(1)若い時とか幼少時の印象、感情はそうしばしば出てこないし、それを払うには、それを傍観して、出るように出して気にかけないで精神集中の対象に集中を続けていれば、容易に消える。

(2)前生の想念が(意識+超意識)の複合体の中へ現れてきた時は、それをよく観察し、それの今生の体質、性格との関係、影響をよく理解するように努め、理解した後は、前生の想念に捉われることなく、精神集中の対象に集中を続けること。そうすれば、次第に前生の想念は出てこなくなる。

・・・・中略・・・・・

この場合も、同位の霊が働きかける場合も、自分が信仰している神仏の御名を唱え、『守り給ヘ』と心で一心に念ずることが一番の妙法である。


第二番の法は、経典(例えば般若心経)、祝詞を唱えて、霊の働きかけを気にしないことである。平気でおることである。すると、影響が出ない。』

(超意識への飛躍/本山博/宗教心理出版P181-184から引用)

・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

「魔境」{瞑想中やその後に起きる意識障害のようなもの}にも言及はありますが、ここには載せません。
ただ精神疾患・障害と被るところもあるので、それはご自身で出典先を見て参考にしてください。


同11日

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・



精神障害への対処について・まとめ



◎心小さく持つがゆえなり

精神障害への対処についてまとめると、具体的な対処法としてきちんとまとまっているのは昨日記事の本山博のものであった。

本山博の個人的無意識、無意識的欲望の発露であるところの雑念の祓い方と、更に精神障害が悪化した場合のアストラル・エネルギーによる憑依である魔境の脱出の仕方が、きちんと区別されているのは見事なものである。

これに対して、出口王仁三郎は、精神障害者(発狂者)のことを生きながら既に邪霊の為めに、全く精霊の生命を亡ぼされて仕舞つて居る者とみて、神を信じ、神にあることのみを勧める。

またダンテス・ダイジは、狂人は、意識下がものすごいアンバランスになっている人。或いは、神智学的に言うとアストラル体にものすごい猛烈な反動が来ている人と見る。
更にそういうものを経験しなくちゃならない人もいるし、経験する必要もないのにそういう状態になってしまう人もいる、などとして、『そんな精神のアンバランスは大問題だから、そんな人は急いで何としても回復させなければならない』みたいな気負いは全く感じられず、別の視点に立っていることがわかる。

言うなれば、人生航路には雨も嵐もあるけれど、最後には窮極をめざすものだという見方があるのではないかと思う。こういう見方こそが霊がかりでない見方なのだろうと思うが、この見方は善し悪しは別として社会的への急速な復帰という方向性については弱いように思う。

現在の精神医療は、投薬によって、言うなればアストラル以上の無意識の認知を遮断させることにより、アストラル体の感情やメンタル体の想念と肉体である脳との情報伝達ルートを一時ストップさせるようなものではないかと思う。

その間に、本山博流の対処方法みたいなことができればベターなのだが、この信教の自由の時代に医者がそういうことをするわけにもいかないし、かつまた本山博流の霊的アプローチが万能というわけでもないだろうと思う。

精神科医も言うように治らない人も多いのである。

イエス・キリストはその霊能力で、おしの人の悪霊を追い出しにかかったが、却ってその効果の一時的なことを強調した。OSHOバグワンもクリシュナムルティもほとんど悪霊払いみたいなことはやっていないし、出口王仁三郎もたまにしかやっていない。

つまり先賢は、精神障害の治療は、薬物や他人の力で一時的にはなんとかなるかも知れないことを知っているが、本質的な回復は、本人の資質、生活環境、無神論的・享楽的かどうか、などの諸要素によるところが大きいと思っているように見える。

それをして、出口王仁三郎はこう歌っている。

狂者のそのなり初めをたづぬれば心小さく持つがゆゑなり
(いろは歌より)

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抜粋終わり

>先賢は、精神障害の治療は、薬物や他人の力で一時的にはなんとかなるかも知れないことを知っているが、本質的な回復は、本人の資質、生活環境、無神論的・享楽的かどうか、などの諸要素によるところが大きいと思っているように見える。

私もそう思う。

まあでも一時薬や他人の力で「持ちなおす」ことがないと、

>本人の資質、生活環境、無神論的・享楽的かどうか

の是正すらできないって事もあるので、その辺うまく使って、根本治療に役立てるが賢明でしょう。

再見!
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