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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
京の風 より

上記文抜粋
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何でも言っていい時代。都知事選で真実がどんどん語られる。その先に待つものは?
こんにちは。

明日、東京の都知事選挙です。

もう、自民・公明の、「ムサシ」による不正選挙は、多くの国民が知っています。

先日の参議院選挙でも、ありましたね。三宅洋平氏の投票がゼロの地域があるなんて、どうしようもないほど、ミエミエの不正なのに、当の候補者自身が、それを訴えないとは、まったく残念です。

選挙の3日後に、せっかくラジオで総理夫人の引き合わせで、安倍晋三本人と、直接、話できたのだから、まず、「自分の票が全くない地域があったが、これはおかしい。不正がまかり通っている。こんなことではダメでしょ。この国は民主主義の基本が壊されていますよ」と、堂々と日本国の最高権力者にいうべきでした。 

これは、2012年年末の衆議院選挙の時からそうです。

選挙での投票権。これは、人間個人の尊厳そのものです。 

社会構成では、これがもっとも大切で、全てと言ってもいい。

個人の投票を尊重する。 とくに統治体で運営では、国家権力は暴力装置ももつので、

それを如何に、制御するか、これこそが、人類が長い時間をかけて、つかみ取った叡智なのです。

この自覚が、あまりになさすぎます。

権力者の横暴は、無知の現れです。 それに、どう、対抗し、その姿勢を変えさせるか?

人間個々人に、 想像 と 創造 の能力が与えられたことこそ、人間が、神の一部であることの意味です。

人間は、どんな突出した能力があっても、その一個人が、神が作り出した宇宙の真の姿(権能)をすべてつかめるわけではなく、

それぞれの人間がつかんだものを出し合って、より正しい知見を広め、3次元宇宙で、この地球にある現実に、より、快適で、美しい世界を創りだしていく。 これが、人類に与えられた、終わることない、宿命です。

 その中で、

自分だけが真理をつかんだ。絶対に間違っていない。そして、それを元に国家権力で制度化した。これに従え。 ・・・ こう強弁することで、多くの横暴な権力者と悲劇を生んできたのです。

 異なる意見が衝突するとき、戦争という手段の代わりに、選挙の手段を、私たちは、つかんだ。

 有権者とは、権力体を構成する、権利を持つ人間のことだ。

これが、日本の場合、戦後、検察そのものが、アメリカの支配下にあった。最大の理由は、戦争に負け、アメリカの国家戦略と、FRBの米ドルでの金融戦略の中に、日本の権力構造そのものが組み敷かれたこと。

そして、FRBの金融システムに、戦争を好んで起こす人間が入り込み、FRBの機能を補佐する機能として、日銀と、日本経済そのもの(日本国民の汗と税収と、官僚機構)が位置づけられ、日本をアメリカに対する、マネーでのATMにしたこと。 この構造を、日本の権力層と官僚は、すすんで受け入れ、その中に、国民が関与できない世界を創って、一部人間の個人利益を、組織を作って取り続ける体制をつくったこと。

それが、日本での、エリートというのでしたが、 

 で、今、どうなのでしょうか? 

マネーをどんなに刷っても、経済界には、日本の未来に、全く希望(需要)が見えてこない。 

 一体、何が、足りないのだ?

これまでの「枠」のままでは、もう、人々に、希望を実感できる現実を作り出せない。 それだから、今、

 日本では、急速に貯蓄率が増えている。

「マネーが未来を保証する」との信仰のままに、今の「枠」=制度のままでは、まるで先が見えないという、実感から、とりあえず、銀行に、稼ぎを蓄えておく、という、心情の現れだ。

そして、そのマネーが最も稼げるとして、若者たちが、放射能だらけの東京にいく。福島では、そこにいるだけで、多くの補償金がもらえるとして、家族を逃がさない。

 マネーを、どう使うべきなのか? そのときの、枠組みは、どうあるべきか? 

ここが実は、今、最も問われているのだが、既存政党は、これまでの「枠」を越えられない。



 さて、都知事選挙、おもしろい。

この選挙の基本は、東京五輪の利権争い。 石原慎太郎とその仲間たちが独占したがるのを、

自民党の他の議員が、割り込みたい というもの。

そして、背後には、

 ①東電の経営から、フクシマを切り離す

 ②石原慎太郎が、アメリカ戦争屋の犬だったので、これを、もう、完全に、政界から排除したい

この二つが、日本・アメリカ・の良識派、そして、華僑・王族会議からでているということ。

初めは小池にすることで、石原(そして森)を排除し、オリンピック予算をどんどん膨らませようとしていたが、  

 オリンピックを、この東京で、「問題ない」「アンダーコントロール」の嘘のまま、実施させるのか。

 今、ロシアのドーピングだけでも、国家を揺るがしているが、

 東京五輪は、安倍晋三の「嘘」と、「裏金」で、勝ち取ったことは、世界中が知っていること。

で、今、

 「何でも言っていいい時代」になった。 

 本音を言う候補と、その応援者が どんどん出ている。

・小池百合子に対し、石原慎太郎が罵声(聞くに堪えない「女性への悪口」で、ここでは書けない)を浴びせた。 

・鳥越氏は、小池氏を、核武装論者。増田氏には、直前まで東電の役員だった、と指摘する。

その前、

・立花高志 は、NHKの内実暴露する。

・桜井誠 は、この国が、戦後行ってきた、外国人に対する異例な措置の撤廃と、パチンコ産業と警察の癒着を指摘する、

・上杉隆 は、 メディアの不正 声高に叫ぶ。

 などなど。

まああ、とにかく、多くの言説が出てきて面白い。それも、それぞれに、真実なのだ。

で、日本は、どんな、国なのか?

 今上陛下は、8月8日に、国民に向けて、ご発言と。

私は、明治からの近代国家、なかでも、マネーに使い方に問題あり、とする人間です。

一旦、止まって、生存権だけはきちんと保証し、生活を確保(実物供与)しながら、全てを組みなおすべき、が持論です。もちろん、社会美化などで、一定の役務が発生するのは、当然です。

 イギリスのEU離脱決定で、世界経済が危機的だと言って、マネーでの信用創造が進まない、信用が壊れるというだけの話。

 これを、戦争によって解決するのは、もう、できない。

では、どうするのか?  相互扶助での解決方法もある と思っています。

 武器に 依らない、 安全保障。

 マネーに 依らない、 経済発展。 

必ずできます。 

 安全も経済も、 自分の心と行動が決めます。 この時、国家を、どう捉えるかです。



明日の選挙に関して言えば、もはや、増田の目はないです。

小池になれば、ヒラリー一派は、一安心でしょう。でも、鳥越になれば、これは、何が起きるかわからない。

でも、それでも、日本国民の覚醒の流れは、変らない。

 安倍晋三が、大打撃になるのは、間違いない。 

それよりも、放射能対策と、地方での(経済と生命の)生き残り対策。

私自身としては、地球人類史の中での、天皇の誕生と変容、その意味をまとめることが最重要。

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・・・・・・・
抜粋終わり


同じく より

上記文抜粋
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とても気になる、阿蘇の米塚の穴。この付近は、2万年前の遺物が多くあります。

阿蘇の米塚で、頂点に穴ができています。

気になります。 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-12651.html

私が、2004年の冬至に、鞍岳に登ったとき、そこでは、2万年前と思われる人類の足跡を多く見つけました。

ウルム氷期の時代、熊本の阿蘇は、日本列島の中でも、中心だった可能性が高い。

当時の人間たちは、意志の力と、周波数で、重力制御の技術があったのではないか、と推測します。

ナスカ地上絵も、きっと、当時のものでしょう。

私は、ウルム氷期が終わってから後の、1万5千年前からの人類文明(この中で、「縄文海進」があり、日本列島が形成された)の中で、如何にして、天皇なる存在が、日本列島に生まれたか、を考えています。

日本列島の民(縄文人、海洋民)には、2万年前の記憶があって、それが、「天の岩船」伝承になって残された、という仮説も、まじめに考えています。

アフリカで誕生した、新人(クロマニオン)が、6万年前に、アフリカ大陸を出たあと、

どのような軌跡で、日本列島に入ったのか? そのとき、どんな発展をしたのか?

まちがいなく言えること。

 人が自然を征服したり、人が人を支配するという、発想は、

 何かの、特別な作為(操作)がないと、うまれないということ。


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抜粋終わり


淡路島で弥生時代の遺跡から、後漢時代の鏡の出土

http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201607/0009323737.shtml


人種差別や、領土拡張をしていると、国家が破たんしますよ・・・

て暗示でもあるかも。

あるいは、後漢の光武帝のように差別を撤廃して、拡大一辺倒のやり方を辞めるのが、

「日本の原点でしょう」

てことかも。


もう一ついうと、「格差を縮小し改善しよう」ってことも

なにせ、「土地検地」をして格差縮小をするために、効率的にいえば無用な戦争をする羽目になったし。

http://www.geocities.jp/kaysak864/liuxiu/43.htm 

上記文抜粋
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平等を目指す戦い・土地調査を始める

 だが真の平等はただ法律で規定し、それを強制するだけで達成されるものではない。奴婢の多くは経済的格差が生み出したものなのだ。社会学者ケビン・ベイルズは、人類の歴史で奴隷人口が一番多い時代は古代でも中世でもなく、すべての国で奴隷制が禁止されている現代であることを指摘している。人権の平等は、経済の平等の上にこそ実現する理想なのである。
 真に平等な社会を作るには、経済を平等に把握する必要がある。
 こうして始まったのが度田、建武十五年(西暦39年)の全国の土地人口調査である。劉秀は州や郡に命じて全国の田畑の面積、人口や戸数、年齢の調査をしたのだ。詔して、州郡の開墾された田畑と戸数と年齢を取り調べ、二千石の官吏で上官におもねるもの、民衆をしいたげているもの、あるいは不公平なものを調べた。
 だがここで劉秀の改革は重大局面を迎える。ここまで軍備、税制、法律などを大胆に改革を続けた劉秀であるが、強力な反動が来たのである。
 調べる主体である刺史や太守に不公平な者が多くおり、豪族を優遇し、弱いものから絞り取り、大衆は怨み道に怨嗟の声が広がった。刺史や太守の多くが巧みに文書を偽造し、事実を無視し、田を測るのを名目にして、人々を田の中に集めて、村落の家々まで測ったので、人々は役人を道を遮って泣いて懇願した。
 このとき各郡からそれぞれ使者が来て結果を上奏していた。陳留郡の官吏の牘の上に書き込みがあった。「潁川、弘農は問うべし、河南、南陽は問うべからず」とある。
 劉秀は官吏に意味を問い詰めたが、官吏は答えようとせず、長寿街でこれを拾ったと嘘をついた。劉秀は怒った。
 このとき後の明帝、年は十二歳の東海公の劉陽が、帷幄の後ろから言った。「官吏は郡の勅命により、農地を比較したいのです」
 陳留郡の使者は、自分たちの作為の数字を潁川郡、弘農郡と比較して妥当な数値に収まっているか確認するように指示されていたのである。劉秀は言う。
「それならば何ゆえ河南と南陽は問うてはならぬのか」
「河南は帝城であり、大臣が多くいます。南陽は帝の郷里であり、親戚がいます。邸宅や田畑が制度を越えていても基準を守らせることはできません」
 河南と南陽は問うなとは、この二つは例外地域で法外な数値を出しているに決まっているから、真似して数値を作ると痛い目に遭うから注意しろと指示されていたのだ。劉秀は虎賁将に官吏を詰問させると、官吏はついに真実を述べたが、劉陽の答えのとおりであった。これにより謁者を派遣し刺史や太守の罪を糾明した。
 この結果たくさんの地方官が事件に連座した。河南尹張伋や各郡の二千石級の大官が虚偽報告などで罪を問われ、十数人が下獄し処刑されて死んだ。
 他にも鮑永、李章、宋弘、王元といった重臣までが虚偽報告に連座しているが、最も大物は首相級というべき大司徒の欧陽歙である。
 欧陽歙は汝南で千余万を隠匿した罪で牢獄に収監された。当代最高クラスの学者としても知られる欧陽歙の投獄に、学生千人あまりが宮殿の門まで押しかけて罪の減免を訴えた。ある者は髭を剃ったりした。この時代、髭を剃るのは犯罪者への刑罰としてだけであり、当時としては過激な行為である。平原の礼震という者は自らが代わりに死ぬので欧陽歙を助けて欲しいと上書した。劉秀の旧知でもある汝南の高獲は、鉄の冠をかぶるなど罪人を格好をして減免を求めて門に現れた。
 これはおそらく世界初の学生デモである。劉秀のような評判のよい君主が学生デモの対象となったのは興味深い。このとき劉秀と高獲との会話が残っていることから、劉秀は学生たちと対話したようである。しかし結局、劉秀はこうした抗議に対して断固とした態度をとり続け、欧陽歙は獄中に死ぬことになる。
 
豪族のゲリラ戦と皇帝の謀略戦

 劉秀に衝撃だったのは、建国の功臣である劉隆(二十八星宿十六位)も不正に連座したことで、周囲の者十数人を処刑し本人も庶人とせざるを得なかった。翌年に劉隆が南越討伐に派遣されているのは、その汚名払拭のためのようだ。
 劉秀の断固たる措置に汚職役人は打撃を受けたが、すると今度は郡や国の名門、豪族、群盗が次々と挙兵し、いたるところを攻め官吏を殺害した。汚職役人を粛清したところ、汚職役人と結託した土着豪族が、新しく刷新された役人を殺戮し脅迫を始めたのである。郡や県が軍を出して追いかけて討伐すると、軍の到着とともに解散し、軍が去れば集結した。ゲリラ戦を展開したのである。青州、徐州、幽州、冀州が最もひどかった。
 このゲリラ戦の戦い方は明白に農民反乱とは異なる。農民反乱は山林に集合して流浪するのであるが、この反乱では帰るところがあるのだ。それはもちろん豪族の邸宅である。かつて南陽で侠客として知られた劉秀の兄の劉縯は殺人事件を犯すなど問題が多かったが、多数の武装した食客を抱えていたため、役人たちも恐れてその門をくぐることが出来なかった。このゲリラ戦は、典型的な豪族のやり口であることがわかるだろう。軍が到着しても、地元の役人は恐れてどこに逃げ込んだのか申告できなかったのである。
 今回の土地調査を、地方の豪族支配に対する中央政府による重大な挑戦と見なした豪族が、レジスタンス、あるいはサボタージュ作戦を始めたのだ。劉秀政権は挙兵当初より民衆反乱軍を自らの基盤にして、敵対する豪族政権を掃討して天下統一し、その後も一貫して民衆側に立った政治を進めていたが、ここでもまた豪族側の抵抗が始まったのである。
 劉秀は謀略を用いて対応した。使者を郡国に派遣し、群盗が仲間を訴えて五人につき一人を斬ればその罪を免除した。官吏で現地に赴任せずに道中で待機した者、敵から逃げた者、敵を放した者も、みな罪を問わず、これから敵を討って捕らえれば功績とした。現職の牧、太守、県令、亭長で、境界内の盗賊を捕らえなかった者、恐れて城を他人に任せて逃げた者、みなその責任とせず、ただ賊を捕らえた数の多少を重要とし、かくまったもののみを罪とした。
 さらにかつて赤眉戦で鄧禹軍随一の猛将と知られた張宗を派遣すると、その武威を恐れ、お互いを斬り捕まえて降伏するものが数千人となり、青州、徐州は戦慄した。
 こうして賊は次々と解散した。賊の首領を他の郡に遷し、公田を与えて生業につかせた。これより平和が訪れた。牛馬は放牧され邑の門も閉ざされることはなくなったと伝えている。
 この豪族反乱は、豪族が指導者とはいえ実行部隊は一般民衆である。劉秀はそこで豪族をねらい打ちにするため、かくまった者の罪を問い、首領である豪族の力を奪うため、豪族を他の郡へと転居させて民衆との連結を断ち切り、民衆の罪は問わないで済むようにしたのである。
 劉秀得意の敵を分裂させて自滅させる謀略を採用したのである。この謀略であるが、情報戦の達人耿弇の助言があったかもしれない。というのは、耿弇は列侯として朝廷におり、問題が発生するたびに顧問として策略を献じたとされ、しかも乱の発生した青州こそは、耿弇がかつて平定した張歩の領域だからである。
 
史家もまた豪族であること

 この土地調査については、失敗に終わり二度と実施されなかったと伝統的に解釈されてきた。その理由はただ土地調査についてこの後にまとまった記述がないこと、劉秀が豪族出身であるという先入観のためであった。しかし近年の研究の結果その評価は反転し、土地調査は大成功であり、後漢では定期的に行われるようになったとするのが有力だ。
 たとえば『後漢書』五行志には建武十七年(西暦41年)のこととして「各郡は新しい税が定まった後であったため(諸郡新坐租之後)」とあり、この土地調査の後に新しい税制が全国的に施行されたことがわかる。また『武威漢簡』には建武十九年(西暦43年)の記録に「度田は五月に行い、三畝以上の隠匿については……」という記録がある。さらに次の明帝の時代には田畑を過大に申告して、役人が統治成績を高く申告しようとして処罰されるというケースが劉般伝に記載されている。その次の章帝の時代には、秦彭が田畑の質を三段階に区分して測るにように進言し、それが採用されてさらに精密化していくのである。
 土地調査についてまとまった記述がないのは、史家自身が土地調査によって取り締まられる大土地所有者であり、この画期的な政策も、儒家の視点では論ずるに値しない法家的な政策として無視されたためなのである。
 そもそも劉秀の統治下では、豪族の弾圧や取り締まりの記事が歴史的に希有なほど多く、酷吏伝を中心に十七件もの記録がある。それほど劉秀は豪族と激しく対立していたのである。
 二十世紀の歴史研究者は、劉秀は豪族に迎合し法を曲げたと非難する。ところが史書では儒家の歴史家が劉秀は法を苛烈に運用して豪族を抑圧した圧政であると非難しているのだ。イデオロギーがいかに恣意的な分析を生み出すのかの典型例であると言えよう。
 度田は中国史上初の土地、住宅、人口の全国統計調査である。そして後漢以後に度田に相当することを再開したのは隋の文帝であり、それは六百年近くも後のことであった。
 土地調査の二年後に、劉秀は有名な「柔道をもって治める」という発言する。かつてこれを土地調査の放棄と豪族への降服宣言であると悪意をもって解釈されたこともあったが、発言時期や場所から見ても豪族対策とは何の関係もなく、そのまさしく同じ月に起こった皇后廃立問題についての発言と考えられる。柔道の発言の年には既に新しい税が施行されたとあり、土地調査の問題は終わっているのであるから、この発言が土地調査と関係があると考えるのはひどいこじつけである。これは後にも詳述する。


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抜粋終わり


>劉秀は官吏に意味を問い詰めたが、官吏は答えようとせず、長寿街でこれを拾ったと嘘をついた。劉秀は怒った。

関羽張飛クラスの豪傑に怒られると、小便ちびりそうですは・・・


>人権の平等は、経済の平等の上にこそ実現する理想なのである。

>そもそも劉秀の統治下では、豪族の弾圧や取り締まりの記事が歴史的に希有なほど多く、酷吏伝を中心に十七件もの記録がある。それほど劉秀は豪族と激しく対立していたのである。

てことです・・・。経団連も、天皇財閥も、踏みつぶして、万民の平等を実現するか・・さもなくば、割れた鏡のように、日本は割れてしまいますよ・・・


お読みくださりありがとうございます。
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