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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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日本を守るのに右も左も無い。 より

上記文抜粋
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学校は軍隊をモデルに作られた。その強権体質が、今、子供を潰し始めた。

この時期、すなわち夏休み明けは、鬱になったり、最悪の場合自ら命を絶つ子供達が増えているのだそうです。学校教育に何の魅力も可能性も感じず、「仕方なく生きているだけ」と口にする子どもたちが、今、増加しています。
かつては「五月病」や「箱根駅伝症候群」のように、長期休暇明けに活力が出ないというのはいやいや仕事を「やらされている」大人達特有の現象でしたが、今や子供達も全く同じ状態に陥っています。
そしてこれは、日本の学校制度の成り立ちに起因します。
今回はその点に照準を当てた記事を「るいネット」から紹介します。(引用元はこちら


【 学校は軍隊をモデルに作られた。その強権体質が、今、子供を潰し始めた。】

■学校の勉強は、役に立たない
大人は、学校で学んだ知識など、社会に出れば殆ど役に立たないことを知っている。実際、漢字や加減乗除以外の知識は、殆ど使われることがない。それは、学校で教える教科の中身が全く現実離れした中身だからであるが、とりわけ近年、全教科を貫く近代思想や近代科学が現実社会との乖離を深めてゆくにつれて、教科内容の無意味さが隠しようもなくなってきた。今や、大半の子どもたちが、学校の勉強が何の役にも立たないことを見抜いている。
いったい、なぜ学校はこんな無駄な教育をやり続けているのだろうか?小学校は未だしも、中・高・大の10年間は、かけがえのない貴重な歳月なのに。
それは、もともと学校制度というものが、従順に命令に従うロボットのような人間を育成するために、軍隊をモデルにして作られた制度だからである。
学校は、ナポレオンの時代、国民皆兵に不可欠なものとして制度化された。従って、明治政府が学校制度を導入する際も、軍隊がモデルとなっている。実際、朝礼もラジオ体操も原型は軍隊だし、制服も原型は軍服だし、ランドセルは兵隊の背嚢である。
そんな類似より、根本的な問題は、「上官の命令は絶対」であるのと全く同様に、「先生の命令は絶対」となっていることである。事実、学校は軍隊と同じく絶対的な強制圧力によって成り立っている。

■使い物にならない人材を大量生産する学校

そこでは、「先生が絶対である」教室の中で、生徒に勉強を強制し、その囲いの中で試験、試験と生徒をムチ打ち、従順な子羊へと生徒を飼い慣らしてゆく。
この試験圧力の下では、子どもたちは「点を取るための勉強」しかしなくなり、本来なら生起する筈の「これ何?」「何で?」という追求心が封鎖されてゆく。実際、定期テストを2~3回もやれば、殆どの生徒の頭は「試験脳」に固まってしまう。
しかも、学校で出される問題は、正解のある問題ばかり。だから、生徒たちはその答えを「理解」しようとする。しかし、「何?」「何で?」の追求を捨象した「理解」など、単なる答えの暗記にすぎない。
ところが、社会に出れば正解のない問題ばかり。答えを暗記することしか出来ない「試験脳」では、全く使い物にならない。現に、受験エリートは大半が試験脳しか持ち合わせておらず、追求力を保持している学生は成績上位生ほど少なくなっている。だから、学歴信仰も崩壊し、今や、学歴で学生を選ぶ企業など殆ど存在しない。

■赤ん坊は、言葉の欠乏の塊
誰しも赤ん坊の頃は言葉の欠乏の塊で、「これは何?」「何で?」と聞きまくり、貪欲に言葉を吸収してきた。しかも、それは誰かに「言葉を覚えなさい」と言われた訳ではなく、100%内発的な欠乏に基づいて吸収したものである。ところが、学校に入ると、一気に追求心を失ってゆく。それは、学校が上から与える教科の中身が、子どもの内発的な欠乏と全く繋がっていないからである。だから、子どもがそんな強制的な「勉強なんかやりたくない」と言うのは当然と認めるべきだろう。
それを認めようとせずに、先生や親が勉強を強制すればするほど、子どもは元気がなくなってゆき、生きる意欲さえ失ってゆく。現に、「仕方なく生きているだけ」と口にする子どもたちが既に大量に存在している。
この3~4年、子どもたちの勉強嫌いは年々強くなってきている。しかし、そうなればなるほど、学校の先生はますます圧力に頼り、強制を強めてきた。その結果、子どもの勉強嫌いと先生の強制圧力の悪循環で、今や学校は子どもを閉じ込める監獄と化しつつある。
学校の強制圧力はクラブ活動にまで及んでおり、授業と宿題と学校行事を合わせると、学校による生徒の拘束時間は、優に週60時間を超えている。大人でさえ週40時間労働という縛りがあるのに、子どもを相手にする学校には何の縛りもない。これは、異常なのではないか?今や、学校は、日本最大のブラック産業だと言っても過言ではない。


{ニ.教育に名を借りて、子どもを潰してゆく罪は極めて重い

教育に名を借りて好き放題に強制権力を行使し、子どもの生きる意欲を奪い続けている学校の罪は、極めて重い。ところが、殆どの親はそうと知らずに、「子どもは勉強が全て」「成績が全て」と思い込まされている。
だが、騙されてはならない。あたかも「勉強が全て」「成績が全て」であるかのような空気を作ってきたのは、それをメシの種としている学校と塾屋である。もちろん、「勉強第一、成績第一」というのは彼らの幻覚にすぎず、今や勉強が何の役にも立たず、成績上位者の大半が使い物にならないことは周知の事実となっている。
要するに、世間の親たちは、学校と塾が作り出した空気に支配され、そう思い込まされているだけである。4年前まで、類塾も強制圧力に基づく教育に加担してきた。しかし、その罪の重大さに気づいて、類塾は探求型の教育に転換した。類塾が転換できたのは、類グループが只の塾屋ではなく、建築設計を基点に地所や農園や「事実報道」の発行など、多様な事業を展開し、社会の現実を知っているからである。だからこそ、反省を込めて発信する。決して、彼らが喧伝する言葉に惑わされてはならないと。}


元来、教育は生産者を作り出すためにある。従って、教育は常に生産と一体であった。例えば農家は一つの生産体であり、従って、学校などなくても、働いている親の背中を見ているだけで、健全な子どもたちが育っていた。ところが、現在のサラリーマン家庭には生産過程がない。従って、教育を学校に外注するしかない構造下にある。しかし、どうせ外注するなら、子どもの生きる意欲と追求心の再生を促してくれる、まともな教育機関に委ねるべきだろう。

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抜粋終わり

>教育に名を借りて好き放題に強制権力を行使し、子どもの生きる意欲を奪い続けている学校の罪は、極めて重い。ところが、殆どの親はそうと知らずに、「子どもは勉強が全て」「成績が全て」と思い込まされている。
だが、騙されてはならない。あたかも「勉強が全て」「成績が全て」であるかのような空気を作ってきたのは、それをメシの種としている学校と塾屋である。もちろん、「勉強第一、成績第一」というのは彼らの幻覚にすぎず、今や勉強が何の役にも立たず、成績上位者の大半が使い物にならないことは周知の事実となっている。
要するに、世間の親たちは、学校と塾が作り出した空気に支配され、そう思い込まされているだけである。


然り!!!!!


学校は、「軍隊・武器工場で働ける人間」を生産するために作られた。

第一、寺子屋の方が優秀な人間が出てきた。

明治時代はなんとか破綻なく国家を運営した偽志士の長州モノは、松下村塾という寺子屋出身。

彼等よりも優秀な幕臣たちは、藩の学校や寺子屋出身だった。

学校卒業者は一人もいない。

釈迦もイエスも学校出てないし。

諸葛亮・空海は学校・塾の中途退学。

岳飛など学校はもちろん塾も胡散臭い。


学校は、無用。しいて言えば、「寺子屋の商店街」としてしか再利用できない。


お読みくださりありがとうございます。
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